六章(1)
六章
国王陛下が『お加減が悪く』て部屋から出て来られないので、必然的に側近のロトが一切を引き受けることとなり、リーファは仕方なく一人で街に出た。
ミルテの今までの現れ方からして、昼日中に出てくるとは思われなかったが、経験上、お客さんが出るのは昼も夜も関係ないと知っている。あまり一人で相手をしたくはないのだが、だからと言って、シンハと一緒に部屋にこもっているのも気が滅入る。
熟考の末、結局リーファは、体を動かしている方を取ったのだった。
向かう先は件のリネン商店だ。昨日の今日で何か収穫があるとは思えなかったが、ほかに手がかりがないので仕方がない。
店に行くと、中ではセウテスが一人、何やら落ち着かない様子で仕事をしていた。
「こんちは。具合はどうだい」
リーファが声をかけると、セウテスは一瞬、何かを期待するような顔を向けた。
「あんた……失礼、あなたは昨日の」
「そんなに畏まらなくていいよ」リーファは苦笑した。「オレはお城に住んでるってだけで、別段偉いわけじゃないんだからさ。どうしたんだい、何かそわそわしてるけど」
「ああ、うん、ええと」
セウテスは言葉遣いを迷ってか、言いにくそうに口ごもった。リーファはことんと首を傾げて続きを待つ。ややあってセウテスは、「あの」と口を開いた。
「あんたは警備隊員だって言ったけど、その、頼み事をしてもいいのかな。詰所に届け出るほどの事じゃないんだけど」
「話を聞かなきゃ、なんとも言えないけど……何かあったのかい?」
「うん……親父が帰って来ないんだ。本当は昨日、戻る予定だったのに」
そう言ったセウテスの口調は、それ以外にも何かがある、と匂わせていた。リーファは目をぱちくりさせ、ひとまずお定まりの反応を返す。
「一日ぐらい、別に心配しなくてもいいんじゃないか? 子供じゃないんだし。何か出先で話がこじれたとか、馬が怪我したとか」
「確かに、そうかもしれないけど」
セウテスが不満顔をする。リーファは眉を上げ、少しおどけて言った。
「そう言われるだろうから、詰所に行かずにオレに相談したってわけだ。あんたが気にする理由はなんだい? 何か事情があるんだろ」
リーファの言葉に救われたのか、セウテスは堰を切ったように喋りだした。
「あんたも見たと思うけど、ウートの旦那がえらく怒ってただろ」
「昨日あんたをぶっ飛ばしたおっさんかい?」
「そう。あそこはうちとの取引の長いリネン農家なんだけど、今度、親父はちょっと取引の量を減らそうとしたらしいんだ。それで、おまえの所なんかにローナはやらん、とか言い出して。あの時は、親父のせいで破談になった、って事しか考えられなかったんだけど……でも夜になって何か嫌な感じがしてきて、あれこれ考えてみたんだ」
セウテスは眉を寄せ、心持ち声を低くした。
「それで気が付いた。なんでわざわざ俺に言いに来たんだろう、って。親父がウートさんの家に行ったのなら、そこでけりはついている筈だろ。ローナのことだって、親の間で決められたら、俺にはどうすることも出来ないんだから。なのに俺を殴りに来るなんて」
腑に落ちない、とセウテスは首を振った。リーファも、ふむと腕組みをする。
「親父さんを怒り任せに追っ払っちまって、そのお嬢さんのことまでは話せなかったから、とか。それとも、親父さんをぶん殴っただけじゃ足りなくて、息子の方にも当たり散らしに来たとか」
「かも知れない。でも……」
セウテスは言い澱み、しばしためらってから、恐る恐るといった様子で訊いた。
「あんたは、虫の知らせ、って信じるかい?」
「…………」
リーファは何とも答えず、ただ片眉を上げた。リーファも勘が働くことはある。だがそれは大抵の場合、無意識に何かの兆候を察知した結果だ、と納得できるものだ。理由もなく予知するとかいった経験はない。
(だいたいその『虫』って、死んだ先祖が知らせてくれたとか、そういう話だろ? 冗談じゃねえや)
ぶるる、と心中身震いする。そんな彼女の内心を知る由もなく、セウテスは深刻な表情で続けた。
「何がどう、って理由はないんだけど……ウートの旦那が、わざわざ『二度と来るな』って言ったのが気になるんだ。村に近付いたら殺す、って言われたような感じでさ。そういうこと考えだすと、なんだかぞっと寒気がして」
今もまさにそうだとばかり、セウテスは腕をこすった。
「親父がもう帰って来ないんじゃないか、って不安になるんだ。すごく……嫌な予感がするんだよ」
(父さん、どこに行っちゃったの)
リーファの脳裏に、ミルテの声がよみがえる。おいおい、とリーファは困り顔になった。セウテスの抱く嫌な予感とは、ミルテの影響ではないのか? 彼は幽霊を見る力はないようだが、無意識に存在を感じ取ってはいるのかも知れない。
参ったな、とリーファは頭を掻いた。
気のせいだよ、と言ってやることは簡単だ。が、それは幽霊のせいだからあんたには関係ないんだよ、などと説明するわけにもいかない。言っても信じて貰えないだろう。どっちにしろセウテスの不安を取り除くことは出来ないわけだ。
「んー……じゃあ、ちょっとオレが代わりにウートさんとやらのご近所まで行って、様子を探って来てやるよ」
迷いながらも、リーファはそう言わざるを得なかった。セウテスの父親が戻らない限り、ミルテとその父親につながりそうな昔の話を聞けないのだし、これも何かの縁だ。笑顔になったセウテスに、リーファは苦笑を返した。
「その前に訊いとくけど、あんたの親父さん、なんて名前だい?」
「ルクス、だ。ルクス=フォラーノ」
「了解。んで、ウートさんちはどこにあるんだ?」
「ティエシ村だよ。シエナの南西、歩いても半日かからないし、ウートの旦那って言えば、あの辺りで知らない人はいないから、すぐ分かる」
「へえ、名士なんだな。地主かなんかかい」
道理で、一見しただけでは農民と分からないほど、贅沢な身形をしていたわけだ。
「うん。昔はそれほどでもなかったらしいけど、祖父さんか曾祖父さんぐらいの代で急に大きくなったって話だよ。あ、それで、親父は俺と同じ金髪だし、顔とか背格好も似てるってよく言われるから」
あんまり嬉しくないけど、とセウテスは小声でつぶやいてから続ける。
「見かけたら、早く帰ってこいって言っといてくれるかい」
「分かった」リーファは失笑を堪えて、しかつめらしくうなずいた。「親父さんは馬で行ったんだな? そっか。じゃ、オレも一度戻って城の馬を借りてくるよ。出来れば今日中に戻って、知らせを持ってくる。それじゃ」
てきぱきと段取りを決め、軽く手を上げると、リーファは城へと足を向けた。馬がなければ市門近くの貸し馬屋で借りればいいのだが、今のリーファは自分の金をほとんど持っていないのだ。
(ああ、早くオレも給料が欲しいなぁ)
食うに困りはしないが、居候の身分は他人が思うより不自由なものだ。その点、浮浪児生活は苦しいながらも気ままだった。欲しいものはかっぱらい、それが出来ない場合はただ諦めた。世にあるすべての物は誰の物でもなく、奪い取った瞬間から奪われるまでの間だけ自分の物になる、そういう仕組みだったのだ。誰かにお願いして、恵んで貰ったり貸して貰ったりする必要など、なかった。
真面目に生きるということは、時々非常に面倒臭い。
リーファはそんな事を考えて苦笑した。しかし、そうすると決めたのは自分だし、そのお陰で、シンハの前でも萎縮せずにいられるのだ。
そこでふと、病床の国王陛下を思い出す。
(……シンハの奴、どうしてるかな。部屋で腐ってんじゃねえかな)
どうせ城に戻るついでだ。気晴らしに、聞き込みの成果を教えに行ってやろう。
そう決めると、リーファは軽い足取りで走りだした。