11:なんだかんだ言ったってハルとヨルは仲良しなんだ
音御市と三人で話した日から一か月が過ぎた、彼も忙しいのか連絡は定期的にくれてはいるが、会う事はかなわなかった。その中で得た情報もあまり具体的なものはなく、俺と同じ方法を試したが、晴を見れるようにはなれなかった事、それは安倍も。あと漫画探しがお思いのほか、難航しているという事ぐらいだった。
その間の晴たちは学園生活を満喫している様子が描かれていただけなので、俺も尾行めいたことはしていない。
安倍とは何度も飲みの席を設け、話し合いをしてはいるが、一向に糸口を掴めないでいた。今日もそれほどな活動をできず、晴が路上ライブをする場所を特定するため、街中を歩いていると、商店街の一角にギターが置いてあり、フリーギターと書かれた看板が横にあった。ここだ、晴がヨルにからかわれて唄うシーンの描かれている場所は。
俺は周りに人が少ないのを確認すると、ギターをおもむろに取り、ピックで弦を弾く。
懐かしい音色、久しぶりに聞くギターの音に昔、音楽に夢見ていた頃の記憶がよみがえる。
このところ悶々としていた心を、解く放つが如く昔よく歌った定番ソングを熱唱してしまう。
唄い始めて1フレーズ唄い終わる頃、通行人の目が気になった俺は目を閉じて曲だけに集中する。
あの頃の気持ちを俺はどこに置いて行ってしまったのか、薫がまだ生きている頃にはあったはずだ。
だが彼女を失い男手一つ、晴を育てると決意した日に夢への想いを捨てた。
俺はこの気持ちを唄う事で思い出せたことに心が震える、想いを乗せて唄える事への喜びを音に乗せて最後まで唄いきった。
歌い終えると、どこからか数人の拍手が聞こえてきた。恥ずかしさと嬉しさが織り交ざった気持ちの中、ゆっくりと目を開けると、そこに晴とヨルが立っていた。
「お父さん」
「オヤジ!」
「晴!なんでお前がここに」
「私もそう言おうとしたんだけど…」
「やるなオヤジ!良かったぜ!」
珍しい事もあるもんだ、あのヨルが誉めている。
「俺は仕事でこっちに来る用事があったから、帰りがけにギターがあったんでなんとなく弾いてただけだ」
もちろんウソだった。会社に有給をもらい、ここを特定するために来たのだが、まだ晴たちがこの場所へ来るのは早いはず、漫画には秋と夏の変わり目と書いてあったはずだ。
「私は友達がこの辺の場所で、その、今度イベントするって言ってたから、買い物がてら来たのよ」
そういう事か、輝彦のライブする場所に、ペット憑きの気配を感じて確認に来たというわけだ。そんな事を漫画で言ってた気がするな、にしても歯切れの悪い言い方、ライブに行くことを内緒にしたいらしいな。ここはあんまり突っ込まないでいてやろう。
「買い物って?」
「晩御飯の材料とかかな、お父さんはもう帰るの?」
「おう、じゃあ一緒に帰ろう」
「うん」
短い会話で通じる仲、こんな関係は親子か夫婦かぐらいだろうな。
駅へと向かいながらぽつりと、晴が言う。
「まだ歌えるんだね、少し感動しちゃった」
「ああ、結構よかったよ、オヤジ」
ヨルも同意するようなことを言うものだから、照れてしまう。
「そうか?そう言えば晴の前で唄うのは何年ぶりだろうな」
「小さいころに、家で少し唄ってくれただけだから、あんな風に唄うお父さん、初めてかも」
「そうだよ、あんな熱唱してるとこ聴いた事ねぇな」
「そうだったか、余計恥ずかしくなってきた」
「なんで?もっと唄えばいいのに」
「そうだなぁ、まぁ落ち着いたらまたやってもいいかもな」
「今からでもやればいいじゃない」
「ああ、輝彦よか良かったぜ」
「そうはいってもな、仕事もあるし、それに晴が…」
心配、と言おうとしたが、言葉を止める。
「私が何?」
「もうちょっと大人になってからかな」
「なんでよ、もう私も子供じゃないんだからさ、別に心配するようなことしないわよ」
そういう事じゃないのだ、今からお前は死ぬようなことが待ち受けているかもしれないのだ、と言っても信じないだろう。
「そりゃそうだがな、親はいつまでも子供の事が心配なものなんだよ」
「なによ、それ、都合の良い言い訳にしか聞こえないわ」
「ほんとな、オヤジは過保護すぎるんだよ」
返す言葉が見つからず俺は黙って歩き続ける。
「おいハル!」
ヨルが唐突に呼ぶ。晴は黙ってヨルを見ると俺の方に向き直り話しかけてきた。
「お父さん、私ちょっと近くのコンビニでトイレ行ってくるね」
「駅まで我慢できないのか?」
「すぐに行ってくるからこの辺で待ってて」
二人は急ぎ足で行ってしまった、あれは絶対トイレではない、きっと生霊に取りつかれた人でもいたのだろう。少し距離を置いて二人を追いかけた。
意外なことに着いた場所はコンビニだった。本当にトイレだったのかと思って周りを確認していると、店舗の裏で一人の店員を囲んで男子高生がたむろしていた。
晴たちはそこに向かって歩いて行っている。
「ハルもう変われ、俺の方が、話が早い、それにお前だと舐められる」
「あんまり無茶しないでよ」
重なるようにしてヨルが晴の体に入っていく。
「よう、お前ら、それ廃棄される筈の弁当とかだろ」
店員が持っている袋を、開けて物色している男子高生たちに向けてそう言い放った。
見てくれは普通の高校生だが、どことなく危ない雰囲気をただ寄せている三人、そのうちの一人がヨルに向けて冷たく言う。
「なんだよ、お前には関係ないだろ」
「俺には関係ないがな、もう一人の私が許せないらしいんだわ、それにほっとくと取り憑かれたりして、いろいろ面倒なんだよ、ってわけだからそんなくだらない事はやめろ」
「うっせぇな、何わけわかんねぇこと言ってんだよ」
先ほど喋った男の隣、髪が目元まで隠れている奴が怒り気味に言った。
「あ、あの別にそういう事をしているわけではないので、ただ見せているだけですので、すいません」
店員が恐々としながらも、擁護している。
「お前もそんなんだから、つけ込まれるんだろ、こいつらクラスメイトだろ?このままだとアンタがバイトをクビになるんだ、そのあとも学校にこのことがばれてお前だけ停学食らって面倒なことになるんだよ」
ヨルは説明して何とか話だけでこの場を収めようと試みているのだろうが、そんなふうに言っても、相手は訳が分からないだろうな。
「おい女、さっきからだまってりゃ何ペラペラと言いがかり付けてくれてんだ、しかもわけわかんねぇし、今の世の中男女平等なんだよ、女だからって殴られたりしないとか思ってんじゃないだろうな」
真ん中にいる背が低くて小柄な男子高生、だが風格はあり、多分こいつがリーダーと思しき男が脅しをかける。それを見て慌てて店員が割って入る。
「あの、その、何を見てそのように思ったのか知らないですけど、大丈夫ですから」
「たく、仕方ねぇな、お前ら、財布何処に持ってんだ?そこか」
ヨルはおもむろにシュシュを髪に巻いてポニーテールにすると、歩いて彼らに近寄りながら素早い動きに切り替わり、目にもとまらぬ速さで彼らから財布を抜き取っていく。
男たちは、何をされたのか全く分かっていない。
「この中にお前らの身元が分かるもん入ってんだろ、ほーらあった、学生証か、こんなもん持ち歩いてるなんて、意外に真面目なんだな、お前ら」
ヨルはそれらを抜き取ると財布は彼らに投げつけて、三枚束ねて団扇の様に顔を仰いでいる。
「何してくれてんだお前!」
一人が殴り掛かり、もう一人も羽交い絞めにしようと飛び掛かるが、ひらりと交わし、一人の後頭部に肘打ちをくらわすと、もう一人に膝蹴りを顔面にいれ、その衝撃でしりもちをつく格好で倒れる。
「止まって見えら、弱すぎだな、あ?大丈夫だって軽く小突いただけだろ」
途中会話がおかしくなった、あれは晴に叱られているな。
殴られた二人はよほど痛かったのか、はたまた今まで殴られた事さえなかったのか、戦意喪失している。
「いいじゃん、女だろうと容赦しないぜ、俺はな、何人も倒してきたんだよ」
リーダー格風の男が、ポケットからカッターを出すと、刃を押しだしながら小刻みに震えている。
「おうおう、弱い奴ほど武器に頼るんだわ、その震え、もしこれが刺さったら、どうしようって思っているんだろ、小心者がすすけて見えてるぜ」
ヨルよ、お前男前すぎだろ、今のセリフ、素直に格好いいと思ってしまった。
「う、うるせぇ!そんなこと思ってねぇよ!!」
ナイフを突き出し突進してくる男に、跳び箱を飛ぶ様にして華麗に避け、後姿から足を蹴り上げ股間にかかと蹴りを入れる。
たまらず、そのまましゃがみこんで悶絶するリーダー格風の男。
「あ、ごめーん、蹴りやすそうだったからつい、痛かった?」
「う、うる、せぇ…」
こらえながら言う、だが痛みが勝りそれ以上言葉は出ず地面にのたうち回る。
「たっちゃん、大丈夫?」
後頭部を抑えながら仲間が一人駆け寄る。もう一人は鼻血を出しながら顔面を抑えて半泣き状態だ。
「さぁどうするんだ、女に殴られたって警察にでも駆け込んで、恥をさらすかい?そしたら、私がアンタらの学校まで行ってこの事言いふらすけど、その後アンタたちどうなるんだろうね」
それはもう楽しそうにヨルが男どもに、脅迫している。
「あの、その、なんていうか、その」
店員はただ、おろおろしている。
「まったく助けがいのない奴だな、お前はそら、とっととそのゴミ袋捨てて、仕事に戻りなよ」
「は、はい、その、ありがとうございます」
彼はゴミ袋を物置に入れると、そのままヨルに一礼して、店に入っていった。
「さて、あんた達はどうするんだ?まだ続きをやるかい?それとも近くに助けでも呼びに行くかい?たった一人の女の子にいじめられてますって、そしたら私は近くの人たちに、おそわれてますぅ、助けてぇ、とか言おうかな」
口角を上げて、とてもいやらしい笑みを浮かべながらまたもやからかう。本当に楽しんだろうな、あいつ。
「このまま帰った方がお前らの身のためだと思うよ、どう転んでもアンタらが悪者にしか映んないぜ」
各々、痛む場所を抑えながら立ち上がり「くそ女が」などと捨て台詞を吐きながらよろよろと退散していく。
「わかってんだろうな、あんたらの素性はばれてんだから、また同じような事をしてるの見かけたら、ネットにでも何でも晒てやっから、あと一人の女にコテンパンにやられましたってのも付け加えておいてやらぁ」
ひらひらと三人の学生証を手で持って振りながら、帰っていく彼らにダメ押しの言葉を投げつける。あいつらにとって今日の出来事は悪夢だろうな、確かに同級生の男の子に無理強いして悪い事をさせる彼らは、到底許せるものでもないが、少しやりすぎなんではと思ってしまう、彼らの復讐が無いか俺は心配なのだ。
彼らが見えなくなったのを確認すると、学生証三枚を先ほどゴミ袋をしまっている物置の屋根の上に投げ込んだ。と同時に晴の人格が戻り、ヨルが追い出されるようにして身体から抜けた。
「あんた!やりすぎよ」
「あん?ああゆう奴にはあれぐらいしないとわかんねぇんだって、それに手加減はしといたぜ」
「それにしてももっと穏便にできなかったの、あれじゃあ私に仕返しが来るでしょ」
そうだそうだ!俺もそう思うぞ。
「大丈夫だって、あいつら頭ン中覗いたら、今日の事が学校でばれたらどうしようかって事でいっぱいだったぜ」
え?頭の中読めるの?
「あんたのその能力あまりあてにならないじゃない、それに今そう思っていても、後でわからないわよ、やり返しに来たりとか、ネットに書き込まれたりとか、されたらどうすんのよ」
「そんときゃ返り討ちにするし、ネットとかはまた音御市に頼めばいいだろうよ」
なるほど、音御市はこういうところで利用されているのか、改めて今度ちゃんとお礼を言おう。
「それにしてもね!あなたならもっとやりようはあったでしょ!!」
「わかった、わかった、説教は聞き飽きたぜ、今度はもっと穏便にするように努力する!」
「いつも口ばっかりね」
「いいだろ、もう、これであいつらも助かったんだから」
そんな会話をしながらこっちに帰ってくる、やばい!振り返り、慌ててさっきいた場所まで俺は走る。
「お待たせ」
「おう!じゃあ行こうか」
荒れていた息を戻ってくる前に整えて、晴たちの帰還を出迎える。ヨルも怪しんでないようだし、大丈夫だろう。
その後、いつも買い物をする街で電車を降り、スーパーマーケットへと向かう。ヨルは電車の中や、歩いている時、人が読んでいる本をのぞき込んだり、あいつはどうだとか言ったり、ずっと落ち着かず、無視するのに苦労した。晴はこんな生活を今まで続けてきたのか、今はもう慣れた様子だが、大変な苦労があったに違いない。
いつかヨルにちゃんと話せる日が来たら、絶対に説教してやる!
店に入り、買い物をしていると晴を呼ぶ声がして、振り返るとそこには佐納 弥英子ちゃんがいた。
「やえちゃん!どうしたの?こんなところで」
「ちょっと買い物にね、こんにちはおじさん、お久しぶりです」
「やぁ久しぶりだね、やえちゃん、いつも晴がお世話になって、ありがとう」
「いえ、そんなことないですよ、私も色々と晴にしてもらってますから、ちょっと晴、いい?」
目配せして少し離れた場所に行こうと晴に伝える。
「え?う、うん、ごめん、お父さん、ちょっと話してくるね」
「え、ああ、良いよ、わかった」
「すいません、おじさん」
軽く会釈しながら売り場のない場所まで移動していく二人。
もちろん俺は売り物を物色するふりして聞き耳を立てる。
「さっきさ、あの女許せないとかどうとか言いながら、公園でたむろしてるほかの学校の男子がいたんだけど、あれ晴ちゃんじゃないでしょうね」
「え!やぁ、私じゃないと思うよ」
「やっぱりアンタだったか」
「なんで!?そうなるのよ」
「顔に書いてあるわよ」
「ま、ばれるわな」
ヨルがあっけらかんとした様子で言う。
「晴さぁ、危ない事に巻き込まれるからやめなっていつも言ってるじゃん、正義感が強すぎるのかどうか知んないけど、たまに人が変わったようになるから、その癖直しなさい」
この様子だと、晴がこんな日常を昔から過ごしてきた事、やえちゃんは知っているようだな。俺はどれだけ鈍感なのだろうか、父親でありながら漫画の存在を知るまで全く気が付かなかった。思い返せば、晴が中学校に入るころから晴の日常にあまり関わろうとしなかった、とても聞き分けが良いものだから、あまり心配せず、どこか無関心になっていたのかもしれないな。晩飯の最中にどんな事があったかなど、色々と話していてくれたのに聞き流していたように思う。
「わかったから、やえちゃん、今日はお父さんもいるから、ね?その話はまた今度」
「もう」
二人は話を切り上げ、俺の元に帰って来た。気が付けばヨルがいない、どこか遊びに行ったのだろうか。
彼女と別れ、その後は何日分かの食料を持ってレジで会計をしてもらっているとヨルがいつの間にか帰ってきていた。そして何か食べている?口をモグモグとしていた事に驚いた。食べられるのか?晩飯の最中でさえ、食べている姿を見た事がなかったが。
今日の出来事は漫画には描かれていない出来事ばかりだった。いろんな晴の一面を見れて嬉しかった、まてよ、今まで漫画を起点に行動していたが、それ以外に目を見張るべきではなかろうか。
その日の晩、俺はコンビニに少し出かける振りをして、この事を音御市に電話して伝えた。
「良いところに気が付きましたね、その事を伝えようか悩んでいたのですよ」
「それはどういう意味ですか」
「私もそう思って娘さんと関わる時、どう接するべきか考えていたんです、それはですね、深くかかわりすぎると、未来があらぬ方向に行ってしまうのではと危惧しての事です、この漫画に描かれている内容は私たちが関わる事を前提として描かれているのかどうか、それを見定めてから行動しようかと、悩んでいたのです」
なるほど、それならもっと早く言ってほしかった。
「私も、少し考えてみます」
「ええ、できうる限り慎重に、そして冷静に行きましょう、実は今、立て込んでまして、またご連絡差し上げます、でわ」
そこで通話を終え家へと帰る。帰宅すると、いつものように居間で晴とヨルが喧嘩している声が聞こえた、ヨルの声が聞こえないとすると、独り言をいっているぐらいにしか思わないだろうが。
帰宅を告げると、晴はおかえりと返事をくれ、そしてヨルが何を言っても黙ったまま明日の弁当の支度をしている。いつも通り平常運転だ、今日の事で運命が変わるとは思えない。
少しの安堵感を感じながら、自分の部屋に入り、パソコンをつけて『ドッペル』の事を調べる。
時折ヨルが忍び込んでいないか注意しながら、色々なキーワードを入れ調べるが、真新しい情報はない、あの某掲示板サイトの書き込みも止まったままだ。
少し突破口が見えた気がしたが、それもまた、我慢の日々が続きそうだな。あくまで慎重に冷静さを欠いた行動は慎まなきゃならない。もどかしさを抱きながら今日という日が過ぎていく。