18.王太子殿下とクリスティーヌ
「これは一体何の騒ぎだ!? なぜ会場の扉が壊れているんだ!?」
会場内に入ってくるなり声を荒げたのは、先程ここで婚約破棄劇を繰り広げたカロル王太子殿下だ。
突然の王太子殿下の登場なのにも関わらず、会場内の人々はさほど彼に興味がない様子。今はとにかく明日からの我が身を心配する事に必死でそれどころじゃないのだろう。
誰からも注目されていない事に若干の戸惑いを見せた王太子殿下だが、ヴィンセント様の存在に気付くと不敵な笑みを浮かべてこちらへやってきた。
「ああ、ヴィンセントじゃないか。久しぶりだな。こうして会うのは二年ぶりか?」
相手を見下す様なその口ぶりから、彼がヴィンセント様に対してあまり良い感情を抱いていない事がよく分かる。私も王太子殿下に対して良い感情を抱いていないけれど。
「……お久しぶりです。カロル王太子殿下」
ヴィンセント様が無表情のまま言葉を返すと、王太子殿下は怪訝そうに眉をひそめてジロジロとヴィンセント様を観察し始めた。
「ん……? 確かお前は人が変わった様になったと聞いていたが……見た所そんな風には見えないな」
「ええ。どうやら、先ほど階段から落ちた時に頭を打ったおかげで以前の自分に戻ったようです」
……なるほど。そういう事にする訳ね。
そう納得するけれど、心の声が聞こえないから彼が何を考えているのかよく分からない。
今まで心の声が聞こえていた事が普通じゃなかったのだけど……。
急に聞こえなくなるというのも、少しだけ寂しい。彼と心の距離が離れてしまったような……そんな風に思えてしまう。
ヴィンセント様の話を聞いた王太子殿下はバツが悪そうな顔で小さく舌打ちした。
「なんだ。つまらないな。今日は噂に聞いていたお前の姿を見るのを楽しみにしていたというのに」
この男、やっぱり嫌い。こんな男が次期国王とか……この国大丈夫かしら。
「まあ! カロル様! このお方は誰なのですか!?」
突如、王太子殿下の横から身を乗り出したのは、王太子殿下の『真実の愛』の相手、クリスティーヌ。
だが、彼女の視線は一直線にヴィンセント様へと向かっている。その瞳がみるみるうちにハートマークへと姿を変えた(ような気がした)。
王太子殿下はそんなクリスティーヌの様子を見てあたふたと慌てだす。
「クリスティーヌ! あいつには近付かない方がいい! 公爵令息は子供の様な無能に成り果てたという噂は聞いただろう!?」
「まあ! あのお方が公爵令息のヴィンセント様なのね! 噂通りとても素敵だわ! ぜひご挨拶しなくっちゃ!」
「あ! 待て! クリスティーヌ!」
王太子殿下の必死な声も聞こえていないかの如く、クリスティーヌは嬉しそうにこちらへ駆け寄ってくる。彼女の瞳にはもはやヴィンセント様しか見えていないようだ。
愛想を振りまき、ちょっと抜けてる可愛らしいその姿が男心をくすぐるのだろうか。
……っていうかこの子、大丈夫かしら。
あまりにもイケメンすぎるヴィンセント様を見て、隠れていた本当の姿が表に出ちゃっている気がする。面食いの男好きという……お姉様と同じ匂いがするわ。いや、お姉様に悪いから一緒にするのはやめておこう。
クリスティーヌはヴィンセント様の前で立ち止まると、花を散りばめた様な可愛いらしいドレスのスカートを摘んでペコリとお辞儀をする。
「初めまして、ヴィンセント様。私はクリスティーヌと申します」
クリスティーヌの挨拶に、ヴィンセント様はやはり無表情のまま返事を返す。
「ああ。話には聞いている。カロル王太子殿下の『真実の愛』の相手だとな」
「まあ……うふふ! 私の事を知っていてもらえて光栄ですわ」
嬉しそうに頬を赤く染めたクリスティーヌは、なぜか更にこちらへ歩み寄ってくる。
「でも、ヴィンセント様……」
意味深にそう呟くと、クリスティーヌはヴィンセント様に身を寄せ、私を抱き寄せている手とは逆の腕に絡みついた。
「真実は一つとは限りませんわ」
いや真実は一つにしときなさいよ。何を言ってるのこの子。
っていうか、何でこんな状況でヴィンセント様を誘惑出来るの? 私の姿が見えていないの?
……いや、見えてるじゃない。めちゃくちゃ好戦的な眼差しで私の方を見つめてきてるわ。
そう……ええ、いいわよ。やってやろうじゃないの。
ヴィンセント様が他の女性を拒めないのなら、代わりに私が蹴散らしてやるって決めてるんだから。
バチバチと私達が視線を交わす火花を散らしていると、
「クリスティーヌ嬢」
ゾッとする程の冷たい声が聞こえてきた。
そっとヴィンセント様の顔を見上げれば……物凄く嫌そうな顔でクリスティーヌを見下ろしている。
「俺からすぐに離れろ。君のようにベタベタと体に触れてくる女性は嫌いだ」
「え……? あ…………はい」
唖然としたままそう呟き、クリスティーヌはヴィンセント様の腕から手を離した。
そのまま後ろへ後ずさっていくその顔は、表情筋が消え失せたのかというほど何の感情も見られない。まさに、どんな顔をすれば良いのか分からない状態なのだろう。
だけど、それには私も激しく同意する。
まさかヴィンセント様がこんなにもハッキリと女性を拒絶するなんて。
抜け殻の様な姿で戻ってきたクリスティーヌの体を、王太子殿下はしっかりと抱き留め、心配する様に声を掛けた。
「大丈夫か!? クリスティーヌ! だからあれほどあいつには近寄るなと言ったのに!」
いや、今あなたの恋人、思いっきりうちの婚約者を誘惑していたの見てたでしょ? そこはきちんと咎めるべきじゃないの?
なんだろう。この人達には見たいものしか見えていないのだろうか。頭の中がお花畑すぎて逆に羨ましい。どういう心境なのか、心の声で一度聞いてみたいわ。
「やれやれ……。今日の建国記念パーティーはやけに賑わっているようじゃないか」
――その声、その気配に今度こそ会場内から音が消えた。
王太子殿下には全く興味を示さなかった人達も、さすがにハッと顔を上げ表情を引き締めた。
この会場に存在する全ての人間が注目するその人物はもちろん――国王陛下だ。