第27話 夢で見た人
「どうしてなのよぅ……」
翌朝、目覚めた璃月は低くうめいた。倒れてはいない。
きちんと身支度し居間に出たが、ようすを見に来た麗珂妃は困り顔で、彩天も何も言えずオロオロしていた。
「やっぱり私は無能ってこと?」
璃月が頭を抱えるのは頭痛のせいではなかった。君影草をくゆらせながら眠ったにもかかわらず、夢などかけらも見なかったし体もピンシャンしていたのだ。
「あらあら……」
麗珂妃は苦笑いだった。璃月の母であり夢見の先達でもある麗珂妃だが、娘のような例は朱家でも見たことがない。
夢見にあらわれるのは普通の景色とは違う。暗喩的な――生き物や土地や天候が見え、それを実際の事物になぞらえて解いていくのだ。
夢見を持つ者は普段からそういう夢に親しんでおり、気になる夢のかけらがあると香油を使って深く夢にもぐる。それができなかったとは。
そもそも先日璃月が見た夢は宦官と共に戦う自分、という具象だったらしい。そのきっかけとなったのも君影草の香油ではないし、こうなってくると璃月の夢は朱家の夢見とは別物だとの疑いも出てきた。
長椅子に並んで座る母に口をとがらせてみせ、璃月は甘えた。
「私、ちっちゃい頃に夢を見て泣いたんでしょ? 力がまったく使えないなんてことある?」
「そうねえ……あれは夢解きなんて教えていない頃だし、夢見じゃなかったのかもしれないわ」
「え。そんな」
「だってあなた、景色がそのまま見えていたみたいな口ぶりだったのよ」
麗珂妃も考え込んでしまった。
当時の璃月は時々妙なことを言う子どもだったのだ。しばらく会っていない父皇帝から玩具をもらったとか、女官の誰それが怪我をしたとか。起こっていないことをたどたどしく訴える璃月の話は、数日後に本当になる。
「すくなくとも朱家の普通の夢見ではないわ、きっと」
「えええ……私ってほんと出来そこない……」
璃月はがっくり肩を落としたが、そうでもないと麗珂妃は思った。これから起こることがまざまざと見えるなら、それは朱家以上の力。
ただ、そのきっかけになる事物が何かがわからなくては使いようがない。
「麗珂さま」
そっと扉を叩いて入ってきたのは麗珂妃付きの女官碧葉だった。
「あ……来ちゃったの?」
「はあ」
それは景琛の話だ。璃月が昨夜夢見に挑戦すると聞いていたので、その結果を楽しみにしつつ妹の体調を案じつつ直接見舞いに来ると事前に通達されていた。朝いちばんで皇帝に許しを請うて来たらしい。
ところが碧葉はなんともいえない顔をし、首をかしげた。
「……あと、もう御ひと方、というか」
「もうひとり?」
碧葉が口ごもるとは、いったい誰だ。だいたい景琛が後宮に伴える相手など――足音が近づいてきて、扉からヒョイと中をのぞいたのはもちろん景琛だった。
「どうした璃月。寝てなくて平気なのか」
「お兄さま」
「ふむ、身だしなみもちゃんとしているな。これならおまえが会っても問題ないぞ、入れ」
「け、景琛さま。私は」
後ろから引っ張り出されたのは――暁霄だった。
「え――」
さすがの璃月も絶句する。麗珂妃も目を丸くし、一言もなかった。
着ているのは宦官服だ。景琛に匹敵する大柄な体を包み、申し訳なさそうに背を縮こまらせるがまったく隠れられていない。
「こいつが璃月を心配してウジウジ言うんで連れてきた。おまえが後宮から出てきたんだから、逆もできると思ったんだ」
ケロッと言い放つ景琛の神経を疑い、璃月は背もたれに崩れた。
できるできないで言えばできるのだろう。実際にやったみたいだし。
だとしても、こんなことが露見したら暁霄が死罪になってしまう!
「お兄さま、何してるのよ! 暁霄を殺す気!? 非常識にもほどがあるわ!」
璃月は跳ね起きて食ってかかった。立ち上がり詰め寄る妹に景琛は不服そうだ。
「おまえに言われたくないぞ?」
「私のお忍びはバレたってせいぜい尼寺行きですむでしょ? 後宮に男だなんて――あ、まさか切ったんじゃないわよね?」
「違います!」
うろたえて直接的な言い方をした璃月に赤面しながら、暁霄本人が否定した。さすがにそこは男性としての沽券にかかわる。やっと顔を上げ璃月を見た暁霄と、視線が交わった。その時。
――璃月の眼前に閃光が走った。
短刀で戦う宦官が見えた。
璃月も袖をひるがえし応戦する。前に見た景色と似ていた。璃月は背中をあずけ槍を振るう。
それから二人は走った。建物の内へ。映月宮だった。奥の部屋では翠蓮が――。
「璃月さま!」
ぐらり。
白昼夢を見た璃月は糸が切れた人形のように倒れかかったらしい。暁霄の焦った声がしたと思ったらガッシリ受けとめられていた。強い腕と厚い胸板にうずまりながら璃月は顔を上げようとするが、力が入らなかった。
「動かないでください」
カクンとする頭を手で支えられ、長椅子に横たえてくれる。青ざめる暁霄の顔が間近にあった。
「碧葉、気付けの薬湯を」
「はい」
麗珂妃の指示が飛ぶ。璃月は血の気が引いたまま必死に伝えた。
「――みえ、たの。あの夢のひとは、ぎょうしょう」
「は? あの夢とは」
いきなり名ざしされ戸惑う暁霄の横から麗珂妃が身を乗り出す。
「戦っていた宦官のこと? ――そう。今日のこの姿を見たのね」
小さく璃月はうなずいた。深呼吸すると暁霄にまなざしをやり、微笑む――宦官だと思うから誰だかわからなかった。あれはこの人の背中だったのだ。璃月は呼吸をととのえながら続けた。
「映月宮、に。行かなきゃ」
「その立ち回りは映月宮で起こるのか?」
景琛が確認した。その場合、自分は同行できそうにない。揺玉宮に出入りすることは認められていても、他の側室たちと接近するわけにはいかないのだ。うっかり行動すれば不義密通を疑われかねず、自分も相手も危なくなる。
「お兄さまは無理ね。だから宦官姿の暁霄と行くんだわ、私」
「お待ちください、なぜ璃月さまが。危険があるならば行かせるわけには」
「――お待たせいたしました、薬湯でございますよ」
暁霄の抗議は碧葉にさえぎられた。璃月はよろよろ起き上がり、碧葉が差し出した薬を口に含む。前にも飲んだけれど暴力的な味だ。だけど効く。
「うっ……にっが」
目の前で璃月に渋い顔をされ、暁霄はフ、とかすかに笑んだのかもしれない。璃月はクラクラしながらにらみ返した。
「なあに、暁霄も飲んでみる?」
「だめよ璃月、ぜんぶ飲みなさい」
茶碗を押しつけようとする璃月だったが麗珂妃にたしなめられ薬を飲み干す。すると頭がずいぶんスッキリしてきた。
長椅子のそばで膝をつき見守る暁霄。その服装を見つめて璃月は夢の記憶と突き合わせた。やはりこの人だと思う。
「暁霄は二度とこんな格好しないわよね……」
「無論。今日は景琛さまの悪ふざけで」
「俺のせいにするな。いや、まあ俺のせいだが」
「じゃあやっぱり、夢に見たのは今日のことだわ――行かなきゃ」
ゴニョゴニョ言う兄は放っておいて璃月は立ち上がった。ふら、とよろけるのへ暁霄が手を伸べるがなんとか自分で踏みとどまる。そんな娘の状態に麗珂妃もため息をついた。
「そんなでは動けなくてよ。何を夢に見たの?」
一刻を争う事態なのかどうか、というのだ。璃月は嫌そうに唇をふるわせた。
「――翠蓮が血まみれで倒れてた」
「なんですって?」
「取りすがる徒嵐がいて、私が駆け込んだら泣きそうな顔で自分に剣を……」
言葉を詰まらせる。景琛は顔色を変えた。
「暗殺か? それとも心中か? ならば娘子軍に踏み込ませる。璃月は無理するな」
「待ちなさい」
止めたのは麗珂妃だった。昔のことを思い返しながら娘に尋ねる。
「翠蓮はどこから出血していたかわかる?」
「え……わからないけど、裙が真っ赤で」
「胸や腹を刺されたんじゃなさそうね」
ならばそれは。
昔の死産事件を知る碧葉がハッとなって叫んだ。
「薬を盛られたんですか!」
「ありえるわ。だとすると流産がうまくいかなくて……それとも出血が多すぎて亡くなってしまうのかしら。医官を差し向けましょう。助けられるかも」
目配せされた碧葉が飛んで出ていく。だが医局で何をどう言うのやら。揺玉宮の女官頭が映月宮の異変を通報するとは。まあそこは長年の手腕に任せることにする。
「では璃月が戦うという曲者はなんなんだ」
苛立たしげにした景琛は、彩天に「春芳を」と言った。娘子軍を動かすつもりだ。そちらも一礼して出ていくのを見送り、残された璃月はもう一度座って呼吸をととのえた。この目まいでは、まだ動けない。
「薬を仕込んだ人に鉢合わせた……?」
「いいえ璃月。あの薬は急に効くものじゃないの。もっと前に飲まされていたはずよ。しかも腹の子だけを殺すから毒見もすり抜ける」
「そんな……」
「口にするものに仕掛けられたら逃げるのは難しいわ」
麗珂妃は頬を強ばらせた。悲しみと怒りがよみがえる。
失った子。そして璃月の味わった恐怖。景琛だって、あの事件のせいで母と妹を何より溺愛し政局から遠ざかる生き方を選んだ。このうえ璃月の友人が命を落とすようなことになるのは許せない。
「だとすると、薬とは別口の誰かもいるのか……?」
景琛がつぶやいて、麗珂妃はうなずいた。
璃月も、暁霄も姿勢を正す。全員が意味深に目を合わせた。
――翠蓮が狙われるのなら、全力で阻むまでだ。




