第二章 3
こうして四人に挨拶を終えたアンナは自室に戻ると、脱力したかのようにぐたりとソファに身を横たえた。
(お、終わった……)
途中危ない場面が何度かあったが、とりあえずアンナローザがアンナであるとはばれていないようだ。しかしこのまま魔族の中にいては、いつ人間だと見破られるかも分からない。
これからどうしたらいいのかしら、と悩むアンナだったが、考えがまとまるよりも先に、扉をノックする音が響いた。急いで飛び起き前髪を整えると「どうぞ」と返す。
「アンナローザ様、お疲れ様でございました」
「は、はい……」
「恐縮ではございますが、――魔王陛下が四天王の皆さまをお呼びです」
今度は何とか一人で辿り着いた王の間で、アンナは硬直していた。
黒檀で作られた豪壮なテーブルの最奥に魔王が座り、ランスロットをはじめとする四天王は、それぞれ左右に分かれて向き合うように座っている。一番下座にいるのは険しい表情のアクセアだ。
「それでは、戦況の確認をいたします」
ランスロットが立ち上がると、机上に青白い光が四角く浮かび上がった。驚きを悟られないようアンナが覗き込むと、そこには魔王城とその周囲の村、そして人間たちのいる土地が映っていた。
まるで空を飛ぶ鳥が見てきたような光景に、アンナはすごい、と目をしばたたかせる。
「一か月前、人間たちによる魔王討伐軍が進軍を始めました。今までとは異なり『勇者』と呼ばれる男が陣頭指揮を執っているそうです」
「勇者ってなんだー?」
「詳細はまだ調査中です。ですが他の人間に比べて極めて強健で、剣や弓といった武器の扱いにも長けているそうです。噂によれば、傷ついても尋常ではない速度で回復するのだとか」
「『犠牲負いし愚者』か……フッ、無駄なことを」
「ですが、勇者の存在は人間たちにとって大きいのでしょう。事実として今までの防衛ラインを遥かに超えて攻め込まれています。近くには獣人たちの村があり、攻撃を受けるのも時間の問題です」
「死者こそ出ていないが、負傷者は連日後を絶たない。このままだと取り返しのつかない被害が出るぞ」
次々と交わされる言論に、アンナは一言も差し挟むことが出来ない。
(ええと、つまり……人間の軍が、魔族を倒そうと頑張っている……?)
そういえば少し前に、王都で豪勢な結団式があったと聞いた覚えがある。
地方に住んでいたアンナには大して関係なかったが、物見遊山に行ったおじさんが、今度こそ魔王を倒すと大臣閣下が息巻いていたぞ、と熱く語っていた。
どうやらその念願は叶ったようで、人間軍に対して魔族が押されているという現況のようだ。やがて各々の発言がおさまるのを待ち、魔王が口を開いた。
「――状況は理解した」
相変わらず低く響く声は迫力があり、今度は倒れるわけにはいかない、とアンナはお腹に力を込めた。
幸い座っているせいか、前回のようにくずおれたり、卒倒したりすることはなさそうだ。
「戦線を移動させる。人間たちに向けて警告をし、なおも侵攻する者があれば攻撃を許可する。ただし、非戦闘員の保護を最優先だ」
攻撃を開始する、その言葉にアンナは身震いした。
(どうしよう……このまま来たら攻撃する、ってことよね)
魔族たちは恐ろしい力を持っている。
噂では、人を殺すことを楽しむ魔族もいるらしく、アンナは想像を絶するような凄惨な場面を想像した。たしかにトラッドのあの腕で殴られたら、ひとたまりもなさそうだ。なんとかしないと、とアンナは眉を寄せる。
だが続く魔王の言葉は意外なものだった。
「――今までどおり、無闇に傷をつけるな。降伏する人間は受け入れろ」
は、とランスロットたちが短く答える。
アンナも遅れて小さく返事をしたが、魔王の言った真意が理解できないままだった。
会議が終わり、魔王は恐ろしい威圧感を携えたまま、奥の部屋へと戻って行った。ようやく息をついたアンナは、こっそりとランスロットの元へ走り寄る。
「あの、ランスロットさん。先ほど魔王さ……ええと、魔王陛下が最後におっしゃっていたのは、どういう意味なんでしょうか」
「意味も何も。このような状況となっても、陛下の方針は変わりません」
「方針、というと……」
「――我ら魔族は無益な争いを好まない。たとえそれが、傍若無人に振舞う人間相手であっても、陛下は傷つけたくないとおっしゃっているのです」
無闇に傷をつけるな。
あれは魔族だけではなく、敵であるはずの人間にも向けられていたのだ。
(でもたしか、魔族は人間を殺そうと、襲ってきているのだと……)
アンナたち人間は、幼い時から魔族は恐ろしいもの、怖いものだと言い聞かせられて育ってきた。だからこそ魔族相手に戦う兵士たちは勇ましく、国の誇りとして尊敬していたものだ。
だが実際の魔族たちは、人間たちに危害を与えないよう言われているという。
(ど、どういうことなのかしら……?)