15.真実の愛
「あらやだ、なんて事を言ってしまったのかしら。ごめんなさいね。つい心の声が漏れてしまったみたい。やっぱりこういう事は例え本音だとしても、心の内に秘めておかないと駄目よね……ふふっ」
おどけて笑ってみせると、彼女達は私と目を合わせない様にするかのように視線を逸らした。
次第にその体がフルフルと震え出す。怖がっているのかと思いきや、その顔は臨戦態勢に入る様に瞳を吊り上げ、不敵な笑みを浮かべて私を見据えた。
「ああ……そういう事ね。どうやら頭がおかしいのはあの男だけじゃなく、あなたも同じみたいね。異常者同士でお似合いですこと!」
「ええ……確かに私は異常者かもしれないわね。怒り任せに王宮の扉を壊してしまうなんて、とても正常な人間がやる行動じゃないわ」
この事に関しては内心めちゃくちゃ焦っているし、後で父上も巻き込んで謝り倒すしかないと思っている。だけどその事は今は心の奥深く底に埋めておく。
「でも、ヴィンセント様を異常者扱いするのはやめてくれるかしら。私の大切な婚約者をそんな風に言われるのは癪に障るわ」
「は? 大切って……あなた、あの男の事が好きだとでも言うの?」
「ええ、好きよ」
「はぁ!? どこが!?」
「紳士的で優しい所かしら」
「紳士的……?」
私の言葉に、文字通り目を点にさせると、令嬢は吹き出す様に笑った。
他の二人もクスクスと口元を押さえて笑っている。
「ふっふふふ……! 紳士的ですって? あんな子供みたいな人の何処が紳士的って言うのかしら!?」
「紳士って言葉の意味を分かっているのかしら?」
「まあまあ、あまり言ってはいけませんわ。あんな辺境の地でまともな教育を受けてるとは思いませんもの」
心底おかしそうに笑う令嬢達に構う事無く、私は次の言葉を放つ。
「少なくとも、こんな大衆の目前に愛人連れ込んで恋人に別れを切り出す男よりは、紳士的で優しい方だと思うわ」
「な……!? あなた、王太子殿下を侮辱なさるおつもりなの!?」
「あら? 私は別に王太子殿下だなんて一言も言ってないわよ?」
「え……だ、だって今のはどう考えたって……」
「どう考えたって王太子殿下だと? まあ……あなた、王太子殿下の事をそんな酷い男だと思っていたの?」
「そ……そんなことは――」
「いいのよ。とても正直で凄く良いと思うわ。あんな不貞な男が将来の国王なんて不安よね。私もそう思うわ」
「ちょっと! 私はそんな事思っていないわよ!」
「あ、ごめんなさい。私って時々人の心の声が聞こえちゃうの。あなたの心の声をつい言っちゃったみたい。てへ」
「なによ……なんなのよあんた!?」
青ざめる表情は今にも泣き出しそうなほどに目に涙を浮かべている。
「おい! 私の娘に何をしているんだ!」
突如横入りしてきたのは小太りの中年男性。
顔を真っ赤にして口元を震わせ、私と対面していた令嬢の前へと割り込む。
「お父様ぁ! うっううう……」
「ああ、マーガレット。可哀想に……怖かっただろう」
感動の再会とでも言うかのように、マーガレットは涙を流して父親に抱きつき、父親はよしよしとその頭を撫でている。
そしてすぐにギロリと目を尖らせ私を睨み付けた。
「よくも私の娘を虐めてくれたものだな。北の辺境伯の娘は随分と素行が悪い様だな」
「マーガレット様の口の悪さに比べたら大した事ありませんけど」
「……なんだと?」
彼女の父親は額に血管を浮かび上がらせ、声色を一層低くした。
ピリピリと張り詰める空気の中、外野が再び騒ぎ出す。
「何? あの子。あんなに泣いてる子の悪口をまだ言うの?」
「素直に謝ればいいだろうに。こんなめでたい場でこれ以上空気を悪くするなよ」
「ちっ……うざったいなぁ。早く帰れよ」
私に向けられる視線は、先程までの好奇の眼差しから嫌悪の眼差しへと変わっている。
チラリとマーガレットの様子を伺うと、彼女は手で顔を覆いながらも、指の隙間から笑みを浮かべてこちらを見ているのが分かる。
あの姿のどこが『儚く脆い存在』なのだろう。『図太くあざとい存在』の間違いじゃないだろうか。
それにしてもいいわね。そうやって弱い自分を見せたら周りが守ってくれるのだから。
さぞ生きやすいでしょうね。
それに比べて、ヴィンセント様はずいぶんと生き辛い生き方をしていると思う。
女性嫌いなのにも関わらず、女性を拒絶する事が出来ない彼は、自分が子供のふりをする事で彼女達が自ら離れていくようにしている。
私との婚約を自分から断らないのも、そうする事で私が少しでもショックを受けないようにするため。
彼は女性を傷付ける事を酷く恐れている。
それは母親を突然失った経験かららしいけれど、私はそれだけじゃないと思う。
ただ単純に、優しい人だと。だって彼は父親や気の許せる友人、誰一人として真実を告げていない。
誰も自分の都合で巻き込みたくないという、彼の覚悟と優しさからじゃないだろうか。
秘密の共有をする事は、相手にも責任を持たせてしまう事だから。
やり方は無茶苦茶だけど、ヴィンセント様のやっている事はそんな簡単に真似出来ることではない。
人は誰だって自分が一番でありたいもの。
良い自分をみんなに見てほしい。醜い部分は心の中に隠して。
少しでも自分の立ち位置を高く見せようと、隙あらば他人を蹴落として。
だけど考えてみればそれって普通の事なのだろう。それが人間の本能なのだから。
そうやって誰よりも魅力的な自分を作り上げ、異性の目を惹き自分の子孫を残してきたのだから。
だけどヴィンセント様のしている事は、それとは全く逆。
本当は優しくて気遣いも出来て頭も切れる。誰よりも優れているであろう自分を心の中に隠して。何も考えていない様な無知な子供を表に出し、周囲から蔑まれ笑われて生きている。
彼にとっては、自分が人からどう思われるかよりも、自分が人を傷付けない事の方が大事なのだ。
そうやって彼は、一体どれだけ傷付いて生きてきたのだろう。
子供だから、無能だから、異常だからって……好き勝手言っていいわけ?
強い人間だから、泣かないからって……傷付かないとでも思っているの?
傷付くに決まってるじゃない。
心がそこにあるのだから。
彼が抱える心の傷に、気付く人はいないだろう。
自分を犠牲にしてまで人を思いやる彼の優しさにも、誰も気付きはしないだろう。
彼がひたむきに心の奥に隠し続けているのだから。
だけど私は知る事が出来た。
彼の優しさも。傷だらけの心も。
そんな彼の本当の姿を知る事が出来たから、私は――。
あ……そうか。
これってつまり――。
「――おい! 聞いているのか!?」
気が付くと、目の前には真っ赤な顔でなにやら声を荒げている中年男。
ああ、えっと……。マーガレットの父親だったっけ。
私が物思いにふけている間に何か言っていたらしいけれど、全く聞いていなかった。
それよりも、私の口からは先程浮かんだ言葉が零れていた。
「真実の愛……」
「は…………?」
「どうやら、私は真実の愛を見つけていたようです」
「……」
ざわついていた会場内は、シン……と沈黙する。そして――ドッと笑い声に包まれた。
「ぶっ! あっははははは!!! 真実の愛ですって!? 急にどうしたのよ!?」
「舞台劇の真似事でもしているのか? 真実の愛? 今時そんな事言うやついるのかよ!」
いたじゃない。さっき。この国の次期国王が言ってたわよ。
そのリアクションをさっきしなさいよ。
「あっはははは! なになにー? みんな楽しそうだねー! 何の話してるのー?」
突如、聞こえてきたその声を合図に、再び会場内が静けさに包まれる。
漂い始めた空気がなんだか凄く重たい。
その原因となっているのは恐らく――。
「ねえ、僕にも教えてよ。きっと楽しいお話なんだよね?」
太陽の様な笑顔を浮かべるヴィンセント様が、顔に不釣り合いな禍々しいオーラを放ちながら佇んでいたからだろう。