03.心の声が聞こえてる?
そして迎えた当日、私はお父様とお姉様と並んで屋敷の前に立ち、緊張しながら二人を出迎えた。
馬車から降りてきたヴィンセント様は、今までに見た事がない程の金髪碧眼美男子。少し憂いを帯びた表情がまた、色気と魅力を醸し出していた。
確かに令嬢達が夢中になるのは頷ける。男性の事に疎い私でさえも、思わず目を奪われた。
チラリと、横目で隣りのお姉様を伺うと、目にハートマークを浮かべ(たように見えた)、口を開けたままポーっと見惚れていたので、その口の端から垂れ落ちそうなヨダレを、ハンカチで拭いて差し上げた。
恐らくお姉様の脳内では、すでに彼と結婚式を挙げている映像が流れているのではないだろうか。と、思考を巡らせていると、声が聞こえて来た。
(ふぅ……なかなか長い道のりだったな)
その声は、耳から聞いたというよりも、脳内に直接響いてくるような感覚だった。
それを裏付ける様に、その声に対して誰も反応を示していない。
低い男性の声で、色気のある声色。
もしかして私は声フェチなのかもしれない、という新しい自分を発見した。
(二人……? どちらかが俺の婚約者候補になるという事か)
その口ぶりから察するに、これはヴィンセント様の声だろうかと思うが、彼の口はさっきからずっと閉ざされたまま。
口を閉じたまま喋る事が出来る特技でもお持ちなのだろうか。
そんな風に思ってしまう私は、どうやら少し混乱しているらしい。
(だが、どちらでも関係ない。いつも通りやるだけだ)
いつも通り……?
「あ、ちょうちょ発見!」
そう叫ぶと同時に、ヴィンセント様は大きく瞳を見開くと、堂々と上空を指さした。
その指の指す方角には、パタパタと空を舞う一匹の蝶々。
すると、ヴィンセント様は嬉しそうに笑いながら蝶々を追いかけ始めた。
……幻聴が聞こえてきたかと思えば、幻覚まで見え始めたのだろうか。
「待て! ヴィンセント! まだ挨拶は済んでいないぞ!」
ヴィンセント様に次いで馬車から降りて来たのは公爵様だろう。
せっかく念願の公爵様に会えたという感動を感じる間もなく、私の視線はヴィンセント様の奇怪な行動へと向いてしまう。残念ながら、これは幻覚ではないらしい。
公爵様の制止も虚しく、彼は蝶を追いかけて私達の目の前でクルクルと走り回っている。
そんなヴィンセント様の姿に、私達家族は呆気に取られたまま固まった。
暫くして「ははは。元気が良くて何よりですね」と、お父様が必死にフォローしようとしていたけど、もうすぐ二十歳になる青年を見て言う感想ではない。
その時、再び私の頭の中に先程と同じイケボイスが響いてきた。
(挨拶なんて必要ない。どうせすぐ断られて終わりだ)
……何なのこれ?
目の前のヴィンセント様の行動も不可解だけど、それよりもこの謎の声の方が気になってしょうがない。
周りを見渡しても、私達以外に誰かいる訳でもないし。
それに内容的にも、やはりヴィンセント様が声の発生源だとしか思えない。
まさかとは思うけど――。
すると、公爵様が申し訳なさそうな様子で私達に声を掛けてきた。
「見苦しい場面を見せてしまい、大変申し訳ない。実はヴィンセントは、十八の時に崖から落ちて頭を強く打ってしまって……それ以来、ずっとあんな調子なのだ」
(頭を打ったふりをしただけだがな)
「医師の見立てでは、頭を打った衝撃で脳にダメージを受け、知能が低下し子供返りしてしまったのではないかと言われている」
(してないけどな。子供のふりをしているだけだ)
「あんな調子なもので、いつまで経っても婚約者が決まらず……。今までに何人もの令嬢と顔を合わせをしてきたが、全て断られてしまったのだ。まあ、あんな姿を見せられては仕方が無い事だと思うのだが……」
そう言うと、公爵様は深い溜息をついて肩を落とした。
(女は嫌いだ。ベタベタと触ってくるし、何処へ行こうにも付き纏ってくるし、なぜか髪の毛まで送りつける奴もいる。睡眠薬だの媚薬だのを仕込んできた奴もいたな……。そんな奴らと婚約なんて絶対嫌だ。結婚して同じ屋敷に住むなど死んでもごめんだ)
わあ。さすが絶世のイケメン。よっぽど酷い目にあってきたのね。
っていうかこの声、やっぱりヴィンセント様の声よね?
他の人には聞こえてないのかしら? もしかしてこれ、心の声ってやつ……?
私は小さい頃から、第六感とやらが強いらしくて、他の人には見えない物が見えたり、聞こえないはずの声が聞こえたりする。
それもあって、多少の事には動じない自信があるのだけど、人の心の声が聞こえてきたのは今回が初めての事。
どう対応するべきなのかしら。やっぱり聞こえないフリした方がいいわよね?
心の声なんて聞かれて気持ちがいいものじゃないし。
当の本人は、無邪気に蝶を追いかけて今もグルグル回っている。
「待て待てー! あっはははは!」
(さあ、こんな大人げない俺の姿を見て、思う存分幻滅するといい)
目の前で繰り広げられている成人男性と蝶々の追いかけっこ。
頭の中に響く無駄にイケメンボイスな声。
それにしても……この人いったい何やってるの?