01.子供のような婚約者
数日間、宿を転々としながら馬車で移動し続けた私は、王都にある目的地へと辿り着いた。
「レイナちゃーん!」
馬車から降りてきた私に向かって、成人男性とは思えない程の高い声で呼びかけてくる一人の青年。
太陽の光を浴びてキラキラと輝く黄金色の髪を揺らし、大袈裟に手を振りながら走ってくる彼は、へにゃっと目尻を下げて少年の様な笑顔を浮かべている。
彼は私の婚約者であり、由緒正しきバーデン公爵家の長男――ヴィンセント公爵令息だ。
「あっ!」
そんな高貴な血を引く彼は、平坦な道であるにも関わらず足の先を地に引っ掛けると、そのままズッシヤアァァァッ! と綺麗にヘッドスライディングを決め、私の足元まで滑り込んだ。
確か彼は最近、二十を迎えたはず。成人男性がこんなに勢いよくコケる姿は呆れを通り越して逆に気持ち良い。
私はそんな彼の姿にも動じる事無く、最低限の微笑を浮かべたまま見つめている。
「いってててて」
顔を上げた彼のサファイアの様な瞳には涙が滲み、顔面と服は砂だらけ。その額と鼻の上には擦り傷が出来てしまったのか、血がじんわりと浮き上がっている。
あら、イケメンが台無しね。
ていうか、私達はこれから王宮で開催されるパーティーへ出席するって分かってるのかしら?
せっかく綺麗に着込んでいた正装は見るも無残な状態。黒色を選んだせいで砂にまみれた汚れが余計に目立つ。手で念入りに払い落したとしても完全に綺麗にはならないだろう。
そんな清潔感の無い恰好で国王陛下に挨拶するつもり? と言いたいけれど、この行動には彼なりにちゃんとした(?)理由がある。
(よし。今回は上手く顔に傷を作る事が出来たようだ。前回コケた時は反射的に受け身を取って無傷だったからな)
聞こえてきたのは、彼の心の声。
何故か私は、彼の心の声が聞こえるという不思議な現象に見舞われている。
(ふっ……。こんな傷だらけの顔で王宮のパーティーに出るような男、さすがに婚約破棄したくなるに決まっているだろう)
そしてこの男、私からこの婚約を破棄させる為に、わざとこんな風に残念な男を演じているらしい。
「レイナちゃぁーん……たすけてぇぇ」
ヴィンセント様は地に伏せたまま、泣きそうな顔で私に手を伸ばし助けを求めてくる。
まるで外を歩き始めたばかりの子供がコケて、母親に泣き縋るような姿にも見える。
(どうだ? こんな情けない姿の俺に手を貸そうと思えるか? いいんだぞ? 別にこの手を振りほど――)
心の声が話し終わるよりも早く、差し出された手をガシッと掴み、力任せにグイッと持ち上げた。勢い良く引っ張られた彼は、グンッと体が浮かび上がる程飛び上がると、ストン……と地に着地した。
幼い頃から畑仕事や薪割り等の力仕事をしている私は、小柄な体であるにも関わらず体力と腕力には自信がある。
「……」
彼は直立不動で唖然としたまま暫く沈黙した後、ハッと我に返るとすぐにヘラっと気の抜けた笑顔を見せた。
「あ……ありがとう! レイナちゃん!」
そう言って笑う額には動揺の汗がつたっている。
(くっ……! やはりこの程度の事ではレイナには通用しないか。……ならば次はもっと地面に顔をこすりつける様にして無様な姿を――)
「ヴィンセント様はよくコケるのですから、今日はもう走るの禁止です」
「え……」
「さあ、時間が無いので、早く馬車に乗りましょう」
「あ……うん! わぁーい! 馬車だぁー! 嬉しいなぁー! 僕、馬車大好きなんだ!」
馬車を見て大はしゃぎする彼の姿は子供そのもの。
私は彼に近付き、顔を寄せると血が滲んでいる傷をジッと見つめた。
額も鼻の上も擦り切れて血はうっすらと滲んでいるけれど、傷は浅い。それを確認してホッと胸を撫でおろす。
この展開を予め想定していた私は、救急箱と傷を隠す為の化粧道具もばっちし用意している。
これくらいの傷ならなんとか誤魔化す事は可能だ。
(な……なんでそんなに見つめてるんだ……? それにちょっと……近くないか?)
ふいに心の声が頭の中に響いてきたので、咄嗟に顔を離した。
そこで改めてヴィンセント様の様子を伺うと、いつの間にかその顔が真っ赤に染まり、恥ずかしがる様に私から視線を逸らしている。
先程まで見せていた子供の様な幼さは消え失せ、今は色気ある男の顔になっている。
……それは反則すぎる。
不意打ちで見せられたその姿に、こちらまで顔が熱くなってきた。
その気まずさを誤魔化すように、私は口早に説明する。
「今、傷の具合を確認してみましたが幸いな事に傷は浅いので馬車の中で手当てをしてお化粧で隠せば大丈夫そうです。何の問題も無いですよ」
「あ……そだったんだ! ありがとう! やっぱりレイナちゃんは優しいなぁ」
(なんだ、傷を見ていたのか……。俺はてっきり……)
…………。
え、そこで終わっちゃうの? てっきり何だと思ったの? 何されると思ったの? 心の声なんだから、そこはハッキリ言いなさいよ。
心の中で反論してみるも、残念ながら彼の心の声は沈黙を貫いている。気になるけれど、仕方ない。
とりあえず傷はなんとかなるとして、次の問題は服装だ。
私はヴィンセント様の傍についている公爵家の執事に声を掛けた。
「すみません、代わりになりそうなお召し物は――」
「ここにございます」
年配の執事が差し出したのは、綺麗に折り畳まれている煌びやかな衣装。どうやら彼もこの事態は想定済みだったらしい。さすがは公爵家の執事ね……と感銘を受ける。
「ありがとうございます。後で着替えますので、馬車の中に乗せておいて頂けますか?」
「かしこまりました」
「さあ、ヴィンセント様。忘れ物は無いですか? ハンカチちゃんと持ってます?」
「うん! 大丈夫!」
「それでは、馬車に乗りましょう。足元に気を付けてくださいね」
「はぁーい!」
(……まるで母と子の様なやりとりだな)
いや、誰のせいだと思ってるの?
口から飛び出しかけたツッコミを飲み込み、ヴィンセント様の後に続いて私も馬車に乗り込んだ。
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