本作品は完全な創作であり、実在の人物等との関係は一切ございません。
ここから三十八本ほど離れた別の世界線の話。
「くじらでーす!」
「やしたでーす!」
「ふたり合わせて」
「「カンパネルラでーす!!」」
パチパチパチパチ……
「どしたん、やしたさん、髪切ったん? 前はあれや、ゆるふわロングの毛先くるくるストレートボブやったやん」
「どんな髪型ですかそれは。いや、ちょっと思うところがありまして、肩までボブを少しマッシュウルフにしただけですよ」
「なになにそれ、マッシュウルフ言うん? 覚えとかな。あとで聞かれて答えられんかったら、また楽屋でやしたさんに叱られるし」
「叱りませんよ、そんなので」
「嘘やん。おとついもやしたさん、僕のことどーんてどついて床にだーんて転ばしたやん」
「あれは楽屋でくじらさんがアレを見せたりするからですよ」
「アレ? アレってなんですか? ちゃんと言うてくださいよ。言葉で! ほら、お客さんも興味津々ですよ。あのゆるふわロング毛先くるくるストレートボブ改めマッシュウルフのやしたさんがアレとか言うてるって。アレはやっぱアレのことかしら。やしたさんたらまぁやらしいって」
「違いますよ! アレというのは……Gですよ、G! 関東以西の日本全国に広く分布して部屋の中をカサカサ這いまわる平べったくて黒い奴! それを、楽屋に戻ったらくじらさんが退治したでってスリッパどかして見せたりするから」
「そんなん言うたかて、どかさんと処理できひんし」
「わざわざ呼びつけて目の前で見せたりするからいけないんです!」
「もうホンマ、どーんですよ、どーん。で僕はだーんですよ。びっくりしましたわ。息子の仇討ちに現れたゴキのお母さんか思た」
「誰がゴキのお母さんですか、ホントにもう」
「違たんか!」
「違いますよ! 誰のお母さんもやったことないです」
「てことは、ゴキの婚約者か」
「どうしてそうなるんですかっ!?」
「いや、えらい血相変えてどついてきたから、これはてっきり親族の方かと」
「あんなのと姻戚関係だったら私、家出します」
「え? やしたさん尼になるん?」
「それは出家です!」
「まままま、いいでしょう。わかりました。やしたさんはゴキのお母さんやなかったということで」
「親族でもありませんから」
「ところでやけど、さっきちらっと言うてた『ちょっと思うところがありまして』の思うところというのは、いったいなんなんですか?」
「そこ、戻るんですか?」
「そらそうや。定員二百三十六名の半分がたを埋めてくださってるお客さんに大人気の……」
「規模ちっさ!」
「そのやしたさんがですよ。あんだけ長かった髪をバッサリ切ってしまうくらいの『思うところ』ですよ。そらみんな、理由が知りたい思うてるに決まってるじゃないですか」
「肩までだったからほんの十五センチくらいですけどね」
「そーゆー問題じゃない! 十五センチか十五メートルかは関係ないんです。髪は女の命言うじゃないですか。その命をですね、バッサリ逝かせてしまうほどの思いとは、いったいどんなモノなんですか、と」
「いや、そんなたいしたことではないんですけど」
「いいや。たいしたこと、ある。あるに違いない。婚約者をスリッパで叩きつぶされたくらいの壮絶な思いが」
「フィアンセじゃないって言ってるのに」
「ここだけの話ですけど、やしたさん、僕に惚れとるんですよ」
「はぁ?」
「今もですけどね、こうやってふたりして並んで立っとると、やしたさん、僕のことしか見てないんです」
「いや、そういう舞台ですから」
「常に僕の一挙手一投足を目で追ってますのんやから」
「相方の動き見落としたらたいへんじゃないですか」
「相方言うた! 皆さん聞きましたでしょ、相方て。相方言うたら恋人でっせ。愛人でっせ。うわぁあかん。僕、こんな公衆の面前で宣言されてもうた。フラッシュモブや」
「くじらさん、本気出して怒りますよ」
「どないしょ僕。やしたさんにここまで惚れられてもうた」
「惚れてない!」
「惚れてる惚れてる。こないだかて言うてたやないですか。もう私、くじらさんに養うてもろて部屋でごろごろポケモンして暮らしたいわって」
「う。それは、言いましたよ。言いましたけど、それ、惚れてるのと違うでしょ」
「どこが違うん? あ、あとこんなことも言うてたわ。僕がインスタで上げてたパスタの画像見て、こんなんやったら毎日つくって欲しいって」
「それも言いましたけど、それ、イコールじゃないですよね。惚れてるのとは」
「イコールやないかもしれんけど、ニアイコールやん。あなたのつくるパスタを毎日食べたいって、これはもう、プロポーズの言葉ですやん。うわあ」
「うわあじゃないっ!」
「でもな。あかんねん、やしたさん。僕はな、妻も子もおる男なんや。そんな男に惚れたらいかん」
「知ってますし。あと惚れてないし」
「もうわかりましたね皆さん。やしたさんが髪切った理由はこれなんです。惚れた男、まあ僕なんですけど。その男が妻子持ちやって知ってしまった。自分の想いを遂げるためとはいえ、誰かの幸せをゴキのように踏みにじるんは許されへん。この気持ちを無かったことにするんには、自分の中の何かの命を奪わんといかん。ね。わかりますよね。そうなんです。美容室の床に散ったゆるふわロング毛先くるくるストレートボブ十五センチは、僕を深く愛してしまったやしたさんの心だったのです!」
「もう勘弁してください、くじらさん。わかりました。言います。言いますから、切った理由。だから横から茶々とか入れないで黙って聞いててくださいね」
「わかりました。きっちり論破していただきまひょ」
「論破じゃないし。ま、いいや。えっとですね。このたび私がヘアースタイルを変えた理由をお話しします。昨日の夜、実家の玄関周りの雪が邪魔になるくらい積もってまして。でもうちの家族、そういう雪掻き的なことはなかなかやらないんです。誰かが先にやってくれるのを待つっていうか。そういうチキンレースに弱いんです、私。で、しょうがないからスコップ探したんですよ。廊下の端にある開かずの納戸を開けて。スコップは奥の方にあったので、それで雪掻きしました。ほんの五分くらいでしょうか。そこそこ綺麗になったしお眠の時間にもなってきたので、適当なところで切り上げたんです。疲れてたしお湯沸かすのも面倒だったから、その日はシャワーも浴びずにそのまま」
「やしたさん、悪いけど話長いわ」
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい。あとちょっとだから」
「ええけど、早よしてな」
「はい、はい。で、翌朝です。起きて鏡見たら、髪が凄いことになってたんです。なんかもう毛先のあちこちに蜘蛛の巣が張り付いてて。慌ててシャワー浴びました。髪の毛をいつもの三倍くらいしっかり洗ってから、乾かしてセットし始めたんです。でも、なんか気持ちが悪くなっちゃって。毛先に付いてた蜘蛛の巣のイメージが生々し過ぎたんでしょうか。なんにせよ、この毛先とはこの先ちょっと付き合ってあげられないなと思ったので、急遽美容院に予約入れて髪型変えて、イマココです」
「てことは何? やしたさんが今日髪切ってきたんは、蜘蛛の巣の所為ってこと?」
「まあ、そうなりますね」
「おまけになんや。同棲相手は蜘蛛さんかい!」
「うふふふふ」
「うふふ、やないわ! なんやその夢もロマンも無い理由は。ひとがせっかく覚悟決めたろ思てたのに。この浮気もんがぁ」
「浮気とかしてないし。ていうか、覚悟ってなんですか?」
「この世界線ではやしたさんと一緒になってあげることはできひんけど、別の世界線ではきっと番になろなって」
「つがい? 夫婦とかじゃなくて?」
「そうや。番や。そんで、家でごろごろしてるやしたさんのために外で走り回ってごはん獲ってくるんや。雀とか鶉とか栗鼠とか」
「スズメ? ウズラ? リス?」
「そうや。だってやしたさん、犬ぞり狼やろ」
「「ありがとうございましたぁ」」
パチパチパチパチ。
繰り返しますが本作品は創作で、実在する名称とは相似も一致もありません。
ホントですったら!