三章 二人の失踪者(1)
早朝、城の裏手で飼われている鶏やガチョウが鳴き始める頃、厨房に火が入る。
城の住人が起きてくる前に朝食を用意せねばならないわけで、夕食前に比べたら状況はましだが、それでも厨房はてんてこ舞いしていた。
「うーん……出遅れたか」
忙しく立ち働く料理人や助手たちを眺め、リーファは頭を掻いた。早朝の内にフィアナへの手土産を何か失敬しようと思ったのだが、考えが甘かったらしい。
「リーファか、悪いけどまだ朝食は出来てないよ! 急ぐんなら、その辺にゆうべの残りがあるから、それでも食べてくんな」
料理長が顔だけこっちに向けて、怒鳴るように言った。
「あ、いや、オレのメシじゃねえんだ」
リーファは、違う違う、と手を振ったが、相手は聞いていなかった。ガシャガシャと卵を割りほぐしていたかと思うと、焼き窯の火を確かめたり、助手を蹴飛ばしたり、忙しく厨房内を走り回っている。
参ったな、とリーファが立ち尽くしていると、背後にぬっと誰かが立つ気配がして、
「何やってるんだ、おまえ」
深みのある男の声が降って来た。「何って」とリーファは答えかけながら振り向き、あんぐり口を開ける。
そこに立っていたのは、この地方にしては珍しい漆黒の髪と、印象的な夏草色の瞳をもつ若い男。袖をまくり、白いエプロンを身につけ、手にはレタスを持っている。
「おまえこそ何やってんだこんなとこで!」
一息に怒鳴ったリーファの前で、彼は平然と調理台に近づくと、
「見ての通りさ」
とぼけて答え、ばりばりレタスをめくりだした。慣れた手つきで洗った葉をちぎり、玉葱やハムを薄くスライスして、
「はいどうぞ、陛下!」
助手が運んできたパンに、手際よく材料を挟んでいく。……国王陛下シンハ=レーダその人が。リーファは片手で顔を覆って呻いた。
「朝っぱらからなんで国王が、こんなとこでこんな事してんだよ。まったく……」
「俺だって気晴らししたくなる時はある。そら、メシだ」
悪戯っぽい笑みを浮かべて、出来たてのサンドイッチをほいと渡す。リーファは何がなしやるせなくなりながらも、邪魔にならないように厨房の隅に移動して、さっそくかぶりついた。じきにシンハも自分のぶんを手に持って、隣で樽に腰を下ろした。
「飲むか?」
温めた牛乳の入ったマグを差し出され、リーファは遠慮なく受け取ってぐいっと呷る。気持ち良いほどの飲みっぷりを眺め、シンハが苦笑した。
「立場がどうのとか言うくせに、飲み食いに関しては遠慮しないな」
「何をいまさら」
ほれ、とマグを返してリーファは口元を拭いた。
「遠慮して欲しけりゃ、それらしい態度をお取りになってはどうですかね、シンハ様」
厭味っぽく名前を呼んでから、最後のひとかけを頬ばり、手についたパン屑を払う。
「まあ、同じ気晴らしでも、城から脱走されるのに比べりゃ、厨房で阿呆みたいに料理してるぐらい、まだいいさ。オレも美味いもんにありつけるし」
「なるほど、朝っぱらから美味いものを漁りに来てたわけか」
シンハがにやりとしてからかった。リーファは口を曲げてムッとして見せ、素早く相手のサンドイッチを奪い取る。
「そ・う・だ・よ」
「あっ、こら、俺の……」
慌てて取り返そうとするシンハの腕をかいくぐり、あーん、とこれ見よがしに食いつこうとする。その拍子に、後ろを通り抜けようとした料理長とぶつかり、とびきりの渋面で睨まれてしまった。
「仲が良いのも結構ですがね、陛下。じゃれるのなら、せめて厨房の外に出てもらいたいもんですな」
「すまん」
首を竦めて謝った国王に、料理長はしかつめらしくうなずいてから仕事に戻った。リーファは恐縮しながらサンドイッチをシンハに返す。
「悪ィ、おまえに矛先を向けさせちまったな」
「気にするな。俺が厨房を使うとなると、いつもああだよ」
「ってことは、今日はこれから何か作るのか?」
急に声を弾ませたリーファに、シンハはきょとんとし、次いで苦笑した。
「ああ、まあな。何か欲しいものでもありそうだな、その顔は」
「オレが欲しがってるわけじゃないけど」
リーファは慌ててそう言い、フィアナに会いに行く予定を話した。
「昨日、ちょっと調べ物を頼んでおいたんだ。夕方にでもまた来てくれ、って言ってたからさ。昼頃にいっぺんここに寄ってから、フィアナんとこに行くよ。だからそれまでに、何か作っといてくんねえかな。パイとか、なんか手軽に食えるやつ」
「それは構わんが……警備隊の仕事はいいのか?」
「いいって、いいって。どうせ本部に詰めてたって、あのオッサンはろくな仕事を回してくれないしさ。自分で動き回った方が、よっぽどかマシだよ」
そこまで言って、リーファは不意にからからと笑いだした。
「第一、仕事さぼって料理に精出してる王様が、人の仕事の心配したって説得力ねえよ」
「ほう。それなら予定を変更して、職務にいそしむとするかな」
不吉な声を出したシンハに、リーファは慌てて、あっ、嘘だよ嘘、などと取りすがる。もとより本気ではないので、シンハもすぐに笑みをこぼした。
「わかった、昼には用意しておこう。しかしおまえ、何を調べてるんだ? また厄介事に首を突っ込んでるんじゃないだろうな」
「また、って何だよ。今回はそんな厄介なことじゃないし、そもそもフィアナが持ち込んで来たんだから、オレのせいじゃねえや。魔法学院の初年生が一人、しばらく学院に出てこないってんで、捜してるだけだよ」
リーファはむくれて言い返した。もちろん実際の状況は、捜しているだけ、などとは到底言えない様相を呈しつつあるのだが。
(けど、ここでこいつに洗いざらい話したら、絶対にこいつ、城から抜け出して事件に首突っ込んで来るに決まってるからな)
言えるもんか。
警戒のまなざしでシンハを見やり、彼女はやれやれとため息をついたのだった。
慌ただしい朝を過ごして警備隊の本部に行くと、ディナル警備隊長が待ち構えていた。げっ、と小さく呻いて、リーファは本能的に逃げ出そうとする。しかし、より早く室内の隊員が扉を閉めて退路を断ってしまった。
「……お早うございます」
仕方なく、ぼそぼそとリーファは挨拶をする。ディナルは極めて不愉快そうに、唇を引き結んだまま仁王立ちしていたが、ややあってフンと聞こえよがしに鼻を鳴らした。
「ゼクスから知らせが来とる」
つっけんどんにそれだけ言い、机から紙を一枚取って、投げてよこす。リーファはそれを受け取ると、目をしばたたかせた。
「ゼクスって?」
「六番隊三班の班長だ! 名前も知らんと奴に脅しをかけたのか!?」
ディナルの怒声で、窓ガラスがビリビリ震えた。リーファは顔をしかめてそれをやりすごし、改めて紙の内容に目を通した。
「行方不明者の届け……魔法学院の初年生、グリフィン。これって」
彼女が驚いて顔を上げると、ディナルは渋面のまま答えた。
「貴様の報告があったから調べてみたところ、確かにグリフィンは三日前から姿を消しとるらしい。それだけなら騒ぎ立てるほどでもないが、今回は少々事情が特殊だと思われるから、正式に捜査するということだ」
呆気に取られて言葉も出てこないまま、リーファは書面の続きに目を戻した。
グリフィンが現住所に部屋を借りたのは十六日前のこと。その後はほぼ毎日一回、出入りする姿を目撃されていたにもかかわらず、三日前からは近隣の住人も彼を見かけていない。ただし三日前の深夜に、大荷物を抱えた何者かがグリフィンの下宿近くを通った、という情報はある。また一昨日未明、煙突から煙がのぼっていたという者もいる。
(一昨日……って、オレとフィアナが初めてグリフィンの家に行った時か)
その時にはたぶん、まだあの生ける死者がベッドの下に隠れていたはず。
(ということは、暖炉を使ったのはグリフィンじゃなくてあいつか? あいつがこっそり本を燃やした……)
あれこれと考えを巡らせていた為に、リーファはディナルの言葉を聞き逃した。
「えっ?」
聞き返さない方がいいかも知れない。漠然とそう感じながらも、聞こえなかったふりで無視するわけにもゆかず、リーファは顔を上げた。仏頂面のディナルは、案の定、聞きたくなかった言葉を聞かせてくれた。
「同じことを二度言わせるな。貴様は六番隊三班に行って、捜査に協力しろ」
「うえッ!?」
リーファは思わず素っ頓狂な声を上げた。はたで聞いていた警備隊員が何人か、気の毒に、といった風情で失笑する。
「なんだその声は!」
「だって……いや、その、それは正式な辞令ですか?」
顔を歪めたまま、リーファはしどろもどろに問うた。これは新手の嫌がらせなのかも知れない。嫌なら除隊、とか言い出すんじゃないだろうな。
ディナルはおほんと咳払いすると、首を振った。
「いいや、ゼクスは貴様を借りたいとだけ言ってきた。まだ正式な配属ではない」
途端にリーファはほっとして胸をなでおろす。ディナルはそれを見計らって、意地悪く「だが」と続けた。
「活躍如何によっては、そのまま正式配属ということもある。何しろ面談をサボッてまで見回りに行くぐらいだからな、あの辺りには愛着があるんだろう、んん?」
「うっ……」
さすがに言い返せない。口の中でもぐもぐと謝罪する彼女を見下ろし、ディナルは優越感丸出しの表情を見せる。
「まあ、せいぜい頑張るんだな。ではこれを持って、すぐに六番隊三班の詰所に行け」
さらに一枚の紙を渡されて、リーファは目をしばたたかせた。
これもまた、行方不明者の捜索願いだ。届け人はシリル=ファーノン。日付は今日、ということは、早朝に本部までやって来たらしい。司法学院の初年生で、寮で同室の学友が三日前から戻らない、と――
「三日前?」
つぶやいたリーファに、ディナルも真面目な顔になって言った。
「そうだ。しかも、行方不明になったダンという少年は、グリフィンの家を訪ねると言っていたらしい。ゼクスの管轄だろうからな、ついでに持って行ってやれ」
「わかりました」
リーファも表情を改めて、深くうなずく。思ったよりも根の深い事件を引き当ててしまったのかもしれない。二人の行方不明者が、生きていてくれれば良いのだが。
ぴしっと敬礼すると、リーファは所在地の名札を六番隊三班のところに掛けかえて、急ぎ足に本部を出た。
広場を横切る前に思い出し、リーファは神殿に足を向けた。昨日の帰りに寄れば良かったのだが、忘れていたのだ。自分が使っても聖水が効果を発揮してくれるかどうか、一抹の不安は拭えないが、手ぶらのまま貧民街の狭い路地に入って行く気にはなれなかった。
参拝者にまじって門をくぐり、前庭と広場を突っ切って、大階段を登る。本殿に数箇所ある巨大な扉は、どれも開け放たれていた。
「お邪魔します」
小声で言いながら、敷居をまたぐ。初めて踏み入ったリーファは、感嘆に目をみはり、息を飲んだ。
堂々たるアーチが頭上遥かに高く屋根を支え、外から見るより中の方が広さを感じるほど。内装は大理石で、様々な彫刻が柱や壁を飾っている。空気はしんと澄んで冷たく、それでいて人を受け入れる温もりを感じさせた。
中にはまばらに人影があり、祭壇に立つ神々の像の足元に花や果物、穀物や美しい布などといった供物が捧げられていた。
大神殿と言うだけあって、祀られている神も一体ではない。聖十神すべての像が、重要度に応じた位置に置かれており、参拝者はそれぞれの祈りの内容にふさわしい神の前に跪いている。
リーファは物珍しげにきょろきょろしながら、中央の通路を歩いて行った。一神教の国に育ったものだから、これほど気前よく多くの神々が並んでいるところなど、想像したこともなかったのだ。いざ目にしてみると、なんというか……呆れてしまう。
結局最奥の像の前まで来てしまい、リーファは困って足を止めた。どこに行けば聖水とやらを貰えるのだろう。人に訊こうにも、ちょうど近くには誰もいない。
(どうしたもんかな)
ぼんやりと眼前の像を見上げる。それは、どことなく中性的な女神の像だった。優しい笑みを湛え、輝く光輪を戴いている。
「生命神サーラス様ですよ」
穏やかな声が言い、リーファは驚いて振り返った。品の良さそうな年配の女が、にこやかに微笑みかけている。衣服は華美ではなかったが、その形や刺繍された模様などから察するに上位の神官だろう。リーファは曖昧に笑みを返した。
「あの、オレ……いや、私は」
「リーファさんでしょう? 存じ上げております」
えっ、とリーファが目を丸くすると、女は軽く会釈をして、自己紹介した。
「私はレア=ウィータ、大神官をつとめております。シンハ様から時々お噂を伺っておりました」
あんの馬鹿国王。リーファは心中で毒づいて、顔には苦笑いを浮かべた。
「だったら私がどんな奴かも、ご存じでしょう。今日はちょっと、野暮用で聖水が必要になったもんで……」
祈りに来たわけではない、と彼女が仄めかすと、レア大神官は面白そうに目を細めた。
「神々の力を借りるのならば、相応の代償が必要ですよ」
「それは……その、お金とか供物とか?」
リーファは、弱ったな、と頭を掻いた。正直に言って、あまり懐具合は豊かでないのだ。しかし供物どころか入信が条件だったりしたら、もっとかなわない。
あれこれ嫌な予想を立てている彼女に、レア大神官は悪戯っぽく言った。
「ちゃんと、神様にお願いしてくださいね」
「……は?」
「聖水に力を込めてもらいたい神様に、きちんとお願いするんです。よく分からないようなら、すべての源たるサーラス様が良いでしょう。さあ」
どうぞ、と促されて、リーファはなんだか腑に落ちないまま、生命神の像に向かってぺこりと頭を下げた。
「えーと。その……ちょっと力を貸して下さい。よろしく」
間の抜けた台詞だ。我ながら呆れつつ、もごもごと『お願い』する。
これでいいのかな、と大神官を振り返ると、彼女はにっこりして、祭壇の後ろから小さな瓶を出してきた。澄んだ水が入っているが、見たところありきたりの瓶だ。
「では、これをどうぞ。サーラス様のお力が、悪しきものを退けてくださるでしょう」
「はあ……あの、本当にあんなのでいいんですか? お金とかは? いやその、なんて言うか、御利益の大安売りみたいで……」
てのひらに隠れる程度の小瓶を受け取り、リーファは困惑顔になった。こうも簡単に、しかも無料で貰えるとなると、本当に効果があるのかどうか大いに不安だ。もしかして、無知な外国人をからかっているんじゃなかろうか。
そんな内心を察してか、レア大神官は苦笑まじりに答えた。
「心配しなくても、神々はあなたを見ていて下さいますよ。どの程度まで力を貸して下さるかは、神々の御心によりますが。あなたが育った地方の信仰ではどうなのか、存じ上げませんが、聖十神は人の生きざまを愛でられるのです」
「生きざま……?」
リーファは小首を傾げ、でも、と言うようにまわりの祭壇を目で示す。皆、供物を捧げているではないか、と。
彼女の言いたいことが分かったらしく、レア大神官は、ええ、とうなずいた。
「もちろん感謝のしるしとして供物を捧げれば、神々もお喜びになります。けれど、その人の生き方が神々の御心を慰めるものであれば、たとえ聖十神の御名すら知らなくとも、力を貸して下さるのですよ」
「うへぇ、太っ腹」
思わずリーファは本音をもらし、大神官の失笑を買ってしまった。慌てて咳払いをしてごまかし、聖水の小瓶をポーチに入れる。
「どうも、ありがとうございました」
ぺこりと頭を下げ、踵を返す。出口に向かった彼女の背中を、大神官の声が追った。
「またシンハ様に会うことがあれば、たまにはご先祖様のお墓参りにも来るよう、伝えておいて下さいね」
墓参り? リーファは一瞬きょとんとし、次いで、ああ、と思い出した。この国の神殿には墓地がつきものだ。特に大神殿には、歴代国王のご立派な墓所がある。
「わかりました、言っときます」
昼にはまた城に戻って、厨房でシンハから憂さ晴らしの成果を分けて貰う予定になっているから、ちょうどいい。リーファは忘れないように口の中でもう一度「墓参り」とつぶやいて、神殿を後にした。




