第十九話『無垢なる愛』
時は暫し遡り、旧王都のカルレッシアが邸宅。
アーレ=ラックが消えていった扉の前に、そうそうたる面子が居並んでいる。
竜騎士パール=ゼフォンは扉に耳を押し当てながら、神妙な顔つきで奥から響く音を探り当てる。
魔導師フォルティノ=トロワイヤは顔を青くしながら扉の近くで縮こまり、彼女らの後輩たるルヴィ=スチュアートは、小首を傾げながら様子を見ていた。
「はい。先輩方は何をなされているのですか?」
「静かに。おかしな音がしないか、耳をすませてるんだよ」
「嫌われた……。自分はあいつのためを思って言っただけなのに……。あいつのためにしてやってるのに……」
情緒不安定というべきか。ある意味で安定しているというべきか。
ルヴィはルヴィで、平静な顔つきをしていながらも、落ち着かないようにがちゃがちゃとクロスボウの整備を続けている。
彼女らの考えはそれぞれの方向にひた走っているが、想いは一つだったのだろう。
即ち、何事かあればこの扉の先へと踏み入ってみせる。それこそ誰よりも早く。
「ふむ、フォルティノ。どうかな、まずは君の魔導でこの扉を破ってみるというのは」
「……んな事して、あいつに嫌われたらどうすんだよ」
「ボクもそう思ってる。だから君に頼んでるんだ」
「ぶっころすぞお前!?」
竜と獅子が、あたかも噛みつき合うように視線を絡ませる。一触即発、とまではいかないが。些細な刺激が彼女らの『切っ掛け』になりかねないのは確かだった。
どうやら人数分のお茶を持ってきてくれたらしい使用人を前にしても、三人の態度は変わらない。
ルヴィはティーカップに瑞々しい唇をつけて口を開く。
「――如何です先輩方。宜しければ、私が監視役としてこの場に残り、お二人は応接間で寛いで頂いても構いませんが」
「あぁん。嫌だね。あいつがこの先にいるってのに、どうしてこのフォルティノ様が別の場所にいかなきゃならねぇんだ」
それに、とフォルティノは紫瞳を輝かせて言う。顔には怪訝な色合いが浮かんでいた。
指先がするりと杖を取り出し、ルヴィへと突きつける。
「前提として、自分はお前を完全に信用した覚えはねぇぞ。嘘は言ってねぇかもしれねぇ。だが、よくわからねぇ事が多すぎる。あいつが追放された時、一番に駆け付けたって言ってたが。そいつは何でだ」
紫の頭髪が、苛立ちに反応するようにばちりと跳ねた。
それは紛れもなく、敵意の予兆。フォルティノの感情が、ぐるりと悪意の舌を見せている。
「それは、ボクも気になってたんだよね。アーレに聞いても、助けられたのは間違いない、とかはぐらかすけど、ボクは彼ほど甘くはない」
フォルティノの傍らで、パールがいつの間にか槍を構えていた。
彼女らの呼吸の合わせ方は、昼間に殺し合いをしたとは思えないほど完璧だった。かつて一つのパーティであり、背中を預け合った関係だ。もはや血縁よりも深い縁が両者の間には横たわっている。
その二人がルヴィに双眸を向け、疑念と敵意を込めて言う。
お前は一体、何者なのか。
「弱ったふりをして、助けるふりをして、彼に近づいてくる輩は幾らでもいた。もしかすると、君もその類かな?」
竜を彷彿とさせる獰猛な瞳が、ルヴィを見据えていた。
しかし彼女は怯えるのでも敵対するのでもなく、すぐに両手をあげてみせる。
「まさか、違います。私はただ先輩を慕ってついてきただけの、可愛い可愛い後輩ルヴィですとも」
「慕って、ねぇ」
フォルティノは疑心を隠さずに呟いた。
先ほどからそうなのだが、彼女の言葉に嘘は見えない。真っ当な事を口にしているし、パールやフォルティノと比べれば随分と常識的だ。不審な様子もない。
けれど――だからこそ奇妙だと、フォルティノの胸中が嘯く。
この時勢、普通の人間はアーレの味方になどつかない。まして殺せる機会がありながら、自ら助け出すなどあり得ない。彼の首一つで、ルヴィはエルディアノで確固たる地位を築けたはずだ。
真っ当な人間であるならば、正常な人間であるならば、間違いなくそちらを選ぶ。例え僅かな道徳心ゆえに死にかけの彼を見逃したとしても、決して関わろうとは思わないはず。
「それだけじゃあ、ちょいと理由には弱いよなぁ。ええ?」
「とはいえ、君が彼を助けたのは事実だ。例え他に目的があっても殺しはしない、見逃すよ。『彼女』の関係者とは聞いているしね」
彼女。即ち、現代の勇者。エルディアノの頂点にして、メイヤ北方王国の象徴。彼女の関係者というだけで、最低限の信頼は置ける。
パールとフォルティノに詰め寄られ、疑念と敵意を正面から浴びながら。しかしルヴィはやはり変わらなかった。
――真っ当で、正常なままであった。
「いいえ、それ以外の理由はありません。私は、ただ先輩を慕ってお近づきになりたいだけです」
両手をあげたまま、薄い表情のまま、ルヴィが唇を瞬かせる。
パールとフォルティノが、流石に目を見合わせる。相変わらず、ルヴィに怪しいと言える所はない。それどころか、この状況で怯えたり言い淀む様子さえも見えない。
異常な状況で真っ当である事が、更なる異常であると理解していないかのよう。
二人は、このような人間を一人知っていた。しかし、『彼女』なわけがない。瞳の色も違えば、立ち居振る舞い、何より存在感が全く違う。
そんな二人の戸惑いを知ってか知らずか、ルヴィは続けた。
「先輩は、変わった方です。ああも、報われない生き方が好きな方はそうおられません」
「報われない、だぁ?」
「はい」
反射的に問い返したフォルティノに対し、ルヴィは生き生きとした様子で答えた。
無表情に近しい彼女の顔が、この時ばかりは恍惚として、煌びやかに見えた。
「初めてお会いした時からそうです。味方になっても価値がない、もしくは味方になりそうもない相手にも手を差し伸べる。不要な施しを差し出して見せる。敵に寛容である所か、時に認めてさえみせる。組織の主として、驚くべきほどの悪癖ではありませんか。そも、今回の追放に関しても同じでしょう。本来、ギルドの為に自分の立場を危うくする必要などありません。むしろ、王室に逆らわず従順であり続ければ、更なる富と地位を得られたはず」
早口でまくし立てるように、自分の感情を一気呵成に吐き出さんばかりにルヴィが言う。
パールか、フォルティノか。それとも両者同時であろうか。この時ある種の感情を、彼女らはルヴィに抱いていた。二人の瞳に抱く色合いが変わっていく。
「しかし先輩はそれをしない。異常者です。確実に何かが欠落している。きっとあの方は報われません。人のために尽くしながら認められず、成し遂げた偉業は見捨てられ、その成果は悉くを奪われる。復讐を嘯きながら、他者の幸福を愛する方です。短い期間ではありますが、私は先輩をよく『知った』のです。――何て、愛おしい方でしょう」
絶望とは、単純な色合いをしているという。即ち、汚れなき純白だ。
ルヴィが表情を和らげて微笑み、笑う。本当に嬉しそうに、心の真から本心でもって歪んだ愛を口にする。彼が不幸である事を愛しているのか、それともその在り方を愛しているのか。
きっと、ルヴィに問いただした所で欲しい答えは返ってこない。
「……本当に、性質が悪いな。勇者の知り合いって皆こうなのかい?」
「聞くなよ。自分にしてみりゃ、お前だって十分最悪だ」
自分の事を置き去りに、フォルティノとパールが悪態を口にする。
しかし二人の瞳に不信の色はもうない。あるものはただ、ただ。
――恋敵を前にした敵意のみであった。
例えどれほど歪であっても、例えどれほど異常であっても。彼女らはソレを理解する。決して虚偽ではなく、決して贋作でもない。意味も理由も存在する愛なのだ。
ならば肯定しよう。ならば打ちのめしてみせよう。それこそが恋する乙女の在り方なのだから。
「――いや、何してるんだ君ら」
扉の前でにらみ合う三人を、どこか清々しい声が横切った。
アーレ=ラックが、僅かに魔力を通した身体を扉の先から持ち帰っていた。




