三章 二人の失踪者(2)
六番隊三班の詰所は、今日もやはり雑然としてむさくるしく、小汚かった。
今回は忘れずにノックしてから入ったが、昨日に比べて対応が好意的になったわけでもなかった。お早うございます、と挨拶をしたリーファに、返事をする者はいない。諸悪の根源である髭面の班長――ゼクスが、机の上に足を乗せたまま、来い来いと手招きしただけ。
リーファが近付くと、ゼクスはにやりと口を歪めて見せた。いかにも不吉な笑いだ。まともな笑顔の作り方を忘れてるんじゃなかろうか、などとリーファは余計なことを考えてしまう。
「来たな、七光り」
「その呼び名はやめて下さい。私にはリーファ=イーラという名前があります」
むっつりと言い返し、小声で「この髭オヤジ」と付け足す。そっちがそのつもりなら、こっちも好きに呼ぶぞ、と。ゼクスは愉快げに哄笑すると、机から足を下ろした。
「良かろう、リー。おまえが持ち込んだ件だ、きっちり片付けて貰うぞ。グリフィンに関する報告書は読んだな?」
「はい。素早い情報収集で、驚きました」
昨日は相手にしなかったくせに、と暗になじっておいて、リーファはさっき本部で受け取ったもう一枚の紙を差し出した。
「その関連で、今朝本部からこれを預かってきました。もう一人、この近辺で行方不明になった者がいるそうです」
「ほう? そいつは初耳だな。どれどれ」
ゼクスはリーファの手から捜索願いを受け取り、じっくりと目を通した。最後まで読むと、ふーむ、と唸って考え込む。そうしていると少しは真人間らしく見えた。
ややあって彼は灰青色の目を上げ、いかめしい声で言った。
「よし、おまえはすぐ司法学院に行き、この捜索願いを出したシリル=ファーノンに会って、話を聞いてこい。グリフィンとの関係や、行方不明になった当人に関することはもちろん、身辺に変わったことはなかったか、とか、そのほか何でもいい。細かい情報まで聞き逃すな。その間にこっちは、蜘蛛の奴を捜しといてやる」
反射的にリーファは「了解」と敬礼したが、続いてうっかり口を滑らせた。
「捜しとく、ってことは、あの情報は蜘蛛から聞いたわけじゃなかったのか」
「あのな。おまえはおれたちを何だと思ってるんだ? 情報屋に頼らなきゃ目撃証言ひとつ集められない、ボンクラの集まりか? 余計なこと考えとらんで、さっさと行け!」
途端に怒られ、リーファは慌てて詰所から飛び出した。
「行ったり来たり、忙しいったらありゃしねえ」
司法学院に向かう道すがら、リーファはぶつくさぼやいた。いくら健脚でも、こうも端から端まで歩かされてはたまらない。司法学院は王都の西の方に位置している。
(話を聞いたら、詰所には戻らずに、城で食い物をせしめるとするか)
見上げると、すでに太陽は高くなっている。シリルから話を聞いている間に、昼は過ぎてしまうだろう。
ようやく司法学院に着くと、リーファは受付で警備隊の者であると告げ、シリル=ファーノンに面会を求めた。どういった用件か、職務上のことか、などとしつこく訊かれた後で、職員の一人が応接室に案内してくれた。
(なんだかえらくピリピリしてるなぁ。古い学院の体質ってやつなのかな? いや、でも、入隊試験の時はもっとおおらかだったよなぁ)
待っている間、リーファは室内をぶらぶら歩いて、飾ってある絵皿だの彫刻だのを眺めながら、そんなことを考えていた。こちらの建物は魔法学院と違って、どこもかしこも歴史を感じさせる。だがどうも、古くて保守的というだけが、厳しい対応の理由ではなさそうだ。扉を開けて廊下の様子を見ようとすると、外に控えていた職員が即座に振り向き、
「じきに参ります、しばらくお待ち下さい」
という慇懃な言葉と鉄壁の笑顔でもって、リーファを室内に押し戻したのだ。勝手にウロチョロするな、ということらしい。
(……はて)
なんだろう。まさか自分が、一足ごとに堕落や滅亡をふりまく破壊神だと思われている、などというわけもなかろうし。ずっと立っているのも疲れるな、と思い直してソファに座り、出された紅茶をすすった時には、すっかりぬるくなっていた。
ややあって遠慮がちなノックの音がして、一人の少年がおずおずと入ってきた。明るい茶色の髪と、真面目そうな顔立ち。十代の半ばほどだろうか。身にまとった濃い紺色のケープには、司法学院の校章が刺繍されている。
「お呼びで……」
しょうか、と言いかけて彼は、ぎょっとしたような顔をした。リーファは立ち上がりかけた中腰の姿勢のまま、きょとんとする。どうかしたのか、と彼女が言うより早く、少年はこちらに駆け寄って、小声で問うた。
「ダンが見付かったんですか?」
食いつかんばかりの態度に、リーファはややたじろいで答えた。
「いや、まだだよ」
「あ……そう、ですか」
少年は途端に萎れ、肩を落とす。リーファはその背を軽く叩いてソファに座るよう促すと、自分も腰を下ろし、改めて向き合った。
「シリル=ファーノンだね? オレは警備隊員のリーファ=イーラ。あんたが出した捜索願いのことで、いろいろ聞かせて貰いたくてね。いいかな」
リーファの物言いにシリルはやや戸惑った様子を見せたが、その事については触れず、畏まってうなずいた。
「はい、お役に立つかどうか分かりませんけど、僕の知ってる限りのことは何でもお答えします。何から話しましょう?」
「そうだな。まず、誰がいつどのようにしていなくなったか、どうして捜索願いを出すに至ったか、その辺を一通り頼むよ」
「わかりました」
シリルはちょっと唇を湿してから、ゆっくり話しだした。
「いなくなったのは、僕と寮で同室のダンです。三日前の夕方に、グリフィンの家に呼ばれているから、と言って寮を出たきり、戻って来ませんでした。ご存じかもしれませんが、司法学院では一日欠席しただけでも、遅れた勉強を取り返すのは大変なんです。そうでなくてもダンは真面目な性質ですから、よほどの事情がない限り、講義に欠席するようなことはありませんでした」
「ちょっと待った。もしかしてそのダン君とやらは、髪は茶色で、出る時にはあんたと同じケープを着けてたんじゃないか?」
部屋に落ちていた毛髪と、濃紺の糸屑を思い出し、リーファはそう訊いた。
「そうです。どうして分かったんですか? まさか」
「あ、いや、お友達の死体が転がってた、とかいうわけじゃないぞ。だからそんな顔すんなって。一昨日にオレが行った時は、中はもぬけの殻だったよ。ダンが一度あの部屋を訪ねているのは、たぶん間違いないだろうと思うけどな」
「そうですか……じゃあやっぱり、あいつの家に行くまでに何かがあった、ってわけじゃないんですね」
つぶやくようにそう言い、シリルは親指の爪を軽く噛んだ。
(ふーん? どうやらこれは……)
苛立ちの見える相手の仕草に、リーファはひとつの考えを抱く。その推測を裏付けるため、彼女はわざと何げない態度で質問した。
「あんたとダン、それにグリフィンの関係はどういうものなんだ? 家にまで遊びに行くってことは、仲のいい友達ってとこかな」
「まさか!」
案の定、シリルの返事は嫌悪と侮蔑に満ちていた。リーファは驚いた顔を作り、
「違うのかい?」
とぼけて相手の言葉を促した。シリルは苦々しい口調で、違いますよ、と言い捨てる。それから数呼吸置いて気持ちを落ち着かせ、彼は淡々と言葉を紡いだ。
「友達どころか……グリフィンはすごく嫌な奴なんです。僕とダンは寮で友達になったわけですけど、ダンは、入学試験でグリフィンと受験番号が続きだったから、それが縁で知り合ったらしいんです。ダンは合格したけど、グリフィンの方は駄目で、結局魔法学院に入ったんですね」
なぜそうなる、と首を傾げたリーファに、シリルは「ダンから聞いた話ですけど」と前置きして、説明を続けた。
グリフィンは実家や親類から資金を援助してもらって、司法学院に入るために王都まで出てきたらしい。ところが、結果は不合格。のめのめ実家に帰ることも出来ず、苦し紛れにこの際どこでもいい、と、随時入学希望を受け付けている魔法学院に入ったという。
「そのまま魔術師として進路を定めてくれたら、ダンもあいつと縁が切れたのに……。でも、そうはいかなくて。グリフィンは、自分に才能があると信じていましたから」
シリルは眉を寄せ、ため息をついて頭を振った。
グリフィンはその後も司法学院に未練たらたらで、ダンと会っては何かと愚痴ったり絡んだりしていたらしい。将来を見越せば、明らかに司法学院卒の方が、安定した収入を望めるからだろう。
ここで学び、巣立った学生たちは、様々な職業に就くことができる。地味なところでは都市警備隊の班長や隊長、地方の裁判官や書記官、また巡察監査官などの官僚。さらにそれらの職歴を経た後、貴族の司法顧問になったり、国王の諮問機関である賢人会議に名を連ねる者さえもいるのだ。司法学院は出世街道への一番確実な門と言えた。
「ダンは真面目すぎるぐらいのいい奴だから、たった一番違いで落ちてしまったあいつが、気の毒だったんでしょうね。また来年……つまりもう来週ですけど、試験を受け直したらどうだ、とか、いろいろ相談に乗っていたんです」
「なるほど、それでか」
唐突に納得したリーファに、シリルは怪訝な目を向ける。
「いや、ここに来た時、やけに受付で詮索されたり、この部屋から出ようとしたら押し戻されたりしてさ。なんでだろうと思ってたんだけど……もうじき入学試験だから、情報が漏れるのを恐れてるんだな。オレはまたてっきり、よっぽど自分が胡散臭く見えるのかと思ったよ」
言葉尻でおどけたリーファに、シリルも初めて笑みをこぼした。
「まさか、そんなことありませんよ。女性なのに警備隊の制服を着てらっしゃったから、少しびっくりしましたけど」
「ついでに柄も悪いし?」
自分で言って、リーファは肩を竦める。シリルがどう答えたものか迷うような顔をしたので、リーファは話を元に戻した。
「悪い、話がずれちまったな。ええと、それで……ダンは試験勉強なんかにも付き合ってやってたのかな。グリフィンの部屋には、それらしい勉強の跡がいろいろ残ってたけど」
「多分そうだと思います。そろそろ寮生も出入りの検査が厳しくなる時期だから、三日前のが『最後の詰め』だとか言ってました」
「あんたは、ダンと一緒に行ったりはしなかったのか?」
伝聞形の多い話の内容に、リーファはそんな疑問を抱く。シリルは渋面になった。
「僕は、その……。一度ダンに誘われて、三人で酒場に行ったことがあるんですけど、もう、あの時ほど嫌な思いをしたことはありませんでした。グリフィンの奴、僕らの入試の時の話を持ち出して、延々と愚痴るんです。口頭試問で、ひとつ前の質問だったら俺にも答えられたのに、とかダンに恨み言をぶつけたりね。お門違いもいいとこですよ。それ以来、僕はあいつと顔を合わせたくなくて、一度も」
シリルはそこまで言って、深いため息をついた。
「こんなことになるなら、ダン一人にグリフィンの相手をさせとくんじゃなかった、って後悔してます。僕も一緒に行ってたら、こんな厄介なことには……」
「その口ぶりじゃ、グリフィンがダンに何かしたと確信してるみたいだな。根拠があるのかい?」
さすがにリーファは厳しい顔になった。警備隊員相手に思わせ振りなことを言って、捜査の方向を歪めようとしている恐れもあるのだ。
「根拠は……ありませんけど、嫌な予感のする材料ばかりで」
シリルは歯切れの悪い口調になって目をそらしたが、発言は撤回しなかった。
「いくらダンだって、一年もねちねちやられたんじゃ、我慢の限界にきます。グリフィンの方も試験が間近だから、かなり精神的にも切羽詰まってるはずですし」
そこまで言ってから、はたと気付いて顔を上げる。
「そういえば、グリフィンの方はなんて言ってるんですか? ダンと最後に会ったのは、あいつじゃないんですか」
「うーん……実はさ、そのグリフィンも行方不明なんだ。三日前から」
「ええっ!?」
これには本当に驚いたらしく、シリルはそれきり絶句してしまった。しばらくして彼はのろのろと首を振り、そんな、まさか、とつぶやく。どうやら自分と同じ予想を立てたらしいと察し、リーファは頭を掻いた。
「そう、確かに物騒な想像ばかりしちまうよな。あんたの話を聞いた今じゃ、ますますだね。二人揃って行方不明ってことは、どっちかが相手を……殺して、自分も行方をくらました、ってことが考えられる」
リーファは敢えて予想の内容を明確にはしなかったが、シリルの方は現実を受け止めるだけの理性をもっていた。青ざめてはいたが、こくりとうなずく。
「僕もその可能性を考えていました。ダンは正義感が強くて忍耐力がありましたけど、そのぶん、一度爆発すると激しいんです。だから、もしかしたら……とうとうグリフィンを刺したりとかして、帰って来ないのは逃げているからなんじゃないか、って」
「まあ、そうと決まったわけじゃないさ。勝手に悪者にしちゃ、気の毒だ」
元気づけるようにそう言い、リーファは腕を伸ばしてシリルの頭をぽんと叩いた。わざとらしいのは明白だったが、シリルも「そうですね」と口元だけ笑って見せる。
ちょうどその時、昼休みの終了を告げる鐘が鳴った。
「おっと、そろそろ時間切れだな」
リーファは立ち上がると、うんと伸びをした。
「それじゃ、今日はこれで帰るけど、もしまた何か思い出したこととかがあったら、いつでも本部の方に知らせに来てくれよな。オレはちょっと、別の詰所にいるから会えないだろうとは思うけど。でも、情報は回ってくるからさ」
「わかりました。どうかよろしくお願いします」
シリルも立ち上がり、深々と頭を下げる。
それではお先に、と彼は部屋から出て行き……かけて、扉を開けたままの姿勢でふと振り返った。
「リーファさん」
「ん?」
「あの……ご自分で柄が悪いって言われましたけど、その言葉遣いって、わざとなんですか?」
思いがけない質問に、リーファはぽかんとなった。その表情をどう理解したのか、シリルはあたふたと続ける。
「いえ、その、もし示威効果を狙ってのことでしたら……」
「悪かったな。オレのは元々だよ。育ちが下品なんでね」
流石にいささかむっとして、リーファは口をひん曲げる。シリルはますます慌てた。
「す、すみません。あの、そうじゃなくて、なんていうか……僕は、あなたの物言いはあまり偉そうに聞こえない、って言いたかったんです。たぶん、あなたのお人柄なんでしょうけど、僕はあなたと話していてとても気持ち良かったですよ」
なんとかしどろもどろにそれだけ言い、シリルはぺこりと頭を下げてばたばたと走り去る。廊下の向こうに見える大勢の学生の中にその姿が紛れてしまうと、リーファはようやく苦笑を洩らした。
「生意気言ってんじゃねーや」
つぶやいた声には、わずかに照れた気配がまじっていた。




