11.悪く言われているのは……
エミリア様が去って間もなく、王太子殿下もクリスティーヌと熱い眼差しを送り合いながら何処かへ消えていった。
二人が居なくなった瞬間、会場に残った人々の話題は王太子殿下の婚約破棄劇で持ちきり状態。
「王太子殿下、身分差を超えた素敵なラブロマンスでしたわね。私もなんだかクリスティーヌ様を応援したくなりましたわ」
「ええ、ほんとよね。これから王妃教育を始めるとなると大変でしょうけど……お二人の愛の力で乗り越えてほしいですわね」
「王太子殿下もよくご決断されたな……。まさかあの侯爵令嬢との婚約を破棄するなんて……」
耳に入ってくる内容は、揃いも揃って二人を持ち上げるものばかり。
だけどちょっと待ってほしい。
それってただの浮気じゃない?
婚約者がいるのにも関わらず、新しい彼女を作ってそっちの方が可愛いから婚約者に一方的に別れを告げただけよね?
エミリア様が本当に嫌がらせをしていたのかどうかは私には分からない。
だけどエミリア様はハッキリと無実を訴えていた。いくら証人がいるからと言っても、まず信じるべきは自分の婚約者ではないのだろうか。
それなのに、こんな一方的に婚約破棄を突き付けられても、エミリア様が悪者になるだけで――。
そこまで考えを巡らせて、ようやく気付いた。
王太子殿下の狙いが、婚約者であるエミリア様を悪者にして、平民であるクリスティーヌの株を底上げする事だったのだと。
『真実の愛』
王太子殿下は多くの重鎮達が集まるこの場で、それを言いたかったのだ。
普通に考えれば、平民のクリスティーヌ様が王妃になんてなれる筈がない。
この国を占める多くの貴族達から反発の声が上がって当然の事。
そこで彼はこの建国記念パーティーを利用して、彼らからの支持を得られる様な感動的な舞台劇を作り上げたのだ。
突然の『婚約破棄劇』で参加者の興味を一斉に引き付ける。エミリア様は悪役令嬢、クリスティーヌはそんな彼女に虐げられる悲劇のヒロイン……という配役だろう。
不幸な少女が健気にも困難に立ち向かい幸せを掴み取る。そして悪役令嬢はそれまでの悪事に応じた報いを受ける。
舞台あるある逆転劇の一部を私達は見せられていた訳だ。
そして極めつけとなるのが『真実の愛』という魔法の言葉。
みんな大好きよね。真実のなんとかって。
『真実』なんて言われると、それが正しいかのように錯覚してしまう。しかもそれを言うのがこの国の王太子なのだから、なおさら説得力があるのだろう。
結果は王太子殿下の思惑通り。誰もが二人を応援し始めている。
もしかしたら、中にはおかしいと思う人もいるかもしれないけれど、人は協調性を重んじる。
多数派に流れるのは人として当然の性なのだろう。
これも王太子殿下の計算の内なのかもしれない。
ずるい男。なにが『真実の愛』なのよ。ほんとくだらない。
「レイナちゃぁ~ん」
悶々とする中、泣きそうな程に情けない声が聞こえてきて思い出した。ヴィンセント様の存在を。
声がした方へ振り返り――その姿を目にしてピシィッと私の体が石の様に固まった。
先程、上着のボタンを追いかけて行ったヴィンセント様は、確かにボタンを握りしめて戻ってきた。
だが、何故か上着の二つ目のボタンも外れている。それに加えてなんだか凄く汚れている。ヨレヨレだし。そしてなぜか靴が片方脱げている。セットしていた髪もぐしゃぐしゃに乱れている。
……追い剥ぎにでも合ったのかしら。
私の近くまで近寄ってきた彼の上着は濡れているのか、ポタポタと水滴が滴り落ちている。
(素晴らしく無残な姿だ。見事なまでに完璧に決まった)
何を決めてきたのかは、素直に聞いてみる事にする。
「ヴィンセント様。一体あなたの身に何が起きたのでしょうか」
私の問いに、ヴィンセント様はてへへっと照れる様な笑みを浮かべた。照れる要素がどこにあったのだろう。
「廊下でボタンを見つけて拾おうとしたら、今度はもう一個のボタンも外れて落ちちゃったんだよ! それをまた拾おうと追いかけてたら階段から転げ落ちちゃって……気が付くと靴も片方なくなっちゃってたんだよね。それでとりあえず、一旦戻ろうと思ったらすれ違った人とぶつかっちゃって、その人が持ってた飲み物が服にかかっちゃったんだ」
「まあ、それは大変でしたね」
どえらいコンボを決めてきた事は分かった。それはともかくとして。
恐らくこれらも全て――。
(自作自演だけどな)
でしょうね。
私は頭を押さえて俯くと、ありったけの肺活量を使って溜息を吐いた。
(……さすがにやりすぎただろうか。レイナが呆れるのも無理はない。だが……これも全てはレイナから婚約破棄してもらう為――)
「ヴィンセント様、お怪我はありませんでしたか?」
「え……?」
私の問いに、ヴィンセント様はキョトンとして目を丸くさせた。
「階段から転げ落ちるなんて大事です。頭は打ってませんか? 痛い所はありませんか? 気分が悪いとかは?」
「えっと……う、うん! 大丈夫! この通り全然平気だよ!」
ヴィンセント様は戸惑いを見せながらも、元気に大きく手をブンブンと振ってみせる姿にホッと胸を撫でおろす。
彼のこういう所は本当に悪い癖だと思う。
自分の顔にわざと傷を付けたり、わざと階段から転げ落ちたり……目的の為なら、自分の事は二の次に考えてしまう人なのだ。
もう少し自分の事を大事にしてほしいと私は思っているのだけど。
(レイナは本当に優しいな……)
「……!」
私を見つめるヴィンセント様の瞳が急に大人びたので、なんだか恥ずかしくて思わず顔を伏せてしまった。
そんな風に言ってくれるのはヴィンセント様くらいじゃないだろうか。
でも私は知っている。
本当に優しいのは――。
「やだぁ……何あの恰好? 誰あれ?」
「しっ! ヴィンセント様よ! 公爵令息の……ほら、頭がちょっとおかしくなったっていう……あまり関わらない方がいいわ」
「まあ! あの方が!? じゃあその隣の令嬢は誰?」
「どうやら婚約者らしいわよ? あんな男と婚約だなんて、恥ずかしくないのかしら?」
「どうせお金が目当てでしょ? 大金欲しさに仕方なくって感じじゃない?」
「まあ、なんて卑しい令嬢なのかしら」
先程までは王太子殿下とクリスティーヌ様の婚約破棄劇で持ちきりだった話題が、あっという間に私とヴィンセント様の話に上書きされていく。
そしてどういう訳か、私がお金目当てでヴィンセント様と婚約したという話になっている。
なんでよ。クリスティーヌ様と王太子殿下が結ばれた時にはお金の話なんて一切出なかったじゃない。そこは同じ様に身分差を越えた恋っていう夢のある内容にするべきじゃないのかしら。
ちょっと納得がいかない。……でも、こっちの方が自然かもしれない。大抵の人は誰かが幸せになる話よりも、不幸になる話の方が好きなのだから。
(……なぜだ? どうしてレイナの方が悪く言われているんだ? 明らかにおかしい行動を取っているのは俺の方なのに……)
その声に顔を上げると、さっきまで笑ってみせていた彼の顔は、完全に素の表情となっている。
(そうか……。俺がこんな姿を見せてしまうと、一緒にいるレイナの評判まで落としてしまうのか……)
グッと悔しそうに口を噤む彼に、いたたまれなくなった私は声をかける。
「ヴィンセント様、休憩室へ参りましょう。服も何か代わりの物がある筈です。さあ――」
「あ……」
私がヴィンセント様の腕に手を絡めようとした時、その身を引かれてしまい、私の腕がするりと抜けた。あからさまな拒否反応に、少しだけ寂しさを感じる。
(すまない、レイナ。だが俺と一緒にいると君まで笑われてしまう。今日はもう、なるべく傍にいない方がいいだろう)
「ごめん、レイナちゃん。休憩室には僕一人で行ってくるね。国王様が来る頃には戻ってくるから……またあとでね」
影を落とした様な笑みを浮かべ、いつもより少しトーンを抑えた声でそう言い残すと、ヴィンセント様は足早に会場から立ち去っていった。
(レイナ、本当にすまない。君を傷付けるつもりはなかった。俺の考えが足りなかっただけなんだ……。やはり、こんな俺との婚約なんてさっさと無くしてしまった方がいい)
私を気遣う心の声が、頭の中に優しく響いた。