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第11話 伝えられた言葉


 ✻ ✻ ✻



「あの霊符、本当に効いたのか……」


 執務室で筆を動かしながら景琛はしみじみつぶやいた。暁霄が花魄(かはく)騒ぎの裏側を口頭で報告したのだ。璃月と春芳の行動は公の記録には残されていないが、霊符を用意した景琛には何があったか知る権利がある。


「犯人は碧梧宮の者でしたが……まさか本物の人魂も飛ぶとは思い至らず」


 暁霄は沈痛な面持ちでうつむく。

 璃月がたいそう怖がっていたと妹は言った。安易に人間の嫌がらせだと決めつけたのを悔やむ。怪異だと思えば璃月は近寄らなかったのでは。


「おまえのせいではなかろうよ」


 生真面目な副官のことを景琛はおかしそうにながめた。みずから夜歩きに出ていく公主が悪いに決まっている。

 そう言われても暁霄は、人任せにするのを良しとしない璃月に感心してしまう。泣くほど苦手な怪異に立ち向かうとはあっぱれじゃないか。


 今回のことはけっきょく碧梧宮の部屋住みだった悠凛(ゆうりん)のしわざとされた。新しく寵愛を受けている紫婉(しえん)に嫉妬しての嫌がらせである、と。

 悠凛は後宮を追放され寺に幽閉と決まった。加担した数名の宦官や女官も罪を共にするということで不憫なことだ。指示を拒否することなどできなかったはずなのに。


 娘子軍が動いたおかげで貴妃本人にもお調べがあった。怪異の噂があったにもかかわらず放置したのは何故なのか。丁重に問われた貴妃はため息をついたそうだ。


『陛下の御心をわずらわせて申し訳なく思いますわ』


 そして語ったところによると、碧梧宮としても霊符の取り寄せは思いついたらしい。そして花魄が出た時に貼るよう宦官に命じた。だが宙に浮かぶ怪異には手が届かないし、木の幹に貼っても効果がなかったとか。人が吊り下げている人形に霊符が効かないのは道理だろう。

 もしや誰かの企みなのではと疑いもしたという。真っ先に思い浮かんだ悠凛を見張らせてみたが決め手に欠け、どうしようもなかったとのこと。対応の悪さに景琛は文句をこぼした。


「――さっさと警固に相談すればよかったものを」

「貴妃さまは面子を気になさいますからね」


 ズバリと言って、志勇は卓子にあった書簡の束をどかす。景琛が処理したものだ。そして別のひと山を持ってきて積み上げると景琛がうんざりした顔を向けた。


「今日はもうやめないか?」

「何をおっしゃいます。ため込んでいた景琛さまがいけないんですよ」


 容赦ない副官が冷ややかに見張っていては目を通すしかない。兵部上将は名誉職なのだが、それでも人々から熱のこもった書状は届くのだった。

 いわく「一族の誰それを取り立ててほしい」「隊商を出すのだが兵を護衛に貸してもらえないか。儲けの一部は景琛さまへ」などなど。くだらない内容に辟易して景琛はその対応を後回しにしがちだ。


「つまらん仕事だな……」

「あの、景琛さま。気になる点が」


 景琛は視線を上げた。


「なんだ暁霄? この書状の山より嫌な話はそうそうないぞ」

「春芳たちが踏み込んだ夜に死んだ宦官のことで」


 話には続きがあるのだった。景琛が手をとめる。


「屋根から落ちた奴か」

「はい。息を引き取る時に言い残したそうです。『紫婉さま』と」


 暁霄は難しい顔だった。

 その言葉は十人隊長の愛晴(あいせい)が「貴様誰に仕えている」と問うた時に絞り出されたそうだ。紫婉の名を告げ宦官は息を引き取った。


 花魄を装ったのは紫婉の企みである。

 下手人はそう主張した。

 だが罪に問われたのは悠凛で、紫婉は被害者として同情を集めている。


「それは――どちらにもとれる証言だな」


 あごをなでる景琛に、暁霄はうなずいた。

 死んだ宦官は悠凛に忠実だったのかもしれない。死にかけながらも主の憎い相手、紫婉を陥れようと嘘をついたという見方はできる。

 だがそうではなく、真実紫婉に仕えていたのでは――との疑念が拭えないと愛晴が悩んでいるそうだ。死の間際の言葉を受け取った者としての責任があるから。

 暁霄はうつむいてしまった。事件の決着に違和感を抱いているが、これは自分の直感、そして愛晴と春芳の悔悟にもとづく訴えでしかない。そんなもので上司をわずらわせるのは心苦しかった。


「その宦官がひどく無念そうだったのがやりきれない。そう十人隊長は言っているそうです。春芳も、どのようなお調べで処罰が決まったのかと気にしております」

「悠凛は宦官に嫌われていたとも聞くし確かにおかしいが――そいつの仕えていたのが紫婉だとして、自室の前に怪異をぶら下げる意図はなんだ」

「わかりませんが――」


 景琛は完全に筆を放り出した。こっちの話の方が興味深い。


「ふむ。父上に甘えるためか? 怖いと訴えて同情を引こうとか」

「はいはい、やめて下さい。貴妃さまは悠凛が犯人だとする裁定を受け入れられたのですよ。その宦官が誰のお付きだったかぐらい碧梧宮にはわかっているでしょうに」


 仕事そっちのけで考え始める上司と同僚を制し、志勇は手を叩いた。


「今さらそんなことを蒸し返しても無駄なんです。これはもう内務尚書(しょうしょ)の裁可が下った案件ですから」


 志勇は正論で景琛に圧をかけた。その言い分はとても正しくて、ここで何を考えても決まった刑は覆らない。


「だが気持ち悪いだろう?」


 とても感覚的なことを景琛が言い出した。暁霄もそれに便乗する。


「すっきりしません」

「だよな」

「またそんな……」


 正しさにこだわられて志勇は頭を抱えた。若いとはこういうことだったろうか。いきなり年齢を感じる。

 一見すると冷静で感情に左右されないように思える景琛だったが、それは宮廷で生きるため身につけた上辺にすぎない。悪人が無辜の人に罪をなすりつけのうのうとしていると思うと虫酸が走るのだ。

 それは暁霄も同じ。だがこちらの場合、そんな事件に関わった妹の春芳と――璃月のことが案じられるのが大きな理由かもしれない。いかに暁霄が武芸に秀でようと後宮内には手出しができないから。


「内廷や璃月さまにはまだ異変があるのでは? 景琛さまの夢はそんな意味かと」

「そうだな。母上の夢も合わせると、ここで解決、めでたし――ではないと思う」


 ここまでの成り行きで〈争う蝶〉の指すことはまあわかる。だが黒蝶、そして合歓の木。それらが示すものが具体的になっておらず、璃月がどう巻き込まれるのかわからない。


「……まったく。ちょくちょく璃月の顔を見に行くわけにもいかないし面倒なことだ。暁霄はいいな、春芳に気軽に会える」

「ありがたいことです」


 暁霄と春芳の母は景琛の乳母だ。今も景琛の住む凌雲(りょううん)殿に仕えている。春芳は娘子軍の宿舎に起居しているが同じ皇城の中のこと、頻繁に母を訪ねてくるのだった。箭亭(せんてい)にまで顔を出すのはどうなのかと思うが、それも景琛にはうらやましいぐらいだ。


「……待てよ。うん、そうか……」


 重大なことに気づいたかのように、景琛が眉根を寄せた。何をひらめいたのかと副官たちが身を乗り出す。だが景琛は二人を手で制し、物思いに沈んでしまった。

 ……考え事より実務を早く、と志勇が不満に思ったのは言うまでもない。



 ✻ ✻ ✻



 そしてこの日、揺玉宮に皇帝が渡っていた。碧梧宮での騒ぎが麗珂妃の夢見と相違ないか、あらためて夢解きを聞きに来たのだ。

 居間には皇帝と麗珂妃の二人だけ。あの件はおそらく〈花に群れる蝶〉が示した事柄だったのだろうと伝えられ、皇帝は深くうなずいた。


「くだらぬ争いをしてくれたものだ」

「……さようでございますわね」


 人払いした居間でくつろぐ皇帝に麗珂妃は寂しげな笑みを向けた。

 見た夢の内容はとうに上奏済みだったが、後宮でいざこざがあるだろうと聞いても皇帝は意に介さなかった。たしかに事が碧梧宮の中におさまっているならば何があろうと杜家の内紛にすぎない。ではあるが……宮女などどうなってもかまわないのか。そう思うと麗珂妃の胸はふさいだ。


「どうした」

「いえ……罪を得た御方がおかわいそうで」


 せいいっぱいの気持ちを表してみたが、皇帝は軽くうなずいただけだった。


「うむ。まあ案ずるな、そなたも璃月もそのようなことにはなるまい」

「わたくしは大切にしていただいておりますもの――璃月もやさしい殿方に縁づけるとよいのですが」

「後宮で璃月に関わることは起こっておらぬか?」


 夢にあらわれた白い蝶が璃月ではないかという夢解きに皇帝は興味を向けていた。父の前ではただあどけなくしている末の公主に何かが起こるなら、むやみに嫁がせるわけにもいかない。


「あの子は……怪異が苦手ですのよ。花魄の噂を耳にして嫌そうにしておりましたわ」


 実は退治に参加したなどとはおくびにも出さず、麗珂妃は微笑む。お化けを怖がる娘の幼さを聞かされた皇帝は大笑いした。


 ――やはりまだまだ、璃月の降嫁は遠いらしい。




これにて【愛多憎生】(あいたぞうせい)の章は終わりです。


愛多くして憎しみを生ず。

愛されすぎると嫉妬される……愛しすぎても独占欲で闇堕ちしそう。どちらにも取れる言葉ですね。


次回からは【盈盈一水】(えいえいいっすい)の章が始まります。

第二章となるこの章までは執筆済で、合わせておよそ十万字。

物語はそこで一区切りとなります。


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