第48話「明日も『よすが』を開かなければ」
いらっしゃいませ。
そう言って心霊も葵月のそばへと駆け寄っていく。
黒ベールは動かない。少し離れたところに立って、ジッと様子を見守っている。
「璃月……これから貴方にグレートマザーを転送するわ」
「……オレの中に、バグがあるからだね」
薫風の目が大きく開かれる。
妻を失い、この上孫も失うのかと。
「そう……でも大丈夫よ、薫風くん、そんな目をしないで」
心配そうな目で愛する孫を見やる薫風に、優しく笑いかける葵月。
「璃月は……【ドリーミー】と呼ばれるバグチップになるの……安定するから、大丈夫……詳しくは後で聞いて」
「……ああ」
「さあ……始めましょう……」
時間がもうないから。
葵月に残されている時間はもう、僅かだ。
「拒絶の意思を見せては……ダメよ」
「ばあちゃんを拒むなんて、ないよ」
「……ふふ、そう言えばそうだったわね……。
では……」
葵月の体が柔らかく金の光に包まれる。蛍火のように弱々しい光だ。
光は触れている手を伝い、璃月へと流れてゆく。
「――!」
この時璃月は祖母の愛情を感じとっていた。
流れてくるのはグレートマザーだけではなく、彼女の気持ちもだったから。
璃月の左目が赤に染まる。そしてそれは、真っ赤な花へと変貌した。
「――――――――――――――――――――――――――――――――――――アッ!」
仰け反る璃月。
グレートマザーの記憶と思いが流れこみ、その強烈な葛藤に身が引き裂かれそうになる。
痛いの怖いの痛いの怖いの痛いの怖いの痛いの怖いの痛いの怖いの痛いの怖いの
痛いの怖いの痛いの怖いの痛いの怖いの痛いの怖いの痛いの怖いの痛いの怖いの
痛いの怖いの痛いの怖いの痛いの怖いの痛いの怖いのもう全部ワタシを奪い尽くせば良いのに!
なんと言う苦しみ。
なんと言う哀しみ。
グレートマザーはこんなに、こんなにも淋しい思いをしていたのか。
このままでは自分も呑み込まれてしまう!
「璃月くん」
ふわりと、優しく璃月の首にかかるモノがあった。
背後から心霊が璃月を抱きしめたのだ。
「大丈夫ですよ。私がここにいます。
璃月くんは決して独りぼっちではないのですから」
暖かい微笑みが向けられる。
愛する人の微笑みが。
心霊の母性が璃月を包み、痛みも怖れも忘れさせてくれる。
璃月の全身から力が抜けた。
大量に汗をかき、意識が途絶えたのか心霊に寄りかかって来た。
「……大丈夫よ……転送は……成功したから、じきに目を覚ますわ……。
それより、心霊……」
「ええ……分かっています」
心霊の手に【花銃】が握られる。
死花を閉じ込めたクリスタルに触れて、あるプログラムを流し込む。
「薫風さん、目を閉じて」
「……いや、見ている。やってくれ」
「……」
「ふふ……こう言う人よ、薫風くんは」
「……ですね」
仕方ないなと、葵月に続いて苦笑する心霊。
そんな心霊の持つ【花銃】の銃口が葵月の胸にあてられる。
まだ葵月は食人花たちの起点になっている。今の内なら彼女を通じて全てのグレートマザー由来のバグを消せるだろう。
「……最期に一つ、葵月さんに真実をお伝えします」
葵月の耳に唇を寄せて、他の誰にも聞こえない声量でぽつりと呟かれる。
「私は――」
それを聞き届けた葵月は、
「あらま、面白いこと」
とても最期を迎えようとしている人とは思えないほどに、笑うのだ。
「さようなら葵月さん、貴女のきろ――記憶は私が引き継ぎます」
最後のキスを、葵月の額に。
「私が逝く日まで、大切にしますね」
心霊の涙が白羽にかかる。
「……ありがとう、心霊。
薫風くん、璃月。
ずっと愛しているわ――」
「……俺もだ。
ありがとう、葵月。
愛しているぞ……」
最期のトリガーが、引かれた。
蒼白だった炎は真紅に変わり、葵月の体は白羽となって――消えていった。
「……ボクも帰るよ」
全て見届けて、黒ベールは背を向けた。
心霊は彼を止めなかった。
ただ。
「黒ベール、貴方の名前は?」
と、それだけを聞いた。
「……ブラッドサンド・音止」
「……良い名ですね。
また逢いましょう、ブラッドサンドさん。
出来れば敵対する未来のないように祈り願います」
「……うん」
それは彼の願いだったのか、「うん」とだけ言ってブラッドサンドは山林の闇へと消えていった。
少しだけ淋し気に。
ふぅ、心霊は一度息をついた。地面に空気を落とすように。
そしてギュッと目を閉じて、開けて顔を上向ける。
「……私たちも帰りましょう、薫風さん」
それから微笑み、言うのだ。
「明日も『よすが』を開かなければ」
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