9:探偵ってやっぱりすげーんだな
あれから一週間が過ぎ、俺はとある喫茶店で音御市を待っていた。
晴たちは今、弥英子ちゃんと輝彦の友達と成り行きで二人をサポートするといった展開になっているはず、そしてヨルを交えた恋愛ドタバタ劇が繰り広げられる。
その後は夏休みが終わった後、輝彦の初お披露目となるライブを見に行く晴だったが、ライブが中止になりかねない事件が起こり、陰ながら解決するといった事が起こるはず。
当面俺がサポートする場面は少なそうだが、ただ指をくわえて時間が過ぎてしまうなんてことはしない。この間に音御市と深い関係になって、何か俺に出来る事はないか探ってやる。
カランコロンと子気味いい音が鳴りドアが開かれ、音御市が入って来た。
「やっ、イトウさん、お待たせしました」
ボックス席の向かい側に腰掛け、A4サイズの書類が入った茶封筒を俺の前に置く。
「お疲れ様です、加賀谷さん、お忙しそうですね」
「いえいえ、そんなことないですよ、クライアントとの話が長引いちゃって、すいませんね」
「いえ、大丈夫です、そんなに待っていませんし」
「さて、結論から言います、彼女、シロですね、彼氏はいませんよ」
「そうですかぁ」
知っていることだが、ホッとする仕草をする。
一週間前に調査を開始する旨の連絡があり、それから安倍には知らせずにいたが、職場であった時安倍が、尾行されていたことを教えてくれた。
「例の探偵ってもう調査開始されました?」
「ああ、昨日連絡があった、もしかして何かあったのか」
「昨日の夜、会社から出てすぐに見られてる気がしてあたりを見渡したら、物陰から私を見てる男がいたんですけど、もしかしてあいつが音御市ですか」
「ああ、多分そいつが音御市だろう、わざと安倍には知らせずにいたんだが」
プロって気づかれずに見張れるものじゃないのかよ。素人にばれてるとは、中々にポンコツな野郎だなと、そんな具合のやり取りがあった。
「そしてこれが資料です、ま、必要ないと思いましたがね、彼女のプロフィールやら写真とか、好みだとかそんな内容を調べておきました、どうぞ」
茶封筒を開き、中を確認するとそこには一枚の写真と白紙の用紙が一枚しかはいっていなかった。俺は困惑して中をくまなく探す。
「それ以上何も入ってませんよ」
「え!?でもこれって」
「写真は記念にと思って現像しときました」
意味が分からない、何の記念なんだ。
「ちゃんと調べましたよ、安倍 彩25歳独身、ああもうすぐ26歳になるのかな、好きな漫画の影響もありますが面倒見がよく勝気な性格で、会社では男勝りな人柄で通ってる、しかし実はものすごく女らしい一面があり、実家は福岡で兄弟3人の長女、っとこんなところですかね、印刷代がもったいないのでその中身は白紙ですが、ああ!いつもはちゃんと印刷してお渡ししてますよ」
印刷代がもったいないとはどういう理屈だ、たかだか数十円だろうに、俺にはそれすらもったいないという事なのか。
「大分困惑してますね、“加瀬谷空良さん“」
名前がばれてる!偽名でさえ間違えていたこいつに。
「おお!いい表情しますね、完璧にそれは演技じゃない顔ですね、失礼ですがあなたの事を調べさせてもらいました、本来ならこんな事しないんですけど、あまりにあなたが怪しかったのでね、後こちらもお返ししときます
」
銀行の封筒を俺の前に出した、中には渡したはずの10万円が入っていた。
「あ!っ写真の現像代引くの忘れてました、まぁそれはおまけって事で、加瀬谷さん、いえ、“お父さん“変な掛け合いは無しにして腹割って話しましょう」
一瞬血の気が引く、もう全て知っているのか、出来ない探偵だと思って油断していた、もしやもう漫画ドッペルの事も知っているのか、それも含め話すべきか悩む。
「私の事、駄目な探偵だと思っていたんでしょう?まぁダメな人間ってのは当たってますがね」
にかっと笑いながらお冷を飲み干し、店員を呼んでアイスコーヒーを注文した。
すべて話してしまおう、こいつのスキルはかなり高い、元刑事って言っていたが、それは伊達ではなかったという事だ、どうせ隠しても後でばれる、それに人は嘘をついた状態では信用してもらえない。
「わかりました、すべてお話しします、長くなりますが聞いて下さい」
音御市はテーブルの上に肘を置き、両手を口元で組んで黙って聞いている。相槌も無いので、本当に聞いているのかと顔を見ると、目が真剣そのものだった。
「なるほど、大体はわかりました、まずはその漫画読んでみたいですね」
「今の話、信じてくれるんですか」
「ええ、信じますよ、私が都市伝説好きって書いてあったんじゃないですか?」
「え、でも本当は興味ないようなそぶりがあったので」
「ああ、そうか、それは晴さん中心で描かれているから、そうなりますか」
「違うんですか!?」
「ええ、凄く大好きですし信じてますよ、そういった話」
「じゃあなんで」
「晴さんと輝彦の前ではそうしている方が、都合がいいからですよ」
「それはどういうことで…」
「あのですね、例えば私が正直に信じていると態度で示したとします、それで私ももちろんそういった類の事だから手伝おうとするのが自然ですよね、しかし、それだとヨルさんが思うように動けないでしょう、だって私は見えてない事になっていますから、それにやる気が無いように見せている方が、責任感が彼女らに生まれるでしょう、ですから私は陰ながらサポートした方が、効率がいい、さすがの僕でも、子供らにすべて任すわけにはいかないので」
なんだコイツ、めちゃくちゃいい奴じゃないか、ちゃんと倫理観を持ち合わせた一流の探偵だということなのか。
「それでなぜ私に近づいてきたんですか?なんとなく想像は着きますがね」
じゃあ言わなくてもいいだろうに、と思うが俺の口から直接聞きたいのだろう。
「あなたから晴の情報を聞き出そうとしたんです、それで晴が死んでしまう未来を回避できないかと思って」
「晴さんが死んでしまう!?」
そう言えば肝心なことを言ってなかった。
「そうなんです、ネットの書き込みで真偽のほどは定かではないですけど、もしその通りならって思うと…」
言葉に詰まり涙がこみあげてきた、あの可愛い娘がいなくなってしまう、薫の姿とダブり、止めようとしても涙があふれだして止まらない。
「そうか、奥様も亡くされてましたね、お気持ちお察しします、私も大切な人を亡くしているので少しは分かりますよ」
「そうなんですか」
「ええ、男ですがね、元同僚の刑事ですよ」
優しく微笑みかける音御市の瞳には、侘しさがにじみ出ていた。
「わかりました、全面的にサポートいたしましょう!」
「ほ、本当ですか!!」
「ええ、あっ!お金なんかいりませんよ、無償でさせて下さい」
「いいんですか!?ありがとうございます!え!でも、なんで、どうして!」
「あ、でもたまにはお酒奢ってください、あのスナックで」
屈託のない笑顔でお願いされた、それくらい晴のためならお安い御用だ。
と言った傍から二日後、例のスナック“シロクマ“に呼び出された。今日も常連客と思しき方々が大いに盛り上がってらっしゃる。俺はまた前に座ったボックス席の赤いソファに座り、斜め前に四角い背もたれも無い椅子に音御市が座っていた。
「さっそく例の漫画を出してもらえますか」
ビジネスカバンから紙袋を取り出し音御市の前に置く。
両手をすり合わせながらワクワクしながら紙袋に手を付けようとした瞬間。
「まった!ねぇあけみさん、いつもの!まずは一杯やってから行きましょう!加賀谷さんは何にします?」
あけみさんと呼ばれ、カウンターのママさんがお酒を作り出す。
もう酒を飲むのか、まずはしらふで話してからの方が良いじゃないのかと思ったが、郷に入っては郷に従えだ。
「じゃあ同じもので」
「了解しました!あけみさん、もう一つ」
少しして丸くカットされた氷に、ロックのブランデーが注がれたグラスが二つ運ばれてきた。
どういう“いつも”を過ごしているのだ、この探偵は、ブランデーロックが通常運転ならその後はどんなものを注文するのだろう、探偵ってのはこんな変わった奴ばかりなのか。
彼はごくりと一口飲み干すと目をすぼめて、小さく息を吐く。
「やっぱこれだよなぁ、やる気が出てきた!」
ちびりと俺は飲み、甘い風味と液体が通った後に、きついアルコールが喉を焼くのがわかる。
「きついですね」
むせかえりそうになるのを抑えて一言いうのがやっとだった。
「加瀬谷さんはゆっくり飲んでいてください、私は漫画を読ませてもらいますね」
「ええ、それはいいのですが私、実はお酒が得意ではなくてですね」
「え、そうなんですか、それならそうと言ってくれればいいのに、あけみさん!なんか軽いおつまみ出してあげて、後お冷も」
「はーい」
「すいません」
「いえ良いって事ですよ」
というか今日の勘定、俺が払うんだよな。
唐揚げとポテトをつまみにして水をはさみながら、ちびちびと飲んでいる俺の横で、音御市は漫画にふけっている。
俺は暇を持て余しそうだったので、ネゴシが読んでいないやつを読んでいた。
ふと、あたりを見渡す、おっさん二人で酒を横において漫画を読んでいる絵図らってどうなのだろう。
周りは俺たちに干渉してくることなく、カラオケやただ一人のホステスが所狭しと、機嫌取りに移動していた。
どれくらいの時間がたったのか、音御市は読み終わり本を閉じ、天を仰いでいる。
「ふぅ~、まれに予言めいた漫画や書物とかありますが、これはその域をはるかに超えてますね、多分九分九厘当たっているんじゃないですか?」
「そうなんです!これ同僚の安倍と考察したときに書いたメモです、現実と違う個所を書き綴ってますのでよかったらこちらも見てください」
「準備が良いですね、じゃちょっと漫画と一緒に拝見」
ページをあちらこちらと素早くめくりながらメモと照らし合わせる。その動作はとても洗礼されていて、さすが本職だと思わせた。
「とても興味深いですね、それでこの林間学校の時に結果が違ったわけですか」
「ええ、そこのメモにも書いてある通り、誰かが肩代わりする形で変わるのかも知れません」
「それはちと、早計な気もしますが、伺った話の通りならその可能性が高いか」
漫画を興味深く見ながら深く考察している音御市。
「ふむ、この本少しの間お借りしても良いですか?明日のお仕事が終わるころにはお返ししますから」
「それは構いませんが、お仕事お忙しいのではないですか?」
「子供の命が掛かっているんです、こちらが先でしょう」
「そこまで思ってくれているのですか、ありがとうございます」
「何堅苦しいこと言ってるんですか、お互い困ったときは助け合いですよ、さぁ今日は飲みましょう!お話を打ち明けてくれたお礼に私がおごりますから」
最初は本で読んだ印象から、あまりよくなかったが本当に良い奴だ、それに強い味方が出来た事が何より嬉しい。
お酒を飲みながら、お互いの人生を語り合い、その日は音御市と親睦を深めていった。最後のお会計の時、奢ると言っていたが、お金が足らなく、結局大半を支払った。いい奴なのは間違いないかもしれないが詰めが甘い、幸先に一抹の不安を残しながら今日はお開きになった。