13.六才の弟 ※ヴィンセント視点
学園から帰ってきた俺は、自室へ直行するとそのままベッドに倒れ込んだ。
「疲れたな……」
講義が終わる度、入れ替わり立ち代わりで女性が話しかけてくる。
それに笑顔で相槌を打ち、話に合わせて言葉を返す。
一人の女性との話が長くなれば、他の女性の反感を買う。
偏らない様……一人一人と同じ様に接し……なるべく誤解を与えないように……。
そんな日々は、段々と俺の心をすり減らしていった。
もうすぐ学園を卒業する時期になる。
卒業が近くなると、想いを告げる女性が増えると聞いた。
その事を考えると胃がキリキリと痛みだす。
それに卒業すれば、いよいよ本格的な婚約者選びが始まるだろう。
俺が公爵の爵位を継ぐとなればそれは当然な事だ。
だが……俺は女性を愛する事が出来るのか……?
頭に思い浮かぶのは俺に群れる女性達の姿。
あの中から一人を選び、甘い愛の言葉を囁き、その唇に触れ、肌を重ね合わせ――。
「うっ……!」
その事を想像して、激しい吐き気を催す。
込み上げる嫌悪も、蓄積された本音も全て飲み込み、逃れられない現実にもだえ苦しむ。
無理だ……もう……何も考えたくない。
いっその事、みんな俺の事を嫌いになってくれたらいいのに――。
その時、ガチャリと部屋の扉が開く音がした。
「おにいさまー! おかえりなさい!」
弟のルーズベルトが無邪気な笑顔を向けて俺の体に飛び込んできた。
「ああ、ただいま。いい子にしていたか?」
小さい体を抱き留め、頭を撫でるとルーズベルトは「へへっ」と得意げに笑い鼻を高くした。
「うん! 午前中はおべんきょうをがんばったから、午後はお庭で虫を捕まえに行ってたんだ! すごい大きい蝶を捕まえたんだよ! 今度お兄様も一緒に行こうよ!」
「ああ、そうだな。次の休みの日にでも一緒に行こうか」
「わぁーい! 嬉しいなぁ!」
何の曇りもない純粋な笑顔に荒んだ心が癒される。それと同時に、何の悩みも無い弟が羨ましくも思えた。
それも当然だ。ルーズベルトはまだ六才。女性関係に悩まされる事もないし、何を言っても『まだ幼いから仕方ない』という理由で許される。
子供の特権というやつだろうか。
本当に羨ましいな……。
…………。
その時、俺の頭の中にとんでもない考えが過った。
とても現実的な方法ではない。父上にも迷惑をかける事になるだろう。
それはさすがに無理だ……と、必死にその考えを拭い去ろうとするが、どうしても気になった。
もしかしたら、この方法なら誰も傷付ける事無く問題を解決できるのではないかと。
三日三晩考えた末、俺はその考えを実行に移した。
そうせざるを得ない程に、俺の心は追い詰められていたのだろう。
「あ、ヴィンセント様! おはようございます!」
「ヴィンセント様、本日もご機嫌麗しゅうございます」
「ああ、今日もお美しい……!」
学園の門前を陣取る女性達が、俺の姿を確認するなり嬉しそうに声を掛けてくる。
そんな彼女達に、俺はルーズベルトの様な無邪気な笑みを作り上げ、練習してきた高音で声を張り上げた。
「みんなおっはよー! ええー!? なになに!? お姉さんたち、僕を待っててくれてたの!? うっっれしいなぁー!」
ブンブンと大きく手を振り、少年の様に高い声を上げると、令嬢達はキョトンと目を見開き固まった。
「え……? ヴィンセント様……?」
そこに俺の付き添いで来た使用人が前に出て、唖然とする令嬢達に事情を説明し始めた。
「実は昨日、ヴィンセント様は崖から転落して頭を強く打ってしまった様で……その後遺症で、このように子供返りしてしまい――」
その話を聞くなり、令嬢達は見る見る顔を青く染めていく。
無言のまま立ち去る女性、ワナワナと震えながら去る女性、瞳に涙を滲ませながら口惜しそうに去って行く女性、様々な姿を見せながら令嬢達は一人残らず解散していった。
それからの学園生活は女性関係に悩まされる事もなく、平和に過ごす事が出来た。
仲の良かった友人も、俺から離れて行ってしまったが……それも覚悟の上だった。
学園を卒業した俺の元には、事情を知らない貴族達から多くの婚約話が持ち上がった。
だが俺と顔を合わせた婚約者候補の令嬢は、最初こそ頬を赤く染めるも、俺の子供の様な振る舞いを見て早々に話を切り上げた。後日、婚約の話は無かった事にと丁寧に書かれた手紙が届いた。
そんな事を繰り返すうちに、俺の婚約話は鳴りを潜めた。
子供のふりをするのは少し疲れるが、今までの事を考えればずっとマシだった。
こうしている限りは、女性は誰も寄って来ない。
熱い視線を向けられる事も、体を好き勝手触られる事も、付き纏われる事もない。
ようやく平穏な日々を取り戻す事が出来たのだ。
例え、誰にも本当の姿を見せる事が出来ないのだとしても。
この方法なら、誰も傷付かない。
時折感じる虚しさも、心の内に押し込んだ。
「ヴィンセント。お前に紹介したい令嬢がいるのだが、会ってみる気はないか?」
もうすぐ二十歳を迎える頃、父上からの突然の提案だった。
これにはさすがに驚いた。父上自らが婚約者候補を薦めてくる事は今までなかったからだ。
「うん! 分かった! 楽しみにしてるね!」
いつも通り、子供の笑顔を貼り付け言葉を返す。
父上が何を思ってそんな事を言い出したのかは分からない。だが、たとえ誰であろうと同じ事だ。
こんな俺の姿を受け入れる女性なんているはずがない……そう思っていたのに。
「分かりました。私が彼の婚約者になります」
まさかそんなにあっさり受け入れられるとは――。
レイナが婚約者になってから、俺の日々は少しずつ充実していった。
子供を演じるようになってから、俺の相手をまともにする人なんていなかった。
だが、レイナは友人のように俺との会話を楽しんでくれた。虫採りの話をすれば、珍しい蝶が生息する場所を教えてくれたり、嫌いな人参の話をすれば、俺でも食べられるようにと甘い人参ケーキを作ってくれた。よく転んだり粗相する俺を見ても、呆れず世話を焼いてくれた。
そんな彼女の優しさに、荒んだ心が癒されていくのを感じた。
公爵邸にいる時も、弟と遊ぶこともあったが、それ以外は殆ど一人部屋に閉じこもっていることが多かった。
だが、レイナと手紙を交わす様になり、何もない日常に目的が生まれた。
たった一文書く為だけに、机に向かって何を書こうかと思いを巡らせた。
そのうち、一文だけじゃ足りなくなり、二文、三文と増やしていった。
彼女から手紙が届くのも楽しみの一つとなった。
人一倍力が強い彼女の書く文字は、意外としなやかで柔らかく女性らしい上品さがあって……彼女の優しさが文字に表れているようにも思えた。
そんな手紙を目にする度に、彼女に会いたい気持ちを募らせるようになった。
会えば彼女の何気ない優しさに感動し、過酷な環境の中でも逞しく生きる姿に心が震えた。
そう――レイナはとても強い女性だ。
俺の中にある、『女性は儚く諸い』というイメージに、彼女は当てはまらない。
だから一緒に居て落ち着くのだろうか。
彼女の隣でなら、下手な気遣いもなく、ありのままの自分の姿を見せられるのかもしれないと期待せずにはいられなかった。
だが――きっと俺ではレイナを幸せに出来ないだろう。
心に深く刻み込まれたこの体質は、きっと彼女を困らせてしまう。
だから早く俺との婚約なんか無くしてしまえばいい。
女性を拒む事が出来ない俺からではなく、彼女から婚約破棄を申し出てくれれば――。
ガァンッッ!!!
――!?
突如、何かが破壊される様な物凄い音がパーティー会場の方から鳴り響いた。
なんだ!? 会場の方から……?
レイナは無事なのか!?
咄嗟に足を走らせ会場へと戻っていく。
会場まであと少し……その時――。
「ねえ、あなた達。さっきから心の声がダダ漏れになってるんじゃない?」
はっきりとしたレイナの声が、会場の中から聞こえてきた。




