七章
七章
街道をしばらく南西へと進むと、やがて行く手に広々とした畑が見えてきた。亜麻だけではなく、クローバーの牧草地や豆畑などもまじっている。つぎはぎ模様の畑地は、土地を順番に使って休ませるがゆえのものだ。
リーファはのどかな田園風景に心和ませながら馬に揺られていたが、ティエシの村が視界に入った瞬間、いきなり寒気に襲われた。
ぞわっ、とうなじの毛が逆立つ感覚。えも言われぬ緊張と恐怖が、一瞬で背筋を駆け抜けた。
思わず手綱を引いて馬を止めたリーファに、シンハが怪訝そうな声をかける。
「どうした?」
「おまえは……」
何も感じなかったのか、と問い返しかけ、リーファは言葉を飲み込んだ。
(父さん)
ミルテの声が耳元でささやく。リーファはぶるっと身震いし、素早く周囲を見回したが、幸か不幸かミルテの姿は見当らない。
(なんでだ?)
リーファはしかめっ面で鳥肌の立った腕をさすり、改めて村を見やった。なぜミルテの声がしたのだろう。王都ではなく、こんな場所で。
むぅ、と考え込んでいると、シンハが馬を寄せてきた。
「大丈夫か」
「あ、うん」我に返り、慌ててリーファはうなずく。「なんでだか一瞬、寒気がしてさ。ミルテの声がしたみたいだったんだけど、姿は見えないし。この村も、何かミルテに関係があるのかな。西から来たんなら、王都に入る前にここを通ってもおかしくはないけどさ」
リーファの推測を聞いてシンハは難しい顔になり、周囲を厳しい目で見回した。
「ミルテがいつの時代の子供にしろ、この村を通ったことは間違いないな。あの服からして、ここに村がないほど大昔の話じゃない。何か関係がある可能性はある」
「うう、嫌だなぁ。なんでこんなとこまで出てきて、この散歩日和にそんな話……」
ぶつくさぶつくさ。ぼやくリーファとは対照的に、シンハは面白そうな顔をした。
「おまえはつくづく、何かしら面倒事を拾うのが得意だな」
「好きで拾ってんじゃねえや、くそぅ」
いーっ、とリーファが歯を剥く。シンハは笑いながら馬を進めた。
セウテスが言った通り、ウート家はすぐに分かった。村人に訊くまでもない。風よけの木立に囲まれた、一番立派なお屋敷だ。嫌でも目に付く。しかも、道に残る轍はどれもこれもそちらへ向かっていた。
その家に近付くにつれ、リーファの中で不快感がじわじわと募っていく。腹の中で冷たい脂の塊が少しずつ腐りかけているような気分だ。
不安に駆られて周囲を見回したリーファは、小さく息を飲んだ。
「シンハ、あれ」
小声でささやき、行く手にある木立を指差す。高木と低木が身を寄せ合う足元に、薄暗い陰が落ちている。その中に、月夜の蛾のようにぽつりと白点が浮かんでいた。シンハもそれを見付け、目蔭をさして顔をしかめる。
「何をしているんだ?」
白点、すなわちミルテは、あれほど執着していたリーファに見向きもせず、地面に屈み込んでいた。
「……あ、なんか嫌な予感」
ぼそりとつぶやいたリーファの横で、シンハも「同感だ」と暗い声で賛成した。どうやらミルテはあそこで何かを見付けたらしい。あの、土の下に。金貨の詰まった壺ならいいが、犬が隠した宝物かもしれない。そう、たとえば骨とか。
「なんだ、あんたらは」
二人を現実に呼び戻したのは、野太い男の声だった。リーファは慌てて表情を取り繕い、声の主を振り返る。予想通り、セウテスを殴り飛ばしたあの男が立っていた。相手もリーファを覚えていたらしく、なぜこんな所に、と言いたげな当惑顔になった。
「やぁ、先日はどうも。あんたがウートさん?」
リーファはとりあえず友好的な口調を作り、馬から下りた。
「ああ、そうだが」
ウートはまだ警戒を緩めず、厳しいまなざしで二人を見比べている。リーファは手を差し出し、せいぜい愛想良く微笑んだ。
「オレはリーファ。セウテスから、あんたの所がリネンを作ってるって聞いてさ。友達が見せて欲しいって言うんで、連れてきたんだ」
すらすら口から出まかせを言い、リーファは視線でシンハを指した。
「こいつはアースってんだ。あちこち回ってちまちま交易をやってるんだけど、リネンは扱ったことがなくてさ。セウテスの話じゃ、あの店との取引が減るらしいって? だったら、その分を回して貰えたら丁度良いんじゃないかと思ったんだけど、どうかな」
「あの小僧の口利きか?」
ウートは嫌そうな顔をしたが、それでも商売っ気の方が勝ったらしく、渋々といった様子ながらも握手を交わす。シンハも下馬して、さりげなく挨拶した。
「見せるったって、今の時期はリネンの仕事はあんまりないよ。まだ花も咲いてないし、去年の分も作業は終わってる。まぁ、畑や作業場を見て貰う分には構わんが」
言いながら、ウートは屋敷の方に歩きだす。二人は馬を引いて後に従った。
「どの辺りまでがあんたの土地だ?」
シンハが微妙にアクセントを変えて尋ねた。大陸中部との往来を繰り返す交易商人らしく、ウェスレ語特有の発音がまじっている。何の相談もなしに商人役を押しつけられたにも関わらず、すんなりそれに応じられるのは、脱走王の面目躍如といったところか。
「そこの丘の下と、あっちはあの松林までだ。それから……」
目印を言いながらウートが示した範囲は、かなりの広さだった。リーファは「ふぇー」と感嘆の声を上げた。
「すげえな、大地主だ。ちょっとした領主並じゃねえの?」
「領主は大袈裟だな」シンハが平静に言った。「亜麻は一度作ったら地力を消耗するから、五年は同じ場所に植えられない。順に休ませる土地が必要だから、毎年作ろうと思うなら、いきおい地所は広くなる。とは言え、確かにかなりのものだが」
そこで彼はウートに目を向けた。
「先祖代々の土地なのか?」
あれ、とリーファは目をしばたたく。セウテスから聞いた話は、シンハにもすべて伝えたはずだ。何代か前に急にのしあがったらしい、という事も言った筈だが……。
リーファが様子を見ていると、ウートは曖昧な表情でうなずいた。
「ああ、まあね。祖父さんが若い頃に一山当てたとかで、ここいらを買い上げたんだと聞いてるよ」
奇妙に早口でそれだけ言うと、そんな事よりここからが本番、とばかり得意げに声を大きくする。
「今じゃティエシの特産品と言ったら亜麻だ。昔も少しは作っていたがね、今は規模が違う。村の者も皆、うちで働いてるよ」
「なるほど。糸紡ぎと機織りはそれぞれの家で?」
「ああ。もちろん、うちでもやらせてるがね。うちの作業場はこっちだ。馬はそこにつないでおいてくれ」
屋敷の厩を示し、ウートはどんどん歩いていく。リーファとシンハは馬を駒留めにつなぎ、ちらっと裏手の木立に目をやった。もうミルテの影は見えない。
「アースとは懐かしい名前だな」
ひそっ、とシンハがささやく。二人が出会った時にシンハが使っていた偽名だ。リーファはにやっとして、相手の脇腹を肘で小突いてやった。
ウートの案内で作業場に向かいながら、リーファは何気ない口調で問うた。
「屋敷の裏には、使用人が住んでいるのかい」
「なんだって?」
ウートの反応は速かった。こちらが驚くほどの勢いで振り向き、目をぎょろつかせて聞き返す。リーファはわずかにのけぞったが、怯んだ気配は見せず、ただ単に不思議そうな態度のまま言い足した。
「さっき来る時に、誰かが穴でも掘ってるみたいだったからさ」
「そんな馬鹿な!」
ウートがぎょっとなって叫ぶ。シンハとリーファは無知な第三者を装い、揃ってきょとんとして見せた。ウートはすぐに我に返り、いまいましげに唸って背を向けた。
「裏庭には誰もおらん。悪ガキどもが悪戯に来おったに違いない。後で、落し穴でも作られてないか、調べんと……」
ぶつぶつとウートがぼやく。二人に聞かせるための独り言であるのは間違いない。リーファとシンハは目配せを交わした。どうやら当たり籤を引いたようだ。
そのまま二人は何食わぬ顔で、作業場を見せてもらった。乾燥させた亜麻の束を叩いて余計な繊維を落とす台、繊維を梳くブラシ。漂白に使う石灰の袋やブナの槌。
「漂白もここでするのか」
シンハが心もち驚いた声を出す。ウートは得意げに胸を反らせた。
「注文のあった分だけだがね。うちのリネンは上等なんだ。しみったれた生成り色のまま貧乏人に売るなんて、もったいないぐらいさ。まぁ、金持ちでも自分のとこで漂白するのもいるが……うちで仕上げるよりうまく出来るかどうか」
ウートは鼻を鳴らし、別室の倉庫から一枚のナフキンを出してきた。
「まぁ見なよ。王様に差し上げたって恥ずかしくない上物だろう」
得意満面の台詞に、リーファは危うく失笑しかけ、きわどいところで堪えた。シンハの方はまるで他人事のようにすました顔で、布地を眺めて感心している。
「なるほど。確かにこれは高値がつけられそうだ。しかし、それならなんだってあんな小さな店と取引をしているんだ?」
「義理ってやつさ」ウートは渋い顔をした。「昔うちがまだしょぼくれた農家だった頃に、うちのリネンを買ってくれたのがフォラーノの祖父さんでね。それ以来……だが、わしは違うぞ。あんたがいい客を見付けてくれるんなら、大歓迎だ」
「こちらとしても、どうせ同じかさの荷を運ぶなら、高く売れる方がいい。この白リネンなら充分……」
あれこれと商談に入った二人をよそに、リーファは興味津々でリネン作りの道具をあれこれ見物していたが、ふと顔を上げてハッとなった。窓の外を娘が通り過ぎたのだ。
(確か、ローナだっけ)
リーファは慌てて出ていく口実を探した。と、まるで見計らったように馬のいななきが聞こえ、家禽の騒ぐ声が届いた。
「なんだろう、ちょっと見てくるよ。そっちはそっちで、ごゆっくり」
大急ぎでそれだけ言い、返事を待たずに作業場を飛び出す。見回すと、ありがたいことにローナも厩の騒ぎに気が付いて、走っていくところだった。
厩のまわりではガチョウや鶏が面食らったように首を揺らし、賑やかにガァガァコケコとそこらを走り回っている。
「シッシッ! ほら、そっちへお行き!」
ローナは慣れた様子で鳥たちを集めていく。ガチョウ番の幼い少年が泣きだしそうな顔でそれを手伝っていたが、リーファに気付くと「あっ」と立ち竦んだ。
「ご、ごめんなさい! きれいな馬だったから、ぼく、つい……ごめんなさい!!」
つい、ふらふらと吸い寄せられてしまったのだろう。残雪はひどく臆病な馬なので、見知らぬ子供にも怯えたに違いない。
「いいよ。それより、蹴られなかったかい?」
見たところ怪我はなさそうだったが、リーファは念のために問うた。子供はぶんぶん首を振り、もう一度震え声で「ごめんなさい」と頭を下げると、逃げるように、鳥を小屋の方へ追い立てて行った。いつも怒鳴られてばかりいるのだろう。先制して平謝り、そして可及的速やかに撤退。一連の行動の淀みないことと言ったら。
騒々しい一団を見送り、リーファはふうっと息をついてローナを振り向いた。リーファが挨拶するより先に、ローナは、あら、というような顔をして言った。
「先日お会いしましたよね。今日はどうしてこちらに?」
「あ、うん、ちょっとね。友達を案内してきたんだ。それと……」
そこまで答え、リーファは相手が何を期待しているかに気付いた。小さく咳払いして、声をひそめる。
「セウテスに怪我はないよ。ちょっとしょげてるけど」
「ああ……」
明らかにほっとした様子で、ローナが深い吐息をもらした。それから彼女は、リーファの視線に気付いてぱっと頬を染めた。リーファは面白半分にその反応を見守る。ローナは内心で笑われているのを察して、ますます赤くなった。
(セウテスの奴も気が利かないなぁ。オレがティエシに行くってったんだから、ローナに伝言のひとつでも頼めば良かったのに)
案の定、ローナはリーファの口から何か続く言葉を期待しているらしく、目を輝かせてこちらを見つめている。リーファは罪のなさそうな嘘をひとつふたつでっち上げたい衝動に駆られたが、恋する男女の間で交わされる言葉など想像もつかなかったので、諦めた。こんな事なら甘ったるい恋愛の伝承物語でも読んでおけば良かった。
(ま、読んでたとしても、セウテスが何を言うかなんて分かりゃしねーけど)
とどのつまり正直が一番。リーファは申し訳なさそうに頭を掻いた。
「ごめん、伝言は預かってないんだ。あいつ今ちょっと、他の事に気を取られてるみたいでさ」
「他の事?」
さっ、とローナの表情が翳る。心当たりがあるのか、それとも単に恋人の心変わりを勘繰ってのことか。どちらにせよ、セウテスは有り難くないだろう。
リーファは素早く周囲に視線を走らせてから、ローナに顔を近付けてささやいた。
「セウテスの親父さん、何日か前に来なかったかい」
「え……? ええ、来られたけど、それが何か」
この話題は意外だったらしい。脈絡がつかめないといった風情で、ローナは目をしばたたいた。リーファは深刻ぶるのをやめて、軽い口調に変えた。警戒されるとまずい。
「その時にすごい大喧嘩したんじゃないか? わざわざ店に怒鳴り込みに来るぐらいだろ。ウートさんの所から仕入れられなくなったらどうしよう、って心配してたよ」
「確かに、表まで聞こえるぐらいの怒鳴り合いだったわ。父さんは『この裏切り者』とかなんとか言って、おじさんを追い返しちゃったし、ものすごく怒ってて、怖くてしばらく近寄れなかった」
「追い返した? いつ?」
「さあ、あれは……何日前だったかしら。その次の日に、店まで行くって言い出したんだけど」
「怒鳴り込んでたのが一昨日だから、三日前だな」
そう、そしてその日の夜に、リーファは初めてミルテに遭遇したのだ。
(偶然か、それとも)
「セウテスの親父さんが帰るところは見たのかい」
「ちらっとだけど。ねえ、あたし……もう行かなきゃ」
ローナは不安げにそわそわし始めた。ちらちらと背後の――作業場の気配を窺っている。おしゃべりしている所を父親に見つかるのが、恐ろしいのだろう。
(ふむ。ちょっとした暴君なんだな)
リーファは心のメモに記し、気安い口調で応じた。
「ああ、うん。ごめん、引き止めちまって。それじゃ」
ローナが屋敷に逃げ込むと間もなく、作業場の方から話し声が近付いてきた。振り返ると、シンハとウートが連れ立ってやって来るところだった。すごいな、とリーファは目をみはる。どうやらローナには予知能力があるらしい。
シンハとウートは友好的に談笑し、握手して別れた。シンハは満足気な笑みを浮かべて大股で歩いて来ると、手綱を取った。
「話はまとまったのかい」
「ああ。酒場で祝杯を上げて何か食おう。行くぞ」
話はそこで、という事だろう。リーファは調子を合わせ、ウートに手を振ったりなどしてから、振り返らずに屋敷を後にした。
村には一軒だけ酒場があり、客は地元の住民しかいなかった。紛れ込んだよそ者に、好奇の目が集まる。だがシンハが慣れた様子でカウンターに行き、亭主と簡単な会話を交わしてさりげなく身の上を説明すると、雰囲気は一気に和んだ。
相手がリネンの買い手なら、愛想良くしておいて損はない。シンハが全員に一杯ずつ奢ったおかげもあり、客は皆、聞きもしない内からあれこれと噂話を聞かせてくれた。
が、そうこうする内、リーファはふとシンハの様子に気付いて眉を寄せた。そろそろ夕暮れとは言え、今の時期はまだまだ明るい。にもかかわらず、シンハは随分と顔色が悪く見えた。光が弱まったせいではない。
「おい、大丈夫か? かなり辛そうだぞ。少し休んだ方が良くないか?」
袖を引き、なるべく小声でささやく。しかし酔っ払いの声高なおしゃべりに負けない程度の声は出さねばならず、近くにいた亭主に聞かれてしまった。
「なんだい、お客さん、具合が悪いのかい? なら二階の部屋を使いなよ。うちは宿屋も兼ねてるんでね。すぐ用意させるよ」
こっちの返事も聞かず、亭主は奥にむかって、おい、と声を張り上げる。おかみさんが現れ、話を聞くとやたらと嬉しそうにいそいそと階段を上がった。久々の客なのだろう。しかも病気で弱っているのならば、そこに付け込んでいくらでも巻き上げられるわけだ。
(いや、そんな風に疑っちゃ悪いか)
とは思えど、やはり亭主夫婦の笑顔は薄気味悪い。病人相手に、心配するどころか喜んでいるように見える。
結局二人は、有無を言わさず階上の一室に押しこめられてしまった。シンハは一度だけ「馬を返さないと」と抵抗したものの、実際はそれどころではなかった。部屋に通された直後には、ベッドに倒れこんでしまったのだ。
リーファとしてもここでなしくずしに宿を取るのは気が進まなかったが、これではどうしようもない。無理を押して王都に帰っても、夜にもう一度ここまで来ることはできないだろう。
「丁度いいから、夜まで寝てなよ。日が落ちてからミルテがいた場所を見に行こう」
リーファは楽観的な調子を装い、ベッドの端に腰掛ける。シンハは何ともつかない呻きで応じた。
しばらくして少しは楽になったのか、シンハは独り言のようにつぶやいた。
「覚悟はしていたが、厳しいな。これじゃ到底、脱走の手段には使えない」
「馬鹿」
思わず苦笑し、リーファは何となくシンハの額に手を当てた。熱はないようだ。
「なんか、だんだん酷くなってないか? 大神官が、慣れたら人並に生きていけるって言ってた、とかなんとか言わなかったっけ」
「ああ……それはだな、俺がこの状態でいることを太陽神が見逃してくれたら、の話だ。今回はリージアが自分で俺の加護をやめたわけじゃないからな。元の状態に戻そうとする力がはたらく。それに対抗して『呪い』も徐々に強くなっていくんだ」
「――! ちょっ、待てよおい! そんなら一刻も早く元に戻さないと」
「限界が来る」シンハはあっさり言い、安心させるように微笑んだ。「心配するな、俺がくたばることはないさ。元に戻るだけだ。それより、おまえの方の成果を聞かせてくれ。ローナに会ったんだろう?」
リーファはまだ不安だったが、食い下がっても相手を疲れさせるだけだろうと諦めて、質問に答えた。
「見てたのかよ。ああ、会ったよ。ウートの旦那は随分怖がられてるみたいだな。セウテスの親父さんが来たのは三日前で、大喧嘩の末に追い返したってさ。おまえは何かつかんだかい?」
「具体的には何も。だが手応えはあった。ウートは裏庭に何があるかも、自分の先祖が何かやましいことをしたらしい事も、知っているようだ。中部や西方に売る話は今まで出なかったのか、とおだてついでに言ってやったら、顔色が変わった」
「怪しいな」
リーファが唸ると、シンハは「ああ」と同意して目を閉じた。
「すまんが、少し眠る。日が落ちたら起こしてくれ。ミルテに会いに行かないと……」
頼む語尾が消え入り、静かな寝息が取って代わる。うん、と応じたリーファの声もその耳には届いていまい。
リーファは相手の寝顔を見下ろし、きゅっと唇を噛んだ。
(オレのせいだ。オレが怖がってまともにミルテと話そうとしないから、逃げてばっかりいるから)
「――ごめん」
ほとんど聞き取れないほどの声でささやき、リーファはそっとシンハの額に唇をつけた。こんなささやかな謝罪では割に合わない、と感じながら。