第三十七話『才覚』
ルッツはドゥキアをあわせ四名の部下を連れて、路地裏を駆けた。
小さな路地を馬は通れない。全員が徒歩となり、神経を尖らせて次々と小道を通り過ぎて行く。またどのような形で妨害が入るか、分かったものではない。
だが予想を遥かに上回り、その前進は軽快だった。
敵はすでに全ての戦力を投入しきったのだろう。野盗まがいの連中にさえ出くわさない。まるで、この行動そのものが神に祝福されているかのようだった。
ルッツは祈りに近い気分さえ抱きながら、全力を持って旧王都グランディスを踏破してゆく。
「ここですぜ、旦那。討伐対象の本拠地は」
十数分ほどの行程で、ルッツ達はアーレ=ラックのギルドハウスへと到達した。
少量の安堵。しかし次には全員が警戒を漲らせ、荒れ果てた庭を踏みつぶしてゆく。
ここが敵の本拠だというのなら、どのようなトラップが用意されていてもおかしくはない。
敵が狙っているのは、奇襲によるルッツらの自壊。
事をここまで運びながら、今さら不首尾を起こすわけにはいかない。より一層の慎重さをもって、ルッツは邸宅のドアへと手をかける。
「……まさか、逃亡したか」
意外にも、邸宅には鍵がかかっていなかった。更には内部にも人の気配が全く見られない。
奇妙なほどに静まり返り、本当にここが敵の本拠であるのか、問いただしたくなるほどだ。
しかし再び影に潜んだドゥキアに動揺した様子はなかった。
誤りや虚偽の報告とは思えない。とすればこの邸宅の状況からして結論は一つ。
――アーレ=ラックは無様にも逃亡した。
ルッツは大きく舌打ちをしながら、同時に灼熱の如き熱を持っていた感情が、少しずつ収まっていくのを感じていた。
逃げた。逃亡した。再び奴は敗走したのだ。
味方に戦わせておいて、自分の命可愛さに全てを見捨てて逃げた。
「トップに立つものが一番に逃亡していたとは。これでは戦っている者らは浮かばれませんな」
部下の一人が、あからさまに肩から力を抜いて言った。
このタイミングでも奇襲はこない。こちらが油断した頃合いは、絶好の潮だというのに。
今の今まで疑心を消しきれなかったルッツも、確信を抱き始めた。
もはや、奴はここにいない。詰まり、自分は勝利した。あのアーレ=ラックに。
首こそ取れなかったが、奴は自分から惨めに逃げるしかなかったのだ。それは即ち、格付けが完全に済んだ事を意味する。
奴は追放され、反抗の為に力を蓄えた上で、なおも叩き潰された。
終わりだ――完全に。もはや奴は勢力を築くことは出来ない。栄光は二度と奴の頭上に輝かない。
一つ、また一つと無人の部屋を確認しながらルッツはそう自分に言い聞かせる。
今回の遠征は、これで終わる。そう、誰もが思った頃合いだった。
一階部分、最後の部屋。玄関口から見れば最奥に位置するその扉を開ける瞬間。
ルッツは悪寒を覚えた。過去にも一度、感じたことのある気配。形を得た恐怖が、口から直接入り込み内臓を握りしめる感覚。
馬鹿な。まさか。
勢いよくルッツはドアを押し開く。もはや叩き潰すのと何ら変わらない勢いだった。
部屋は元は書庫だったのだろう。朽ちかけた本棚が部屋を囲んでおり、他の家具は全て取り払われている。
驚愕すべきは、その本棚を埋め尽くすように設置された魔力結晶だ。その所為で、この部屋だけ異様な魔力濃度が維持されている。探索者でなければ、すぐさま体調を崩してしまうほどのもの。
これが悪寒の正体であれば、これが恐怖の原因であれば。どれほど良かっただろうか。
ルッツは部屋に入り込んだ瞬間――部屋の中心部に立つ人物を見た。
「良かったよ。君らが来てくれて。待ってるだけの間抜けになるかと思ってた。そいつは流石に勘弁願いたい」
彼は、そう口を開いた。
まるで世間話でもするような気軽さで。
客人を出迎えるような気安さで。
「酷い顔だな。君たち、僕に会いに来たんだろう。安心してくれ、もう探し回る必要はない」
――元エルディアノのギルドマスター。アーレ=ラックは、待ち侘びた様子を隠しもせずに言った。
「僕はここにいるぞ。ルッツ=バーナー」
瞬間、銀が煌めいた。迫るそれをルッツが直剣だと理解できたのは、反射的に避けた後だった。
背後に控えていた部下の一人の頭蓋が、それだけで容易く切り裂かれる。返しの刃で、もう一人が続けざまに殺害された。
赤く、黒く。二人分の死を祝福するように血液が宙を彩る。
魔力で強化された探索者の肉体を、一息で刺し殺す。以前のアーレでは――否、廃魔現象の罹患者には決して出来ない芸当。
まさか。馬鹿な。いやしかし。
彼が持つ刃には紛れもなく、緑色の魔力が絡みついている。
「どうした、やるんだろう。戦いに来たんだろう。君ら。それとも、僕に殺されるためだけに来たのか」
それならば、それでも良い。そう告げるように、アーレは刃の先をくるりと返し、塗りたくられた血液と脂をはぎ取った。
明らかな不覚。ルッツは瞬きの間に、部下として連れてきた四名の内二名を喪失。
ドゥキアは影の中で息を潜めている関係上、今アーレと相対するのはルッツともう一名のみ。一時的な数の優位も取り払われようとしている。
いいやもしもアーレが廃魔現象を克服したのだとすれば、数など関係がない。この場で全員が殺される。
だが。
「――そうだ、貴様を殺すために来た。逃げ場はないぞ、反逆者」
ルッツはそれは無いと断ずる。
もしも本当に廃魔現象を飲み込んだのならば、邸宅で待ち構える必要はない。前線で他の者を戦わせる必要はない。彼が直接前へと出て、全てを終わらせれば良い。
今は、それが出来ない状態なのだ。その上――この力は全盛には程遠い。五年前とは似ても似つかない。
ルッツは、むしろこれを好機と捉えた。
ここでアーレを正面から打倒し、勝利する。
それでこそ、ルッツはアーレを超えられる。かつて刻み込まれた感情を克服できる。
「良い調子だなルッツ。僕もいい加減、君とのケリはつけなきゃいけないと思ってたんだ。君に付き合うのも、この辺りまでにしておきたい」
ルッツは素早く宝剣ミアノルを構える。急速に魔力が稼働しはじめ、持ち主の魔力を貪るように剣が躍動した。
宝剣とは、魔剣とはこれだ。剣そのものが意志を持ち、使い手を測り、相応しいだけの力を与える。
アーレの持つ単なる鉄の塊と比較すれば、恐ろしいほどの質の違い。正面から打ち合えば間違いなくこちらが勝利する。
「それはこちらの台詞だ。アーレ=ラック! 貴様さえ、貴様さえいなければ。全ては上手く回っていた。貴様など、取るに足らん存在だったはずだ!」
ルッツ=バーナーは決して才無き探索者ではない。
むしろ才覚に溢れる事を誰もが認めている。若くして『技能』を有し、エルディアノにおいても比肩する者はそう多くなかった。
それこそが周囲の評価であり。そうして、彼自身の認識にも大きな相違はない。
幼き日から、ルッツは優秀だった。必ず他者を抜きんでて、勝利する者を宿命づけられていた。
だからこそ彼は――自分の与えられた境遇が許せない。
バーナー家に与えられた、没落貴族という境遇。ろくな資産はなく、常に不名誉だけが付きまとう。
父母は日ごろから家名の復興をと唱え続けたが、どちらもルッツから見れば名ばかりを気にする無能な人間だった。兄弟姉妹も同じ。彼に追いつけるものは誰もいない。
ルッツはそれだけの才覚を持ちながら、不遇な境遇ゆえに探索者として功績を求めざるを得ない。
即ちそれは、不埒な浮浪者や、野盗崩れと同列とみなされるのと同義。若き日のルッツの尊厳を、どれほど傷つけた事か。
しかしそれだけなら、まだルッツは耐えられたに違いない。自分がどれほど不遇であれ、才覚が抜きんでているのであれば、神の与えた試練と受け止められる。輝かしい将来を糧と出来る。
彼に敵う者が、いなかったのであれば。
「ルッツ様――」
「――呼吸を合わせろ。一息で行く」
しかしあの日、全ては崩れ去った。
ギルド同士で手を取り合い、共同で魔性に立ち向かったあの日。
大図書館や蛇の集会、そうして――エルディアノも含めた大規模探索。
そこでルッツは見た。見てしまった。
数多のギルドを統括し、暴力的なまでの力で魔性をねじ伏せる彼を。
まるで魔そのものを睥睨するかのように、自在に魔力を操って見せる彼を。
その時ルッツは、取り返しの付かない感情を抱いた。
――自分はアレに届かないのではないか。
だからこそ、であるからこそ。ルッツはアーレを殺さなくてはならない。超えなくてはならない。この先へと進むために。
ミアノルを構えながら、ルッツはアーレの周囲をゆっくりと半円を描く様に動く。
隙を伺うように、勝機を見出すように。
部下の動きもまた同様。ならば後は、呼吸が合う瞬間を見出すのみ。
エルディアノのギルドマスターになる前から配下としていた探索者だ。呼吸の合わせ方は心得ている。
瞬きの目くばせ。決断は一瞬。部下はルッツより前に出て、アーレへと斬りかかる。踏み込む速度に不足はない。間合いの取り方も完璧だ。
けれども――当然のように、アーレの刃は彼の心臓を抉りぬいていた。
「――ッ!」
技量か、経験か。それとも魔力の加速が違うのか。かつてパールと渡り合っていた腕は決して失われていない。
しかしルッツは、部下の死に驚愕も悲しみもしなかった。当然の事と捉えていた。
まさか部下が、アーレの首を取れるとは思っていない。そんな事があってはならない。
必要なのは、彼がアーレの視界を遮ってくれる事だ。
アーレが、部下の心臓を抉ったと全くの同時。ルッツもまた前へと踏み込んでいた。
その刃は――部下の身体を貫通し、そのままアーレの腹へと突き刺さっていた。
「っ、が……これが、君の流儀か。ルッツ=バーナー!」
「ハハハハ! これは探索ではないぞ、アーレ=ラック!」
その声には、悦びが満ちていた。まるで、未来を祝福するかのような音色であった。




