第12話 璃月と璃英と暁霄と
新章開幕です\(๑╹◡╹๑)ノ♬
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やや暖かく春めいた日、春芳は後宮の内を東へと歩いていた。
後ろに従うのは何やら荷物を抱えた小宦官が一人。地味な黒い袍に、髪は団子にして頭巾の下だ。ほっそりした姿は少年の風情で入宮したばかりかと思われた。
「まったく景琛さまは……」
つい愚痴をもらした春芳に小宦官は顔を上げる。気づいた春芳は咳ばらいでごまかした。小宦官もしゃべってはいけないと言い含められていたので無言を貫く。
二人はそのまま小さな門に近づいた。その向こうは外朝に通じている。だがここは下働きの宦官の通行や荷の出し入れにしか使われない門。番をする宦官は、武官の春芳と小宦官という取り合わせに不審な視線を向けた。
「牌子を出すのですよ」
春芳は自分がさっさとそうしながら言った。小宦官も帯にくくった牌子を見せる。揺玉宮に勤める宦官だとわかって門番はあっさり通してくれた。見ない顔だな、と思いながら。
「こちらへ」
歩く春芳について行きながら小宦官はあたりをキョロキョロした。すれ違った人が遠ざかるのを見はからい、我慢しきれず尋ねる。
「もう外朝なの?」
――その声は、まごうことなく璃月だった。
「シーッ」
慌てて黙らせる春芳に肩をすくめるが、小宦官の格好をした璃月の瞳はキラキラしていた。何もかも珍しい――と言いたいが、ここはまだあまり内廷と変わらない。
外朝へお忍びで出た璃月が向かうのは箭亭。目的は兄に会うことだ。
どうしても妹と直接話したくなった景琛。何か考え込んでいたのはそのための手立てだった。
宦官の服と牌子を用意し春芳に手引きを指示。着替える場所として箭亭の脇にある武具庫の一室を用意した。兄の策にのった璃月はそこで高貴な少年姿に早変わりする。先ほど抱えていた荷物はいつもの戦衣長袍なのだ。
「……設定はおわかりでしょうか」
「私、朱璃英! 朱家につながる武官公子さまにあこがれて稽古をおねだりした我がまま坊や!」
「それはそうですが、〈お声が出ない〉の方をよろしくお願いします」
春芳は念を押した。人前で話されると少女なのが露見してしまう。
「わかってる。でも、なんで暁霄の前でも駄目なの?」
「……たぶん景琛さまのいたずらです」
この悪ノリの遊びに暁霄は関わっていなかった。
璃月のことを〈美しい公主〉と認識している暁霄に、男装し槍を振り回す姿をいきなり見せてやったらどう反応するのか。そう思いついた景琛は、「暁霄には内密にせよ」と命じて今日のお忍びを計画したのだ。生真面目な暁霄が璃月の正体に気づく瞬間――それはなかなか見ものではなかろうか。
「お兄さま悪趣味……」
人目を避けてスルリと外に出た璃月たちは箭亭に移動した。
弓の鍛錬に使う場所は細長い。だが今日はそこに人が散って剣や槍の稽古をしていた。手前に床几を置いて副官たちと待っていたのが兵部上将、景琛だ。
「来たか」
立ち上がる兄の姿にうっかり「お兄さま」と言いたくなったが璃月は危うく口を閉じる。駆け寄って直立し、拱手すると一礼してみせた。
後ろの副官たちに見えないよう景琛はニヤリとする。志勇はこれが璃月だとわかっているが素知らぬ顔だ。しかし暁霄は疑問に思わないのだろうか。
暁霄自身も朱家に仕える一族出身なのに、璃英なんて少年は知らないとか。妹の春芳が付き添ってきているのは何故だとか。ツッコミどころは満載だった。景琛が指示したことなので疑問を感じないというのならそれは妄信というもの。あまりよろしくない。
「久しいな璃英。立派になった」
景琛はしらじらしく偽名を呼んだが、いつ以来の再会という設定はしていない。まあしゃべらなくていいので話を合わせる必要もなく、璃月は頭を下げるにとどめた。
「これは志勇と暁霄。副官を務めてくれている。璃英は槍が得意だと聞いたが、この暁霄はたいしたものだぞ。手合わせするか?」
槍を合わせ、その上でいつまで璃月に気づかないか試そうというのだ。ずっと声を出せないのも困ると思った璃月はうなずいたのだが、暁霄は固辞する。
「しかし璃英さまは、景琛さまにお手合わせをお願いしたいのでは?」
「いやいや。まずはおまえが軽く相手をしてみてくれ」
璃月の顔を見たのにまったく疑いもしない暁霄は、とんでもなく鈍い。
見物に徹する志勇は心中で同僚を罵倒した。こんなに愛らしい少年がそうそういてたまるものか。副官たちは後宮の門の外から何度か璃月を見ただけだが、服や化粧が違うにしても面影はあるというのに。
璃月に稽古用の槍を手渡した春芳も兄の朴念仁っぷりに呆れていた。すぐにバレると思っていたこのいたずらは、いつまで続くんだろう。
「――では僭越ながら承ります」
暁霄は真剣に一礼した。手にした槍は璃月の物より長く重い。不公平に見えるが、それぞれに使いやすい物でないとどちらかが怪我をするのだ。
生真面目なその様子に見物人たちは失笑をこらえる。だが実は璃月の心は舞い上がっていた。いつも春芳が敵わないと悔しがっている暁霄が相手だなんて。兄の悪だくみに大感謝だ。
璃月と暁霄は穂先を合わせ向き合う。槍二本分の距離。
「――始め!」
景琛の声に、璃月は踏み込んだ。
力量のわからない少年相手に暁霄は仕掛けづらい。だからこちらから行く。
狙うのは腰。簡単に払われるのは織り込み済みだ。すぐに引く。
暁霄の穂先が流れた逆を狙った。それもなんなく受けられる。
本当だ。強い。すごく。
技量の差はすぐにわかった。でもだからこそ安心して胸を借りられる。
心が凪いで璃月は暁霄だけに意識を集中した。
暁霄から、様子見の突き。
槍を巻いて流す。前に出る。弾かれる。
一合、二合。
璃月の足取りは軽い。目はヒタと暁霄の動きを見すえ槍の行く先を読もうとしていた。
攻め、そして受ける。手加減されているのがわかった。
タ、タン!
繰り返す突きの流れを変えた。脚を薙ぐ。低く受けとめる暁霄。その力も利用し穂先を跳ね上げると喉へ!
ガンッ!
「んッ……!」
璃月の槍が叩き落とされた。
経験のない衝撃に璃月は思わずうめき、そのしかめっ面に暁霄は眉を上げる。景琛が試合をとめた。
「そこまで!」
「璃英さま、申し訳なく!」
しびれた手に璃月は呆然としていた。男の槍がこんなに重いとは。大またでズンズン寄ってきた暁霄は深刻な目だ。
「骨は大丈夫ですか。失礼します」
「あ、違うの」
問答無用に手を取られ、璃月は思わず応えた。
その少女らしく細い声。そして触れた手首の軽さ。
さすがの暁霄も動きがとまる。まじまじと璃月を見つめた。
「え――?」
「うーんと、あの。ごめんね暁霄」
大きな手のひらに手首を乗せられたまま璃月は謝った。
その顔かたちを記憶と照合した暁霄は眉根を寄せたまま、ある結論に達する。
――――これは、璃月公主ではないか?
「やっと気づいたか……」
見つめ合ったままピクリともしない妹と副官がおもしろすぎて、景琛は必死に笑いをこらえた。ここは外。兵部上将としての威厳を失うわけにはいかないのだ。やや離れてはいるが、向こうには禁衛の兵士たちがいる。そして春芳はあまりに鈍い身内に頭を抱えた。
「兄さん……ッ!」
我に返った暁霄はハッとなって手を放す。
「し、失礼……!」
公主の体に手を触れてしまった暁霄は青ざめた。だがどういうわけか、同時に体が熱くなる。そして璃月は硬直していた。
暁霄の武骨な手。
険しいが真っ直ぐなまなざし。
聞いていた誠実なひととなりは、目の前にしてもそのとおり。
「いえ。手合わせできて、嬉しい。です」
耳を火照らせギクシャクと礼を言う璃月。初めて見る妹の様子に景琛は片眉を上げた――こいつ、そんなに暁霄の槍に憧れていたのか?
「いや楽しいものが見られた。満足満足」
箭亭の中に移動し、景琛はやっと思う存分笑った。
笑い者にされている暁霄が璃月に向けた目は険しい。何故かギクリとした璃月は手首を回してみせ、言い訳した。
「しびれただけなので。もうだいじょうぶ」
「……安堵しました」
二人のやり取りはなんとなくぎこちない。そうさせた犯人である景琛は少年姿の妹をしみじみとながめた。
「上達したな璃月。春芳はよく教えてくれているようだ」
「ほんと?」
卓子を囲んで座った公子と公主。ほめられて声がはずむ璃月の後ろに控え、春芳は頭を下げた。
運動後の茶をひと口いただいた璃月は、ほうっとため息をもらす。
「でも暁霄はとても強くて……」
「だろう? どうだ暁霄、璃月の槍を受けてみて」
「……少年と思ってお手合わせしていたこと、まことに面目なく」
硬い声で暁霄はうめくように謝罪した。景琛がヒラヒラと手を振る。
「だましたのは俺だ。こうも信じ切るとは思わなったが」
「面目なく」
「いいから。相手をしてどう感じた」
暁霄はチラと璃月に目をやった。瞬間、璃月の鼓動が早くなる。春浅いのに汗ばんだ気がするのは稽古で動いた名残りなのか。
「――とても賢い戦い方をなさいます。体格の差を活かすよう考えていたのではないかと」
「ほう」
璃月の背丈は五尺ほど。対した暁霄は六寸ばかり大きい。
その璃月が下段に構えると暁霄の槍は斜になる。得物の長さの不利を補ったのだ。また狙いを足もとと胸に、繰り出す手は突きに払いにと揺さぶって小回りをきかせるのも、軽い槍の璃月ならでは。以前「ちまちま素早い」と景琛が言っていたのも納得だった。
「基本の型もきちんと学ばれていらっしゃる。ですが……」
言いにくそうに眉をしかめ、暁霄は璃月から顔をそらした。
「致命的に膂力が足りません。よもやないとは思いますが、何か事あった時にも戦うことはお控えいただきたく」
厳しい言葉に璃月は凍りつく。
深く考えた末の忠告とわかるぶん、血の気が引く心持ちだった。




