第一章 2
「お目覚め後すぐで申し訳ないのですが、ゼラ様がお呼びだそうです」
お支度を、の言葉を最後に、イアンは隣室へと消えて行った。代わりに残された侍女たちに引き立てられるように、アンナはベッドから連れ出されたかと思うと、あれやこれやと衣装合わせが始まってしまう。
女性同士とは言え、裸を見られるのは恥ずかしいし、何より人に着替えを手伝ってもらった経験などアンナにはない。
「あ、あの、ちょっと……」
「本日はどのようなお召し物にいたしましょう、やはり一番好まれていたこちらで?」
そう言うと侍女は、一着の衣装をアンナの前に引き出した。それは体のラインにぴったりと添うように作られた革のドレスで、艶々とした赤色がアンナの目に眩しく映る。
あろうことか胸の部分は下半分しかなく、着ればこの豊かな胸は山なりとなり、見事に強調されること間違いなしだ。胴体部分には黒い革紐が交差するように締められており、幅を自由に調整できる。下はというとV字になっており、太ももどころか足の付け根まで露出されるスタイルだ。
そのあまりに破廉恥な恰好に、アンナは全力で首を振る。
「む、無理です! 絶対無理!」
「そ、そうですか? ではどれにいたしましょう」
少し困惑した様子の侍女が、ワードローブを開く。
ずらりと並んだ衣装は、どれも一流の縫製と生地で作られていると分かるものばかりで、見たことも無い壮観な景色にアンナは目を白黒させた。
ただしそのどれもが、先ほど見せられたものとよく似た非常に際どい形をしている。
「ほ、他のは無いんですか⁉ もっとこう、普通の」
「と言われましても、お嬢様はいつもこうした格好を好まれていましたので……」
ああーとアンナは心の中で瞑目した。
たしかにこの抜群の体型であれば、この人目を引きすぎる衣装も見事に着こなしてしまうだろう。
だが今のアンナローザは、中身はただのアンナである。村娘、しかも十六になったばかりの人間にこの格好は恥ずかしすぎる。
結局、アンナが許容できるようなドレスがそこにはなく、棚の奥深くで肥やしとなっていた、アンナローザの幼少期の服とやらを出してもらった。
白い羊毛を丁寧に編んだ洋服で、首元まですっぽり覆う高い襟をしていた。これは温かくていいな、と思うアンナだったが、どうしてか袖に当たる部分がなく、両肩から腕がむき出しになっている。
せっかくの防寒仕様なのに、全く意味がない。
(魔族の服ってよく分からないわ……)
スカートもほぼ膝上、むしろ隠れるのだろうかという丈のものばかりだったが、その中から出来るだけ長いものを探し出してもらった。
濃茶の膝下スカートで、太ももにぴたりと添うように縫製されている。多少動きにくいが、短いよりはましだ。
侍女たちにそれらを着せられながら、アンナはそっと正面にあった鏡台を眺める。
そこには豊麗な銀の髪と、鮮烈な赤い目をした美女が映り込んでいた。堂々たる体躯に対して、顔はとても小さく手足はすらりと長い。
珊瑚色の唇はぽかんと呆けており、アンナがわずかに口を閉じると、鏡の中の彼女もまた同じ動作を返した。
(これ……やっぱり、わたしなのね……)
アンナがなんとか体裁を整えた頃、再びイアンが姿を見せた。
「では参りましょう、他の四天王の方もお待ちですよ」
だが部屋を出てすぐ、アンナはどうしたものかと冷や汗をかいていた。魔王の元に行けというが、今の自分には城内に何がどうあるのか全く分からない。
(でも、もしわたしが人間だってばれたら、こ、殺され……)
恐る恐るイアンの方を見る。すると彼はすうと金色の目を細めた。殺られる、と覚悟したアンナに向かって、こちらですと前を歩き始める。
「蘇られてすぐですから、まだ思い出されていないのでしょう。大丈夫、すぐに記憶も戻ると思います」
「あ、ありがとう……ございます……」
どうやら良い感じに勘違いしてくれたようだ。
立派な石造りの長い廊下を、イアンの先導で歩いていく。
途中何人かの魔族とすれ違ったが、皆アンナの姿を見ると一瞬驚いたように目を見開き、すぐに脇に避けて最敬礼した。
その様子にアンナは、アンナローザが魔族の中でも、相当上の立場なのを理解する。やがて辿り着いた巨大な扉を前に、アンナは息を吞んだ。
「こちらが王の間です」
重々しい開閉音を響かせながら、扉が左右に押し開かれた。どうやらこの先はアンナだけしか入ることが出来ないようで、イアンは廊下の端に待機している。
震える体を必死に励ますと、アンナは一歩を踏み出した。床に敷き詰められた深紅の天鵞絨の上を、転ばないよう注意しながら歩く。うっかり躓きでもしたら、人間だとばれてしまうかも知れない。
部屋の奥には、いくつかの石段の上に作られた玉座があった。濃い紫の覆いが天蓋から下がっており、奥に座す人物は確認できない。
代わりにその周囲に、四人の人影が膝をついていた。
明かりがなく、はっきりとした姿を見ることは出来ないが、白い髪であったり、黒い蝙蝠のような翼であったり……中には狼の頭部を持つ者もおり、アンナは改めて自分がいる場所の恐ろしさを噛み締める。
「アンナ、ローザ、です。遅くなりまして、申し訳ございません」
王の前に立ち、アンナは恐る恐る声をあげた。すると帳の向こうから、低く響く声が発せられる。
「――アンナローザ、もう体は良いのか」
「は、はい! おかげさまで!」
突然の質問にどう答えたらいいか分からず、アンナは四苦八苦しながら返事をする。どうやらアンナローザが一度命を落として生き返った、ということは魔族たちにも周知の事実となっているようだ。
(中身が人間だってばれたら、殺される……)
ちらと視線を動かすと、おそらく四天王だろう――彼らの目がアンナに注がれていた。そのどれもが鋭く、アンナの心は緊張と恐怖で既に限界を迎えている。
しかし必死に耐えるアンナの前で、無情にも玉座の帳が開かれた。
(――!)
玉座にいたのは、魔王だった。
黒く長い髪、反するように白い肌。切れ長の瞳は黒曜石の断面のようで、一睨みするだけであらゆるものの生命を奪うかのような恐ろしさがあった。
一見すると、人のようにも見えるのだが、彫刻と見まごうような完成された顔立ちを前に、そんな戯言は言えなくなる。
何よりその威圧。
ただ座っている、そこにいるだけだというのに、息をするのも苦しくなるような、圧倒的な王者の風格を放っていた。
「――そうか」
短く発された、魔王の肉声。
それを聞いた瞬間、アンナはぶわりと全身の毛が逆立つのを感じた。
(――これが、魔王……)
やがてアンナは、ふつりと糸が切れるかのように、その場に倒れ込んでしまった。