10:一人で出来る事なんて限界があるってこどだな
「あの探偵、全部見透かしてたんですか!」
安倍は驚きの声を上げながら、俺に喋りかける。
あくる日の昼休憩、最近は毎日安倍といつもの屋上で作戦会議という名の雑談をしている。
「そういう事になるな」
「じゃあ私が付けられていると気づいたのは、ワザとだったという事ですか」
「だろうな、あの口ぶりから察するに、安倍の尾行はただの記念だそうだ」
「何の記念でしょうか、それにしてもあの漫画とイメージがずいぶん違いますね」
「音御市が言うには晴の視点で描かれているからだそうだ」
「なるほど、じゃあダメな探偵を晴ちゃんの前では演じているという事ですね」
「そう言ってたよ」
「それを含めて音御市、きゃつは中々な切れ者ですね、伊達に元デカの探偵ではないってところですか」
「それが今度は味方になってくれるんだから」
「ええ、今度は三人で今後の事を話し合いましょう」
「でも安倍、良いのか、この先危ない目にも合うかもしれないぞ」
「何言ってんですか、ここまで来て仲間外れはないですよ、最後まで付き合います!」
「ありがとうな」
「それで音御市は、会社終わりに本持ってくるんですよね、その時に私も行きます」
「そう言うと思ってた」
「なんだか楽しくなりそうですね」
確かに希望が見えてきたのは間違いない。
そして時刻は過ぎ夕方五時半頃、会社からほど近い喫茶店に三人で顔合わせをすることになり、俺と安倍は一緒に店に入ると、彼が奥のテーブル席で手を上げて手招きしている。
「お待たせしました」
「いえ、私もさっき来たところですよ」
「あの、初めまして、じゃないですよね」
「ええ、よく存じてますよ、安倍彩さん、ウソの依頼と分かっていても依頼は依頼、しっかり調べさせていただいたので、あなたも私の事を知っているでしょう、ですが顔を合わせて話すのは初めてですよね、どうぞ、よろしく探偵の加賀谷音御市です」
二人は軽い挨拶を済ませ、アイスコーヒーをそろって注文した。
「これ、ありがとうございました」
漫画の入った紙袋をテーブルに置き俺に差し出す、音御市がカバンから出してくると、いけない何かに見えてきそうだ。
「それではこれからの事話し合いますか」
「ええ、お願いします」
俺は少し構えて座りなおした。安倍も同じように前のめりで聞く体制を整える。
「まずは、順序を決めましょう」
「順序?」
「ええ、目的の順番です」
「それは娘の晴が命を落とさない事です」
「それは当然として、そのために何が大切かって事ですよ」
安倍は目を見開き私もといった感じで話し出す。
「それ、私も思ってました、まずは作者を探すことが先決なんじゃないかって」
「そう!その通りです、まず第一に作者の捜索、それで次に全巻漫画をそろえる、そして最後にヨルは何者なのかといった具合ですね、晴ちゃんの動向はこの際どうでもいいんですよ、最終巻まで無事なのはわかっているのですから」
どうでもいいだと!
「え、でも」
「お父さん、娘さんを心配する気持ちは分かりますが、冷静さを欠いては駄目です」
「そうですよ!アキラさん、こういう時こそ冷静な判断が必要なんですから、今は物事をフラットに捉えて何が重要かだけに集中しましょう」
「わかっていますね、安倍さん、その通りです、何事も冷静沈着でなければ物事は解決しません、そこに感情を入れていては、遠回りになりますし、最悪な結果につながりかねませんから」
最悪か、確かにスポーツ選手のここ一番の試合や、学校の試験などは落ち着きが大事だという事は有名な話、ここは感情抜きで考えなくてはならない。
「すいません、つい…、そうですよね、晴が死ぬこともまだ確定してませんし」
「晴さん、というかあの漫画のラストで主人公が死ぬのは間違いないみたいです」
「本当ですか!?」
「うそ…」
安倍は信じたくないといった表情を浮かべながらつぶやく、俺も全く同じ気持ちだ。
「ええ、その手の事に詳しい奴に聞いたのですが、あの漫画が終わった頃、ラストに主人公が死んでしまう事への批判的な書き込みがネットであふれかえっていたようですが、出版社の都合でことごとく、すぐに消されたようです、ネタバレを含む内容だとかの理由でね」
漫画博士の安倍が情報を付け足す。
「今どき珍しいですね、漫画への書き込みは、大抵その程度では消されないはずですが」
「出版社の知り合いとか色々と当たってみるつもりですが、やっぱり何かあるのは確かのようですね」
俺もそう思っていたが、最近は晴の行動に目を見張るあまり、失念していた。
「あの漫画は何かといわく付きな点が多いいですしね」
「漫画について私が調べた事を共有しましょう」
音御市は手帳のベージを切り取るとボールペンを取り出し、書き出しながら説明してくれる。
「単行本では1~9巻まで出ていますが、8巻の終わり部分で月刊誌の連載は終了しています、ですが終了した理由は別に人気がなかったわけでも出版社の都合というわけではなくて、作者の“くまいのち”が病に伏したため終了したと公には言われています、その一年後に9巻が出版されましたが、この本の部数は巻を重ねるごとに少なくたっていき、最終巻はさらにとても少ないようです、当時、この本の読者でさえ発売されている事を知らなかったほどですから」
「凄い、よくそこまで調べられましたね、ネットにもそんな情報はなかったですよ、ただめったに売られていないぐらいしか」
「これは、本屋の知り合いと情報屋に調べてもらったからわかった事ですよ、ネットの情報なんてただのものさし程度にしか使いません、どこの誰が書き込んだかわからない情報を当てになんてできません、情報は私にとって生命線ですから」
安倍は改めて音御市に尊敬のまなざしを向けながら口を開く。
「さすがプロって感じですね」
「話を続けますね、それから作者の情報ですが、まったく足取りがつかめません、この私でさえ、少し調べればしっぽぐらい掴めそうですが、それでもわからないという事は、組織的に意図されて隠されているとしか考えられない、となると是が非でも出版社の関係者に、裏からコンタクトを取らないといけないので、時間を要する事になりそうです」
音御市の実力をいやという程思い知ったが、それをこうも言わしめるとは、何者なのだこの作者。
眉を八の字にしながら安倍がネゴシに聞く。
「組織的って何か大きな陰謀というか、そう言ったものが絡んでいるのでしょうか」
「それはわかりません、今のところの印象でそのように感じただけですから、ですがもしいるとしたならば、出版社に圧力をかけられる組織という事になります、その点で言えば大きな組織と言えるでしょう」
まだ、推察の域を出ないかもしれないけど、そうだとしたなら晴はとんでもない事に巻き込まれているんじゃないのか。
「そしてこの本の捜索ですが月刊誌の方も含め、探しましたが今のところ見当たりません、これもまだ時間がかかりそうですが、いくつか心当たりがあるので、さほど長い時間はいらんでしょう」
「その点に関しては私も心当たりがあるんですよね、アキラさん、大きな書店しか探してないでしょうけど、こういうのって古い小さな書店の方が見つかりやすい気がしますよ」
「さすが安倍さん、漫画愛好家なだけはありますね、その通りです、素人は多い方が、確立が良いと思いがちですが、実はあまり価値を分からない人ほど、どこでもいいから売ってしまうことが多い、そして探している人ほど大きな書店に行きがちですから」
「ですよね!」
嬉しそうに同意する安倍。すいませんね、考えなしの素人で。
「それからヨルの存在、実は私も生霊という奴、あれ、ぼんやりですけどわかるんですよ、そしてヨルとされているドッペルゲンガーですが、晴さんの影のように見える事があるのでいるのは確かですね、加賀谷さんははっきり見えるそうですが、最初からじゃないんでしょう?どうやって見えるようになったか詳しく聞かせてください」
「それわたしも気になってたんです!」
「恥ずかしくて、あんまり言いたくないんですが」
「今さら恥ずかしがっててどうするんですか!アキラさん」
そうだよな、ここまで来たらそんなこと言ってらんないよな、恥ずかしさを押しとどめ、あの公園で逆上がりして見えるようになった経緯を説明した。
「真夜中の公園で、ですか、中々シュールな絵ですね、それは」
安倍は笑いをこらえている、こらえるくらいならまだ、笑ってくれた方が良い。
「何肩で笑ってんだ」
「いえ、音御市さんがシュールなんて言うから、想像しちゃったら可笑しくなってきて」
ついにこらえ切れなくて声を出して笑いだした。やっぱり笑わないでほしかったようだ。自分の顔がほてってくるのがわかる。
「しかしそれで、見えるようになるなら試してみる価値はありますね」
「そうですね、私も早速帰りの公園でやってみるのでアキラさんも付き合ってくださいね」
「話を戻しましょう、ヨルの正体ですが、私も他の世界線の晴さんじゃないかという考察に行きつい来ました、専門家に例えばの話として伺ったら、何かのはずみで二人の間に、亜空間が開いてしまい、吸い寄せられるように出会ってしまったのではないかと言われました」
それは俺も同意だ。
「魔術的な事じゃなくてですか?」
安倍が自分の持論を持ち出した。
「それも含めての話ですよ、魔術の類は別の空間から呼び出すという意味でも、同じ結論になるわけです」
「なるほど、そう言う事ですか」
「これについてもまだまだ調べるつもりです」
音御市、この人を仲間に出来て本当に良かった。いろんな事がはっきりとしてきて、ぼんやりとしていた謎が鮮明になってきているようだ。
「今私が言える事はまぁこんなところですかね」
「いや、さすがです!私たちだけじゃここまで早く、情報を拾い集めるのにもっと時間がかかりそうでしたが」
「む~なんかちょっと悔しいですが、その通りです」
何が悔しいのか安倍はむくれている。
「という事で今回の私からいえる事はこのぐらいです、話していると時間がたつのが早いですね、今日はこの辺でお開きにしましょうか」
「わかりました、私もあまり遅くなると晴も心配しますし」
「え!?帰っちゃうんですか、この後飲みに行くんじゃないの?」
「いかねぇよ」
「今日は私もこの後仕事がありますので」
「ええ~アキラさんは行きましょう?ね?」
「行かない、東雲でも呼んで行ってこい」
「ええええ~、アキラさんとじゃなきゃ嫌だ」
「それじゃあ私はこの辺で」
音御市はテーブルにお金を置きそそくさと帰っていった。
「そのつもりでさてはお前、一緒に来たな」
「それだけが目的じゃなかったですけど、最近一緒に飲んでないじゃないですか、前に聞いてた通りなら音御市さん、また飲みに誘う流れなのかなって思っていたんです」
きっと、目的の大半を占めてたはずだ、まったく、吐く癖にいつも飲みに行きたがるこの性格、いつか痛い目に合わなきゃいいが。
「今日は勘弁してくれ」
その後もしつこい誘いを何とか断る事に成功した俺は、晴とヨルが待つ我が家へと帰宅した。急いで帰ると、もう晩御飯を支度して待っていてくれた。
「お帰り、今日は早かったね」
居間へと入っていくと台所から、晴が答えてくれる。
「ただいま、今日はとんかつか、うまそうだな」
「丁度いいところに帰って来たわ、さっき揚げたばかりだから」
ヨルが近くにいない、どこかへ遊びに行ったのか。
「じゃあさっそく食べようか」
二人でテーブルに向かい合わせで座り、手を合わせて食べ始める。
「どう?」
「今日もうまい、いつもありがとうな」
「どういたしまして、お父さんには長生きしてもらわないとね」
「俺は別にお前が幸せになるところを見届ければ、いついってもいいんだがな」
それは俺の本心だ、薫を失ってから死への恐怖心というものがあまりない、ただ大切な人を残していくことへの心残りだけだった。
「じゃあ、なおさら長生きしてもらわないと」
「いつまでもお前の面倒見切れないぞ」
「いいよ、すぐに働くから、逆に面倒見るかもしれないわよ」
「いやそういう事じゃなくて」
「私、結婚しないよ、きっと」
「馬鹿なこと言うな、子供は欲しくないのか」
「お父さん、孫が欲しいの?」
「いや今はそんなに思わないが、俺の事はいいんだよ、お前の話をしてるんだ、いいか、若いうちに子供は作っておいた方が良いぞ、俺の上司なんか40代後半で三人の娘を育てているけど、すごく大変な話を何度も聞かされるんだ」
「そんな事より今日のお肉、奮発したんだけど、どう?」
「そんな事って…いやすごく旨いけどさ」
「良かった」
そう言って笑う。
昔からこの屈託のない笑顔だけは変わらない。その表情だけで先の会話なんてどうでもよくなりそうだ、今はまだ若いから結婚なんて言われても実感が湧かないだけだろう。
きっと20代に近づくにつれ、好きな人が出来て紹介されるのだろうか、その時脳裏に輝彦の顔が浮かんだ。もしかしてあいつなのだろうか、果たして俺は冷静でいられるのか今から自分が心配だ。
花嫁姿の晴を連れて、輝彦に受け渡す場面を想像してしまい、自然に涙がにじみ出てきそうになる。
「お父さん!?何?なんで泣いているのよ」
「すまん、変な想像してしまって」
「もう、はい」
ティッシュを受け取ると涙を拭きとり、ついでに鼻水が出てきたので鼻をかむ。
「私がいないとダメなんだから、ほんとに」
そのセリフと仕草、まるで薫のように見えて生き返ったのかと勘違いしそうになるほどだ。
「呆けてないで早く食べてよ、せっかく揚げたてなんだから」
「ああ、すまん」
食事を済ませて晴が食器を洗っている間、後姿を見ながらこれからの事を考えていた。
まだ、幼さの残るその背中にどれだけの苦労をすでに抱えているのだろうか、もうあまり干渉しなくていいと音御市に言われたけど、それでもこの子を守りたい気持ちは止められないよ。
「ねぇ、お父さん」
「なんだ」
「いい人でも出来たの?」
「なんだ、急に!?」
晴は振り返り俺に問い詰める。
「仕事だって言ってるけど、最近ずっと帰りが遅いじゃない」
「だから、大きな仕事が入って、俺もそれの手伝いに駆り出されているといっただろ」
「本当に?」
「そんな事で嘘ついてもしょうがないだろ」
「前に送ってくれた女の人でしょ」
安倍の事だ、なんて鋭い奴、さすが薫の娘。彼女も妙に鋭いカンが働く人だった。
「だがら違うっていってるだろ、あいつはただの飲み仲間の同僚だ」
確かに林間学校を一緒に尾行したときからというものちょっと気になってるから、少しも意識してないといえばうそになるけど、今でも飲み仲間で同僚だ、決してウソは言ってはいない。
「うそだ!だってあの人お父さんの事、多分好きだよ」
今日の晴はやけに突っかかってくるな。
「お!?何々?夫婦喧嘩か!!」
窓をすり抜け入って来たヨルが俺たちをからかってきた。
「ちがう!」
「ちがう!」
やば、つい感情的なっていたせいで言ってしまった。
それを言うなら親子喧嘩だろと言いたいが、ぐっとこらえる。
「へ?」
ヨルが呆気にとられて、晴も信じられないといった表情で見ている。
「ただの同僚で、あ、あいつが俺の事好きなわけがないだろう!ん?晴、お前まで違うって何だ突然、俺が言おうとした事と被ってびっくりしたぞ」
「あ、はは、いや今、父さんがきっとそういうんだろうなってとっさに違わないって、つられて言っちゃただけよ」
俺もうまくごまかしたが、晴もうまい言い訳を言うものだな、さすが長年ヨルとの会話を誤魔化してきた年季が違う。
「まったく晴よ、お前みたいなのってファザコンって言うらしいぞ、オヤジも大概だがな」
こいつ、まったく嫌な奴だ、つい反抗したくなることばかり言いやがる。
晴も無反応で黙々と食器を洗っている。
「片付け済んだから私、先にお風呂入るわね」
「おう」
風呂場に向かった少し後、トイレに行く振りをして聞き耳を立ててみる。
「もう!お父さんの前では静かにしててっていつも言ってるでしょ」
「だって楽しそうだったんだからしょうがないだろ」
言い訳が幼稚園児並みだな。ヨルと話しているときの晴はいつも怒っているように思うが、俺でもそうなるだろうな、だってあいつは幼稚で自分勝手すぎるから。
もしかして晴の本心があいつなのか、いやそんなわけはないだろう。じゃあどうしてあいつは、晴とこうも正反対なのだろうか。もしや悪魔的なものがヨルの正体なのか、召喚してしまったという安倍の予想も案外当たっているのかも、謎は深まるばかりだな。
いっそヨル本人に聞いてしまいたいとこだが、あいつが俺のいう事を聞いてくれるとは到底思えない、しかももし、晴に内緒にしていてくれと頼んだところで、心が筒抜けなあいつにそれは酷というものだ。
なら晴にも打ち明けてしまえばいいのかとも思うが、それこそ一番危険だ、万が一俺が身代わりになって死ぬかもしれないといったら、晴はそれを許さないだろう。
自己犠牲が強い彼女だ、自分が我慢すればいいと、子供らしくない素振りを幼いころより見てきた。
だから今は見守るしかできないのか、堂々巡りの考えはいつも同じ答えしか出ない。