第四十話『魔導士の本領』
旧王都グランディス市街地の戦役。
ここもまた、戦場の旗色が明確にならんとしていた。
――即ち、討伐軍による大通りの占領完遂が間近となっている。
グランディス側の連携は、確かに討伐軍からすれば予想外の抵抗だった。
『土塊一家』のドワーフらによる襲撃。
『グリーン・マン』や『バラス同盟』による奇襲。
『ライディラ兄弟』の伏撃。
全ては当初の想定以上に討伐軍の足を止め、その肉を切り裂いた。戦場の熱に晒された討伐軍は、本来の力を発揮する事なく次々と出血を強いられ、もはや残存数は百五十ほど。大損害と言って良い。
「――諦めたらどうだ。もうろくに動けまい」
けれども、ここに戦場の道理が眼を開く。
兵の数は決して嘘をつかない。
どれほど計略を練ったとして、どれほど策を弄したとして。倍以上の戦力差を覆すのは困難だ。
「ふざけやがれ、腐れ野郎。このグランディスはスドリック様の庭だ。蠅が入ってくれば追い返すのは当然だろうが」
『ライディラ兄弟』の頭目スドリックは血の薫りがする息をしながら、そう吐き捨てた。
グランディス側の兵力も、当初の百から大きく減じた。死傷者を除いた実質戦力は五十。もはや分散して奇襲に移る事も出来ず、寄り集まって大通りの中央に陣取らされている。
元より質は圧倒的に討伐軍が上なのだ。奇襲の利を失ってしまえば、後は押し込まれるのみ。
それでいてなお、未だ討伐軍が占領を完了していない理由は二つ。
一つは、『ライディラ兄弟』スドリックや『土塊一家』ロランの血を滲ませた奮闘。
とはいえスドリックからして、もはやどうしてここまで踏みとどまっているのか、自分自身でも分からない。
アーレ=ラックに絆されたか。正確ではない。王都の連中への反骨心ゆえか。それが全てではない。
とすればやはりその根にあるものは、『土塊一家』と同じ。
「……俺達は傭兵。そしてここは俺達の住処だ。ここで逃げちゃあ、もう取返しがつかねぇ」
「そんなくだらん意地が、命を捨てる理由になるのか?」
討伐軍の言葉を前に、思わずスドリックは力を込めた。
民を救った名誉も、王都傭兵部隊の肩書も、全てを奪われスドリック達はここに落ち延びた。それは即ち、彼らの生涯全てが否定されたのと同じだ。
功績は他人のものとなり。労苦は全て消し去られ。もはや誰もスドリックらを覚えていない。
となれば、もはや誇りも何もなく、野盗にでもなるしかない。そのはずだった。
だが、そんな様に落ちぶれてなお、知っている奴もいた。
――スドリック。君は王都の傭兵部隊で隊長を務めていたらしいな。全身の傷は魔性から民を守った時に出来たものだ。
滑稽だとスドリックは自嘲した。
そんな事のために、ただ一つの意地のために。スドリックはここに立っている。傷だらけの頬が緩んだ。
「くだらねぇ! 俺様はてめぇら雑魚と違ってな! 意地一つはれねぇ命なんざハナからいらねぇんだよ!」
そんなスドリックの吠えに呼応するように、中空に稲妻が輝いた。
まるでグランディス全体を鼓舞し、討伐軍全てを飲み込まんとするかのような雷鳴。
これぞ討伐軍が最後の一押しを押し込めない理由。
魔導士、『雷鳴』フォルティノ=トロワイヤがなお健在である事。
「いいか! ここはフォルティノ様が幾らでも任されてやる! 怪我人はとっとと引っ込んでろよ!」
雷鳴が唸ると同時、フォルティノの檄が飛ぶ。しかしもはやそれで引き下がる者は、この大通りにはいないのだ。
フォルティノは理解した上で、大きく舌打ちをして言う。
「ああ、本当ここ馬鹿しかいねぇ! あいつと一緒じゃねぇか!」
「そいつは、まぁ否定できんな」
頭に包帯を巻き、前線に復帰したロランが口にする。誰もが一人の男を思い浮かべていた。
それが誰かを口にしないまま、フォルティノは宙を一歩駆けて前へと出る。
敵前線には、『盾』を構えたエルディアノのギルドメンバーが居並んでいた。
かつて同じギルドに所属したからこそ、彼らはフォルティノの恐怖も、対策もよく理解している。
「全員、盾を構えろ! 来るぞ!」
フォルティノはその言葉を、噛みしめるように聞いていた。タイミングを完全に掴まれている。
振り上げた杖に纏わりつく魔力は、もう止められない。
「――ぶち抜けッ! 『雷鳴』!」
稲光がうねりをあげながら、凄惨な結果をもたらすべく宙を疾走する。
常ならば、それは間違いなく敵を殲滅する。自然の猛威を借り受ける魔導は、人類種の抵抗を許さない。
「盾ぇ! 堪えろぉッ!」
だが、それでなお抗おうとするのが、人類種の性分であろうか。
討伐軍がフォルティノの雷鳴を前に差し出したのは、前線を支えるように隙間なく構えられた大盾の集団。
誰もが息を呑み、その結末に眼を開く。
次の瞬間、雷鳴と大盾が正面から衝突した。空間が絶叫するように震え、容赦なく大気を明滅させる。大盾の一部が損壊し、圧力に耐えきれず一部の兵が打ち倒された。
しかし。
「……はん、粗悪乱造も、時には使いようってか」
被害はそれだけで済んだ。フォルティノの渾身を前に、余りに軽微。損壊した大盾は、即座に後ろに備えていた兵が補充する。
フォルティノは当然に、この大盾の正体を知悉している。
『ロンリアスの盾』という分類に属する、付与『技能』だ。
付与技能は単なる魔力による武具の強化に留まらず、武具そのものに特殊な効力を持たせる事が多い。
例えば、物品の真贋を鑑定する機能を有した眼鏡。
例えば、使用者のコントロールを必要としない、自動追尾性能を有した使い魔。
精製技能のように一からモノを作り出すわけではない分、その性能は対象の機能を特化する事に偏る。反面、魔力リソースの使用は最低限度で済むといったメリットがある。
ロンリアスの盾は、文字通り盾の機能を向上させる――特に魔導に関して、類を見ないほどに威力を低減、分解させる機能を有している。
その性能は注ぎ込んだ魔力に左右されるものの、腕の悪い術者でも一度だけなら十分モノになる盾を作れる、エルディアノだけが完成させた秘蔵技能。
「あーあー、あんなもん作るのに協力すんじゃなかったぜ」
――かつてフォルティノが、魔導を用いる魔性に対抗するため、エルディアノ内で完成させた技能。その効力は保証済みだ。
通常、技能はどのような条件をくみ上げ、どのような魔力構成とし、どのような使用制限をつけるかは術者のみが知りえる。
技能の詳細を知られてしまえば、もはやその探索者は裸にされたも同然。有用な技能であれば、同業者に盗み取られる事さえある。よって技能は口伝でしか伝達されず、使える者は常に限定的。
それを初めてギルド単位での開発に着手し、成功させたのがアーレ率いるエルディアノであった。
まさかこのような形で使用されるとは、フォルティノも想定さえしていなかったが。
「……フォルティノ様。もはや抵抗は無用な被害を生むだけ。投降してください」
エルディアノの探索者が一人、進み出るようにして言った。
その言葉に裏は見えない。客観的に見れば、紛れもない事実だ。
フォルティノ率いるグランディス勢力は徐々にではあるが押し込まれ、討伐軍は勢いを取り戻し始めている。
後はもはや、フォルティノの魔力とロンリアスの盾。どちらが先に尽きるかという勝負。
――そうしてこのまま同じ攻防を続ければ、先に膝をつくのはフォルティノであろう。
すでに指先に痺れを覚え始めていた。魔力切れが近い証拠だ。
夕暮れ時の太陽が、少し青ざめて見える。雲行きも怪しい。
戦況がここまで長期化するとは、フォルティノも討伐軍も予期していなかった。
「フォルティノ様は最後まで立派に抗戦されました。今までの功績を踏まえれば、パール様もフォルティノ様も助命されましょう。お二方が作られたエルディアノのためにも。どうか、ここで」
エルディアノ側からの申し出は、真にフォルティノを慮ったものであったかもしれない。
その奮戦を称え、またフォルティノを慕う思いの発露であったのかもしれない。
きっと声に応じる事は賢明で、ロランやスドリックらの命を助ける事にも繋がる。
フォルティノは美麗な紫髪をかるくかきあげ、痛切な感情を飲み込んだ。
やはり、自分は弱い。
アーレのように、自己の尊厳を守るために立ち向かえない。パールを真似て、敵を力で打ちのめす事も出来ない。ルヴィみたく、器用に立ち回る事も無理だろう。
魔導士の喉は、錆びれたような声を出した。
「……ロラン、スドリック。悪いがよ」
「嬢ちゃん」
痛感する。フォルティノ=トロワイヤは何時まで経っても、あの日、雨に打たれて蹲っていた子供なのだ。
誰にも慮られず、誰からも侮られ、認められる事さえない。本当に。何て無様な在り方だ。
――未だ、こんなくだらない戯言を敵に吐かせてしまうなんて。
「悪いが、お前らには最後まで付き合ってもらう。自分が引くだなんて都合が良い事考えるんじゃねぇぞ」
「フォルティノ様ッ!」
「黙れ」
フォルティノの頬を、雨が打った。まるで彼女の感情を代弁するかのように、雨粒が鮮烈な勢いを持ち始めている。
魔導士の瞳から緑色の魔力が滲みだし、エルディアノの面々へと向けられた。
「――詰まりてめぇらは、こう言いたいわけだ。エルディアノを作り上げ、一大ギルドと成したアーレの功績は踏みにじったけれど。死ぬかもしれなかった追放さえ見逃したし、今こうやって殺そうとさえしているけれど。エルディアノの旨味は吸いたいし、パァルと自分の名は欲しいから、全てを水に流して仲良くやっていきましょう」
しぼりカスほどもあった、僅かな寂しさと哀れみがフォルティノの内から消えていく。
エルディアノの面々が、顔を歪めたのが見えた。きっと奴らの中では、アーレが敵対者である事は既定路線で、罪悪感さえ失い始めていたのだろう。
で、あるならば。
「お前らの性根はよく分かった。もうエルディアノは、かつて自分たちが作ったギルドじゃねぇ。居場所無き者の為のギルドは、もう消え失せた。他者を慮らない者を、このフォルティノ様が慮るいわれはない」
厳粛で冷たい鉄の如き声が、中央通りに響いた。
「――お前らは例外なく殺すぞ、今ここでな」
『雷鳴』が唸りをあげる。全身に残った魔力全てを汲み上げ、降り注ぐ雨粒を巻き込んで、魂を吐き出すかの如き絶叫を響かせた。
それそのものが彼女の怒りであり、悲哀であり、嗚咽である。
フォルティノは精神面においては、むしろパール達よりも普通の探索者に近い。決して強くなどない。探索においても、必死に自分を奮い立たせてようやく前に出られる。
だからこそ、期待があった。ここにいる彼らはルッツに脅されて、無理やり従わされただけ。本当は、何とかしてアーレの力になろうと動いてくれるはず。
だが。
「く、そぉ……あいつの、勇者の言う通りだったのかよ……!」
人は恩など容易く忘れる。
一度手を差し伸べられれば、次はそれを当然と考える。与えられたものを、自分で勝ち取ったと誤認する。居場所無き者のための場所を、自分たちで占領しようとする。
誰もかれも、真に救えなどしない。
ゆえに彼は――決して報われはしないのだ。
そう語った勇者の横顔が、フォルティノの脳裏に浮き上がる。何度も否定し、だからこそよりギルドの力になろうと心掛けた。
その結果が、これか。
雨粒がどんどんと勢いを増し、空は暗雲が覆いつくす。指先の痺れを忘れて杖を握り、フォルティノは言葉を紡いだ。
「汝、四つの理を通じて一と成す。我、一を知りて四に語らん――」
フォルティノが振るうは『技能』ではなく、体系化された『魔導』である。
魔導は定められた道筋を辿れば、同じ結果が出力される魔のシステムそのもの。普段のフォルティノのように、熟練さえすれば一部を省略も出来るが、本来は詠唱や儀式を通じて顕現させる。
それに強く反応したように、討伐軍が動いた。
「盾! 全員前に出ろ! これで最後だ!」
本来ならば、最大出力を放出しようとする魔導士は、詠唱中に殺すのがセオリー。
しかし、ロランやスドリックといった面々がそれを許さない。彼らは例え殺されてでも時間を稼ぐ。
それを幾度もの攻防で理解したからこそ、討伐軍は守りに回った。
予備も含めた全てのロンリアスの盾を押し出し、『雷鳴』を押し止めんと構える。フォルティノの全力を受け止めれば、後は敵陣に雪崩れ込むだけで全てが終わる。
誰もが想定した以上に長引いた、グランディス市街地戦の終局がここにあった。
「――我は汝を開錠す。汝は空の覇者。汝の威光を知らしめよ。飛び行く限り彼方まで。飛び行く限り空の果てまでッ!」
もし、これがパールであったなら。更なる力をもって敵陣を突破する事を選ぶだろう。
それが彼女の矜持であり、意地であり、誇りである。
だがフォルティノにそんなものはない。彼女にあるのは恐れと、弱さと、怯え。武人ではなく、強者でもない。
だからこそ、どんな手段を使ってでも敵を殺す。
雷鳴を幾度も見せびらかしたのは、ロンリアスの盾が有効であると示すため。
それに魔導とは自然の大気と魔力を呼び込み発動するもの。ならば使い続ければ、必ず何処かにしわ寄せがくるもの。
例えば、真なる雷を呼び込むこの大雨のように。
空がフォルティノの詠唱に呼応するように咆哮し、光を放つ。稲光が、断続的に鳴り響く。雨は大粒となり、もはや嵐を思わせる色彩を放っている。
本当に残念だと、フォルティノは思った。もしもエルディアノの面々が少しでも改心したならば、殺さなくてよかったのに。
本当に良かったと、フォルティノは思った。裏切り者をここで殺せて。
魔力が、杖に乗って炸裂するように唸った。
「汝来たれり。ここが空の果て。地上の果て! ――『大雷禍』の果つる所なりッ!」
雷――神鳴りが、轟音を伴って討伐軍へと降り注ぐ。雨雲に蓋をされた空が、真昼のように輝いた。
太古から、それは人の触れられぬ領域。人の抗えぬ神域。人はなお、自然を克服出来ていない。
あろうことか、神威の顕現を小細工如きで防ぐことができようか。
それこそは古来から、一たび落ちれば決して獲物を逃さぬ運命の一撃。
「ひぎゃ、か、ぁぁぁ゛あ゛!?」
「なん、で……盾、が、ぁ……!」
全ての速度を置き去りに、雷は討伐軍を食らいつくす。抵抗も、逃亡も許されない。
ロンリアスの盾ごと、肉が焼け落ち、骨が砕かれ、命が奪われる。
後方に待機していたものさえ、悉くが雷に臓器を食らいつくされる。
そこに残ったのは、もはや黒く朽ちた残骸のみ。
「あぁ、最低だ。本ッ当に、最低だ……! 嫌になる……!」
フォルティノは、涙さえ流して膝を落とした。魔力は完全に尽きた。しかしそれよりも悲しかった。
もはや自らが理想とした場所は、この地平の何処にもないのだ。
あるとするならば。
フォルティノは、邸宅へと続く道を見た。今や新たな象徴となったギルドハウス。
そこから、歪な音が響いてくるのを聞いていた。




