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王都警備隊・2  作者: 風羽洸海
智慧の守護者
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二章 増える謎(2)


 むさくるしい詰所から出て一息つくと、リーファは、さて、と周囲を見回した。

 このまま蜘蛛とやらを捜してもいいが、仮にすんなり当人を見付けられたとしても、グリフィンの特徴すら知らないのでは、話にならない。街の端から端まで往復することになってしまうが、魔法学院に行く方が先だろう。リーファはそう決めると、出来る限りの近道をとりながら歩きだした。

 しばらくして『それ』に気が付いたのは、狭い裏道を抜けて中央通りに出ようとした時だった。

 行く手に、のっそりと人が立ち塞がっている。マントのフードを深く被っている上に、逆光になっていて姿はよく見えない。

「どいてくれ」

 リーファは短くそう言ったが、頼みをきいてくれるとは思えなかった。予想通り、人影はどこかぎこちない動きで近付いてくる。

(なんだコイツ?)

 リーファは警戒して身構えた。酔っ払いの動作でもない、足を痛めているという様子でもない。まるで下手な人形使いに操られているかのような動き。

 少し近づいて、人影は立ち止まった。ゆらりと腕を上げ、こちらに手を伸ばす。

「あれを渡せ」

 くぐもった声が言った。男だ。しかし年齢はよくわからない。

 あれ? リーファは相手の指さすものが何なのか、思い当たらず眉を寄せる。

「渡せ……」

「あれじゃわかんねえよ。見ての通り、金目の物は何も持ってねえぞ。道端で金貨を拾ったこともなけりゃ、おまえの持ち物を失敬した覚えも……」

 ない。そう言いかけて、リーファはハッと息を呑んだ。

 まさか、あれか? 暖炉から失敬した燃え残りの紙?

「もしかしておまえ、グリフィンか?」

 思わず問うたが、男は答えなかった。低く唸り声をもらし、うつむいたまま肩をこわばらせている。空気がいっそう険悪な気配を帯びた。

 違ったか。リーファは舌打ちした。どうやら、グリフィンに良い感情を持っていない相手だったらしい。

「なぜあんな紙切れを欲しがる?」

 問うても返事はなかった。リーファは油断なく相手に目を据えたまま、じりじりと後ずさりする。見たところ相手は武器を持っていないが、間合いをとっておきたかった。

「あの本を燃やしたのは、おまえか」

 かまをかけてみても、やはり無言。リーファは苛立ちを抑えてしゃべり続ける。

「それとも、おまえの手に渡すことを恐れた誰かが燃やしたのか。どっちにしろこれは、渡せと言われてハイどうぞと渡せる代物じゃなさそうだな」

 と、その時、いきなり男が襲いかかった。十歩以上は余裕で離れていたはずなのに、ほとんど一跳びで肉薄される。

「――!」

 掴みかかってきた男の手を反射的に左腕で払い、続けて右の拳を相手のみぞおちに打ち込む。厚手のマントを通して、妙な感触が拳に伝わった。何かと訝る間もなくフードに隠れた男の顔が眼前に迫り、リーファは異臭にウッと顔をしかめた。

「このッ!」

 男の腕をとらえ、素早く体を滑らせて相手の背後へまわり、後ろ手にねじ上げる。普通の人間なら、痛みで身動きできなくなるか、少なくとも動きが制限されるはず。

 だが、男は痛みをまったく無視した。ねじれた腕をそのままに、体を無理にひねって、空いた手で執拗に腰のポーチを狙って来る。そこに紙片が入っていると、知っているのだろうか。

「馬鹿ッ、よせ、肩が外れるぞ!」

 ぎょっとなって警告したが、男は関節がミシミシ音を立てるのにも構わず、体の向きを変えようとあがき続けた。その指先がベルトに触れそうになる。

 リーファは舌打ちし、手を離してパッと跳びすさった。

(こいつは狂ってる)

 そうに違いない。でなければ呻きひとつ上げず、こんな真似ができるものか。

(てことは、腕を押さえたぐらいじゃ、動きを封じることはできないか。どうする……。とにかく逃げるか?)

 先刻、体の位置が入れ替わっているため、今はリーファの方が大通りに背を向けている。このまま身を翻して走れば、逃げ切れるだろうか。

(無理だ。こいつの動きを遅らせないと)

 一瞬で間合いを詰めた男の跳躍を思い出し、リーファは唇を噛んだ。

 じりじりと男が迫って来る。

「くそッ、どうなっても自業自得だぞ!」

 言うなり、リーファは剣を抜いた。鋼の輝きに男も怯んだのか、動きを止める。

(追って来るなよ)

 祈りながら、目は相手を睨み据えたまま、少しずつ後ずさっていく。大通りの方へと。男は時々唸りながら、距離を保ってついて来る。

(来るなってば、ちくしょう!)

 剣の柄を握るてのひらが、じっとりと汗をかく。と、踵が何かにコツンと当たった。リーファはそれ以上後ずさる前に、足元を確かめなければならなくなった。

 フードの下の、見えない顔を睨みつける。視線を外せない。だが、このまま後ろに下がって何かを踏ん付けて倒れでもしたら、一巻の終わりだ。

 呼吸が荒くなる。

 空気が限界まで張りつめ、とうとうリーファは、ふっと視線を後ろへ向けた。

「オオオオオ!」

 咆哮を上げ、男が飛びかかる。リーファは一瞬で視線を戻し、気合とともに自ら男の懐に飛び込んだ。肩で体当たりをくらわせ、男を突き倒す。

「ガッ……!」

 石畳にしこたま打ち付けられ、さすがに男もくぐもった声を上げた。リーファはすかさず立ち上がり、男の片足に浅く斬りつけた。動きを封じようとして。

 だが、しかし。

 手応えの不気味さに、リーファは喉の奥でうめいた。弾力がなさすぎるのだ、生きた人間にしては。そしてまた、切り口からすぐさま血がほとばしるということもなく。

 剣を持ち上げると、ぬめりのついた刃から腐臭が漂った。

「う……わ、」

 自分が相手にしていたものが何なのか、ようやく悟った。

 生ける死者、だ。

「わああぁぁ!」

 叫びを上げ、一目散に大通りへと走りだす。路地から蒼白になって飛び出して来たリーファに、通行人がなんだなんだと振り返った。そして、彼女の手に抜き身の剣が握られているのを見るや、口々に悲鳴を上げて逃げて行く。

 そんな群衆には構わず、リーファは無我夢中で広場へ向かった。たどり着くなり噴水に剣を投げ込もうとしたが、直前で思い止どまる。この水まで汚してしまってはいけない。

 息を弾ませながら広場を見回し、男が追ってきていないことを確かめる。どうやらもう安全だと確信できると、剣を地面に横たえ、両手で水をすくって何度も何度も刃を洗いはじめた。

 ややあってようやく一息つくと、彼女はぺたんと地べたに座り込んでしまった。

「嘘だろ……勘弁してくれよ」

 なんであんなのが城下町に出て来るんだ。

 リーファは膝の間に頭を落とし、うげ、と呻いた。生きている人間は怖くないのだが、昔からどうしても、幽霊だの死人だのは苦手なままだ。

「しかも、あの臭い……くそっ」

 おそらく奴はグリフィンの部屋でベッドの下に隠れていたに違いない。だから、彼女が燃え残りを見付けてポーチに入れたことも、分かったのだろう。

 男が潜んでいた痕跡の間近に顔をくっつけていたことを思い出すと、吐き気を催す。

 ややあってリーファはどうにか気を取り直し、のろのろ立ち上がると、剣を取って渋々鞘に収めた。それから例の紙をポーチから取り出して、破れていないか確かめる。

「これがいったい何だってんだ?」

 随分前に王立図書館から紛失したのだとしたら、本の内容も古いものであるはずだ。となれば、何か画期的な発見や未知の魔法薬について記されているとも考えられない。まさか宝の在りかを記した暗号でもあるまいに。

 わかんねえなぁ、とリーファは頭を振った。

 早いとこフィアナに訊こう。相手が死人とくれば、魔術師の助けが必要になるかもしれないし。

(いや、この場合は神官か?)

 広場に面している大神殿の荘重な玄関を見やり、リーファは束の間ためらってから、結局その前を素通りして魔法学院に向かった。他国人だった彼女は、まだこの国の信仰に馴染んでいない。神様に助けてもらえるとは、思えなかったのだ。


 魔法学院は全体に広々としたつくりになっており、ホールにはソファとテーブルも置かれていて、何人かの学生がくつろいでいた。通行人を気にせず仲間内の論議に熱中している辺りからして、既に何年かこの学院で過ごしているのだろう。白と青を基調にした学院の制服も、すっかり身に馴染んでいる。

 魔法学院では一応年度の区切りはあるものの、いつでも誰でも入学試験を受けることができるので、年齢から学院での経歴を推測することはできない。フィアナなどはわずか十歳で入学し、既に学院では一、二の実力者と言われているほどだ。

 受付で用件を告げると、職員がフィアナの居所を教えてくれた。個人行動の増える上級生になると、大ざっぱな居所を受付に知らせる魔術を、自発的にかけている者が多いのだ。フィアナは、所属する研究室にいるらしい。

 リーファは礼を言って、案内なしで廊下を大股に歩いていった。

「フィアナ、いるかい?」

 開け放たれた扉のところで、コンコンと壁をノックする。広い実験室の奥から、すぐに金髪の義従妹が現れた。

「どうしたの、わざわざここまで来るなんて……もしかして、グリフィンのこと?」

「ああ、まあね。進展があった、って言えるわけじゃないんだけど。謎ばかり増えていくような気がするよ」

 やれやれと言い、リーファはフィアナについて隣室に入る。こちらは各自が、調べ物や論文をまとめるのに使う部屋だ。フィアナが自分の椅子に座ると、リーファは適当に空いている椅子を引っ張り寄せて腰を下ろした。

「今日、もう一度グリフィンの家に行ってみたんだ」

 そう切り出し、部屋で見付けたさまざまな痕跡と、それを元に立てた推論――グリフィン以外の誰かがいて、偽装工作をしたらしいこと――を話して聞かせた。王立図書館から紛失したままの本のこと、それに、ついさっき生ける死者に襲われたことも。

「これがその、昨日見付けた紙切れなんだけど……父さんが、フィアナなら何か知ってるだろう、って」

 リーファは質問で報告を締めくくり、例の紙片を渡した。

「セス伯父様が? それじゃ、ぜひ解明して見せなきゃね」

 おどけてフィアナは腕まくりの仕草を見せたが、紙片を受け取ると、すっと表情を変えた。興味深げにそれをじっと見つめ、ややあって口を開いた時、リーファを見つめるまなざしは真剣そのものだった。

「伯父様の言われた通り、物騒なものだってことは確実ね。これは多分、王立図書館から紛失したっていうその本で……この部分は、覚え違いでなければ、ある薬の作り方を説明しているんだと思うわ。きちんと調べないと、断言はできないけれど」

「薬だって? 毒じゃないのか? 父さんは、そこに有名な毒魚の名前が書いてある、とか言ってたけど」

 リーファは顔をしかめる。フィアナは首を振った。

「薬と毒は同じ物の場合も多いのよ。もっとも、これの場合は少し違うけれど……とにかくまだ推測だけだから、何とも言えないわ。ねえ、この紙、私に預けてくれない? そうしたらこっちの図書館で調べてみて、裏付けが取れるんだけど」

「それは……」

 言い淀んだものの、リーファはすぐに、いいよ、と承諾した。こと魔術に関しては、フィアナの判断の方が信頼できる。そうする必要があると彼女が言うのならば、事実そうなのだろう。

「おまえがそうしたいってんなら。けど、今度はおまえがあの死人に狙われたら、どうするつもりだ?」

「たぶん姉さんが言わない限り、私の手に渡ったってことは分からないわ。この紙はただの紙で、魔術の標識もついてないもの。魔法学院には特殊な結界が張ってあるから、死者や悪霊の類は入り込めないしね」

「そんならいいけどさ。まあ、もしまた奴に出くわしたら、余計なことは言わずに、とにかく逃げることにするよ。出来れば姿を見たくもないけど」

 思い出しただけでげんなりしたリーファに、フィアナは苦笑しながら助言を与えてくれた。

「神殿に寄って、聖水をもらっておいた方がいいかもね。死者を退けることに関しては、神殿の方が歴史も長いし、いろいろ研究を重ねていると思うから」

「信者でなくても御利益あるのか? オレ、まともに礼拝に行ったこともなけりゃ、神様の名前だって覚えきれてねえんだぞ」

「大丈夫よ。聖十神はおおらかな神様が多いから、誰か一人ぐらいは守って下さるわ」

 請け合ったフィアナに、リーファはかえって疑わしげな目を向けた。胡散臭ェ、などとぶつぶつぼやきながら足を組み直す。その拍子に、あっ、と思い出した。

「もうひとつ訊こうと思ってたんだ。グリフィンの外見とか、知ってるか?」

「私も直接会ったことはないから……特徴ぐらいなら聞いてるけど。金髪、目は明るい茶色、背は低い方で、私と同じぐらいだって話だったわ」

「そっか。じゃあ、少なくともオレを襲った死人がグリフィンってことはないな。オレよりでかかったから。となると……誰なんだろう」

 ふむ、とリーファは考え込む。フィアナもちょっと考える素振りを見せたが、じきに諦めて肩を竦めた。

「さすがに見当がつかないわね。友達じゃないだろうとは思うけど。年の近い初年生も大勢いるのに、私が様子を見てくるように頼まれるぐらいだもの、学院には彼のことを気にかけている人が、ほとんどいないんじゃないかしら」

「友達どころか」リーファは鼻を鳴らした。「奴はグリフィンのことが大層お気に召さない様子だったよ。名前を出したら怒りだした」

「そう……」

 フィアナの表情がふっと翳る。リーファがその変化を訝しむ間もなく、彼女はいつもの穏やかな笑みを見せた。

「そっちの調査は、姉さんと警備隊の皆さんにお任せするわ。私の方は……そうね、たぶん明日には分かると思うから、また夕方にでも来てくれる?」

「わかった、頼むよ。自分の用事も忙しいだろうに、悪いな」

 礼を言って立ち上がったリーファに、フィアナはおどけた顔で首を振った。

「伯父様の期待を裏切るわけにはいかないでしょ? 気にしないで。どうしてもって言うなら、今度またパイでもお城の厨房から貰ってきてくれる? 最近なかなか家に帰る暇が無くて、ここに籠もりっきりのことが多いから。寮の食事も悪くはないんだけどね」

「了解。明日来る時には、何か適当にかっぱらって来るよ」

 笑いながらリーファは敬礼して見せ、それじゃ、と部屋を後にした。

 手を振ってそれを見送ったフィアナは、義従姉の姿が廊下の角を曲がって消えると、すっと笑みを消した。

 机の上に置かれた、端の焦げた紙片をじっと見つめて、口の中で小さくつぶやく。

「……それに、これは私にも無関係とは言い切れないもの。魔術師として……」

 白い指先が行をなぞる。唇を噛み、フィアナは紙片を抽斗に隠して、施錠の術をかけた。それからぎゅっと手を拳に握り締め、常になく速い足取りで、図書館へと歩きだした。


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