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第14話 天花苑の出会い


 ✻ ✻ ✻


 ざわめく揺玉宮にあってこの日、中庭だけがぽっかりと静かだった。

 璃月はひとり槍を握る。だが今日は軍装ではなく、普通の部屋着だ。これから皇后の催す茶会に出なくてはならないので時間がない。

 もう支度をする時間だった。だけど心を鎮めるためにこうしている。何故なら――夢を見た気がするから。


「あれは、誰」


 夢の中、璃月は槍を手に戦っていた……と思う。ぼんやりしか覚えていないけど。

 舞うように槍を振るう璃月。その背後に、誰かがいた。

 敵ではない。信頼し背中を預けているのだと感じた。


 暁霄(ぎょうしょう)

 不意にその姿を思い出す。槍を合わせた人。あの人だろうか。


「――でもこれは〈夢見〉とは違う」


 自分自身が何かをしている夢は、誰もが見る普通のものだ。だからきっと箭亭にて手合わせをしたことが強く心に残っているにすぎないのだろう。

 璃月は槍を握り直した。

 物思いを振り払うように、ひと薙ぎ。

 空を斬る穂先が光る――そして突き!


「っもう!」


 いらだって敷石を蹴った。ヒラヒラする裙の裾が邪魔だ。何故自分はこんな格好をしていなきゃならないのか。

 それに長く揺れる袖からのぞいた手首はどう鍛えても太くはならなかった。「膂力が足りない」と告げる声が耳によみがえり腹が立つ。


 暁霄の手は大きかった。つかまれたら璃月の腕など軽くへし折れそうだった。

 だから「戦うな」という忠告は正しいのだ。でも悔しい。

 いや、暁霄は璃月を侮蔑してああ言ったのではないのだろう。あんな無愛想な男だが誠心誠意で景琛に仕えていると知っている。その景琛の大切な妹である璃月なので、心底から忠告してくれたのだ。たぶん。


 生真面目で実直な暁霄。武芸にも秀でている。それに景琛の副官の地位を得たのは、ただ乳兄弟だからというだけでなく武科挙(ぶかきょ)を経てだと聞いたし頭だって悪くないのか。

 

「何それズルい」


 璃月はつぶやいた。本当は全然ズルくなんかないけれど、言わずにいられない。ズルい。そう思いこみたかった。

 暁霄は強くて性格も頭もよくて、ついでに顔だって悪くない。手を取られ見つめあったのを思い出し璃月は顔を赤らめた。


「ッ! じゃなくて!」


 璃月から見てどうとかじゃない。それより何より――。


「ひとりで生きていける人なのよ」


 そのことがうらやましいのだ。


 公主なんて人形と同じ。

 美しくよそおい、柔らかなしとねに眠り、贅沢な食事を供されていたとしても。

 誰かの――父皇帝の意のままに生かされているだけ。

 璃月には何もできない。戦うことも商うことも耕すことも。この後宮で暮らすしかない。


 うつむいた璃月は槍を抱きしめるようにして絞り出した。


「私だってちゃんとするわ。今日はたくさんの妃嬪が集まるもの、何か探るにはちょうどいいんだから」

「――璃月さまぁ!?」


 あわてた悲鳴とともに現れたのは彩天だ。茶会のためにあちこち駆け回っていたら肝心の璃月が姿をくらましていて飛んできたのだろう。


「また槍など持ち出して! 早くお支度なさいませ!」

「はあい」


 肩をすくめて戻っていく璃月はいつもののんきな態度――だが本当は、この乳母にはすべてお見通しなのかもしれないと思っていた。

 




 この日の集いは茶会というか、園遊会だった。

 後宮の中央北側に天花苑(てんかえん)というところがある。季節の花と木々、四阿(あずまや)と池に築山(つきやま)まで配された広い庭だ。そこに璃月は母とともに向かった。

 近くまで回廊が通じている。軒の先に広がるのは寒々しい曇り空。風がないのが幸いか。


「お母さま寒くない? 手炉(しゅろ)は?」

「ちゃんとあたたかいわ。皆も気をつけて」


 麗珂妃は従う女官たちにも注意した。

 小さな銅製の手炉(カイロ)の中には炭が入っている。体を冷やしたくないのは手洗いもままならないからだ。皇后の開いた会を中座などできない。なので皆、朝から茶もろくに飲まず参加していた。


 春を迎える喜びをともにし、奏でる楽の音を聴きながら花を愛でましょう。今日はそういう趣向だと伝えられている。

 でもぶっちゃけ迷惑だ。花なんて偉い人とながめるより好きに庭を散歩するのがいい。まだ寒い中じっと席に着いているなど拷問か。


「――ああ」


 それが狙いかもしれないと思いつき、璃月は眉をしかめた。

 体調不良を訴え退席する者はいないか。あるいはそもそも欠席する者は。これは妊娠初期の不安定な体にはきつい行事、懐妊したのは誰なのかあぶり出す思惑だと邪推できる。

 それとも医官を抱き込んでいれば妊婦など把握済みかもしれない。あわよくば子を流してしまおうとたくらんでいるのでは――。


「嫌ぁね」


 璃月は口の中でつぶやく。そんなことに気づいた自分が嫌だ。

 だが会の目的がそのとおりなのだとすると、皇帝の子を葬ってきたのは皇后ということになる。それはもっともあり得る犯人だった。


 (たん)皇后。今の後宮へ最初期に入った権門の女性たちのひとり。

 第一公子を産み、その子が立太子したおかげで皇后の地位を手に入れた。さらに第二公子まで産んだ強運の持ち主で、その公子は実り豊かななん州を治めている。

 みずからの子が確実に帝位を継げるよう、競う相手を生まれさせない。ずっとそうしてきたのだろうか。だとしたら、麗珂妃の三人目の時も――。




 席は瑞香池(ずいこうち)のほとりに設けられていた。池には四阿が浮かび小さな橋で渡ることもできる。水辺をめぐる小路の脇には水仙と木瓜(ぼけ)が咲き誇り、沈丁花が強く香っていた。

 璃月は母と並び、幕を背にして椅子に座る皇后のもとへ挨拶にうかがった。拱手して深々と頭を下げる。


「顔を」


 上げなさい、は省略された。璃月は精一杯の敬意と親愛をこめた微笑みを頬に貼り付ける。視線は皇后のあごあたりにとどめた。真っ直ぐ見返すのは失礼にあたる。

 皇后の顔は威厳に満ちていた。かすかに垂れた頬としわの出始めた口もとは老いを感じるが、まだまだ美しいといえよう。それでも璃月はこの人が好きではなかった。麗珂妃へ向けるまなざしが酷薄だから。


「花々を愛でるひとときへお招きにあずかり幸せにございます」


 麗珂妃がおっとりと礼を述べる。


「先だって杏の花を賜った折には臥せっておりましてお礼を申し上げることもかなわず。病みついた枕元に春が咲き、心なぐさめられました。あらためてお礼申し上げます」

「よい。公主は立派に名代を務めました」


 その言葉で璃月はふたたび礼をする。フイと手で小さく合図されて挨拶終了、そのまま後ろへすさった。尻を向けてはいけないのだ。


 揺玉宮へ割り当てられた席に着く。その間も皇后のもとへは次々と妃嬪が挨拶に訪れた。

 四妃に続いて九(ひん)、そして二十七宮人(きゅうじん)。すべての位が埋まっているわけではないが、それなりの人数が出席している。

 淑妃という高位にあるおかげで揺玉宮の席からは皇后の声も聞こえた。それがやや高く、人々に聞かせる調子になったのは御前に紫婉が進み出た時だ。紫婉はいまだ部屋住みながら二十七宮人のうち修容(しゅうよう)の地位を与えられ参列していた。


「そなた、怪異におそわれたとか」

「……真実はただの人形でございました。お耳汚しをお詫び申し上げます」


 皇后が言及したのは、あの碧梧宮の花魄(かはく)騒ぎのこと。

 璃月は紫婉を初めて見た。楚々とした美しさのある女だ。控えめで気弱な雰囲気は、みずから人形を木に吊るすたくらみとは縁遠く思える。


「同輩の恨みを買うのもほどほどにするがよい」


 皇后の言葉が天花苑に響いた。紫婉は深々と、膝をつくのではないかと思うほど低く礼をし一言もない。恨みを買いたくて買うわけもないのに無茶な嫌みだと璃月はますます皇后が嫌いになった。

 ふるえながら紫婉が下がった次に進み出たのは、ごく若い女性だった。すっきりした立ち姿に切れ長の目を伏せている。璃月の後ろから彩天が小声で教えた。


映月(えいげつ)宮、修媛(しゅうえん)翠蓮(すいれん)さまです」


 さっきから低級妃の住まいと地位をささやいてくる彩天。あまり会う機会もない女性たちを璃月は把握しきれないのでありがたい。


「この人が……」


 つぶやいてしまったのは十七歳の翠蓮がもっとも年若い側室だからだ。地方官の家から後宮に差し出されたと聞いている。騒乱発生の不手際を咎められた後にというから、県としての恭順を示すための人質がこの翠蓮なのだ。


「映月宮こそ怪異に悩まされそうなものだが」


 皇后がふたたび声を張り、場に緊張が走った。翠蓮には何か落ち度があっただろうか。だが本人は平然とおうむ返した。


「怪異でございますか」

「前にあの宮に住まった者は罪びとゆえ――そなたは死をたまわることなどなきように」


 翠蓮が若輩の身で映月宮に入ったのはそこが空いていたからだ。前にいた女が罪を得て自死して以来、忌まれていた宮。翠蓮自身も人質献上のように来たのだし、映月宮は不吉だといまだにヒソヒソされている。だがそこの若き女主人は言い放った。


「我が故郷の者たちの(ゆうれい)なら、会いとうございます」


 翠蓮は頭を垂れつつも顔色ひとつ変えなかった。

 騒乱を起こし死んだ者たちに会いたいとは――璃月は目を見張り、他の者たちも息をのんだ。



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