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王都警備隊・2  作者: 風羽洸海
智慧の守護者
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四章 蜘蛛(2)


「姉さんも調べていたの?」

 本を閉じて、フィアナが問う。リーファは「いいや」と首を振り、無意識に剣の柄をいじりながらぽつぽつと言葉を紡いだ。

「だけど予想はしてた。あの燃え残りに書いてあったのは、生ける死者を作り出す、悪名高い『不死者の薬』の製法なんじゃないか、ってね。それだと確かに、死者の埋葬とその周辺について、って本の題とも反しないし。それに……あいつはたぶん、なんか変な言い方だけど、まだ新しい死体なんだ。この陽気だと、どんどん腐ってくだろ? だけどあいつはまだ、それほどじゃなかった」

 そこでまた、ため息。リーファは窓の外に視線を移し、感情を殺した声で続ける。

「ごく最近、誰かに薬を使われてあんな体になったんだとしたら、そしてまだ自分自身の意志ってものが残ってるのなら、腹を立ててあの本を燃やしてしまおうとした……ってことで、辻褄が合うしな」

「そうね。そして、薬を使ったのは未熟な魔術師以外にはあり得ない」

 フィアナも硬い声で同意した。

「未熟な?」

 リーファが振り向くと、彼女は厳しい表情で、悔しそうに唇を噛んでいた。

「ええ、そうよ。不死者の薬は、専門的な知識と器具がなければ作れない。けれど熟練した魔術師なら、生ける死者が幻想でしかないことを理解しているし、そもそもそんな実験を軽々しく行ったりしないわ」

「幻想でしかない、って……でも、その本には」

 現に使用法が書かれているではないか。リーファは困惑顔になる。フィアナは別の本を取って、栞を挟んだページを開いた。

「ここを見て」

 示された部分を読んで、リーファは目を丸くした。

「……いわゆる『死人使い』であるが、今日では、魔術によって本物の生ける死者を生み出すことは、少なくとも人間には不可能であると考えられている」

 思わず本をひっくり返し、最後のページに書かれている日付を確認する。五年ほど前に書かれた本だ。最新ではないが、一般常識になるほど古い知識でもない。呆然としながら、リーファは元のページに戻り、続きを読んだ。

「よってそれは、死体に何らかの偽装を施してさも生きているように見せかけるか、まったく別の生物を人間に似せるか、あるいは、本当は死んでいないものを一度死んだように見せかけているか、ということになる……。ちょっと待ってくれよ、じゃあ現にオレが出くわしたあいつはどうなるんだ?」

「分からないわ」

 フィアナは正直に言って、肩を竦めた。

「ただ、あの薬がそこに書いてある最後の条件にあてはまることは、間違いないと思うの。材料が材料だもの、普通は死んでしまうわ。だけど、もし微妙な匙加減によって、死のすれすれまで行ったものを蘇生させるのだとしたら? 息を吹き返した人間は、はたして正気でいられるものかしら」

「じゃあ、あの薬を作った奴は……」

「十中八九、グリフィンね。よく知りもしないで、何を考えてか知らないけど、生ける死者を作り出そうとした。その結果、被験者にされた誰かは死んでしまい、どうした偶然か本物の生ける死者になってしまった。なんて愚かなことをしてくれたのかしら」

 フィアナの声には、氷のように硬く冷ややかな怒りが込められていた。リーファは言葉に詰まり、ただ義従妹の顔を見つめる。

「魔法学院が設立されて、まだ十年しか経っていないのよ。魔法に対する偏見も恐怖も、人々の間に根強く残っているのに、こんな事件が起こるなんて……」

 フィアナは決然とリーファを見つめ、強い口調で言った。

「お願い、姉さん。必ずグリフィンを見付けだして。私も出来る限り協力するわ。学院長様にも事情を話して、しばらく本業を離れる許可をもらっているから」

「ああ、もちろんそのつもりだよ」

 リーファはうなずくと、場の空気を変えようと足を組み直し、意識的に無造作な口調を装って続けた。

「実は今朝、もう一人行方不明者の届けが出てたんだ。司法学院の学生なんだけど、これがグリフィンと……まあ、ある種の友達だったらしいんだ」

 シリルから聞いた話を整理し、フィアナに説明していく。

 グリフィンが本来は司法学院に入ろうとしていたこと、どうやら今度の入試に再挑戦するつもりでいたらしいこと、ダンとの『友人』関係。

 リーファが話し終えると、フィアナは眉間にしわを寄せ、いきなり憤然と立ち上がった。

「聞くだに腹の立つお子様ね、グリフィンって人は! ああもう嫌になっちゃう。お茶でも淹れて気分を変えなくちゃ、やってられないわ」

 部屋の隅にある暖炉につかつかと近付き、火かき棒で燠に空気を入れながら二言三言つぶやく。ちょろちょろと炎が舌を出し、じきに勢いよく燃え出した。

 ヤカンの湯がしゅんしゅんと沸くまで、二人は無言だった。

 フィアナがポットに茶葉を入れると、やっとリーファは苦笑を浮かべた。

「茶まで揃ってるのか、ここって。まさかと思うけど、棚の奥にはビスケットとかチーズまであるんじゃないだろうな」

 冗談のつもりだったリーファに、フィアナはとぼけて応じる。

「ええ、ちなみに倉庫には枕と毛布もあるわよ。いつでも引っ越してらっしゃいな」

「……本当か?」

「本当よ。だって私、しょっちゅうここに寝泊まりしてるんだもの」

 しれっと答えられ、リーファは唖然となってしまった。警備隊の詰所なら、宿直の隊員の為に一式揃っているのもうなずける。しかし、学院という場所にまで?

「思ったよりしんどいとこなんだな、学院って……」

 しみじみとつぶやいたリーファに、フィアナは声を立てて笑った。

「まあ、学院に住み着く前に卒業していく人の方が多いけれどね。えーっと、お客様用のカップは、と」

 がさごそとフィアナは戸棚を探していたが、ややあって、そうそう、と在処を思い出したらしく窓際に近付き、

「きゃっ!」

 悲鳴を上げて後ずさった。反射的にリーファは立ち上がり、腰の剣に手を伸ばす。

 窓の外に、見知らぬ男が立っていたのだ。

(いや待て。こいつどこかで……)

 見たような、と顔をしかめる。その間に男は窓を開け、あろうことか、そこから入って来た。長身のくせに、猫のようなしなやかさで狭い窓をくぐり抜ける。

「よう、元気そうだな」

 灰色の目を片方瞑り、悪戯っぽく男が笑う。

「あ! あんたはあの時の!」

 ようやく思い出したリーファが室内に立った男を指さすのと、

「またお会いできるなんて!」

 フィアナが眼を輝かせて男ににじり寄るのが、同時だった。

 予想外の歓迎に男はたじろぎ、リーファは脱力して数歩よろめいた。

「な、何だ? おい、ちょっと待てっ、おいって!」

 うろたえる男の腕を取って、フィアナはいそいそと椅子をすすめ、すぐにお茶を淹れますから、などと細やかな接待をする。リーファは頭を抱えて座り込みたくなったが、動揺している男の様子がおかしくて、結局は笑いだしてしまった。

「観念しなよ。フィアナは危地を救ってくれた騎士様に一目惚れしたってさ」

 初めてグリフィンの家に行った時、ごろつきに囲まれたところを助けてくれた男だ。ここ数日いっぺんにいろいろな事があったので、リーファはもう忘れかけていたのだが、フィアナの方はしっかり覚えていたらしい。

「嘘だろ、何だそりゃあ!」

 情けない顔になった男に、フィアナがとろけるような最上の笑顔で紅茶を差し出した。肩を震わせてひくひくと笑い続けるリーファ。男は恨めしげにそれを見やり、複雑な表情でカップを受け取る。

 フィアナが忘れずに先客の分も茶を用意してくれると、やっとリーファは笑いをおさめ、目に浮かんだ涙を拭ってから言った。

「で、あんたは誰で、どうしてここに? まさかオレに会いに来たわけじゃないだろ」

 ともすればにやけそうになる口元を、なんとか引き締める。真面目な顔を取り繕うのも一苦労だ。男は憮然として女二人を交互に眺め、紅茶をすすった。

「そのまさかだ。おまえさんが俺を捜してるってんでね」

「……え?」

 束の間、リーファは意味がわからなくてきょとんとする。フィアナも不思議そうに目をしばたたかせた。

「姉さん、いつの間に好みが変わったの?」

「馬鹿、そんなわけあるか! オレはこいつなんか捜してないぞ」

 勢いで言い切ったリーファに、男が「おいおい」と苦笑した。

「女の警備隊員が『蜘蛛』を捜してる。そう聞いたんだがね」

「――! あんたがそうなのか?」

 リーファは息を飲み、腰を浮かせた。「蜘蛛?」と怪訝な顔をしたフィアナに、リーファはかいつまんで事情を説明した。理由を聞いたフィアナは、驚いた風情で男を見やる。

「それじゃあ、あなたが街の実質的な支配者ってことですか? まあ素敵……」

 ぶっ、とリーファがふきだす。男――蜘蛛は、出がらしの茶でも振る舞われたかのような渋面になった。フィアナはそんな二人にはお構いなしで、何やら違う世界に旅立っている。

「風格と実力を備えた陰の支配者。表舞台に立たず、それでいてその一声がすべての人を動かす……ああ、格好いいっ」

「はいはい、分かった分かった。そろそろ現実に戻って来いよ」

 苦笑しながらリーファがいなしたので、フィアナは「もう」と膨れっ面を作った。

「姉さんは夢がなさすぎるわ」

「いや、まあ……。そうだな、そういうことにしとくか」

 反論しかけて諦め、リーファは適当にあしらって、蜘蛛に視線を戻した。

「ともかく、わざわざあんたが会いに来てくれたってことは、あんたもこの件に興味があるってことだな」

「まあ、そうだな」

 蜘蛛もすぐに話を合わせてきた。これ以上、フィアナに妄想の世界を広げられてはかなわないのだろう。

「おまえさんの方は、どこまで掴んでる? ゼクス班長があれこれ聞いて回ってたから、目撃情報ぐらいは知ってるか」

「だいたいはね。今わかってるあらましは……」

 頭の中で情報を整理して、リーファは自分のためにも全体像をまとめてみた。

「三日前に司法学院の学生でダンって奴が、グリフィンの家に呼ばれて寮を出た。その後、ダンもグリフィンも行方不明になっている。同日深夜にグリフィンの家の近くで、大荷物を抱えた人物が見かけられている。一昨日未明には誰かがグリフィンの家にいたらしい。ついでに、グリフィンの奴はどうやら、生ける死者を作るための薬を調合していたと思われる。こんなとこかな」

「こっちで把握しているのと大差ねえな」

 蜘蛛は憮然として、ため息をついた。

「その生ける死者がうろうろしてんのも、おまえさん、知ってるんだろ?」

「……うん、出くわしたからね」

「あと付け加えることってったら、行方不明になる前に何回か、グリフィンが船着き場に姿を見せていたってことぐらいかね」

「船着き場?」

 ピク、とリーファは反応した。同時にフィアナが、「それって」と声をもらす。二人は顔を見合わせ、小さくうなずいた。

「どうした? 何か思い当たる節でもあったのか」

 訝しげな蜘蛛に、リーファは身を乗り出して訊いた。

「あんたなら知ってるんじゃないか? 堂々と取引できないような品物をこっそり仕入れて、売りさばいてる奴らの根城」

 城でシンハと話した内容が脳裏をよぎる。今のところ極端に厄介なものは持ち込まれていないはずだ、と言っていたが、隅から隅まで調べ尽くしているわけではないのだ。素人相手に猛毒の魚を売るような商人が、どこかに潜んでいたに違いない。

 フィアナも真摯な表情になって、「教えてください」と頼んだ。

「いくらグリフィンが未熟で愚かでも、決定的な材料を……フロブを手に入れられなければ、あんな薬を作ることは出来なかった。誰かが彼にあの毒魚を売ったから、彼の行動を止めるものがなくなってしまったんです」

「あの魚か、そいつぁ確かにまずいな。何箇所か心当たりはあるが……俺が表立って介入して商売をつぶすわけにもいかねえし、本当に性質の悪いのがどこか、ってことまでは、はっきりしてねえから、教えちまうとちょっとばかり厄介だ」

 ふむ、と蜘蛛は唸って、ちらりとフィアナを見た。

「噂を流しといてやるぐらいなら出来る。フロブを欲しがってる若い女がいる、ってな。おまえさんが囮になって、奴らに接触して確かめるといい。理由はどうする? また魔術師ってんじゃ怪しいし、恋敵の毒殺でも考えるとするか」

「そうね、私だったらむしろ、自分を捨てた男を殺すかしら。うふふ……」

 妖しく微笑むフィアナ。リーファはひきつった笑いを浮かべ、おいおい、とたしなめた。

「調子に乗るなよ。おまえにそんな危険なことをやらせたりしちゃ、ディナルのおっさんに首を飛ばされちまう」

「だったら姉さんがやる? それは無理があるんじゃないかしら」

 フィアナがとぼけて切り返したので、リーファはぐっと言葉に詰まった。言い返せずに唸っているだけの彼女に、フィアナは勝利の笑みを見せた。

「それじゃ、決まりね。蜘蛛さん、よろしくお願いします」

 リーファも諦めて立ち上がり、やれやれと伸びをする。

「じゃ、オレは詰所に戻ってこの件を報告するよ。船着き場の辺りはまた管轄が違うけど、まぁ、共同で捜査に当たれると思う。ディナルのおっさんも愛娘が出てくるとなっちゃ、知らんふりは出来ないだろうしね」

「接触するなら明日以降にしてくれ。これから俺が噂を撒いておくから」

 蜘蛛もカップを置いて立ち上がる。三人は顔を見合わせて、よし、と小さくうなずき合った。


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