第41話「ああ……もったいないなぁ」
いらっしゃいませ。
溜飲はロクに下がってくれなかったが【爽籟職人】の動作を一瞬固めることは出来た。多少はダメージを負ってくれただろう。自分の立場が危うくなっても構わない。これくらいやつらには良い薬だ。
「……な、なんだなんだあの態度は」
【飛梅衛星】が去ったラボ内で、子供が地団太を踏むように足を鳴らす。
「我々の方が上だろうそうだろうなあ?」
あからさまに怒号をあげるのではないが、静かに怒りを燃やし不満を口にし続ける。
「我々の頭の良さを全く理解出来ていない。
これだから――」
「おっと、それ以上は差別に入るわよ」
「構わないさ。どうせ皆こっそり差別しているモンだ」
「そうだなぁ、なくならねぇよなぁ」
「その手の話は後あと。
早くしなきゃ【水鞠装置】が来ちゃうじゃない」
「おぅ、そうだな」
全員が頷き、もっと奥の部屋へ移動しようと言うところで、
「……ちょっと外で空気吸ってきます」
一人の【爽籟職人】が離脱を申し出た。
この五名の中では一番若い二十八歳の男性で、どことなく影が『薄い』。発言権もあまりなく、ほぼ従うだけの立場にいる青年だ。
「なんだよまさかあいつにビビったか」
「……いえ、空気が悪くなったので新鮮なモンが吸いたくて」
「ビビってるのと同じじゃねぇか」
「違うわよ。バカなの?」
「んな」
「こいつは奥に運んでおくぞ」
ケンカになりそうだったからこの中で一番歳のいった男性――四十九歳だ――が流れをぶった切って声を発した。
離脱しようとした青年は胸を撫で下ろし、
「ハイ。すぐに戻ります」
そう言ってラボから駆け足で出て行った。一刻も早くこの場から去りたいと言うように。
彼の様子を見続け、出ていったのを見届けると女性が口を開いた。
「絶対こいつを解析して決定的な弱点を見つけます。また強力なバグチップが生まれないとも限りませんし。これはもう【爽籟職人】たちの使命です。市民の皆さんが心配と恐怖にまみれないように」
「ははは、お前は立派だなぁ」
「ちょ! 頭撫でないでくださいセクハラですよ!」
「マジで?」
談笑しながら花の女王の入ったケースを運び、
「良し、研究前にコーヒーだ。眠気を覚ますぞ」
「了~解」
呑気にもこう言いあうのだ。
彼らは気づいていない。
【爽籟職人】たちがキッチンへと移って行くその背後で、花の女王の目がゆっくりと開かれていることに。
「すごいな……」
外に出た青年は湖の淵をなぞって歩いていく。雨に降られたばかりの湖には周囲の森から強烈な風で散った水が光を反射しながら舞踊っていて、青年は思わず花の女王を忘れて魅入っていた。
「まるで地上の星だな」
湖の中ほどまで続く木作りの桟橋を渡ってその先で腰を下ろす。靴の先が少しだけ水に沈み、僅かながら足が冷たくなって気持ち良かった。
はぁ、とため息をつきながら夜空を見上げる。星の光と水の光が重なって、幻想的な光景となっている。
少し前に別の場所で蛍の群れを目にしたが、これはそれ以上だと感じていた。
青年は神秘的なモノが大好きだ。だから正直美しき花の女王も嫌いではない。しかし研究するとなると多少削ることになるだろう、それが残念で仕方なかった。
出来るなら完璧な状態で保存出来ないモノか……。いや、【水鞠装置】がやってくるんだった。保存なんて出来っこない。
「ああ……もったいないなぁ」
水の光が一瞬視界を遮る。視界が開けたその時に、
花の女王がこちらを覗き込んでいた。
「……っ!」
言葉を発せなかった。機能が麻痺したように。
なんだ? なんで花の女王がここにいる?
皆はどうした? どうなった?
花の女王は凍結されていたはずだろう?
完璧な凍結だったはずだ。
どうして解かれている?
そんなに強力なのかこれは。
考えろ、考えろ。
花の女王はバグチップ。
強力なバグチップ。
では、なぜ強力たりえている?
花の女王の力の源はなんだ?
この『現実』にこうも強力に存在し続けられる方法――!
【火光存在】の意識に対抗すように存在し続けるには?
…………そうだ、意識に対するのは意識!
花の女王は、『現実』にあり続ける仮想意識たちによって支えられているんだ!
ボ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――ッ!
「………………………………………………………………………………………………あ」
青年は心臓を蔦で貫かれ、湖に没していった。
辿り着いた真実を誰にも告げることなく。告げられずに――
両腕を広げて種を振りまく花の女王、風に乗って流れるそれは花を咲かせて村を飲み込み、街を飲み込み、国を飲み込み、世界を飲み込んでいく。
花の女王はくるくると回り踊り、花から感じる生気を吸い込んでいく。
金のその姿はなによりも、なによりも美しくて。
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