第09話「心霊さん、手を」
どうぞゆっくりしていってください。
「流れるプールって本当に流れるだけでも面白いのですね」
青い浮き輪に乗ってプールを流れる心霊と、同じ浮き輪に両腕と顎を乗せる璃月。
全部で六種あるウォータースライダーをたっぷりと楽しんで、意外と消耗したからここでひと休憩だ。
なにをするでもない。ただ二人でゆったりと流れる。それだけなのにどうしてこうも面白いのだろう?
「水の上に浮いているだけで心地良いんじゃないでしょうか?」
「そうかもですね璃月くん」
ほとんど波のないプールだ。せいぜいはしゃぐ利用者の体が生み出す小さな波くらい。だから視界が激しく揺れることもなく、ひっくり返ることもなく、ぷかりぷかりと浮き続けていられる。
確かに璃月の言う通りに心地良い。
きっと親の腕の中で揺れる赤ん坊はこんな気持ちなのだろう。
ゆえに。
「…………はっ、思わず眠ってしまうところでした!」
落ちてくる瞼に気づいた心霊は慌てて軽く頬をひと叩きする。
「璃月くん、次どこが良いかリクエストはありますか?」
「心霊さんの行きたいところは?」
「璃月くんのおすすめ」
「オレのですか」
任せられた。気になる人に自分の行動を決める権利を与えられる、遭遇してみるととてもうれしかった。
「そうですね……ちょっと、イヤ結構サーフィンにチャレンジしてみたいかも」
「おお、かっこいいとこにいきましたね。
でもこけるとかっこ悪いですよ?
璃月くん、自信のほどは?」
「バランス感覚には自信ありです」
と言うか心霊の前だ。少しくらいかっこいいところを見せたい。
「ほぉ? ではお手並み拝見といきましょう」
流れるプールから出て、サーフィン用のプールへ。
主に若い世代を中心に思ったより盛り上がっている。真っ黒に日焼けした男性や金髪に染めている女性がいたりで璃月には陽キャの集まりに見えた。
だが。璃月とて決して陰キャではない。
なにより心霊の前でビビるわけにはいかない。
だからどうどうと輪に入って、どうどうと列に並んで、どうどうとボードを受けとって、どうどうとものすごい勢いの水に浮き――
「オオ! 璃月くん素晴らしい!」
なんと、見事に立って波に乗ることに成功した。
周囲にいる人から拍手や口笛が飛んでくる。それに混ざってぴょんぴょん飛び跳ねている心霊が見えた。
喜んでくれている。
それがなにより璃月には嬉しかった。
が、ホッとしたところですっ転んでしまい。しかし上々だ。初心者で五分くらい乗れていたのだから。
「さぁ、次は私です。
見ていてください璃月くん!」
スタッフに手伝ってもらいながら心霊のいる場所とは逆の位置に上がった璃月。彼の耳に元気の良い心霊の声が届き、大声で名を呼ばれちょっとだけ恥ずかしくなり、けれども「頑張って!」と大声で返した。そんな二人に口笛が飛んできたが、妙にテンションが上がっていたからか気持ち良さすら感じた。
そうして、いよいよ心霊が波に乗る時がやってきた。
「む? なかなか怖いですね」
プールの中央あたりからのスタートだ。
まずはボードにしがみついた状態から。手に当たる水が思ったよりも痛い。少し気を抜くとあっさり波に持っていかれそうだ。
「ですが!」
璃月の頑張りを見て心霊のテンションも上がっている。
ゆっくりと、右脚から立って――左脚も立てて――最後に体全体を。
「心霊さん! ナイスです!」
「乗れてます! 乗れてますよ璃月くん!」
パッと顔を璃月に向ける。
花を咲かせるかのような笑顔に璃月の心臓がはねて、彼の様子に気づかない心霊は璃月に向かって親指をグッとおっ立てて――
「お?」
転んだ。
「ぷへ」
一瞬でプールの最奥にまで運ばれてしまった心霊は慌てて顔を上げて口に入ってきた水を吐き出す。
「むぅ、かっこ悪いところを」
見せたと思った。
しかし周囲からは大きな拍手と喝采が。
それを聞いて、見て、心霊は失敗したのではないのだと理解した。
確かにこけた姿は少しばかりかっこ悪かっただろう。けれどそれさえも楽しむ場なのだと理解出来た。
ここには敵なんて一人もいないのだ。
「心霊さん、手を」
先の璃月と同じくスタッフに助けられプールから出ようとしたところで璃月が手を差し出してきた。掴まってと言っている。スタッフが気を利かせて身を引いて、だから心霊は素直に彼の手を取って、ここに来てようやっと彼の手が自分よりも大きい事実に気がついた。頼もしい手をしている事実に気がついた。
「璃月くんって、意外と筋肉ついていますよね」
「え?」
プールから引き上げられてこんなセリフを言ってみる。
「お腹のこの辺もなかなか」
腹筋を指でつついてみる。
「ちょっ! 心霊さん恥ずかし――」
ぐぅ
つつかれ、筋肉が緩んだのか璃月のお腹から可愛らしくも重い音が。
「ふふ、ちょっとお腹が空いてしまいましたね」
「ハイ……」
「もう十二時。なにかお腹に入れましょうか」
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