M-31:桜色の狂気と
M-31:桜色の狂気と
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「ねえ、私の名前はサクラ・アリスって言うの。あなたの名前は?」
「私も桜愛理子よ」
「そっか、よろしくね、桜愛理子」
サクラ・アリスは全く感情のこもらない声で答えた。
きっと今の彼女はどんな名前を聞いても同じ反応をしたのだろう。
もしかしたら、彼女はもう近衛蘭を見ても、彼と気づかずに無反応であるのかもしれない。
あの狂気でしかない瞳を持つ彼女は今、何かを見ているのだろうか?
何かを見えているのだろうか?
正直、彼女はあたしを見ている訳じゃないのに、あの狂気の瞳がそこにあるだけで怖くて仕方ない。
「私は、乱君と平和に暮らせる新しい次元を作る。うん、そしたら、きっと乱君は帰ってきてくれる。
乱君が帰ってこれる次元を作れば、きっと私たちは幸せに暮らせる。
ねえ、あなたもそう思うよね。あなたにも、この乱君の助けを求める声が聞こえるよね」
それは現実を見ていない、ありもしない空想に必死に縋っている一人の女性だった。
近衛蘭はクレデターに喰われた。
その現実を認めたくなくて、狂気に体中を染め上げて、必死なまでに現実を否定し続けている、女性があたしの目の前にいた。
そして、もう一人、あたしの上にも狂気に浸食された女性がいた。
彼女はゆっくりと前に歩き出し、もう一人の自分の前で立ち止まった。
「あなたが、何をしようとしているのか、私は知りません。何をしようと関係のないこと。でも、一つだけ確認させて、あなたは蘭さんを蘇らせられるの?」
そこにいる桜愛理子は、それまでの桜愛理子ではなかった。
近衛蘭に恋して、純情なまでに彼を思い続けてきた彼女はもうそこにはいなかった。
そこにいたのは、あたしがとてもよく知っている、あたしのお兄ちゃんを殺そうとしているあの桜愛理子だった。
彼女もまた、悲しみ色の狂気に染め上げられていた。
「うん。私はもうその事しか考えられない」
サクラ・アリスの言葉に、桜愛理子は頷き、そっと左手を差し出した。
「なら、あなたが何者でもかまわない。
でも、私にも手伝わせて、私の兄を、私の大切な人を、私が愛したあの人を、私にも救わせて。
私はまだ、あの人から、あの人の想いを何も聞いていない」
その言葉には秘めた想いが乗っていた。
もう二度と伝えることが出来なくなった近衛蘭の想いが乗っていた。
聞いているあたしが潰されてしまいそうなほどのとても重い想いが秘められていた。
「うん。分かった」
刹那、桜色の光が輝いた。
光が消えた後、桜愛理子の左手にはあの桜色の指輪が煌めいていた。
「それはMSデバイサー。あなたみたいに想いを秘めた人ならきっと上手に使いこなせるはず」
桜愛理子は小さく頷いた。
あたしはもう何も言えないでいた。
全てを知ってしまったから。
桜愛理子がシリアル・アリスになった理由、その決意、そしてその目的までも。
「次元を作り出すには、フェイトというMSデバイサーが必要なの。あたしは絶対にMSデバイサーを見つけ出して、新しい次元を作り出す。
でもね、その目的のためには、邪魔な存在がいる。それが彼なのか、彼女なのか、分からない。
でも、ソレは私の願いを一撃で切り裂けるほどの危険性を体の中に秘めている。
だから、お願い。あなたはそのMSデバイサーを使って、”アトロポス”を見つけ出して、殺して」
そこで、想い出は終わった。
あたしの目の前に作り出されていた想い出という名の虚像が全て、ガラスが割れるように砕け散って桜色の塵クズとなって消えていったのだった。
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