第一章 魔王軍の女幹部になりまして
アンナが目覚めると、そこは物語に出てくるお城のような部屋だった。
(……?)
体を起こし、ゆっくりとあたりを見回す。
白を基調とし、金の縁取りがなされた絢爛な装飾の家具。天井からは宝石のような輝きのシャンデリアが下がっており、壁紙はアイリスをモチーフとしたユリ形紋で、こちらも白で統一されていた。
寝かされていたベッドも一級品らしく、天井には豪奢な天蓋があり、そこから薄く光を透かすような絹布が幾重にも下がっていた。体にかけられていた寝具も、美しい光沢とすべすべとした感触があり、手を滑らせるだけで気持ち良い。
(ここ、どこ……?)
明らかに自分の家ではない、とアンナは自分の行動を思い出そうとする。すると繋がった部屋の奥から、控えめなノックの音が聞こえて来た。
反射的に返事をしてしまったアンナのもとに、一人の男性が姿を見せる。
驚くべきことに、これもまた非常に綺麗な青年だった。涼やかな銀の髪には光の輪が降り、穏やかに細められた目は透き通った琥珀色。整った目鼻立ちは絵本で見る王子様のようだ。
寝起き姿を見られ慌てるアンナをよそに、青年はにっこりと微笑みかける。
「おかえりなさいませ、アンナローザ様」
その言葉に、アンナはきょとんと瞬いた。
「あの、わたし、アンナですけど」
「ああ、どうやらまだ記憶が混濁しておられるのですね」
そう言うと青年は、ふふと笑みを零した。
「思い出してくださいませ、わたくしは執事のイアン。そして貴女はアンナローザ様――魔王の忠実なる側近の一人として選ばれた御方です」
アンナローザ、と自分によく似た名前が青年の口から発せられ、アンナは再び首をかしげた。良く分からない。良く分からないが、……最後の方に何かとんでもないことを言われた気がする。
「ちょっ、ちょっと待ってください。あの、……ここは一体どこなんですか?」
「ここは魔王城。我ら魔族の王たる、ゼラ様の居城でございます」
聞き間違いではない、とアンナはイアンを再度見つめる。動揺していたせいか、先ほどまで気づかなかったが……イアンの、人で言えば耳に当たる部分には――山羊のような立派な角が生えていた。
(ど、どうしよう……わたし、魔族の土地に来てしまったんだわ……!)
この世界には二つの種族がいた。
一つはアンナたちのような人間。もう一つが魔族と呼ばれる種族だ。
力を持たない人間とは異なり、魔族は不思議な力を持っていた。また非常に長命で、角や獣の耳、黒い羽など、さまざまな外見を有しているのも特徴的である。
二つの種族は互いに牽制しあい、常に緊張状態にあった。アンナもまた幼少期より、魔族は恐ろしいものという教えを受けており、目の前に現れた魔族の存在に身震いする。
(待って、どうしてこんなことに……)
次第に、アンナの記憶が呼び戻されていく。
たしか――全身が凍り付くような寒気と激しい頭痛、そして高熱がアンナの体を襲っていた。
朦朧となる意識の端に、動揺する両親の姿がある。だが村に医者はおらず、何の処置も出来ないまま、やがて全身がすうっと軽くなっていくのを感じて――
(……わたし、あの時に死んでしまった……?)
だがこうしてアンナは生き返った。
どういうこと、と悩むアンナをよそに、美しい執事は言葉を続ける。
「アンナローザ様は、日々心痛なさるゼラ様のお気持ちを晴らそうと、先んじて人間たちに戦いを挑まれました。ですが恐ろしいことに、人間たちの卑怯な手によって命を落とされてしまったのです……」
「人間によって、死んだ……?」
「ですがアンナローザ様は、万一御身に何かが起きても良いように、ご自分の魂を呼び戻す秘術を施しておかれました」
「魂を、呼び戻す……?」
魂。つまり命だ。それを呼び戻すとは――生き返る、という意味に違いない。
(本当はその、アンナローザさんが生き返るはずだったのに、間違って私が……?)
おそらくアンナとアンナローザは、偶然同じ頃に命を落とした。その時、アンナローザの魂が呼び戻されるはずが、何かの手違いで、似た名前のアンナの魂が呼び戻されてしまったのだろう。
つまり魔族であるアンナローザの肉体に、人間のアンナの魂が入ってしまったのだ。
「はい。おかげでこうして、またお会い出来たという訳です」
嬉しそうに眼を眇めるイアンを、呆けるように見つめていたアンナだったが、そろそろと自分の体に視線を落とした。
村で一番小さいとからかわれ、痩せぎすだった体はどこにもなく、代わりに視界を塞ぐほど豊満な胸がそこにはあった。白い肌は磨き上げられた真珠のようで、傷どころかシミもほくろの一つも見当たらない。
一方で腰は細くくびれており、続く臀部まで優美な曲線を描いていた。座っている視線が高いことから、かつてのアンナよりも身長があると分かる。
と、そこまで観察したところで、ようやくアンナは自分が裸であることに気付いた。慌てて寝具を手繰りよせ、首元まで隠れるように引き上げる。
(な、なんで、わたし、は、裸で……⁉ ていうか、見られた⁉)
だが真っ赤になるアンナと対照的に、イアンはさして気に留める様子もなく、部屋の奥にいた侍女を呼びつけた。