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王都警備隊・2  作者: 風羽洸海
智慧の守護者
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一章 魔法学院生の部屋(2)


「名前はグリフィン、魔法学院では物質同定部医薬科に在籍しているわ。ここの器材、研究室から拝借してるみたいね。許可の有無はわからないけど」

「ブッシツドウテイ部、なんて言われても……何やってんだか分からない名前だな。おまえのやってる事とは違うのか」

 首を傾げたリーファに、フィアナは「ええ」とうなずいた。

「一般にまじないだとか魔術だとか呼びならわされているものの中には、そうじゃないものが結構まじっているの。知識と道具さえあれば、必ずしも神様の力に頼る必要はない技術がね。そういう紛らわしいものを、厳密な意味での『魔法』から切り離す、っていう研究部門よ」

「えーっと……つまり、呪文を唱えたり神様に祈ったりしなくても、血止めの薬を塗れば傷がふさがる、とかいうようなことか?」

「そういうこと。それが本当に、お祈りや呪文や特殊な道具なしで効力があるものなのか、あるとしたら呪文を併用した時とどのぐらい効果に差があるのか……そういったことは、何回も実験してみなくちゃわからないでしょ? だからこっちの分野を学ぶ人は変わった道具をいろいろ持っているし、指や服がいろんな色に染まってたりするのよね。もちろん私も、基礎的な範囲は一通り教わったし、今でも時間があれば勉強してるわ。知っていれば何かと便利だもの」

 フィアナは説明しながら室内を一周した。

「出掛けたきり戻ってない上に、通達も見ていないんじゃ、仕方ないわね。二階の人は行き先を聞いてないか、確かめてみない?」

「窓は閉まってたけどな」

 望み薄だよ、と言いながら、リーファも最後に改めて一度、部屋をぐるりと見回した。

 と、その視線が部屋の隅の小さな暖炉に吸い寄せられた。何かの燃えかすがある。そばに寄って、膝をつく。炭と大量の灰に半ば埋もれている、真っ黒になった紙の束が、カサカサと音を立てた。書き損じた手紙か何かだろうか。それにしては嵩が高い。

(まさか、本?)

 リーファはそれを火かき棒で突付き、やっぱり、と確信した。革の表紙だったものの残骸をどけると、中心の方まで火が回りきらなかったらしく、ごく一部だけ、燃え残った頁が顔を出した。

(なんで燃やしたりするんだ? 魔術師にとっちゃ、本は命にも替え難いものだろうに)

 印刷技術があるわけではない。大量に写本の出回っているものならいざ知らず、ほとんどの本は一冊かせいぜい数冊きりだ。それゆえ、書物が失われることは即ち、そこに記された知識そのものが世界から消え失せるに等しい。

 リーファは燃え残りを前に考えていたが、じきにうんとうなずくと、無事だった部分を拾い集めた。どうせ持ち主は燃やしてしまったものだ、頂戴しても構うまい。

(それに、たしか以前、図書館の本がなくなってる、とか父さんが言ってたっけ)

 もしかしたら、これがその本かも知れない。リーファは崩れやすくなっている紙をそっとまとめ、ベルトにつけたポーチにしまった。

「姉さん? 行かないの?」

 外へ出ていたフィアナが、肩越しに振り返って呼ぶ。リーファは慌てて立ち上がった。窓の鎧戸を下ろし、部屋から出る。ドアを閉めかけて、おっと、と気付いて引き返すと、通達を手に取った。

(どことなく不自然な気がするんだけどな)

 なんだろう、と首を傾げたものの、よく分からない。結局それを元通り、ドアの隙間に挟んでおいた。

 それからフィアナを追いかけて二階に上がったが、こちらは留守どころか、そもそも人が住んでいなかった。扉を開けると黴と埃の冷たい匂いが流れ出て、中に踏み込むまでもなく、数ヶ月か数年か、人が入っていないことがわかった。

「これじゃ駄目だわね」

 フィアナが肩を落とした。リーファはがらんとした室内を見回して、「だな」と相槌を打つと、扉を閉める。結局二人は諦めて、下宿屋から出た。

「大家は?」

 玄関前でリーファが問うと、フィアナは首を振った。

「劇場街の方に住んでるけど、家賃取り立ての代理人が来るだけよ。家の持ち主本人は、こっちには足を向けたくないみたいね」

「そりゃお利口さんだよ」

 天を仰いでリーファはぼやいた。人相風体の良くない男が何人か、にやにや笑いながら近付いてきたのだ。

 警備隊の制服を着ているとは言え、リーファは女だし、威嚇に足る体格でもない。しかも今は、いかにもお嬢様といった外見の義従妹が一緒だ。やれやれ、とリーファはため息をつき、それからじろりと男たちをねめつけて言った。

「何か用かい? こちとら非番なんだ、余計な騒動は勘弁して貰いたいね」

「へえ、そうかい」

 男たちは下卑た笑い声をたてただけで、まともに取り合わない。リーファは小さく舌打ちし、いつでも攻撃に移れるよう腰を少し沈めて構えをとった。

 剣を抜くと大事になる。出来れば刃傷沙汰にせずに済ませたかった。

 じり、と間合いが狭まる。リーファは男たちの動きを油断なく見張りながら、視界の隅で逃走路を探していた。と、その目が、あっと見開かれる。

「どうした、昼日中から穏やかじゃねえな」

 のんびりとした、だが不敵な響きの声が割り込んで、男たちはぱっと振り返った。足音も立てず彼らの背後に近寄っていたのは、長身痩躯の男だった。武器らしいものは一見したところ帯びておらず、顔には人の好さそうな笑みさえ浮かべている。だが、身のこなしには隙がなく、灰色の目は鷹のように鋭い。

 ごろつきどもは、チッ、といまいましげに舌打ちし、ぞろぞろと退散していく。何事かぶつぶつぼやきつつ、険悪な視線だけを残して。

 彼らの姿が消えると、リーファは用心しながら男に歩み寄った。

「誰だか知らないけど、助かったよ。ありがとな」

「なぁに」男は面白そうな顔をして応じる。「どっちかってえと、助かったのはあの連中なんじゃねえか? おまえさんならあの連中ぐらい、四つに畳んでシャーディン河に沈めちまえるように見えるがね」

 からかうような口調にリーファがムッとする。同時にフィアナが後ろで失笑した。リーファは義従妹を軽く睨んでから、男に言った。

「それで、あんたはどうしてここにいるんだ? ここに用があるのか、オレたちに用があるのか、それともただの通りすがりか」

 突っかかった彼女に対し、男は気分を害した様子もなく、おいおい、と苦笑した。

「そうカリカリしなさんな、ただの通りすがりさ」

 それだけ言うと、いかにも散歩の続きといった風情で、じゃあな、と男はまた歩きだした。ぶらぶらとさりげない足取りで、建物の陰に消えて行く。

 その後ろ姿に、フィアナが改めて「ありがとうございました」と礼を言ったが、男は振り返らずに片手を挙げただけだった。

「姉さん、恩人に対してあの態度はないんじゃない?」

 フィアナが抗議すると、リーファは男の姿が消えた路地を睨んだまま、苦い口調で答えた。

「あいつ、ただ者じゃないぞ。背中を向けていたあの連中はともかく、正面を向いていたはずのオレでさえ、あいつが近付いてることに気がつかなかった。いくら雑魚に気を取られていたって言っても、こんなこと今までなかったのに」

「ふぅん……姉さんが言うんだから相当な腕前だってことね。でもあの人、格好良かったからいいじゃない」

「あのな」

 がくり、とリーファは脱力した。このオヤジ好きが、と口の中でつぶやく。これさえなければ、今頃フィアナも恋人の一人や二人はいただろうに。いや、二人いてはまずいか。

 げんなりしたリーファにはお構いなく、フィアナは勝手に盛り上がっている。

「セス伯父様には比べようもないけど、ああいうタイプも結構いいと思うの。余裕が感じられるじゃない? 助けてくれたのも事実なんだし、去り際の態度もこう……」

「はいはい、もう分かったから」

 際限なく語り続けそうな義従妹を遮り、リーファは中央通りの方に足を向ける。その後もフィアナは一人で喋っていたが、中央通りに出ると、道を別れて魔法学院に戻って行った。

「伯父様によろしくね」

 去り際にことづけられた一言を反芻し、リーファはひとり、曖昧な表情で頭を掻いた。

 フィアナの気持ちも、分からないではない。セスは温厚で物静かで思慮深く、リーファが養女になってこの方、声を荒らげたことすら一度としてない。反してフィアナの父ディナルは、警備隊の隊長でもあるが、短気で大声、万事荒っぽく騒々しい無骨な男。あまり父親にしたくはないタイプだ。出来れば、上司にも。

(親父があれじゃ、優しい伯父さんに憧れるのも、無理ないけどな)

 はあ、とため息。いろいろと複雑な気分で、リーファはぼんやりと町並みを眺めた。

 そろそろ日は傾きかけていて、立ち並ぶ漆喰塗りの建物がどれも薄い黄金色に染まっていた。あちこちの煙突から夕餉の炊煙が立ちのぼり、美味しそうな匂いを漂わせている。

 リーファは自分の胃袋も催促の声を上げたのに気付くと、物思いに耽るのをやめて歩きだした。


 大股に石畳の道を急ぎ、中央広場に出て、警備隊の本部に立ち寄る。各自の所在地を示す名札を『帰宅』に掛けかえて、何人かの同僚に、お疲れ、と声をかけて。家路を急ぐ人々の間をぬって、リーファは王城の方へと坂道を登っていった。

 跳ね橋はまだ降りていて、リーファの帰りを認めた衛兵が笑顔を見せた。広い前庭を歩くうちに、陽光はとっぷりと濃い茜色に沈殿してゆく。

 居館北側の通廊を少し歩き、ギッ、と音を立てて重い木の扉を開けると、やっと“我が家”だ。

「ただいま」

 声をかけると、穏やかな微笑を浮かべたセスが、おかえり、と振り返った。蝋燭と暖炉の炎に照らされても、まだその顔色はいまひとつ冴えない。あまり体が丈夫ではないのだ。だから、結婚もしていない。

 室内にはテーブルと椅子、本棚と書き物用の机などがあったが、余計な装飾はほとんどない。そのかわり、机と本棚はいつも満員だった。リーファだけでなく、セスも仕事をここまで持ち込むからだ。今日も机は彼に占領されていた。城の備品係に頼んである新しい机が早く入らないかな、と考えながら、リーファは歩み寄る。

「また仕事かい? あんまり根をつめないでくれよ。父さんはディナルのおっさんとは違うんだから」

 熊のごとき義理の叔父を引き合いに出して、リーファは仕事中毒をたしなめた。心配顔をした娘に、セスは茶目っ気のある笑みを見せる。

「大丈夫だよ。そんなに心配しなくても、案外私のような者の方がしぶとかったりするものだからね。それより夕食にしよう」

「賛成。ちょっとだけ待ってて」

 リーファも笑顔になると、続き部屋に入った。

 ベッドの上に制服をぽいぽいと脱ぎ捨て、同じくそこらにうっちゃってあった普段着に着替える。もっとも、こちらも茶色や灰色の地味な服で、男物と同じようなデザインだ。女らしい服は、一着だけ無理に作らされたドレスを除いて、まったくなかった。そのドレスも今では箪笥のいい肥やしだ。その内、箪笥に花でも咲かせるかもしれない。

 着替え終わったリーファが出てくると、テーブルにはもう夕食が用意されていた。あまり地位の高くない城勤めの者は使用人食堂に行くものだが、図書館や自室にこもって仕事をすることの多いセスは特別扱いで、部屋まで食事を届けられているのだ。

 短い食前の祈りを捧げ、二人はまだ湯気の立っている食事にとりかかった。

「今日は遅かったね。確か、午後から非番だと言っていたように思うんだが」

 不思議そうにセスが問うた。リーファは口の中のものを飲み込む間に言い訳を考え、もっともらしくぼやかした答えを言う。

「散歩してたようなもんだよ。酒場でフィアナに出くわしちまってさ。そっちの用事に付き合ってたんだ」

 正直に話すわけにはいかなかった。貧民街の近くに行きました、などと言おうものなら、気が優しい上に心配症の養父から、寿命を一年は奪ってしまうだろう。養女の育った環境を知らないわけでもなかろうに、彼はいまだに彼女をそうした場所から遠ざけたがっていた。

「そういえば」

 話題を変えようとしかけて思い出し、リーファは片頬を膨らませたままもぐもぐ言った。

「だいぶ前に、本が一冊行方不明だとか言ってたよね? あれ、何て題だっけ」

「ん? ああ……確か、死者の埋葬がどうとかいうものだったと思うが」

 それがどうかしたかね、と怪訝な顔をしたセスに、リーファは「ちょっとごめん」と中座して、隣室からあの紙片を取って来た。

「これ、偶然見付けたんだけど。そうなんじゃないかな」

 どれどれ、とセスもスプーンを置き、紙片を手に取る。何かが気になると食事も放ったらかし、というのはこの親子の悪い癖だ。

 セスは裏表ともじっくりとそれを眺め、ふむ、と唸ってリーファに返した。

「どうだろう。見たところ、どうも魔術関係の内容のようだがね。ここにあるフロブというのは有名な毒魚の名前だし、この辺りは何かの手順を説明しているようだ。これは一度、フィアナに見て貰った方がいいだろうね。物騒なものかも知れないから」

「なんだ、違ったか」

「いや、まだ分からないよ。地方によっては、埋葬の際、遺体に何らかの処理を施すところもあるからね。これはその関係かもしれないし……まぁ、フィアナなら何か知っているだろうよ」

「わかった、じゃ、明日にでも聞いてくるよ」

 リーファは言って、頭の中の予定表にその項目を書き加える。かわりに、最初から記入されていた警備隊長との面談は、

(どうせ、説教と厭味だけだもんな)

 無視しよう、と二本線で消しておいた。


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