第二章 裏切り者は裏切られまして
アンナは再び、白い天蓋の下で目を覚ました。
起き上がるとそこは、先ほど目覚めたのと同じアンナローザの部屋。実は夢でした、という一抹の希望を抱いていたが、どうやら逃げようのない現実らしい。
「――お目覚めになられましたか」
衣擦れの音を聞きつけたのか、別室からイアンが現れた。何が起きているか理解できていないアンナに代わり、事の次第を説明してくれる。
「アンナローザ様は、魔王陛下の前でお倒れになったのです。おそらく、まだ蘇生されてから時間が経っていなかったので、魔力が回復していなかったのでしょう」
イアンのその言葉に、アンナはようやく自分の失態を思い出した。
(そうだわ、わたし……あまりの恐怖で目の前が真っ暗になって……)
もしかしたら人間だとばれてしまったのでは⁉ と恐る恐るイアンを伺うアンナだったが、特段彼に変わった様子は見られない。どうやらまだ疑われてはいないようだ。
「四天王の皆さまも心配されておりましたので、落ち着きましたら顔をお出しになると良いかもしれませんね」
「は、はい……」
四天王、という言葉にアンナは再びため息をついた。
王の間に入った時にいた四人。おそらく彼らがそう呼ばれているのだろう。
(あれ、でもわたしを入れたら五人になるけど……あ、わたしは四天王じゃないのかしら)
なるほど、とアンナは膝を打ったが、だからどうなるものでもない。
人間だとばれれば殺されてしまう。だが行かないなら行かないで、不審がられてしまうかもしれない。しばらく両手で頭を抱えていたアンナだったが、やがて諦めたようにベッドから下り立った。
一人目は、ランスロットと名乗る魔族だった。
「アンナローザ。もう大丈夫なのですか?」
そう言うとランスロットは、かけていた眼鏡をくいと持ち上げた。アンナローザよりも青みがかった銀髪に、深い青色の瞳。魔族は基本顔が整っているのだろうか、と言いたくなるほど、彼もまたアンナローザやイアンと同様、とても美しい相貌をしている。
ただよく見ると、頬の一部がきらきらと煌めいていた。何かしら、とアンナがまじまじと見つめていると、ランスロットが不機嫌そうに眉を寄せる。
「なんですか」
「あ、いえ! 綺麗なお顔だなあと」
するとランスロットは、虚を突かれたかのように目を丸くしていた。だがすぐにその白い肌に朱を走らせ、アンナから視線を逸らす。
「な、何を今更。人魚族なのだから鱗くらい当然です」
「あ、そ、そうですよね!」
ランスロットからの指摘に、アンナはぎくりと胸を押さえた。
おそらく四天王とアンナローザは、ある程度親しかったに違いない。下手なことを言って疑われれば命の危機だ。しくじったかも、と心臓を飛び跳ねさせているアンナに向けて、ランスロットは深いため息をついた。
「まったく……いくらゼラ様のお役に立ちたいとはいえ、死んでは意味がないでしょう」
「す、すみません……」
「まあ、蘇生の秘術が上手く機能したから良かったですが。一歩間違えば、ここに戻ってくることは出来なかったのですよ」
実際戻れていないと分かったら、一体どんな反応が返って来るのだろうか。
余計なことは言うまい、と「ごめんなさい、反省しています」とアンナは殊勝に繰り返す。するとその態度に困惑したかのように、ランスロットは顔をしかめた。
「……一体どうしたというのです」
「え?」
「今までの貴女であれば、私の忠告など聞きもしなかったはず」
「そ、そう、ですか⁉」
「私を見るたびに『変態眼鏡』と呼んで、馬鹿にしていたではないですか」
(ええーッ!)
アンナローザさん、なんてことを。
などと言えるはずもなく、アンナは見えざる地雷を踏んでしまったことに、一層の怯えを募らせていた。案の上、ランスロットは疑いを持ったのだろう。しげしげとアンナの全身を上から下まで眺めている。
「服装も今までとは随分違う……まるで若い生娘が着るような服装だ」
「……」
「アンナローザ、貴女もしかして……」
ごくり、とアンナは喉を鳴らした。
「――まだ記憶が、完全に戻っていないのではありませんか?」
「……は、はい?」
「蘇生の秘術は非常に難しいと聞いたことがあります。中には蘇生前の記憶をすべて失ってしまい、別人のようになってしまうこともあるとか」
「そ、そうなんですか⁉」
「ええ。なるほど、であれば無理もありません」
得心がいったとばかりにふ、とランスロットは微笑んだ。
「大変でしょうが、早く記憶が戻ることを祈っていますよ」
「あ、ありがとうございます!」
どうやら上手い具合に勘違いしてくれたようだ。
アンナは心の底からお礼を言い、しっかりとランスロットの手を両手で握りしめた。安堵からか、顔には自然と照れた笑みが浮かぶ。
「あの、何かとご迷惑をおかけすると思いますが……これからも、どうぞよろしくお願いします」
「……ええ、こちらこそ」
やがてアンナは他の四天王の元に行きますので、とランスロットの部屋を後にした。
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アンナが去った後、残されたランスロットは一人、己の手を見つめぼそりと呟く。
「……おかしい。この私がアンナローザを、か、可愛いと思うなんて……」
二人目がいたのは、兵士たちの訓練場だった。
「おお! アンナじゃねーか。もういいのか?」
「え、あ、はい!」
一瞬アンナと呼ばれたことにぽかんとしてしまったが、おそらく愛称として呼ばれていたのだろう。改めて四天王の一人と呼ばれる彼を観察する。
彼はトラッドといい、獣人族とのことだった。
その種族名のとおり、体の部分は屈強な男の体をしているのだが、顔から首にかけて立派な狼の頭が乗っていた。
足は頑丈なブーツに包まれていたが、袖からのぞく大きな手には、ふさふさとした獣毛が生えている。おまけに背中側には、嬉しそうに振れ回る尻尾も。
「何だっけ? あれだ、生き返るやつしたばっかりなんだろ?」
「あ、そ、そうなんです!」
「だよな! じゃなきゃ、今更魔王様の魔力に当てられて倒れるなんて、オレらにはありえねーからな!」
アンナはひい、と心の中で悲鳴をあげた。
先ほどのランスロットは、すべてを見透かそうとするような冷静さがあった。一方トラッドにはそうした繊細さは無いようだったが、代わりに野生の勘というのか、ひょんなことから真実を言い当てる力があるように見える。
だが見た目が完全にアンナローザであることに安心しているのか、トラッドは快活に笑うとアンナの頭をがしがしと撫でた。
「あんま無理すんなよ。疲れたら休んどけ」
「あ、はい……ありがとうございます……」
最初は見た目の怖さに恐々としていたアンナだったが、トラッドの性格の良さと奔放な明るさに拍子抜けしたのかもしれない。
頭上に置かれたトラッドの手が、亡くなる寸前アンナの髪を撫でてくれた父親のそれと重なり、アンナは思わず口元を緩めた。
するとそれを見たトラッドが、うん? と首をかしげる。
「アンナ、なんか変わったか?」
「え⁉ な、なな、何がですか?」
「いや、今までこうされるの嫌がってただろ」
「そ、そうでしたっけ⁉」
「オレを見てはいつも『筋肉馬鹿』ってさ。まーたしかにオレ頭良くないからなあ」
(またーッ!)
アンナローザさん、口が悪すぎる。
「ば、馬鹿だなんて、そんなこと、思ってないです!」
「あはは、別にいいぞ。気にしなくて」
「ほ、本当です!」
アンナの真剣な様子に気付いたのだろう、トラッドは何度か瞬くと、嬉しそうに口角を上げた。
「――そっか、なんかお前、良い感じだな」
「え?」
「なんつーか、今のお前なら、オレが守ってやってもいいぞ!」
そう言うとトラッドは、ぎゅうと力を込めてアンナを抱きしめた。一応加減はしてくれているようだが、胸以外は細身なアンナと、全身筋肉のトラッドではやはり体格差は否めない。
(く、苦し……でも、……ふかふかなのはちょっといいかも……)
トラッドの胸に顔をうずめると、太陽の匂いがする。干したばかりのシーツを思い出すように、アンナは少しだけ楽しそうに顔を寄せた。