三千年の試練で俺は異世界の大賢者になった
遠巻きにする野次馬の声が聞こえる。高校への通学途中で跳ねられた俺は、見知った顔を野次馬の中に発見した。目の前で運転手らしい男が泣き叫んでいるが、何を言ってるかよく分からない。分かったのは自分がもう死ぬだろうという事だけだった。この出血では助からない事は見て取れる。
そして意識を失った。
※
「残念ですが、ご希望には添えませんね」
カウンターから聞こえる会話は、酷く冷たい声だった。中年の男は納得がいかないのか食い下がっている。 断られても粘り続ける男の姿は、ある種の執念が感じられた。
トラックに跳ねられて死んだはずの俺だったが、いつの間にかソファーに座っていた。真っ白な壁はどこかの市役所の様だ。目の前には長いカウンターが並んでいる。
「次の方どうぞ」
声が聞こえたので見てみると、どうやら俺を呼んでるらしい。中年の男が肩を落として帰る姿を横目で眺めながら、空いた窓口に座った。
「えーと……どれどれ」
いかにもやる気が無さそうな態度で、手に持った紙を見ている相手は、黒縁の眼鏡を上げて読んでいる。老眼なのだろう。
定年間近の役人と言った男は、酷く薄い唇を歪めて俺を見た。
「なるほど……ふむふむ、そうですか。実に良い。待っていたのですアナタを!」
良く意味が分からない俺にかまわず話しかけてくる。
説明によると、ここは死後の世界であった。死んだ者は、すべて生前の行いによって審判を受ける。
「アナタは大変素晴らしい偉業を為されたのです! 奇跡と言っても良いです。ここまで貴重な人は、私も見たことがありません」
興奮気味に話す男だったが、唾を飛ばすのは止めて欲しかった。
女性には縁が無かったが、特に大した事はしていないはず。興奮気味に身を乗り出して早口でまくし立てる男の姿に、若干引きながら聞いて見た。
ネットの世界では、三十歳まで童貞を守ると魔法使いに成ると言う。もちろん自虐ネタだ。
だが……それが三百歳を越えていたら?
結論は、童貞を三百歳守ると魔法使いに成れる。ただし、普通ではあり得ない。だって人は長生きしても百歳ちょっとなのだから。
そして……俺の場合は……。
「三千年?! なにそれ!」
「ええ。過去にアナタが守った年月ですよ。素晴らしい、実に素晴らしい!」
俺は非情に複雑な気分だった。確かに俺は童貞だ。生まれてから彼女どころか、女友達も数えるくらいしかいない。
だけど……それがまさか前世から続いていて、しかも三千年って……。
「記録によると有史以前からですな。人では無い時期も有ったみたいですが、すべてにおいて童貞です!」
無駄に力の入った賞賛を浴びながら、俺はどんどん気分が悪くなる。考えても見ろ、本能で生きてる動物や虫けらの時でさえ童貞だったんだぞ。俺のすべてを否定された気分だった。
「死にたくなった……」
「いやアナタはもう死んでいますが」
軽くジャブを入れられた俺は、男を殴りたくなったが我慢して話を聞くことにした。
※
説明によると。
魔法使いには、寿命の長い種族だけ成ることが出来る。これは、神が決めた世界のルールだったが例外が有った。
ある日どっかの神が『それ? 不公平じゃね?』と言いだしたのが始まりだったそうだ。人族や虫けらなど寿命の短い種族にも等しく機会を与えるべきだと。
調子に乗った神が『じゃ! 転生で通算したら良いじゃん』軽く答えた。
しかし良識のある神が『転生で三百年など、余裕すぎてつまらん』と言い出すと収集がつかなくなり、とうとう回りにいた神を巻き込んでの大論争に発展したそうだ。
意見はどんどん出されていく。おもしろがる神達のおかげで、ほぼ実現不可能なルールが決められていった。
まずは知性のない種族を経験することや、容姿は恵まれなければならない事などが決められる。
ドラゴンやエルフなど、寿命の長い種族には決して転生しない事なども追加された。
『虫! 虫を三回入れよう!』
転生する種族の順番も紛糾するが、一部の強いこだわりも取り入れられる。
『童貞っていうくらいだから、全部男ね! オスだけループするの。それで一〇歳くらいが一番輝いて……あぁあ男の子……』
奇数回には幼少時の容姿まで細かく決められたらしい、特殊な趣味の女神達によって。
そしてその試練を乗り越えた者には特典を与えることも決められた。
「アナタは、大賢者として転生して貰います」
俺は試練を乗り越えた特典として、転生させて貰えるらしい。ちなみに拒否は出来ないそうだ。
「さっきの人も惜しかったのですが……」
俺の前に窓口にいた中年を思い出す。
「惜しいですか? どういう事なんです?」
確かにかなりの長い時間を粘っていたが、あの人も俺と同じなのだろうか。
「ええ。試練を乗り越えて挑戦していたのですが……。惜しかったのです。実に惜しい。彼は三千年を目前としていたのですから」
俺以外にも仲間がいたことにほっとした。そう俺だけが特殊なはずは無いだろう。広い世界で良くある事だと安心した。
次の言葉を聞くまでは……。
「彼ね……捨てちゃったんですよ。後少しだったんですがね、風俗に行っちゃったんですよ」
「はっ?」
「いやね、素人童貞じゃ駄目かって、散々粘られたんですけどね……ははは。いやー勿体ないです。だって死ぬ前日ですよ」
捨てた日がちょうど三千年だったそうだ。
「初めての達成者かと我々も注目して見守っていたんです。ぷぷっ、賭のオッズもうなぎ登りで、賭札を持ってた神なんか換金所に並んでましたからね」
腐っていた。この世界の神はみな腐っている。楽しそうに話す男を前に、俺は絶望していた。
「男が風俗の店の前で行ったり来たりした瞬間なんて……。フリーで入ったから不人気の嬢を押しつけられて、指名料くらい払えって話ですよ、がはは! やっぱり値段で選んではいけません。三段腹を前にして目をつぶって必死に妄想する姿は、涙を誘いましたから。もうヤジが凄くて、えっ? 誰のヤジかって? もちろん達成に賭けてた神様のですよ。笑っちゃいますよね? 最後まで中折れしろー何て、神様が叫んでましたから盛り上がって。男が逝った瞬間は、賭けていた連中の顔をアナタに見せたいくらいですよ。呆然としてましたから」
生き生きと話す男の話は、半分も入らなかった。ちなみに初達成で盛り上がっていたのは中年の男だけで、俺は若いせいか全く話題にも成らなかったらしい。
「では、長々とお話してしまいましたが、この度の達成。おめでとうございます。次の世界では誰も干渉しませんから、自由に生きて下さって結構です」
こうして俺は窓口から放り出された。
※
回りの視線が痛い。俺を一目見ようと野次馬が集っているのだ。ひそひそと噂されている。指を指して俺を見ている視線は、決して好意的では無いのだけは分かった。
「来たわね。女神やってるルキナよ、」
出迎えた転生人は、女神だと言う。虫けらを見るような視線で俺を迎えた女神は、整った顔を歪めて毒を吐く。容姿はキレイだがかなりの毒舌だった。
こいつが俺に特典を付けてくれるのか。
「しゃべら無くても良いわ。息もしないでくれる妊娠しそうだから」
勝ち気そうな眉をひそめて心底嫌そうにしている。
まるで俺と同じ空気さえ吸うのが嫌だと宣言された気分だ。それにしても、何故ここまで言われなければならないのだろうか? たかが童貞を続けたと言うだけで、俺は何もしていないのに。
「私が、転生人を務めるなんて光栄に思いなさい。アナタ程度でこんな事するなんて、普段は絶対あり得ないんだから」
思いっきり、上から目線で言い切った女神ルキナ。
「ずいぶんな言い方ですね」
腹が立った俺は、思い切って話しかけてみた。
「ひっ! 来ないで! ちっ、近寄らないでよ……」
途端に顔が引きつって怯える。俺が側に近寄ると、のけぞる様に後ずさるが後ろは壁だ。
「神の特典って、扱いが酷いんですね?」
いくぶん気をよくした俺は、顔を寄せてささやくと腰が抜けたのか尻餅をついた。こいつ女神とか言ってたけど、気が弱いな。
「と、とりあえず、さっさと転生しなさいよ! 特典はこっちで選ばせて貰ったわ」
涙目で言うルキナに対して、強気になった俺は追い詰めてみた。
「へー……さっきの窓口じゃ説明を受けて選べって聞いたけど、結構適当なんですね?」
嘘八百並べてみる。この手の相手には慣れていた。新興宗教にはまっていた近所の女子大生にそっくりだ。壷を押しつけられた経験を生かしてやる。
「せっ、説明って……えっ? 聞いて無いよ。ななな……何の事かな?」
俺は生前結構騙された。女にはもてなかったが、自称カウンセラーとか神様を信じろとか、その手の勧誘は数え切れないほど経験したのだ。無駄に経験値を積んではいない。
「どうせ馬鹿にして、適当に送り出すつもりだったんじゃ無いですか?」
「あひっ! ご、ごめんなさい……」
舐めやがって。
「うっ……ぐすっ。もう……いやっ……。ううっ……。早く転生してよ……」
俺はルキナから大量の特典を奪い取ると転生した。ええそうです。どうせ自由になるなら楽な方が良いじゃないの。
光に包まれながら、今度の世界では童貞だけは早く捨てようと強く決意していた。
※
転生した世界で目覚めた時は夢を見ていたかと思った。だってそうだろ?普通は女神とか神とかあり得ないから。
でも……現実だった。
生まれ変わった爽快感が俺を包む。ルキアを脅して生前の姿のまま送らせた。幼児プレイには興味無かったのだ。
さて……これからこの世界でどう生きようか。大賢者として望めば何でも手に入るだろう。
……と。思ってましたよ……ホント。
大賢者の力は強大だった。溢れる魔力は、この剣と魔法の世界では無敵を誇る。望むなら富も権力も手に入るだろう。
しかし……。
「もう……何やってるの……」
目の前で横たわるのは、白い肌をしたエルフの少女。上気した肌、はほんのりと赤みをさしていた。淫靡な口元は誘うようにあえぎを上げる。吸い付くような感触に男なら我慢が出来ないだろう……普通は。
「……す、すまん。どうも飲み過ぎたようだ……」
「ちっ! どうするの? 時間無くなっちゃうんだけど。あと、出来なかったからって、値切るのは無しだよ!」
ここは王都の娼館。貴族や大商人がお忍びで遊ぶ高級なお店だった。
「あははは……もっ、もちろん払うよ。金貨五枚で良かったかな?」
強い決意で早く童貞を捨てようと決めた俺は、途中の目移りを振り切って王都を目指した。どうせ初めてを捨てるならと……最高級な女を相手にすることにしたのだ。もちろん指名料も払いましたよ。
「あら? 時間ね。次に来るときはあんまり飲んじゃ嫌よ」
金貨を手にして途端に愛想の良くなったエルフ女は、最上級の笑顔を振りまいた。
「あ、ああ……。もちろん、また来るよ」
俺は引きつった笑顔を張り付かせて後にする。
これで何度目だろう……。
三千年の試練をこなした俺は、大賢者になった。神のいたずらの様なしばりも抜けて自由と力を得た。
ただ一つ……起たなかった事を除いて。
そう、ネットで良く言う『賢者』の状態だったのさ。
「おのれぇえええ! 神よ! 余計なことしやがって! 捨てられねーじゃないか!」
気が向けば続編かくかも。