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第17話 天空の月のごとく


「私を翠蓮とお呼び下さるのはかまいませんが――」


 苦笑いで翠蓮は璃月の提案を受け入れる。隅にいた宦官が意外そうに目を見張り、彩天は眉をひそめた。

 宦官を重用するのはいいとして人との面会に同席させるなど珍しい。これは何者なのだろう。だが璃月は翠蓮の方に気を取られていてそこまでは観察する余裕がなかった。


「なら私のことも璃月と」

「下の者からお名前を呼ぶのは不敬になります」

「そう……かもしれないけれど。よその方々がいないところでも駄目かしら」


 もじもじと食い下がられて、翠蓮は「……努力します」と目を泳がせた。



 ぜひ揺玉宮にも遊びに来てほしいと璃月は誘ったのだが、それは目立つ。かといって璃月が映月宮に押しかけてばかりもはばかられた。

 なので折衷案として今度は外で会うことにする。天花苑で、だ。散策中に出会ったことにすれば自然に話せる。

 初めての友人ができそうな流れに璃月は喜びあらわだった。帰っていく璃月を送り出し、翠蓮は思わず笑う。なんて奇妙な公主だろう。


 居間に戻る翠蓮に従ったのは会見に同席していた若い宦官だけだった。


「……あんな人間を近づけるのか」


 二人になったとたん気安い物言いで、主従のはずなのに翠蓮もその態度を咎めない。互いの視線がからまったが、先に目をそらしたのは翠蓮だった。


「見ればわかるでしょう。あれは悪い子じゃない」

「皇帝の娘だぞ」

「……そうだけど」

「俺たちを踏みにじった男の血を引いているんだ」

「やめて徒嵐(とらん)


 それは肩をつかまれたことに対しての言葉だった。手を振り払い椅子に崩れ落ちた翠蓮を、徒嵐と呼ばれた宦官は暗い目で見下ろす。

 触れることすらも拒絶するのか。そう言いかけて徒嵐は口をつぐんだ。

 ――今の二人は、後宮にはべる側室とその宮に仕える宦官。そうでしかないとわかっているから。



 ✻ ✻ ✻



 (なん)州の(へい)県。それが翠蓮の故郷だ。

 暖かく水が豊かで稲が育つ。古来穀倉として富み栄えてきたことで街では商いも盛んだという。


 その南州で一昨年、騒乱が起こった。

 三年に一度の科挙郷試(きょうし)において不正を訴える家が複数あったのだ。

 郷試に通ると翌年皇城で行われる会試(かいし)の受験資格が得られ、中央官僚の座が近づく。あるいは地方官の道を選んでも地元での栄達が約束されるため、受験者は一族の期待を背負って試験にのぞむ。


 ところが前回と今回、合格確実と目されていた秀才の落第が相次いだ。これまで幾人もの合格者を出した家柄が軒並みふるわなかった。

 彼らは落第した答案を再現し検証した。だが何ら落ち度など見つからず、素晴らしい回答だとしか思えない。これは不正なのではないか。そんな陳情により郷試に調査が入ったのだ。


「科挙の不正は国家への反逆。死罪もあり得る重罪だ。真実ならば大変なことだが――」


 箭亭の一室にいるのは景琛と志勇だった。

 璃月と翠蓮が会談したとの一報により景琛は訓練を休止し、并県での騒動について復習していた。肘掛けを指でトントンと叩きながら当時の記憶を探る。

 確か、南州での試験を担当した正考官(せいこうかん)が追及を受けたはずだ。その上で不正はないとされ、逆に原告へ誣告罪の裁可が下った。その処分に不服な家々が私兵を集めたために、州兵が動く騒ぎになった。


「すぐに鎮圧されて首謀者たちは死刑や宮刑に処されたのだったか。大きな家がいくつも潰されたよな」

「并県の家が多かったので県令も責任を問われました。叛意などないと示すために娘を後宮に差し出したんです」

「ふむ。それが翠蓮……」


 流れを知れば、後宮での栄達に興味なさそうな翠蓮の態度が腑に落ちた。故郷への裁きが納得できず、皇帝に媚びを売る気になれないのだろう。


「捨鉢になり、皇帝に喧嘩を売るような詩を詠んだ、と」

「お渡りがあったということは花を散らされたんでしょうし。それも屈辱ですな」


 自身の想いがどうであれ、県令にまでなった父親や一族郎党を守るため後宮に入るしかなかった翠蓮。境遇を受け入れずにいるのは誇り高い女なのか、あるいは何か含むところがあるのかもしれない。


「気になるのは彩天が目をとめた宦官だ。翠蓮の側近くにいる理由――皇帝に不満を抱く者が後宮にいるとしたら捨て置けない。どのように映月宮に抱えられたか調べろ」

「は」


 景琛の命に、志勇は軽く頭を下げた。

 翠蓮という女性の運命は哀れだと思う。だが景琛としては璃月の身を守るのが最優先。〈夢見〉に則して友人になるのは決まった事としても、それからの交わりが幸せなものになることを願わずにいられなかった。


「ところで暁霄なんだが」

「はい」


 志勇と二人になのをいいことに景琛は話を変えた。


「あいつは本当に璃月に惚れてるのか。なかなか尻尾を出さん」

「ははは、そうですね」


 志勇は苦笑いするしかない。

 あのお忍びの後、可愛い妹に苦言を呈され不服そうな景琛に志勇は密告したのだ。暁霄が璃月公主に身分違いの恋をしているかも、と。


 暁霄と志勇は後宮の門越しに幾度も璃月と会っている。そのたび暁霄は可憐な公主に釘づけだった。少なくとも隣で観察するぶんにはそう見える。

 となると暁霄は、璃月を弱いと思ったのではなく危険にさらしたくないだけなのでは――と志勇は分析してみせた。

 それはなんだか納得させられる意見だ。以来景琛は何かと暁霄の反応をうかがっている。


「まあ璃月の話題だと聞き耳を立てているよな」

「あの無粋な暁霄が女性に反応するというだけでも大変なことでは?」

「ふむ……だがあいつが立場をないがしろにするか? 璃月は可愛くておてんばだが、あれでも公主だ」

「本人は無自覚じゃないですかね。そっち方面は少年並みの男ですし。白状しろと言っても首をひねるのでは」

「ううむ。でも俺は! 言質を! 取りたい!」


 景琛は小さくこぶしを握った。

 だって暁霄ほど信頼できる男はいない。璃月を押しつ……いや嫁がせれば幸せにしてくれるのではなかろうか。

 しかし壁となるのが身分の差。

 璃月は佳国皇帝の娘だが、暁霄はただの武官にすぎないのだった。





 ――景琛たちが話している箭亭の外には暁霄がいた。向かい合う相手を不機嫌ににらむ。


「なんの用だ、春芳」


 景琛の側にいるのが常の暁霄を外に引き留めたのは妹だったのだ。二人のすっきり涼しい目鼻立ちはこうして並ぶと似ている。

 璃月から映月宮への接触を速報しに来た春芳は、ついでに兄に話があると申し出た。景琛にも了解を得たのに、暁霄は見るからに不満たらたらだ。主人から離されただけでそんな態度を取られ、「犬か」と妹の視線が険しくなった。


「私、母さんに小言をくらったんだけど」

「……そんなこと俺に関係ないだろう」

「なくないのよ! 兄さんが結婚しないせいなんだから」


 春芳がむすっと鼻にしわを寄せるが、暁霄は不得要領な顔だ。


「俺……?」

「景琛さま、母さんにおっしゃったんですってよ。兄さんが嫁を探さないのはご自分が独り身でいるせいだろう、申し訳ないって」


 暁霄は息をのんだ。上司がそんなふうに責任を感じるなど本意ではないのに。

 この兄妹の母は景琛の乳母だ。今も公子の側に仕えているのだが、先日景琛は乳兄妹らが結婚しないことについてわざと言及した。

 それは暁霄が璃月を想っているのではないかという推測をもとに仕掛けた揺さぶりだった。母親にせっつかれれば生真面目な暁霄は動揺するに違いない。だが暁霄本人より先に、とばっちりの春芳が未婚の身を叱られたのだった。


「それは……俺のせいではなかろう。おまえはおまえで早く身を固めるがいい」

「嫌よ」

「何が嫌だ」


 二十歳にもなれば嫁ぐのは普通。実際そんな話もいくつか来たのに春芳は一蹴している。暁霄なら主筋に義理を立てているとの言い訳もできるが、春芳の場合はなんの選り好みなのか。


「だって……兄さんが強いからいけないんだわ」

「は?」


 目をむく暁霄だが、春芳はふてくされている。


「私は兄さんに勝てないけど、夫になる人には兄さんに勝ってほしいの!」

「……待て待て、意味がわからんぞ? どういうこだわりだ!」


 声を荒らげた兄妹は正面から対峙しにらみ合った。

 兵部上将の副官にして若き実力者の暁霄と、娘子軍人。そんな二人の険悪な空気は遠くでうかがう禁衛の兵らにも伝わる。ただの兄妹喧嘩だと知っていても緊張が走った。


「――う、いや。大事ない!」

「そうです気にしないで下さい!」


 空気を読んだ二人は兵らの視線に叫び返した。暁霄が深呼吸し眉間をもむ。


「……おまえだって女としてはじゅうぶん強いと思うが」

「あらありがとう。でもねえ……父さんは立派な武官だったでしょ? 兄さんはこんなだし、志勇殿も文武に長けていて」


 ぐちぐち言うが、つまり春芳の身近に見てきた男たちが有能すぎて目が肥えてしまったのだ。それを凌駕する何かがなければ夫として尊敬する気になれない、と。暁霄は困惑しきりだった。


「そんなのを俺のせいにされても困る」

「せめて兄さんだけでも結婚したら母さんの矛先も鈍るんじゃないの? 景琛さまも気になさってるんだから遠慮しないで嫁を取りなさいよ」

「遠慮しているわけでは……」


 目をそらした暁霄の脳裏に浮かんだのは、どういうわけか――璃月の姿だった。

 そのことに暁霄は動揺する。何故、今そんな――?


 戦衣長袍に身を包み槍を振るう璃月は活発な少年のようだった。

 しかし正体を知り「戦うな」と言ってしまった時の泣きそうな瞳はあまりに女らしく、思い出すだけで胸に不思議なものが満ちる。


「……兄さん、女には興味ないの?」


 げほっ!

 春芳の探るような言葉で暁霄は咳込んだ。なんという言いがかり。


「そん、そんなことはない」

「母さんが気をもんでたのよ。跡継ぎをどうしようかって。兄さんがそうなら私が産んだ子を婚家から養子にもらうって言われても、こっちも嫁いですらいないのに……」


 家を絶やさず祖先を祀っていくのは重大事だ。子らの人生は案じるが、同時にそこまで考えての母の小言だったらしい。親不孝な兄妹はうーん、と立ちすくんだ。



 嫁をと言われ、ふと思い浮かべたのが璃月公主? 暁霄は自分の思考に愕然とする。

 あの少女は天に浮かぶ月のような人。望んではいけない相手だ。


 ――だから自分のものにならなくていい。

 だが、誰の手も届かぬ月であってほしい。


 そう願いつつ、暁霄は空を見上げた。



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