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第13話 願う道の先は


「それは――」


 槍は、あくまで遊びにとどめておくべき。そういう意味か。

 絶句した璃月に向かって暁霄は静かに頭を下げた。丁重にそんな態度を取られると今の言葉は本気なのだと思い知らされる。

 璃月は弱い。そう宣告された気がして言い返せなくなった。


「ふむ。手厳しいな」

「はっ……」


 景琛へ頭を下げる暁霄からは表情が読めない。固く結んだ唇が冷ややかに思えて璃月は目をそらした。顔を強張らせる妹と副官を見比べた景琛は、肘掛けに頬杖をついた。


「璃月の立場で賊の前に立つなどあってはならん。そのとおりではあるが」

「は。もしもの時は春芳らがおりますので」

「もちろんです。私どもにお任せくださらなくては困りますよ璃月さま」


 春芳が明るい声音なのは兄の失言を取りなそうとしたのかもしれない。暁霄の言い方は少女の鼻っ柱をへし折るにはじゅうぶんだった。

 女の細腕で男に立ち向かおうなど、ちゃんちゃらおかしい。暁霄はそう考えたのだろうか。うつむいた璃月の鼻がツンとしみた。いや、悔しくても兄の副官ごときに泣かされるわけにいかない。


「――娘子軍を信じないわけではないわ。だけど何事も学んでおくべきでしょう?」

「さすがの心がまえと存じます」


 璃月が言い張ったこともサラリと受け流される。

 なんだろう、頼れる人だと感じていたのに。こんなに冷たく突き放されるなんて思わなかった。


「ところで景琛さま、妹君をお呼びになったのはお話があるからでしたよね」


 微妙な空気を変えてくれたのは実務家の志勇だった。若い同僚が何を思おうとどうでもいい。公主のお忍びなんてことをやるからには遊びで終わらせてたまるものか。牌子を偽造し手はずを整えたのは志勇なのだ。


「ああ――碧梧宮の怪異の件が腑に落ちなくて、璃月と話したかったんだ。悠凛が犯人とされたのは納得できん」

「お兄さまもそう思う?」


 話が変わりホッとした璃月はやっと微笑んだ。気を取り直して新情報を教える。


「あのね、死んだ宦官はやっぱり紫婉付きだったらしいの」

「本当か?」

「碧梧宮の下女と仲のいい子がウチにいて。洗濯場で聞いたそうよ」


 碧梧宮の阿香(あこう)は噂好き。その口は事件があってむしろなめらかになり、花魄(かはく)退治の成り行きをおもしろおかしく話してくれたのだとか。下々の口に戸は立てられない。


「ふむ……ん? おまえそれ、下女同士のおしゃべりの又聞きなのか」

「うん。揺玉宮(ウチ)の子は明芝(めいし)っていうんだけど。農家から来たんですって。楽しい子でね」


 璃月は視察以降、宮の下女らをつぶさに見るようになった。後宮に入れられる前の暮らしを聞いたりもしていて、その点は麗珂妃の思惑どおり。だが下々になじみすぎるのは公主として――景琛は「まあいい」と咳ばらいした。


「ならばなおさら悠凛の罪とされたのは何故なんだ。周囲から憎まれてはいたようだが」

「貴妃さまは紫婉をかばったのじゃない? お父さまがお通いなのでしょ」


 父親の夜のことを兄妹で話すのも妙なものだが仕方ない。皇帝のそれは公務のようなものと考えるべき。


「――紫婉は懐妊しているのだろうか」


 景琛は憶測を述べてみた。

 元々その可能性が高いと見込んでいた相手だ。皇帝の子を身ごもっているならば他人に罪をなすりつけてでも守る価値があるのは間違いない。


「そうかもね。だとすると紫婉はどうしてそんな騒ぎを起こしたか、て問題が出てくるけど」

「ふむ」


 皇帝の気をひくのなら懐妊でじゅうぶんだろう。別の理由があるはずだと璃月は指摘した。その意見には景琛もうなずく。


「何が狙いだ……?」

「紫婉自身のたくらみなのかしら。それとも貴妃さまの指示?」

「わからない。碧梧宮としてなのか、実家の()家が絡むのか。あるいは――安福(あんふく)かもしれないしな」


 軍監の安福。皇帝の側近い瑾瑜(きんゆ)とは犬猿の仲だ。そのせいか(たん)皇后と微妙な関係の()貴妃に接近しており、双方の実家もひっくるめて宮廷の火種といえよう。


「そこまで話が広がったら私が追うのは無理よ」

「だからおまえは内廷を、俺が外朝をという役割分担だ」


 景琛はフフンと笑った。可愛い妹と共に事件を探るのが楽しくてたまらないのだ。


 今回の騒ぎのきっかけは景琛の夢見。璃月に関わることなのかと調べてみれば、後宮追放の沙汰が出たし人死にまであった。だがいまだ夢の真髄にはこれっぽっちも迫れていない。

 黒い蝶は何者なのか。璃月といかにつながっていくのか。合歓の木とは。そして、後宮での争いの後に璃月はどうなるのか。


「母上の夢見でも、おまえの行く末はあらわれなかった……」


 考え込んだ景琛は、ふとつぶやいた。

 白く輝く蝶も合歓の木へと飛んでいったが手前でヒラヒラと舞うばかりだったと麗珂妃は伝えた。そこで夢は途切れたのだ。

 璃月は椅子に沈み込む。自分が中途半端すぎて嫌になった。


「それは、まだ決まっていないから見えない――のよね?」

「そのとおり」


 人の歩む道とは、あらかじめすべてが定まっているものではない。夢に見えなかったということは、璃月の歩みにまだ変わる余地があるからだろう。


「私、どうなるのかな……」

「知りたいか?」


 不安げな璃月をながめて景琛はどっしりかまえる。この妹がどうなろうとも助け、幸せにする覚悟はあるつもりだった。


「流される先を思いわずらうより、おまえがどうしたいか見定めてみろ。そうすればまた夢があらわれるかもしれん」


 それは難しい要求だった。璃月の人生など皇帝の一存でどうとでもなる軽いもの。

 だが、そうであっても望みは持てと景琛は言うのか。願いに近づくため足搔けと。


「今がおまえのこれからを決める時なのだろう。何か思うことがあれば報せろよ。俺もできることはする」

「――ありがとうお兄さま」

「情報がつかめたら、それも教えてくれ。文を寄越すでもいいし――ふむ、また遊びに来るか?」

「え、いいの?」

「こういうお忍びなら問題あるまい。会って話したくても俺がしばしば揺玉宮を訪ねるわけにはいかないからな」


 誘われて顔が明るくなる璃月に景琛はご満悦。でも志勇と春芳は眉間にしわを寄せた。公主がフラフラ出歩くなど問題大アリに決まっている。

 だがその間で暁霄は、ひとり無表情をつらぬいていた。控えめな視線は璃月の上にあり――自分の目の節穴っぷりを悔やんでいる。戦衣長袍姿の璃月は少年めくものの仕草も体格もたしかに女性。槍を叩き落とすなどやりすぎだった。


「では璃月、おまえは後宮の内で誰が懐妊しているのかを探ってくれ――いや、それは夢見の行方とは関係ないかもな。黒い蝶の正体が璃月の本命か? どちらにしても危険のないように」

「はあい気をつけます。私なんか弱いんだしね」


 景琛への返事に璃月はいきなり嫌みを混ぜた。不意に向けられた矛先に暁霄がグッと息を詰めるが、言い返すこともできない。やや困ったその顔を横目にし、璃月はちょっとだけ溜飲を下げた。





 ひとしきり話し込んでから璃月は内廷に帰った。来た時とは逆の手順で、再び小宦官に扮し門をくぐったのだ。


「ふう……」


 自室で普段の格好に着替えるとさすがに安堵する。それは春芳もだし、留守番していた彩天も同じだった。


「璃月さま、あまり心配をかけないで下さいませ。この彩天がそろそろ倒れてしまいますよ?」

「……でも必要なことなのよ」


 情に訴えかけ諫めにかかる乳母を璃月は一蹴した。


「また何かあったらおいでってお兄さまもおっしゃったもん」

「景琛さま……!」


 彩天は本当にヨロリとする。璃月不在の間、気が気でなくて何も手につかず動悸が激しかった。もう胃だけでなく心臓も駄目かもしれない。春芳は同情をこめていたわった。


「彩天殿、今日はご心配だったでしょう。同行する私より待っている方がつらかったと思います」

「わかってもらえますか……どこかで御身が露見しているのではないか、陛下からおとがめがあるのではないか、麗珂さまや景琛さまに累が及んだらと考え始めるとたまらず……」


 春芳にすがりつくように体を支える彩天が泣き言を口にする。さすがに璃月も悪かったかなと思いはしたが、今回の他出はその景琛公子がノリノリで発案し麗珂妃が笑って認めたことだ。


「だいじょうぶだってば。意外とすんなり通れて拍子抜けしたぐらいだったのよ、志勇の手配した牌子も宦官服も完璧だったわ」

「……志勇殿はさすがでしたが、うちの兄は失礼いたしました」


 春芳はあらためて謝罪する。何があったのかと彩天がさらに青ざめてしまい、璃月はあわてた。


「違うの。暁霄ったら顔を見ても私だと気づかなくて普通に槍の手合わせをしたのよ――ああもう! 私が賊と戦うなんて無理だとか言うし、失礼しちゃう!」

「まあ……暁霄殿はそんなことを」


 思い出した璃月はふくれっつらになる。でも彩天は意見を同じくする者を見つけ救われる思いだった。暁霄はなんてまともな好人物だろうか。

 喜びに顔色がよくなる彩天の気持ちも春芳にはわかる。だが暁霄が失礼だという点を璃月に否定してもらえず、苦笑いするしかなかった。



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