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メリーさんと引きこもり少女

『あたしメリーさん。今、ゴミ捨て場にいるの』


 ある日突然、そんな電話がかかってきた。

 誰からも連絡なんてない、あるはずのない携帯電話。その携帯が突然光って喋ってぷつりと切れたのだ。


「め、メリーさん……?」


 聞いたことがある。あたし、メリーさん。最初はゴミ捨て場に。徐々にあなたの家の近くに。あなたの家の前に。あなたの家の廊下に。あなたの部屋の前に。最後は今あなたのうしろに、いるの。確かそんな感じの……『都市伝説』。


「まさか……ね」


 私はもごもごと呟きながら携帯を引き寄せる。

 真っ黒な画面に映る私の顔は、相変わらず陰気臭くて好きになれなかった。


  ◆


 私はいわゆる引きこもり、だ。ずっと前から何かが怖くてこの部屋から出ていない。

 きっかけになった出来事はある。けれどそれはきっかけに過ぎなくて、私にはそれよりも前から引きこもりの素質があったのだろうと思う。私にとって部屋と外を繋ぐドアは、重い重い塗り込められたコンクリートのようなものだ。ひとりぼっちは寂しくていや。それにしたってこの重いドアを引っ掻いて外に出たいと叫ぶには、勇気も、希望も、全然足りなかった。そんな中。


『あたしメリーさん。今ゴミ捨て場にいるの』

『あたしメリーさん。今ゴミ捨て場にいるの』

『あたしメリーさん。今ゴミ捨て場にいるの』

『あたしメリーさん。今ゴミ捨て場にいるの』


「…………」


 なんだろう、この。この動く気のない都市伝説さんは。

 もはや5日目になるそのセリフを聞きながら、私はだらだら冷や汗をかいていた。なんか、なんか噂で聞いてたのと違う。なぜ。彼女は私に何を求めているの。


『……』


 今まではいつものセリフの後にすぐ電話が切れるのだけど、その日は珍しくまだ繋がったままでいる。

 ブロロロ、とトラックか何かが通り過ぎる音。遠くにおばさんたちのおはようの挨拶、ぴちちと鳥の口笛。靴がアスファルトを叩く音。小学生たちの楽しそうな声。

 電話の向こうにきっと広がっているであろう光差す朝の住宅街を思い浮かべて、なんだか胸がちくりと痛んだ。


『……あたし、メリーさん。今、ゴミ捨て場で……』


 そんな感傷の波が一気に干上がる。続きがある。いつも、ゴミ捨て場にいるとしか言わなかったのに。

 ころころとしたかわいい声のメリーさんは、心なしか不満げな色を滲ませてこう続けた。


『……あなたのツッコミ待ちをしているのだけど……』

「え!? ご、ごめんなさい?」

『違う! そうじゃないの! あたしはこう、《なんで毎日ゴミ捨て場なんじゃーい》ってツッコんで欲しかったの! 《なんでこっち来ないんじゃーい》って! こう!』


 こう! こうっ! と何度も電話の向こうで声がする。えええなにその展開。こっちから合いの手入れていかなきゃいけないタイプの都市伝説だなんて知らなかったんですごめんなさい!

 携帯を耳に当てながらあわあわとしていると、『まあいいの』とメリーさん。ほっとするのと同時、呆れられてしまったのかと怖くなった。

 けれど。


『あたし、メリーさん。今ゴミ捨て場にいるけど、用事が終わったからこれから帰るの。でも明日も来るから、そのときまた連絡するわ。どうぞよろしくなの』


 またね、と囁いてから一方的に電話は切れる。残ったのはツー、ツー、ツー、という無機質な機械音と、呆然とする私。


 彼女は今、なんと言った?


 ささやかだけれど嵐のような出来事の整理が終わった頃、私の脳内に澄んだ水たまりのように残ったのは。


 ――《またね》――


 思わず口を覆って飛びまわりたくなるくらい、嬉しい、嬉しい期待だった。


  ◆


『なんてことなの! 今日燃えるゴミの日じゃなかったの!』

「えっ、メリーさん、毎日ゴミ捨てにゴミ捨て場に来てたんですか?」

『当たり前なの。あたし地域マナーはしっかり守る系女子なの。ネットマナーだって車内マナーだって通勤マナーだって守っちゃうんだから』


 世の中の仄暗いタブーだって守るのよ、と自信ありげにメリーさん。よくわからないけど多分すごいことだ。よくわからないけど。


 メリーさんは毎日電話をくれた。私はそれが嬉しくて仕方なくて、けれどそれをうまく表現できるわけもなく、綿雲のようにふわふわと浮かれては自分の口下手さを思い出し泥沼の底に沈んだように落ち込むのを繰り返していた。けれど、それでも最後に残るのはいつだって、陽だまりに座るような暖かい柔らかい気持ちだった。だって、屋根の下に引きこもる私にとってそれは、夢のように心地が良くて。


 毎日この小さな機械の向こうから語りかけられる、他愛もないおしゃべり。今日は天気がいいの。さっき小学生が枝を剣にして遊んでいたの。井戸端会議のおばさまたちがこんな噂をしていたの……内容はいつも、いわゆる世間話というやつだった。

 私もいつかの昔には誰かとそんなことしていた気もする。けれど、彼女とそんな話をしているとなんだか知らない場所に初めて立ったような気持ちになった。


 どうしてそんな話になったのだったっけ。ある日、メリーさんは私のことをさらりと『友達』と呼んだ。

 その日は電話が切れた後に一人で座り込んで泣いたものだ。あまりに、あまりに、あまりにその言葉が嬉しくて。


 電話ごしでよかった、と、私は心から思った。

 私は彼女の何気ない一言一言にとんでもなく一喜一憂している。それに気付かれてしまったら、彼女は言葉を発するのがめんどくさくなるかもしれない。呆れてしまうかもしれない、引いてしまうかもしれない。私の相手をするのに飽きてしまうかもしれない。けれど、電話越しなら。姿の見えないこの形なら。私は、メリーさんの友達になれると思った。


 そんな矢先のことだった。電話が鳴らなくなったのは。


「……どうして?」


 芝居がかった、悲劇のヒロインのような声で私は呟いてから、自分自身に余計嫌気がさして重い溜め息をついた。

 どうして、なんて。馬鹿な質問。本当は思い当たることは腐るほどにある。私の声が気持ち悪かったとか。彼女の求める返事をできなかったとか。相槌を打つときに声がひっくり返ってしまったとか、うまく返事が出来ずに黙ってしまって変な間が出来てしまったとか、何かを言いかけて、うまく言葉が見つけられなくて、黙ってしまったことだとか。いくらでも思いついた。彼女が不愉快になってしまった理由は。


 ――私に友達なんて、無理だったんだきっと。


 私は自分自身を、責めるふりをして慰めた。もしかしたら逆なのかもしれない。

 わからないけれど結局、私はそんな言葉では納得できなかった――あるいは、諦めきれなかったようだった。


 何も表示しない黒い液晶画面を撫でる。メリーさんからの電話はいつだって一方通行で、こちらから電話をすることはできない。だから彼女から連絡がなければもうどうすることもできない。仕方ない、私には待つことしかできないのだから。そんな言い訳を並べながら、目の前に彼女への連絡手段を示されたってそれを自分から手に取る勇気なんかないことに本当は気付きつつ、でも見ないふりをしつつ、一週間と数日が経った。

 誰からも連絡のない、くるはずのない携帯電話。メリーさんの電話が来る前の元の状態に戻っただけだというのに、心にぽっかり落とし穴が空いたようで酷く悲しい。


 ――全部私の夢だったのかもしれない。


 あまり認めたくないそんな言葉が、嫌がる私の中で事実になりつつあったある日、その瞬間は突然訪れた。

 随分と流行りに遅れた着信音。私は飛びつくように携帯を手に取った。


『もしもし、あたしメリー……』

「メリーさん! メリーさんっ……!」

『……まさかのフライングなの。こんにちは』


 ケロリとした声で電話の向こうのメリーさんは言う。私はといえば、あまりの出来事にへたり込んでしまっていた。ぼろぼろと涙が頬を伝って落ちる。寂しかった。寂しかった。メリーさん、あなた、どこに行ってたんですか。私、あなたがいなくて寂しかったです。そんな言葉が後から後から湧いては消える。

 私は彼女に、こんにちはと返すことが出来なかった。


『どうしたの? 元気ないなの?』

「……た」

『え?』

「嬉しかったです……また、電話、くれて……」


 絞り出すように私は呟いた。

 本当はもっともっとたくさん言いたいことがあって、でも言えないことばかりで、私は声を殺せずしゃくりあげて泣いた。その間私を待っていてくれたのは、沈黙だった。


 それは徐々に深海へと身体が沈んでいくように、じんわりと、そして確かに私の芯を冷やしていく。気付く頃には顔から血の気が引いているのがわかった。


 ――私、今何を言った?


 空っぽの胃のあるはずのない中身がせり上がってきて、思わず口元と喉を押さえる。その拍子にカシャンと携帯が落ちた。


 拾えない。恐ろしくて拾えない。

 私にはメリーさんの気持ちがわからない、沈黙の意味を推し測れない。私の言葉をどう受け取ったのか、それとも打ち捨てたのかすらわからない。私はすぐに言い訳をする、当たり前だ、これは電話なのだから、彼女の姿なんて見えないのだから。

 けれど本当は分かっている。きっと、そんなことが理由じゃない。電話越しで顔が見えないことが理由なんじゃない。


 プッと私を嘲笑うように携帯の画面が切り替わる。耳に当てていないのに、床に落ちたままの携帯から甘いメリーさんの声が響いた。


『……ねえ。あたし、そっちに行こうと思うの』


 その言葉は鋭く私の心臓を穿った。

 そっちに行く? こっちに来る? そんな。

 だって、こんな電話越しですらうまく話せないのに、顔を見てしゃべるなんて。


 きっと失望させてしまう。どうして来てしまったんだろうと思わせてしまう。もう、私の声など聞きたくないと、きっとそう嫌われてしまう。

 私はかぶりを振ってうずくまった。


「わ、分からないでしょう、私のいる場所なんか」

『あら、見くびらないで欲しいわ。あたしは《そういう》存在なのよ。すぐ見つけられるの』

「いや……嫌です、来ないでください」

『どうして? あたしあなたのこと好きなの。きちんと顔を見て話したいの』


 ――好き。


 その言葉に私の心臓は一瞬浮き上がって、けれどそれはものすごく高いところから落ちる時のそれだとすぐに気づく。


 そんなことを言わないで欲しかった。

 好きだったのに失望して嫌いになってしまうのは、初めから大嫌いだと思われるより何倍も何百倍も悲しい。まばたきをした拍子に瞳を涙が覆って視界が滲んだ。


「き、きらいになります。私に会えばきっと。だから来ないでください」

『そんなのわからないじゃない。――ねえ、端に古い本屋さんがある交差点、わかる? 今そこまで来たの』

「っ……」

『今信号を渡ったの。もうすぐあなたの家が見えてくるわ』

「い、いやっ!」


 私は思わず落ちた携帯を払いのけた。それは床を滑ってカツッと壁にぶつかる。けれど彼女の声は途切れない。


『今タバコ屋さんの前を通ったの』

『今横断歩道を過ぎたの』

『あなたの家が見えたの』

『今道を渡ってあなたの家の前にいるの』

『今門を通ったの』

『階段を登ったの』

『今、廊下の先の扉を開けたの』


 少しずつ。少しずつ、彼女は近づいてくる。嫌だと叫ぶ私の声など聞こえなくなってしまったかのように――違う、ああ、違う。そうじゃない。そもそも私の叫びは『音』になっていないのだ。

 どんなに首を振って頭を抱えて丸くなって、携帯の画面を見ないようにと固く固く目をつむっても、私の姿は画面越しの彼女には見えない。思いを振り絞って、きちんと、声を出さない限りは。けれど私の喉は、音を出せることなど忘れてしまったかのように、無意味に震えるばかりだった。


 私は怖くなって自分の体を抱きしめた。何も出来ないならせめて怖いものは見なければいい。

 気配を消す。私は透明なの、どこにも存在しない、ただの――


『みつけた』

「……!」


 声が、重なった。ノイズの混じった聞き慣れた彼女の声。そして、クリームのように甘くふわりとした、扉越しの確かな肉声が。


 コンコンコン、とドアが鳴る。

 私はきつく身体を抱き締めた。


「あたし、メリーさん。そこにいるのでしょう? 出てきてちょうだいな」

「……」

「聞こえてるくせに無視なんて酷いの、悲しいの。それとも自分で開けて入れって言うの? せっかく遊びに来たのに、あんまりだわ」


 愛らしい声は私を責め立てはしなかった。なだめるような、わざとおちゃらけてみせて安心を誘うような、優しくてたまらない声。

 聞きたくない。私は蹲って耳を塞いだけれど、鈴を振るような声はくすぐるように私の鼓膜を揺らし続けた。


「あなた、独りぼっちは嫌だったんでしょう? あたしがあなたを見つけたのはそんなに悪いことかしら。あたし、あなたをそのお部屋に追い詰めて殺しに来たわけじゃないわ。あたしは、あなたとお友達になりたいだけ」

「嘘。嘘です、そんなのは」

「嘘と思うなら扉を開けてごらんなさいな。扉を閉めていたってあたしメリーさんにとっては意味なんかないの。でも、意味があるの。

 あなたに開けてほしいのよ。あたしはあなたと、本当に『友達』になりたいから」


 ――本当にともだちになりたいから。


 その言葉はぽつんと私の心を打った。


 本当は私だってわかっていたのだ。電話越しの奇妙な関係が友達と呼べるものなのかどうか。彼女の言葉を一方的に待ち焦がれていざ近づかれると拒絶する私が、彼女の友達なのかどうか。

 いやだ、と思った。このまま、彼女の「友達」でなくなってしまうのは。



「……どうなったって知りませんから。そこまで言って私のこと嫌いになったら、私がメリーさんを呪ってやりますから」

「嫌だわ。あたしあなたを呪うなんて一言も言ってないの」


 私は静かに部屋の鍵を開けた。

 ギィ、と蝶番が悲鳴をあげる。ずっとずっと閉じこもっていた、端から三番目の小さな空間を出る。


 ホコリを被ったタイル張りの床。うっすらと血の跡が残っている。ヒビと曇りで何もうつらない鏡。ヒビはあのとき鎌が刺さってついたものだ、見ていないけれど、音で知っていた。壊れてうまく閉まらない窓の鍵。これはただの劣化、だって何十年も経ったんだから。鍵なんか必要のない割れた窓ガラス。誰が割ったのか私は知らない、ずっと閉じこもっていて見ていなかった。


 あの日と同じように、開いた扉の目の前には誰かが立っていた。私が扉を開けるのを待ち構えている誰かが。

 でも、違う。 

 あの日とは違う。

 開いてしまった扉の前に立っているのは、何度も鎌を振り下ろして私を殺した男の人ではなかった。


 膝の裏まで伸びる、太陽みたいにキラキラで陽気みたいにふわふわの金髪。

 彼女を淡いピンクや真っ白に包む、たくさんのリボンやレースたち。

 宝石のような瞳は右と左で違う色。アクアマリンとエメラルド。ああ、なんてきれいなんだろう。


 

 薄汚れた景色に不釣り合いなかわいいお人形さんは、私を見て嬉しそうに笑っていた。



 私は言う。


「こんにちは、メリーさん」


 彼女は言う。


「こんにちは、花子さん。

 会えて嬉しいの。扉、頑張って開けてくれて、ありがとう」



 そう言ってメリーさんは、ぼろぼろに泣く私を強く強く抱きしめた。




  ◆


「アンテナ!? アンテナつきのガラケー!? なんて懐かしいの、今の子絶対知らないの! 花子ちゃんこんな化石で電話してたのね!」

「か、化石……。ここの旧校舎ずっと昔はよくヤンキーの溜まり場になってて、そのとき誰かが壊れたものを捨てていったんです。ほら、割れてるでしょ? 拾った時からずっと画面は真っ黒だったし電源ボタン押しても反応はなかったし、連絡なんて出来るはずなかったんです。

 だから、メリーさんから電話が来たとき……本当にびっくりしました」


 メリーさんは私の携帯電話を掲げたりひっくり返したり耳に当てたりして一通り遊んだあと、私に微笑みかけながら返してくれた。確かに、メリーさんが持っている携帯電話と私のものは全然形が違う。ボタンがない携帯なんて見たのは初めてだ。すまーとほん、すまほ、という種類らしい。


「そうだったのね。まぁでも大丈夫なの、あたしのスマホもバッキバキなの」

「えっ、ほんとだ、割れてる……のに、動いてる……!」

「せっかく並んで買ったのにはしゃぎ過ぎて初日に落としたの。絶望だったの……」


 そんなことを言いながらメリーさんはすっすっと「すまほ」を操作して、私の腕を引く。それからすまほを掲げて「はいチーズ」と小気味のいいリズムで呟いた。

 カシャッという音に思わず目をつむっていると、「うーん、このアプリいまいち盛れないわ」とふてくされた声。私の肩に頭を乗せたメリーさんに言われて見ると、画面にはキラキラした白い光の中にいる私とメリーさんが映っていた。


「もれない……って、なんのことですか?」

「最近のアプリはすごいのよ、目は二倍に大きくなるし輪郭も肌色もいくらでもいじれるの。あたし、最近の趣味は自撮りとSNSなの」

「なんだかよくわかりませんけど、すごいんですね」

「ふふ、楽しいの。花子ちゃんも新しい電話買いましょ? その壊れたガラケーじゃあたしとしか連絡取れないわ。不便なの」


 メリーさんは私の手を繋ぐと、優しく引いて外へ連れ出してくれた。


 女子トイレの扉を開けて、階段の踊り場を抜ける。一階の廊下へ。下駄箱を通り過ぎて校舎と外を隔てる扉へ。

 私の手を握る彼女に勇気づけられてそこまではついていった私だったけれど、そこで少したじろいで立ち止まった。


「め、メリーさんと連絡取れれば私、じゅうぶんですよ」


 彼女は私の手を引っ張りはせずに、やわらかく繋いだままふわりと髪を揺らして振り返る。

 昇降口のガラスのドアから差した光が彼女の金髪をきらきらに彩って、すごくきれいだった。


「えー、そんなのつまらないの。あたし、花子ちゃんに色んな人と電話して遊んでみんなと仲良くなってほしいの」

「でも私、ええと……そう。新しい携帯を買うお金なんて持ってませんし、盗むのはちょっと……」

「ふふふ、意外と現実的なところに気がつくの。

 そうねえ。お金はないと困るわよね。でも花子ちゃん見た目が小学生だから、今の平成の世じゃ働けないし、まわりが助けてくれると思うの。明らかに働けない見た目の子には支給金だってあるのよ」

「し、しきゅうきん? 誰が出すんですかそれ」

「さあ? 知らないの。地獄の閻魔様かしら? あたしはの世にしかいたことがないから、の世のことはわからないわ。

 それでも彼の世へのお願いのしかたは知ってるから、今度新月の夜に一緒に文を送りましょ。あたしキラキラの水が出る蛇口を知ってるの。便せんもあたしが持ってるのをあげるわ、お気に入りのやつよ」


 メリーさんの言うことがよくわからなくて、私は困った顔で笑いながら首を傾げてしまった。

 もう少し詳しく説明してくれないかな、と思ったのだけれど、彼女はくすりと笑うとぎゅうっと私の手を握った。まだわからなくても大丈夫だよ、と言うように。


「――ねえ、花子ちゃん。これからあたしたち何だってできるのよ。

 はるか昔から生きてる先輩がたは平成の世はずいぶん生きづらくなったって言うけれど、あたしに言わせてみれば全然捨てたもんじゃないの。

 きっと平成だけじゃないの。昭和も明治も江戸もその前も、それからこの先の未来だって! 世の中は常に楽しいお遊戯で溢れてるの!」


 そう言ってメリーさんは私の手を握ったまま、いえーい! と楽しそうに両手を上に掲げた。

 そしてそのまま私の手を離し、昇降口の外へぴょんと飛び出る。背中に手を回して前屈みになって、にこにこしながら私が続くのを待っている。


 思い切ってうわばきのまま昇降口から一歩踏み出すと、世界が変わったようにきらきらとした陽射しが降った。彼女の笑顔がきらきら輝く。


「お遊戯?」

「そうよ! あたしたち異形にとって世の中なんてみんなお遊びなの。ずうーっと昔からそうなのよ。この世界の主人公は人間で、あたしたちは人間にはなれない、戻れない。その代わり、人間として生きること以外ならなんだってできるの。

 永遠に悲嘆に暮れることも。人智を越えた力をたくわえて、復讐をすることも、何かを救うことも。人間にこっそり紛れることも、友達を作ることも、働くのも遊ぶのもなんだって!」



 ツツジの生垣を通り過ぎる。葉桜の下を抜ける。

 ここが廃校になってからずいぶん経つのに、変わらず空は透きとおって、太陽はきらきらと眩しさを振りまいて、草花はみずみずしく大きく広がっている。


 ――ううん。私が生きていたあの頃より、ずっときれい。


 私は空を見上げて、しみる太陽光に目を細めた。


 きっかけはあった。けれど、私にはもともと引きこもりの素質があったのだ。

 毎日毎日、ランドセルに押しつぶされそうに俯いていた。誰にも話しかけることが出来なかったし、誰も私を気に留めなかった。私も、私以外の何も気に留めてはいなかったのだと思う。きっと。だって、空を見上げてきれいだと思ったことなんて、あの頃の私は一度もなかったから。


 私のいた薄暗いトイレからは校門の外は見えなかった。ここから先は知らない世界だ。けれど私の足はもう怖がって止まったりはしなかった。



 私は言う。


「私も、これからなんだってできるようになれるかな」


 彼女は言う。


「もちろん! 期待しててほしいの!」


 そう言ってメリーさんは、心から笑う私の手をぎゅうっと握り返した。

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