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1.母は奇妙な人だった(前編)



 母は奇妙な人だった。


 僕の家族は、僕が5歳の時に原因不明の交通事故に合い、乗っていた車は大破し、父はその時に亡くなった。


 母と僕とは奇跡的に軽傷ですんだそうだが、その後の生活は一変したという。


 ちょっと記憶が無いのだ。


 父の事はおぼろげに覚えている。


 母もおぼろげに記憶にあるのだが、(まわ)りの人達の話では母はこの事故以来、性格が変わってしまったのではないかという。


 「無理もない」と後々、僕に語ってくれた人もいた。


 最愛の夫を失い、その癒されぬ喪失感(そうしつかん)の中で、5歳の子供を女手一つで育てていかなければならなくなったら、誰でも性格ぐらい変わってしまうだろうと言ってくれた人もいた。


 母は、色々な意味で奇妙だった。


 まず年齢不詳。


 童顔(どうがん)なのも関係していると思うが、母は最初に記憶にある母から、顔にほとんど変化が無い。


 じゃあ、「いつまでも若いお母さんね」という雰囲気(ふんいき)でも無いのだ。


 何か、植物の万年青(おもと)とかのイメージもあるような。


 ちょっと中性的でもあって、あまり女性としてのイメージを抱かれない。

 

 だけど別に男性的であるわけでも無い。


 言葉も少なめで、必要最小限の事しか話さないような面もあって、その割には正確に的確に事を話す。

 

 事務的な事を話せば、理路整然(りろせいぜん)段取(だんど)りよく話すので、そういうことを何かしらの目的で期待する人もいた。


 ただ、人間味と言うか、どう反応するかよくわからない面があり、なおかつ他人がどう反応するかよくわからないみたいだった。


 (そう)じて対人関係は苦手というか、不得手(ふえて)というか。


 子供の頃はよく本を読み聞かせてくれた。


 こういう場合、世間では母親はある程度(ていど)、それぞれの登場人物達に感情移入した口調で話すものらしいが、母は何というか設計図でも解説しているかのような口調で話すのだ。


 あらすじはよくわかったが、どうも登場人物達の人間像が幼子心によくつかめなかった。


 まるで皆、同じ同一人物の様に感じてしまって。


 さらに色々と読み聞かせ用の本もそろえていたようだが、どうも母は一言一句をすべて暗記しているようだった。


 まるで本を開く必要が無いのに、わざわざ本を開いているみたいに。


 母に忘れたとか記憶違いは存在しなかった。


 何年も前の事も聞けば、今見ている光景の様に(くわ)しく述べる。


 それが普通では無い事だとは思わないらしい。


 母は女手一つで僕を育ててくれたが、何を職業としているのかもよくわからなかった。


 株をちょっとやっていたらしいのは知っている。


 でも、株をやる人の情報網というか、パソコンやスマホで株価を見ているのなんて一度も見たことが無い。株の売り買いの操作をしているのでさえ一度も見たことが無い。


 母親同士が役員を押し付け合うPTAの役員会でさえ、まったくスルーされた。


 あの人ではどうなるかわからないというちょっと異質な者を()ける感触で。


 僕はそんな母と二人っきりの家族として暮らしていた。


 この家も持ち家だ。


 事故後、すぐに買い求めたそうだ。


 夫婦の若いころの写真を見ていると、そんなことができる経済力があるようには見えなかったが、即金で土地を購入して建てたという。


 どうも父を失って後、母に再婚の意志は無いようだった。


 逆に父とどう愛情を育んだのだろうという疑問さえ抱いた。


 男女の事はわからないとよく大人達に聞かされたが、そういうものだったのだろうか。


 それとも、母は事故以来、変わってしまったのだろうか。


 母は本当に様々な面で謎で奇妙な人だった。


 高校生活も終わりに近づいた時だった。


 母がどこかに行ってしまうかのような予感がした。


 正確には、これは子供の頃から抱いている直感だった。


 この母はいつかどこかへ消えてしまう。

 

 なぜ、そんな思いを抱いたのかわからない。


 理屈では無かった。


 ずっと、ずっと、幼い時からそんな感覚を抱き続けて来た。


 それが・・・この時は、日に日にその感覚が増していった。


 「ねえ、母さん。これからどうするの?どこかへ行くの?」と(めず)しく母に聞いた僕に母は何も言わずにただ微笑んだだけだった。


 僕は何も言えなくなった。


 こんな時、いつもそうだ。僕は何も言えなくなる。


 そして、高校卒業間近のことだった。


 ある日、家に帰るとテーブルの上に書置きが二通あった。


 その他に通帳や印鑑、家の権利書、その他の書類一式。


 通帳は僕名義で結構な金額の預金があった。


 残された書置きの内、一通は「子供を置いて駆け落ちをする」という事情を書いた文面。


 もう一通は「これは読んだら焼却して欲しい」と書かれた文面。


 その二通目には「事情があって、もう二度と会わないつもりだけど、ある程度の財産等を残していく。自分の道をどうするにせよ、その足しにして欲しい。失踪届を出し、法令期間が過ぎたら自分を亡くなった事に法的に処理して、遺産扱いで家等も受け継いで欲しい。後は好きにしてもらってかまわない」等々のことが切々と書いてあった。


 母が駆け落ちなんかするはずが無い。相手もいない。全部カモフラージュに過ぎない。


 でも、事情も何もわからなかった。


 だが、この結末は知っていた。


 母という人を知っていたから。


 それが何故(なぜ)かはわからないけれど、これが僕にとっても最善と母が判断したから。


 母は消えた。


 多分、もう二度と二人が会う事は無い。


 何故(なぜ)かそれもわかる。


 でも・・・母さん。僕はあなたにとってよき子供でしたか?


 あなたは私を愛していましたか?


 僕はあなたを僕なりに愛していましたよ。


 奇妙なあなたを愛していましたよ。


 この行為が、何故(なぜ)かはわからない異常な行為だとしても。


 あなたの愛ゆえだとわかるくらいには。


 あなたの事を知っています。


 心は痛みにうち震えて叫んでいたけれど。


 「さようなら母さん。今までありがとう」と。


 心の中で。


 母に告げながら。


 「焼却して欲しい」と書かれた書面をキッチンで燃やして。


 「母が失踪してしまったようなのですが・・・」と警察に通報するためにスマホを手にした。




 その日、母は消えた。




 僕の前から、永久に。



 


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