第四十三話『ミアノル』
魔力結晶の暴発による振動と衝撃が、ギルドハウスの一室を完全に崩落させる。
元々から邸宅が老朽化していたのだろうが、地下室の設計上、地盤が緩かったのかもしれない。
「ルヴィ――!」
落下の最中、ルヴィの気配が離れる。土煙と爆風で視界は最悪だ。ルヴィの返事さえも聞こえなかった。
何一つ拠り所のない空虚な落下。ただ眦にだけ憤激にも似た感情がある。
「あのクソ王女! やりやがったな!」
よく分かった。最初から理解していたはずだったが、僕もまだまだ。
徹頭徹尾。あの女は自分の事しか考えていない。自分の目的を達成するため、自分の感情という杯を満たすため、エルディアノを、ルッツ=バーナーを利用しやがった。
思惑が瓦解しそうになった時の保険さえ付けて。
それこそが、あのミアノル。
本来宝剣や聖剣と言った伝承の媒介となる『器』は、魔力の外部リソースでしかない。時に『技能』や『魔導』を埋め込まれ、所有者に力を授けるものもあるが、そんなのは王室の宝物庫に大事に飾られてる。
こうやって外部に出してくる以上、比較的伝承の浅い代物だと思っていたが。
アレは――。
「――ッ!」
思考を遮るように、ほの暗い地面へと到達した。
両脚を『強化』して着地するだけなら、左腕だけになった身体でも何とかこなせる。
相変わらず地下は殆ど明かりがなく、側面や各部屋に散りばめられた魔力結晶が緑色の明かりを放つのみ。
燭台がない所を見るに、僕がカルレッシアに案内された地点より更に深い。魔力濃度で溺れそうだ。
だが、そんな軽微な体調不良を気にかけている暇はなかった。
ルヴィは居場所どころか生死さえ不明。
右腕の欠損は変わらず、左手に直剣が一本。これが今の僕の全て。
そうして――相対するは、ルッツ=バーナーであった『何か』。
肉の塊から大きな瞳が開きこちらを見据えている。悍ましいほどの数の手足を長く伸ばし、それを組み合わせて出来た二対の翼を誇らしげに掲げ、僅かに宙に浮くソレ。
「天使でも気取ってるつもりかよ化け物。……いいや、それともミアノルって呼ぶべきか」
「流石はアーレの旦那。よくご存じで」
ソレ――『ミアノル』の影が薄暗闇の中で蠢く。
まだいたのか。王女の手前、僕が死ぬのを見届けるまで帰れないという所かね。
「自分の為に動いてくれる連中に魔剣を渡す。王女の火遊びにしちゃあ、やりすぎだな」
魔剣。否、剣に関わらず『魔』を関する代物は、宝剣や聖剣とは全く意味が異なる。
それらは伝説を継承するためのものではない。
悍ましくも力に満ち、かつて魔境各地に君臨した魔性ども。人類が数多の犠牲を経て打倒した魔の精髄。
――『魔人』を封じた代物だ。
奴らは強大な自我を未だ持ちながらも、肉の身体を失い、二度と顕現出来ない。更にはかつて誇ったであろう膨大な魔力も散々に分割され、人類圏のどこに散らばったのか誰も知らない。
それをまさか、一部とはいえこの場で復活させるとは。
正気じゃあない。
しかし、影はけたけたと笑いながら蠢いた。
「いやはや手厳しい。しかし俺は雇い主のオーダーに従ったまででして。この光景をお望みだったんでしょうぜ。ま、知りやしませんが」
これが王女のオーダー。僕を確実に殺すために魔人を顕現させる事がか。
そんな馬鹿な話はない。これが露見すれば、王室の立場そのものが危うくなる。魔性を活性化させる事は、国家の運営上何らメリットがない。
それこそ、王侯貴族どもと魔性が、僕とカルレッシアのように繋がっていない限り。
しかし状況は、そんな最悪の想像に浸る事さえ許してくれなかった。
「――ォ、ォォォォオオ」
魔人ミアノルが稼働を開始した。
寝ぼけていたのか、それとも準備時間が必要だったのか。肉塊の中心に位置する大きな瞳がぎょろりと動き、僕を見据えてくる。
そうまで注目してくれなくて良いのだが。
「それでは、後はごゆっくり。俺の役目もここまでなんでね」
影の奴はそう言うと、再びひっそりと闇に消えていく。とはいえ、もはや奴に意識を割いている暇はない。
目の前の脅威への対応が全てだ。下手を打てば僕が死ぬだけではなく、グランディスそのものに被害が及ぶ。その時は、流石にカルレッシアも介入してくれると信じたいが。
「オォオ――ォオオ――!」
ミアノルが眼を見開き咆哮する。それが合図だった。
手足の塊で出来た翼がぎゅるりと音を立てて、勢いよく引き延ばされる。次から次へと手足が生え、それがまた翼の一部となる光景は吐き気さえ覚えそうだ。
二対であったものが四対となり、その悉くが確実な殺意を伴って振るわれる。その肉が軽く触れるだけで、壁や床が存在しないかのように抉られていく。
その様子はまさしく、有象無象を問わず全てを押し流す怒涛の如く。
ミアノルの意味は大海。本来は海の上に君臨する魔人だったのだろうに、このような場所に顕現させられるとは可哀そうに。
「だがそうでないと僕に勝ち目がない。良いハンデだと思ってくれよ」
ミアノルの攻撃は悉くが破壊的な威力だが、その軌道は直線的だ。まるで肉体を奪われたルッツの思考を投射したかのよう。それに寝起きなのか、動き自体も精密さには欠ける。
やはり、本領を発揮出来ていない。この状態ならば、大型の魔性を相手にするのとそう変わらないはず。
ならば手段は一つ。一息で相手の急所を断つ。
「――ッ」
強引に魔力を動かして地面を蹴りつける。
先ほどのルッツとの攻防で、体内の魔力はズタボロだ。ろくに機能してくれやしない。
だがそれでも、ただ身体を前へと動かす我儘には付き合ってくれた。
左手で握った直剣が顔の正面に来るように構え、ただミアノルへと直進する。奴の身体は目覚めたばかり。とすればその肉体は無防備な裸同然。露骨に見開いた瞳をただ切り裂くだけで良い。
直剣には、先ほど渾身を込めた魔力が幾分か残っている。
今はただ、それで間に合ってくれと祈るしかない。願うしかない。
無様にも、今の僕に出来る限界がソレだ。
「ォ、ォォオオオ――!」
「止めようぜミアノル。お互い、もう古いんだ。今は今の連中に任せるのが一番だ、そう思うだろう?」
肉の翼が、すぐ傍の床を抉る。曲がりなりにも僕を敵と、脅威と認識してくれているらしい。
ならば良かった、ならばこれで終わってくれ。
殆ど感覚さえ失った脚が、最後の跳躍を果たす。
眼前には、標的たるミアノルの瞳。構えたままの左腕を真っすぐに振り下ろし、線を描いた。
肉を抉り、切り裂く感触。今まで幾度も感じてきた手応え。
直感。一瞬の後、理解する。
やられた。
「オ――オオォ――ッ!」
「――が、ぁあ゛ッ゛!?」
刃を瞳に突き立てた瞬間、横薙ぎに翼を叩きつけられた。全身が驚くほどの勢いで宙を飛び、瞬きの間に壁へと叩きつけられる。
そうしてそこへ――四対の翼が殺到した。
骨と肉とが次々に潰されていく。もはや痛みさえ感じない。最後の抵抗とばかりに心臓と頭だけを魔力で守ったが、もはや無駄な抵抗だろう。直剣も手から離れ、何処にあるか分かりやしない。
ミアノルの瞳は囮だった。直剣を誘い込み、僕を叩き潰す為の。刺し貫いた先にあったものは、ただ肉を貫いた感触のみ。魔性が必ず持つ核に欠片も掠っちゃいない。
上手く誘い込まれた。いや違う。僕自身がアレこそが急所だと、そう思い込みたかっただけだ。
でなければ、もう倒せない。そうと分かっていたからこそ、唯一の希望に賭けた。掛け金は命だ。今までも何度もやってきた。
そうして今、ようやく敗北の時がやってきた。
それだけの事だった。
「――――ォオオオオォ」
全身の肉から血を噴き出した頃合いに、ミアノルの翼が僕を引きずりあげる。
もはや逃げられなくなった獲物を品評するように睨みつけると、瞳をぱっくりと上下に割って見せた。
君、それが口かよ。
魔性に食われる最期なら、まだ他の奴にくれてやった方が良かったな。
ミアノルに取り込まれながら、不意にそんな事を考えていた。
*
魔人ミアノルの意識は、不鮮明であった。
ただ自らが望んだ大海はここに無く、かつての肉体も魔力も消え去った。
今の考える事はただ一つ。
今一度、構築せねばならない。
肉を、骨を、魔力を、魂を。かつての姿を取り戻すために、獲得せねばならない。
宿主だけでは足りぬ。剣にため込まれた魔力だけでも足りぬ。
新たに喰った肉と魔を咀嚼したとして、なお足りない。
何百、何千という食事が必要だ。その果てに、かつてと同じモノを取り戻して見せる。
それこそが我らの義務であり、それこそが神と世界の祈りである。
ミアノルは再び全身の肉と魔を唸らせる。取り込んだ獲物を元に、身体を再構築しなければならない。四対の翼が唸りをあげ、ぎょろりと瞳が動く。
「――ォオオ――」
再構築、再構築、再構築。
獲物の肉体はともかく、体内の魔脈までもが奇妙なほどに分断されている。それがかつて勇者が残した『結界』の影響だと、ミアノルは即座に理解した。
これをそのまま取り込むことは不可能。肉体さえもその『毒』に侵されている。
欠けた部分を含めた肉体を回収。獲物の分断された魔脈を接続しなおし、正常な状態へと復元しなくては。新たに顕現し、自らもまた復元段階の魔人だからこそ可能な荒業。獲物を自らの復元と同期させる。
コレの魔脈は、より魔の原型に近しい。だからこそ勇者の網に捕らわれ、体内の魔脈は分断された。
だが、全ての接続が復元された今となれば、それはミアノルにとってより良き糧となる。より良き魔性の核となる。
――そう断じた瞬間に、ミアノルの全身がある種の異常を察知した。
即座に四対の翼が躍動し、警戒態勢に入る。敵が入り込んできたならば、微かな呼吸音のみでもミアノルの翼は反応する。
だが、暫く待っても反応は皆無。魔力の濃密な地下深層では、小動物の気配さえ感じない。
だというのに、異常反応が消失しない。否、更に大きくなっている。ではそれは何か。
ようやくミアノルは、それが自分の体内から発せられる事に気づいた。
先ほど再接続した獲物の魔脈。もはや動かぬはずのソレが。
――脈動している。
緩やかにではなく、急速に。呼吸よりも軽やかに。一瞬毎にそれは性能を取り戻す。死に向かうはずのソレが、生へと向かい始めている。
ミアノルは得たいの知れないモノが体内にあると知った。
「――――」
未だ不鮮明な意識は、コレを潰すべきか、排出すべきかその判断に数秒の時間を要する。この身体の知性は魔人の域に到達していない。
故にその数秒の間に、一つの運命が決定づけられた。
異常が、咆哮する。
音にならない音が空を切り裂き、同時にミアノルの一部が破砕した。血液と肉塊が冗談のように飛び散り、何もかも玩具みたいに蹴り上げながら男はそこに立っていた。
まるでかみ合わなかった彼の魔力が、今ではかつてのように循環する。もはや失われた過去の異物が、今ここに姿を見せている。
彼は血まみれになった衣服を軽く払いながら言った。
「悪いな。流石に、こうなると僕も言い訳がきかない」
彼は特別な響きを持って、そう言った。
滴り落ちそうな魔力渦の中、口を開く。
「――もう負けてやれなくなった」
かつてと同じように眦を焦がし――探索者アーレ=ラックは静かに語った。




