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第19話 ままならないこと


 忠全(ちゅうぜん)――それは碧梧宮を取り仕切る宦官の名ではないか。

 そう彩天が教えてくれた。小翠と別れてからのことだ。外なので小声でささやき合う。


「今のがその人?」

「よその宮の宦官まではよく知りませんので、本人かどうかは……」

「あれが碧梧宮の忠全だったとして、小翠は何かやらかして叱られてたのかなあ」


 それにしては忠全の態度がおかしかったように思える。


「なんだか小翠、暗い顔をしてたわ」

「そうですねえ……真面目そうな子ですから、気がかりでもあるのでしょうか」


 しかし璃月にとって目下の課題は映月宮の翠蓮との面会だ。天花苑の門をくぐり、璃月は笑みを取り戻した。

 今日の風はそよとして、うららかに春めいていた。園遊会があった瑞香池へと足を運び、璃月はつぶやく。


「もう沈丁花は終わったし」

「お倒れにならずにすみますねえ」

「じゃなくて。花の盛りが過ぎた場所には誰も来ないでしょ」


 そう判断して待ち合わせをそこにしたのだった。思ったとおり、だんだん人がいなくなる。だが池に浮かぶ四阿には翠蓮がたたずんでいて、璃月はホッとした。ちゃんと来てくれた。


「翠蓮!」

「――璃月さま」


 声をはずませた璃月に、翠蓮は名を呼び返して応えた。だが橋を挟んでそっと頭を下げ礼は守る。親しくしてもらいたいのはやまやまだが、身分の差を考えるとそれぐらいは仕方がなかった。

 四阿の隅には宦官がひとりいた。他の女官はいない。宦官だけを連れて出歩くなどおかしなことなのだが、その宦官は映月宮を訪ねた時にも同席していた者だった。璃月の視線で翠蓮は宦官を紹介する。


徒嵐(とらん)と申します。私と同郷の者で、頼りにしております」

「そうなのね」


 徒嵐はおそらく二十歳かそこら。若さのわりに険があるが、璃月にはきちんと礼をした。翠蓮が控えめに手招いてくれる。


「璃月さま、こちらにいらっしゃいませんか。池を渡る風はすこし冷たく感じますが、水面が美しいですよ」


 そして徒嵐をうながし外に出す。入れ替わりに橋を渡った璃月は彩天らを岸にとどめた。なんと四阿に二人きり。とても友人ぽくて気持ちが上がる。勾欄から景色を望むと、どこかの梢で祝うように小鳥のさえずりが響いた。


「気持ちいい」

「それはよかったです。先日の会では具合を悪くなさったと聞きましたけど」

「あれは、ちょっと花の香りがきつかっただけなの」


 言い訳し、璃月は唇をとがらせた。夢見のことは教えられない。だけど自分はか弱くなんかないのだ。

 ひらり。

 槍で空を薙ぐごとく、璃月は腕を大きく振り体をひるがえしてみせた。袖と披帛が舞う。


「ね? 私、いつもは元気なのよ」


 岸で見ていた彩天は頭を抱えた。その近くでは徒嵐が表情を変えずにじっと立っている。だが翠蓮は、飾らない璃月のようすに頬をゆるめた。


「璃月さまは――失礼ながら私の妹にすこし似ています」

「妹がいるのね」

「はい。活発で甘えん坊で。まだ十一歳ですが」

「え……」


 活発で甘えん坊と言い当てられギョッとするが十一歳とは――璃月が子どもっぽいということじゃないか。複雑な顔で椅子にストンと腰かけると、翠蓮はさらに忍び笑いをした。


「そういうところも、ですよ」

「まあ……私、末っ子ではあるし」


 愛してくれる兄は景琛だけだが、それでも幼く振る舞うのが身についているのかもしれない。だが翠蓮の表情はふと硬くなった。


「翠蓮?」

「……いえ。妹は元気にしているかと」


 いきなり翠蓮との間に衝立でも置かれたように感じた。

 後宮に納められることになって翠蓮はどう思ったのだろう。心配になって璃月の目が曇る。

 もう会えないかもしれない妹や家族、友人たち。先日の詩も戻らない故郷を想うものだった。徒嵐という宦官を側に置くのはふるさとを懐かしんでいるからに決まっている。


「――つらい?」


 璃月はぽつりと尋ねた。翠蓮のいた并県への裁可を下したのは、最終的に皇帝――璃月の父だ。翠蓮の境遇に責任を感じてしまい璃月はうつむく。それをわかってくれたのだろう、翠蓮の瞳が揺れた。まだ立ったままで遠くを見やる。


「――どうして、とは思います。ですが璃月さまがどうこうできることではありませんから」

「そうだけど――ああ、でも私もそろそろどこかに嫁がなきゃならないかもしれないのよね。ごめんなさい、お友だちになってほしいなんてお願いしたのに」


 ちょっと泣きそうになって璃月は唇をかんだ。どうして誰も彼も、ままならない人生を歩むのだろうか。


「お輿入れ――そんなお話が?」

「まだはっきりとはしていないけど。お父さまは私をどこに嫁がせるか、ずっと気になさっているのよ」


 杜家につながる安福が揺玉宮を探りに来たなんてことは、さすがに明かさない。でも心あたりのありそうな口ぶりは伝わったのだろう。翠蓮が目を見張った。


「それに、従うんですか」

「――だってどうすれば? 私はそのために育てられてきたのに」


 従うも従わないも、皇帝の命じたことならば逆らえる者はこの国にいない。公主として蝶よ花よと暮らして見える璃月といえど、生殺与奪の権は皇帝の手の中にあるのだった。


「そう、ですね。璃月さまも――」


 自分と同じ。そう思ったが口にはせず、翠蓮は隣に腰をおろす。そしてそっと手を握ってくれた。行く先が不安な妹を気づかうように。




 四阿を出た璃月と翠蓮が気晴らしに歩く間も、徒嵐は無言で従っていた。彩天が「映月宮のお暮しに不自由などございませんか」と気を遣って尋ねても、そっとうなずくだけ。徹底して人を拒む空気は離れて歩く璃月も感じるほどだった。


「――徒嵐、もうすこし愛想よくしても罰は当たらなかったのじゃない?」


 公主の一行と別れ映月宮に戻った翠蓮は、ぐったりと長椅子にもたれながら従者に注意した。


「このごろ疲れやすいな。大丈夫なのか」


 言われたことは無視し、徒嵐は椅子の前に膝をついた。半分寝そべるようにしている翠蓮の頬に手をやろうとするが、その手は拒まれる。


「平気よ」

「あんな所に長い間出ていて……風邪をひくぞ」


 実は璃月が来るだいぶ前から、翠蓮は四阿で風に吹かれていたのだった。拒んだ翠蓮の腕をグイと押さえ、徒嵐は頬から首すじへと手をすべらせる。翠蓮が吐息とともに肩をふるわせた。


「やめて」

「冷えてるじゃないか。この冬はやたら吐いていたし、ここの気候はおまえに合わないんだ。寒さに気をつけろ」


 徒嵐は立ち上がって手炉と膝掛け、肩掛けを持ってくる。手炉を持たせ、その上から翠蓮をくるむ仕草はやさしかった。


「……ありがとう」

「今日は暖かい方だが無茶はするな。俺たちにとってこの城は鬼の棲み処のようなもの。なじめるわけがない」

「あら、さっき会った鬼はずいぶん可愛らしくなかった?」


 笑ったり困ったり不安げだったりコロコロ表情を変える公主を思い出し、翠蓮は微笑む。だが徒嵐の目には暗い光が宿っていた。

 璃月が降嫁させられそうなのは聞こえた。してみると公主だろうが皇帝だろうが、結局は国のしきたりに縛られて生きているのもしれない。徒嵐にもそんなことはわかっている――が、わかりたくなかった。

 徒嵐には何か憎むものが必要なのだ。そして愛する者も。至近から翠蓮を見つめるまなざしは狂おしい。


「――翠蓮がこのまま皇帝に打ち捨てられるなら、俺たちもそれなりに幸せかもしれないな」

「徒嵐、何を言うの。あなたは」

「もういい。宦官として朝政を動かすまでになるのに、どれだけの(くつ)を舐めねばならないと思う?」

「でも、あなたには才が」

「もういいんだ。そんなのはごめんだ」


 吐き捨てて、徒嵐は腕を伸ばす。肩掛けにくるまれたままの翠蓮を抱きすくめるとささやいた。


「おまえがいれば、それで」

「だめ」


 目を見張り、嫌々をする翠蓮は泣きそうだ。腕をゆるめた徒嵐は手のひらでそっと女の頬を包む。


「じゃあ何が苦しいのか教えてくれ。おまえが悲しんでいるのを放っておけるわけがないだろう」

「徒嵐……」


 苦しみを言い当てられ翠蓮の唇がふるえた。

 ――言えるわけがない。この人に。

 涙が盛り上がり、あふれる。


「……ごめんなさい。ごめんなさい、徒嵐」

「翠蓮……」


 腕の中で泣き崩れるくせに口をつぐむ。どうしようもなくて、徒嵐はただ肩を抱いていた。



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