7:林間学校その後
病院で治療を終え時刻は19時、旅館に帰ると俺の姿に女将がびっくりして訪ねてきた。
適当に嘘を交えながら怪我の具合を伝えると、ご厚意で食事を部屋まで持ってきてくれた。
「はい、口開けてください」
安倍がご飯を食べさせてくれる。
「ね、アキラさん」
「ん?なんだ」
「怪我してるってすぐに気づかなかったんですか」
「そうだな、晴たちの様子に見入っていたから」
「そうですか、じゃあ次何食べたいですか」
「そこの肉頼む」
箸で器用に小さくして口元に運んでくれる。以外に器用だなと見入ってしまった。
「ほんとに親バカですね」
ほっといてくれ、そりゃあ男と娘二人暮らしてくればそうなるさ、安倍も子供が出来たらわかるだろうよ。
「そんなんだから、再婚出来ないんですよ」
「ごほっ!」
変なこと言うな、まったくさっかくの肉がむせて味が飛んじまった。
「ああ、もうホラ」
「それぐらいできる!っつ」
左肘に痛みが走った。
「ほら、あちこち怪我しているんですから、無理しないでください」
「お前、おふくろかよ」
「それを言うなら妻でしょう」
「俺の妻はもういるさ」
「知ってます…」
それ以上言わず、俺の口元や飛んだ米粒をティッシュに包んで机の端に置く。
「ねぇアキラさん、そろそろ晴ちゃん離れした方が良いですよ」
なんだ、それ、離れるも何もあいつはもう16歳だ。
こんなことでもなかったら、別にここまで構っていないさ。
「新しい人、見つけて安心させてあげた方が良いと思うんですけど、ご飯や洗濯とか、家事は晴ちゃんに任せきりなんでしょう、きっとお父さんは私が見てあげなきゃって思ってますよ」
食べてる俺に一方的に話す安倍、俺は食べ物を喉に押し通して反論する。
「じゃあ安倍みたいなのは駄目だな」
口元近くまで運ばれていた味噌汁を俺の太ももにこぼす。
「あっつ!!ぐっ、いっつう…」
瞬発的に動いたものだから全身いたるところの怪我したところに痛みが走る。
「今のは、アキラさんが悪いです」
俺にこぼした汁を吹きながら安倍はふてくされたように言う。
「なんだよそれ」
「変なこと言うからです」
「安倍みたいな家事が出来なさそうなのは、駄目だって言っただけだぞ」
拭いてくれていた力が急に痛みが走るほど強くなった。
「痛い!何怒ってんだよ、冗談だろ」
「冗談でも言っていい事と悪い事があるんですよ!だいいち私は家事出来ます、部屋だって見たでしょう、ちゃんと定期的に片づけてますし、自炊だってしてます」
部屋の様子を思い出してみると、そう言えば片付いていたな、キッチン周りはあまり見ていないが、料理も出来るのか、飲みに行ったとき、何気なく取り分けてくれたりしていたな。
今だってこうやってご飯を食べさせてくれたり、世話を焼いてくれている。
会社にいる安倍が、皆に抱かれている印象が強くて勝手に思い込んでいた。
「わるかった、すまん」
「もういいです」
食事も食べ終え、各々漫画を読み返したりして夜も更けてきた頃、安倍が唐突に言い放つ。
「さて、じゃそろそろ服脱いでください」
「な、なな、何いってんだ!」
「なに驚いてるんですか、身体拭くんですよ、このままじゃ気持ち悪くて寝れないでしょ、あ、もしかしていやらしい事考えたんですかぁ?」
「ばか!そんなんじゃねぇよ、たく、じゃあわかった、頼むよ」
と服を脱ぎかけて冷静に考えてみた、いや身体拭くってさすがに恥ずかしいだろ、しかも今日の安倍はいつもと違って女子力が増している、俺の俺が反応でもしたらどうすんだ。
「やっぱいい」
「へ?もしかして恥ずかしいんですか?大のおっさんが」
「うるせ、おっさん言うな、そうだよ、恥ずかしいからいいよ」
「何言ってるんですか!今日暑くてたっぷり汗かいてるんですから、それに一人で着替えできないでしょう、着替えるついでに拭いちゃいますよ、お湯とタオル持ってくるんで待っててください」
「だからいいって!」
「あ!そうだ、風呂桶とかありますかね、ちょっと待っててください」
俺の言葉も聞かず、女将の元かどこかで体を拭くものなど借りてくるつもりだろう、安倍は部屋を出ていった。
あいつ本気か、もし拭いてくれている最中、反応でもしたらどうするのだ、ごまかしは聞かないぞ。いや、ズボンは脱がせずにすれば、あまりわからないか。
あいつも女だ、好きでもない奴の体を隅々まではしないはず、上半身ぐらいで終わりだ。
あまりに唐突だったから驚いてしまったが、思ったほど変なことにはならないだろう。
「失礼します!」
大きな男の声とともにドアが開かれた。
「ここにおいてください、アキラさん!わざわざ温泉のお湯持ってきてくれましたよ」
風呂桶とタオル、それにシャンプーなど持って来た安倍が嬉しそうに話す。
「あの、ありがとうございます」
大学生ぐらいの若者がお湯をたっぷり入れた青いバケツを、タオルを敷いて俺のそばに置いてくれた。
「このままだと、やりずらいので着替えてきます」
大学生を見送ると、隣の部屋で安倍はTシャツと短パンに着替えてきた。露出度が高く、シャツからのぞかせる胸元が視覚を刺激する。
また髪をくくってポニーテールにして雰囲気が変わった違う一面の安倍を見せてきた。俺の俺が少しピクリとした。こやつを抑えるのは力業では無理だ、脳内を支配し何とか立ち上がる奴を阻止しなければ。
「少し痛むかもしれませんが、脱がしますよ」
怪我した個所は薬が効いているのか、当たったりしなければ痛みはない。上着からゆっくり丁寧に脱がしてくれる。
「痛くなかったですか」
「ああ、意外にうまいもんだな、全然痛くなかったぞ」
「そうですか、よかった、それじゃ下も脱がしますよ」
安倍は何の躊躇もなくベルトを緩めだしてきた。
「下はいいよ!さすがに!それはいいから」
「あまり動かない方が良いですよ!傷にさわります!高校生じゃないんですから、何恥ずかしがっているんですか」
「いや、そういうんじゃなくてさ、それに今脱がさなくてもよくないか」
「服が濡れちゃいますよ、着替え、持ってきてないんでしょ、蒸れて変なにおいを出しながら帰る事になっても知りませんよっと」
そんな事を話しながらベルトを外し、尻からズボンをずらす。
「いや、別にいいって」
抵抗しようとしても怪我の激痛が、走るのが怖くて思うように抗えない。
結局促されるままズボンも脱がされパンツ一丁にされてしまった。なんだろう、この敗北感は、これが侵される時の気持ちなのか。
「アキラさん、可愛いとこあるんですね、しょぼくれてるのもいいかも」
「男は可愛いとか言われても屈辱しかないから」
「それは、失礼しました、それじゃ拭きますね、まずは頭からです」
「もう好きにしてくれ」
軽く髪を湿らせた後、少量のシャンプーを頭につけ、お湯を湿らせたタオルで頭を洗ってくれる。
「しっかり目を閉じていてください、シャンプーが目に入いっちゃいますから」
「わかってる」
眼を閉じると自然に洗われている感触に集中し。後ろ髪を擦られるとき前に頭を振られた、柔らかな感触が前頭に感じる。
これはもしや長らく触ったことがないアレが触れているか。
「おい」
「はい?」
「あたってないか」
「何がですか?」
「いやなんでもない」
今の問いで分からないのなら気のせいだろう。
「いいですよ、目を開けても」
思いっきり俺の俺が反応する光景が飛び込んできた、胸のあたりが濡れている。しかも服が揺れると服が肌に触れ、肌色が透けて見えるではないか。
「いや、お、お、お前!」
「さ、顔も拭きますから」
言葉を遮られタオルで覆われた視界の間から、アップになった安倍の顔と服からのぞかせる肌と濡れた為に透けて見えそうになるものが俺を襲う。
顔を吹き終わると、なるべく安倍の顔だけを見るように心がけながら事の次第を伝える。
「お前!そのブラが!!ブラ付けてないのかよ!そのなんつーかとりあえず着替えてこいよ!濡れてるし」
「あ、本当ですね、蒸すし濡れるの嫌で外したんですけど、さすがに恥ずかしいので見ないでください」
頬を赤らめて濡れた個所を隠す。
「いや、着替えてくればいいじゃないか!」
「着替えなんてないですよ、このシャツとズボンだって予備に持ってきたものなんですから、ブラジャーだってあれしかないし、もし濡れちゃったら明日ずっと付けずにいる事になりますよ」
返す言葉が見あたらない、しかし、これじゃあせっかく何とか脳内を支配して抑えてた奴が、半分ほど起きだしている。安倍に気づかれない様にするしかない。
「わかったよ、もういいから続けてくれ」
きつく目を閉じ、なるべく奴が鎮まるよう意識をよそに持っていく。俺は介護施設にいるおじいちゃんなんだ、そして今拭いてくれているのは男の介護士。
たまに俺は施設を脱走する悪いじいさんで、この介護士は不思議といつも先回りしている賢い奴なんだ。そうそう、そんな感じで股間近くの股も優しく洗って???!?
「いや、そこはいいから!!」
「だってここが一番汗かいてますよ」
やばい!汗でさらにシャツが濡れて安倍の姿が攻撃力をましてやがる。さすがにコイツは!奴が暴走状態に入るぞ。だが俺は身動きが取れずどうすることも出来ない。
「おい、阿部!!目を閉じろ!」
「何がですか」
安倍は俺の様子を見ながら視線を落とした。少し頬を赤らめながらもう一度俺の顔を見る。
「なんだか、ありがとうございます」
「何がだよ」
「いえ、私の事男勝りとかいっちゃいながら、ちゃんと女としてみてくれてるんだと思いまして」
「やめろ!もういいからちょっとあっちいってろ、心落ち着かすから」
「もういいですよ、私気にしませんから」
安倍は俺の足を拭きだした。
「いや、俺が気にするんだ!」
「じゃあまた眼を閉じててください、一気に拭いちゃいますから、それに」
そこで手を止める。
「それになんだよ」
「いえ、明日言います」
「なんで明日なんだよ」
こんな会話をしていたおかげか暴走状態が終わっていた、だが足を拭く際に彼女の太ももの上に俺の足を置いて、拭いたりしてくるものだから、また俺はおじいちゃんと看護師の設定を思い出す。
そしてまた性懲りもなく股の部分を拭いてくる、奴は完全に覚醒状態になっていたがもうどうでもよくなった。
「お疲れさまでした、終わりましたよ」
ゆっくりと目を開ける、汗で火照っている彼女の姿に、改めて感謝の念がこみあげてくる。
「ありがとうな」
「あとは服を着せるだけですね、それともアキラさんの息子さん、元気そうなので沈めてあげましょうか」
笑いながら俺を挑発してくる。
「いらねぇよ!俺も男なんだからそんな事を軽々しく言うなよな、それに部屋の温度下げればよかったじゃないか!お前汗だくだぞ」
「アキラさんが風邪ひいちゃいますよ、ただでさえ怪我で弱っているんですから、私はどうせこの後、温泉入るからいいんです」
安倍はいい奴だ、それはよく知っていたが、仕事上の話と飲みに行ったときの状態しか知らない俺視点での彼女の事。
今日のようなイレギュラーでの状況で女性としての魅力というか、母性とか思いやりみたいなものが、ここまであるのかと改めて知る事になるとは思ってもみなかったな。
備え付けの浴衣を俺に着せてくれ、脱いだ服を旅館が用意してくれた袋に詰めてくれている安倍。
「なぁ安倍」
「なんですか」
「なんで彼氏作らないんだ、お前ぐらいならその気になればできるだろ」
素直にそう思った、こんなにも優しくて見た目やスタイルだっていい方だ、ならできて当然だろうに。手を止め考える安倍は間をおいて口を開く。
「その気に慣れないだけですかね」
「なんでだよ、お前も年齢的にも良い頃合いだろ、結婚したくないとか考えてるのか」
「そんなことないですよ、私だって結婚もしたいし子供だって早く欲しいです、ただ、今は時期じゃないっていうかなんというか」
「好きな奴でもいるのか」
安倍は黙って俺の服を旅行鞄に押し込んでいる。
「まったくアキラさんは私のお父さんみたいですね」
お父さんほど年齢は離れてない、言うならお兄ちゃんぐらいだろ。
「さて、私は温泉に入ってきますね、先輩はくつろいでてください、帰ってきたら布団ひきますから」
「あ、ああ分かった、ゆっくり入ってこい」
質問に答えないって言うのは好きな奴がいるのか、俺にはあかせない相手という事は、まさか東雲か、そんなそぶりはなかったが、もしかしたらそうなのかもしれない。
「只今帰りましたぁ~、いやぁ人がいなくて広々使えましたよぉ、ここ当たりですね、温泉も最高です!」
浴衣姿の安倍が帰ってきた。
「そうか良かったな、お前さ、さっきの質問なんだけど」
「なんですか」
安倍はドライヤーを髪にあて始める。
「もしかして東雲なのか」
「え~!?なんの話ですか」
ドライヤーの音がうるさくて聞こえないのだろう、また聞き返してくる。
「お前の好きな奴の話だよ!」
ドライヤーを切り、会話の内容を聞き取る
「私の好きな人の話?まだそんなこと言ってるんですか」
「そのなんだ、東雲の事が好きなら俺も応援するぞ」
「アキラさん」
「なんだ」
「怒りますよ」
「なんでそうなるんだよ、余計なおせっかいってことか?」
中断していたドライヤーを再開する安倍。
「私、東雲の事が好き何て一言もいってません!」
轟音のせいなのか、大声で怒ったように言っているように見える。
「お前怒ってるのか?」
「知りません」
「別に怒ることはないだろ、余計なおせっかいだったら謝るから」
丁度ここから俺に背を向けている安倍の顔が窓のガラス越しから反射して見えた。かなり怒っているように見える、まずい事を言ったみたいだ。
髪を乾かし終えた安倍は部屋のカーテンを閉めながら、こちらを見ないで独り言のようにつぶやく。
「私、東雲の事、嫌いじゃないですけど、恋愛対象としてみてませんから、応援されても迷惑ですよ」
「そうなのか、ごめん、俺の早とちりだったみたいだな、余計な詮索をしたみたいで本当、ごめん」
「そこに怒ってるんじゃないし!」
いや、やっぱり怒ってるんじゃないか。じゃあどこに怒っているのだ。
「じゃなんで」
「そこに至る考えの経緯が、ですよ、少しは考えてみてください、晴ちゃんで大変なのはわかりますけど」
そこで言葉を止めると布団をひき始めた。
「なんで隣に並べてひいてるんだ」
「なんでって、もしアキラさんに何かあったら、私がすぐに手助けできるでしょうし、打ちどころが悪くて様態が急変する事もありますよ!そのまま死んでしまうお父さんってのもありますから」
「縁起の悪いこと言うな、大体それなんかの漫画だろ」
「漫画をバカにできないのは身をもって知っているでしょう、さ、ひき終わりましたので寝ますよ」
「俺も男だって言っただろ」
「その怪我で襲ったりできないでしょう?」
にやりと笑いながら言う。
「ああもういい、わかった、寝るぞ」
もういいさ、そこまで言うなら隣で寝てやる。痛む体をゆっくりと敷布団に寝転ぶと、上から毛布を掛けてくれた。
「じゃあ電気消しますよ」
旅館に帰ってからずっと、安倍に弄ばれているような気がした。
「晴ちゃん、思ったより軽症だったように見えましたね」
暗くなった部屋で安倍が話しかける。
そうだ、あの落ちた後起き上がる晴の様子を見た時、違和感があったのはそれだ。
「俺もそれは感じてた、晴の様子を今後も見てみないと確信まではいかないけどな」
「そうですけど、もしこれで結果が少しでも変わったらと思うと私、怖いです」
「なんでだ?」
「だってそれは誰かが犠牲になれば、予測された未来が変わるという事かもしれない」
そうか、そういう捉え方もできるな。なんとなくそういう事もありうるかもしれないとは思っていたが。
安倍は俺の方に体を向け真剣な面持ちで話す。
「実は病院で診てもらっている時からずっと考えてたんです、もしこの仮説が正しかったらどうなっちゃうんだろうって…アキラさんがこんな事言ってやめる人じゃないって知ってますけど、あまり無茶はしないで下さい、私、アキラさんがいなくなったら嫌です、後を追って私も行っちゃうかもですからね」
言葉を言い切るあたりから涙ぐんでいるように声が震えている。もしかして泣いているのか。
「何を大げさなこと言ってるんだ、いい奴だな、安倍は、大丈夫だよ、そんな事にはならないさ」
「手を握ってもいいですか」
「ばか、恋人同士でもなかろうに、そんなことできるか」
「いいじゃないですか、私実はぬいぐるみ抱いて寝ないとダメな子なんですよ」
そう言えば枕元に犬のぬいぐるみがあったような気がするが。安倍は無理やり布団に滑り込ませて手を握ってきた。
「今日だけですので」
「たく、いい大人が」
「可愛いとこあるでしょ」
「もういいから寝よう」
「アキラ」
なんだよ、急に呼び捨てかよ。
「なんだ」
「おやすみなさい」
眼も慣れてきて彼女の顔がカーテン越しの月明かりで照らされて見えた、とてもかわいい笑顔で俺を見ている。
「おやすみ、今日はありがとうな」
「ええ、また明日」
そうして彼女は眠りについた。