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第25話 さだめを選ぶ


 ✻ ✻ ✻



 元気のない璃月を見おろし、暁霄は言葉もなく困り果てていた。声をかける立場にないのが今は救いだ。


 璃月はみたび箭亭を訪れている。建物内の休憩室では璃月と景琛が座り、その脇に暁霄と志勇、そして春芳が控えた。

 今日の訪問はもちろん翠蓮の一件に関して話したいからだった。映月宮でひっそりと寄りそっていた翠蓮と徒嵐だったが、落水事件からの懐妊発覚が大きな噂になってしまい今や後宮で時の人なのだ。


「――気分が晴れなくて早朝から散策に出ていたが、池のあずまやで目まいを起こし水に落ちた。と」


 景琛は翠蓮が溺れたいきさつを整理した。公式にはそういうことになった。

 だが本当は、自殺をはかったのだ。そう承知の璃月はとことん落ち込んでいる。友人としてできることは何かなかったのか。


「私、前の日に会って……ふるさとのこと思い出させちゃったの」

「いいえ、そもそも妊婦というのは心が揺れるらしいですから璃月さまのせいじゃありませんよ」


 自分を責める璃月のようすに春芳はつい口を出した。それを暁霄は心の中で応援する。女同士というには身分違いで気が引けるが、口べたな暁霄にはできない励ましの声掛けを妹にやらせたかった。璃月は気安い仲の春芳に愚痴る。


「……紫婉だけじゃなく、翠蓮も懐妊してたなんて」

「ほんとに驚きましたね。ご本人はおわかりだったんでしょうか」

「春芳、そこは突っ込んではならん」


 黙っているつもりだったが、暁霄は制止してしまった。皇帝の子を身ごもりながら死のうとしたとなれば、公子公主に対する弑逆とみなされかねない。それは翠蓮を思いやる璃月をさらに追い詰めることになるのだ。


「ああそうね、ごめんなさい兄さん」

「もう暁霄ったら。私だってそれぐらい考えてたわよ」


 顔を上げた璃月は暁霄に向かって唇をとがらせ抗議した。そのしぐさで暁霄の心は撃沈する。

 ――月だから遠くにあるべき? いいや璃月は、やはりとても人間らしい。ならば、この人のそばに暁霄がいるのはそんなにおかしなことだろうか。


「……失礼を」


 揺れたまなざしを押し隠しうつむく。そんな暁霄を見る景琛の目は楽しそうにきらめいていた。この副官をどうにかして出世させたい、というのが最近の景琛の悩みだ。そうなれば璃月を降嫁させられるかもしれないから。

 こんな状況だが景琛は翠蓮にも徒嵐にも直接面識がなく、実はわりと他人事。しかし璃月が心を痛めているのはかわいそうなので翠蓮たちに力添えする気はある。


「璃月の望みとしては、翠蓮にどうなってほしいんだ?」

「え――」


 問われて璃月は言葉に詰まった。


「もちろん……生きていてほしい。それから……」


 無事に子を産んでほしい、と思いながら口にするのをためらう。翠蓮自身がそれを望むのかわからなかった。

 翠蓮の腹にいるのは璃月にとって弟か妹。でなくても赤子が産まれずに死ぬのは嫌だ。だが――。


「そうだな」


 言葉をなくした璃月に景琛はやわらかな視線を投げた。


「世には望まれない子もいるものだ。どうしろと他人が言うべきではない。だが本人の心にかかわらず、翠蓮もろともに消してしまえという企みが必ずあろうな」

「お兄さま」

「そんな大罪を防ぐのは本来、内務府の仕事なのだが……」


 そこの太監である瑾瑜その人が、暗殺の首謀者である可能性が高いのが悩みどころだった。

 後宮の主、皇后。そして内務府の長、瑾瑜。二人が癒着する花園で、か弱い蝶が生き延びるすべなどあるのだろうか。


「――私、香油を使って夢を見てみたい」

「璃月?」


 妹の提案に景琛は眉をひそめた。

 深く夢に入る、正式な〈夢見〉の異能を璃月は使ったことがない。似た香りの沈丁花にあてられた時には奇妙にはっきりした夢を見たうえ寝込んでしまったくせに何を言い出すのか。


「だってお母さまの〈夢見〉の終わりには、もうたどり着いたでしょ?」

「そうだな……」


 月影に群れる蝶たちの花園。合歓の木に寄りそう黒い蝶。戸惑うだけの白い蝶。

 その意味するところは見えてきたと思う。だがここまで来たことで、新たな道すじも拓かれたのではないか。そうならば知りたいと璃月は言い張った。


「新しい夢、お母さまじゃなく私が見てもいいわよね」

「いやしかし。うまくいくかどうか」

「やってみなきゃわからないもん」


 璃月はキリリと兄を見つめ返した。役立たずでありたくない。

 異能の血を引きながら何もできない末っ子。そんな自分が嫌で、璃月はあがいてきた。やっと夢見の兆しを得たのだから力を試してみたいのは当然のことだ。


「――ですが」


 声を上げてしまいハッとなったのは暁霄だった。僭越にも会話に口を出したのを後悔し黙るが、唇をかむ副官を景琛はうながす。


「いい。言ってやってくれ」

「は……では失礼ながら。璃月さまが夢見をすれば先日のように体調を崩すのでは」


 提言したくせに暁霄はムッと唇を結ぶ。璃月は驚いて下から顔をのぞき込んだ。


「心配してくれるの?」

「それは無論。璃月さまは……璃月さまは、その」


 言葉を選びかねて暁霄はもごもごした。普段は無口で苛烈な槍の名手の不甲斐なさに景琛が眉間を押さえる。ズバッと「自分の大切な人だから苦しい思いをさせたくない」ぐらい言え。

 だがもちろん暁霄に言えるわけはなく、逆に璃月が背すじを伸ばした。


「私、そんなに弱くないわよ。倒れたって平気。なんだか後宮じゃ繊細で病弱みたいな噂も立ったけど、全然違うって暁霄ならわかるでしょ」

「強いのは承知です。だが倒れたら、それは平気と言えない」

「そ、そうだけど! でも平気なの! お母さまが寝込むのも嫌なんだもの!」


 強弁する璃月の言い分で暁霄は黙らされる。麗珂妃のことを案じてだと言われれば臣下の身としてはこれ以上どうしようもなかった。


「すまんな暁霄。強情な妹で」

「ちょっとお兄さま」

「だがまあ、たしかに母上は最近つらそうだ。璃月が夢見の役割を引き継いだら楽になられるだろう」


 景琛も妹が心配ではある。だが挑戦するのをやめさせるほど過保護ではなかった。それにこれは、いずれ乗り越えなくてはいけないこと。

 璃月が〈夢見〉を使いこなせるのか否か。それは公主としての進む道すら決める、重要な異能なのだから。




 香油を使うのならば、それは麗珂妃の見守る揺玉宮で為すべきことだ。もし首尾よくいったならばすぐに春芳が夢の中身を報せると約束し、璃月は内廷に帰ろうとした。今日はとても槍の稽古をする気になれない。

 だが見送る暁霄が口を開きかけてはやめている。璃月を見つめる目には苦渋の色が満ちていた。


「そうだ春芳」


 ちょいちょい、と呼んだのは景琛だ。春芳は一礼し璃月の横を離れる。知らん顔で志勇もそちらに寄っていき、璃月のそばには暁霄だけが残された。上司と同僚のお膳立てには気づかぬものの、暁霄は勇気をふり絞った。


「――璃月さま」

「なあに」

「夢見の力――手に入れなければなりませんか」


 ほんの小声で問う。璃月は首をかしげた。


「言ったでしょ。お母さまを助けたいの」

「ですが璃月さまが苦しむのも私は」

「暁霄――?」


 璃月は目をぱちぱちした。対する暁霄のまなざしは険しい。


「――景琛さまいわく、璃月さまは異能がないことを悩んでいると。気にせずとも璃月さまは今のままで」

「え」

「いや……その。立派な公主だと」


 難しい顔で言いつのる暁霄をポカンと見上げ、璃月は黙った。

 暁霄には槍で挑みかかりながら「わからず屋」とののしったこともある。そんな相手から「立派な公主」と言われても信じにくい。呆然とする璃月から顔をそむけ、暁霄は目を伏せた。


「失礼。出すぎたことを」

「……ううん。ええと……ありがとう」


 戸惑いながら璃月は礼を言った。

 暁霄の言葉はやさしい。なのにさっきから表情はとても厳しかった。いつも慇懃で無愛想だが、いっそう不機嫌に見える。どういうことだろう。


 異能などなくても今のままの璃月でいい。

 その言葉はありがたく受けとめた。だいじょうぶと言ってもらえるのは、よくわからないけど気が楽になる。

 だけど――璃月は変わりたい。自分を知りたいのだ。



 黙りこくる暁霄のことを横目で確認し、景琛は春芳を解放した。春芳はわけがわからないながらピシリと一礼する。わざわざ呼びつけられたのに、こまめに連絡を欠かさぬようにと命じられただけで終わってしまったのはなんだったんだ。

 首をかしげる春芳を連れ、帰っていく璃月の胸は不思議と落ち着かなかった。


 何かがカチリとはまり、進みはじめた気がする。

 ――だからきっと、夢を見られる。

 璃月はそう確信した。



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