十二章(1)
十二章
しばらくして意識を取り戻したウートは、ミルテが言った通り、何も覚えていなかった。ルクスが訪ねて来たことや、セウテスを張り倒しに行った事は記憶していたが、ルクスを閉じこめたこと、昨夜リーファと出くわしたこと、村人に盗人を捕まえるように命じたこと、などは全く覚えていないと言う。
「でも、何があったか理解は出来るんだね?」
リーファが問うと、ウートは憔悴した表情でうなずき、ちらりとあの木箱に目をやった。中身は既にロトが確かめていた――土地の権利書だ。ウートの曾祖父が辺り一帯を買い占めた時の記録。
「あれが教えてくれたんだ。親父からあれを受け継いだ時、何かぼんやりしたものがくっついてるのを感じた……それから、夢を見るようになったんだ。わしは今と同じようにこの土地に住んでいた。だが家はこんな屋敷じゃなく、わしが蔑んで鼻を鳴らすようなあばら屋で……」
そこまで言い、彼は不意に涙ぐんだ。片手で顔をこすり、視線を窓の外へ向ける。まるで、そこに何か助けがあると期待するかのように。
「ひどい話だ。知らなければ良かった」
その呟きを耳にして、リーファはウートの視線がどこを指していたかに気付いた。
「裏庭の、骨のことだね」
「…………」
ウートは唇を引き結び、無言でうなずく。
沈黙のなか、おぼつかない足音が近付き、ドアのところで止まった。シンハが壁にもたれて立っていた。ウートは床に座り込んだまま彼を見上げ、それからリーファを、ロトを、順に見つめてから、最後に床に目を落として深いため息をついた。
「あんたらが本当のとこ何者なのか、わしには分からん。だがあの時見た近衛兵の制服が本物なら、あんたらはもう、何があったか知ってるんだろう。わしの曾祖父さんが……あの子を」
ぐっ、と嗚咽を飲み込む。目を何度もしばたたき、彼は涙を堪えて続けた。
「ただの夢なら良かったが、親父は死ぬ前に言い残したんだ。あの箱には、曾祖父さんの……怨念が、残ってるんだ、とね。たぶん、知りたくない事を知るだろう、と。その通りだった」
「西方から来た親子を騙し、殺した上で金品を奪い、死体をここに埋めた。それに間違いないか?」
シンハが淡々と問う。ウートはうなずき、鼻をすすった。
「父親の方が、一握りの種を持って来て、下手なエファーン語で土地を貸してくれと言うんだ。絹みたいな布が作れる、特別の亜麻だから、って。わしの目には、それがただの亜麻で、そいつが誰かに騙されたのは明らかだった。だが親子はまだ、土地を借りて収穫できるまで暮らすぐらいの金は、充分持っていたんだ。だから……話に乗るふりをした。
収穫までの間、ゆっくり王都見物をすればいいと言って、フォラーノの店に住めるよう話をつけた。余所者は嫌われるから、髪を隠して、向こうの言葉も使わないようにと指示しておいて……何日か親切にしてやってから、父親の方を連れ出した。畑を見に来いと言って」
語尾が揺れ、とうとうウートの目から涙がこぼれ落ちた。彼は自分の両手を見つめ、実際にその手が血に塗れたかのように、忌まわしそうに口を歪めた。
「夢なのに、感触がするんだ。それを、何度も何度も……。しかも、それで終わりじゃない。服や身の回りの物を全部ひっぺがして金目のものを漁り、全然足りないと分かるとフォラーノの店に戻って、部屋の荷物を漁った。ちょうど、フォラーノが子供を連れ出していたんだ。ところがまだ仕事が終わらない内に、フォラーノが戻って来て……ガキはどうする、と」
「それで、ついでに殺したってわけかい」
リーファが嫌悪に顔をしかめて言葉をつなぐと、ウートは必死の形相で弁解した。
「わしじゃない! やったのはフォラーノだ。わしは放っとけと言ったんだ。いや、その……夢の中のわしは、という意味だが。子供は外で待たされているはずだったのに、遅いから痺れを切らしたのか、勝手に入ってきた。夕暮時で、家の中はもう暗くて、外から入ってきたらすぐには何も見えなかったろう。そこをフォラーノは、ひと突きしたんだ。
生かしておいて、そのうち言葉を覚えられたら、面倒になる。そう言って……奴は、死体の始末をわしに押しつけた。わしは子供の死体を運んで……あそこに、埋めたんだ」
そこまで語り終えると、ウートは深々と息を吐いた。
「夢で分かったのはそこまでだが、それが権利書の箱にまつわるとなれば、その意味は明らかだ。この土地は……わしの曾祖父さんからの、血に塗れた遺産なんだ、とな。あんたらに分かるかね? 何も知らずに暮らしていた自分の土地が、人殺しの遺産だった。この亜麻の畑の中のどこかに、殺した相手から奪った種がまじっているんだぞ」
「それが嫌なら、さっさとミルテと親父さんの骨を掘り返して、ちゃんと弔ってやりゃ良かったじゃないか。なのに家族に当たり散らしてただけかよ」
被害者面すんじゃねえ、とばかり、リーファは蔑んだ声を出す。ウートは返す言葉もなく、唇を噛んでうつむいた。
気詰まりな沈黙の後、シンハが考える風情で言った。
「……まあ、そうしたくない理由もいくつかあったんだろう」
「なんだよそれ」
「掘り返して本当に骨が出てきたら、ただの夢だと言って自分を誤魔化すことも出来なくなる。それに実際問題として、骨が出てきましたが曾祖父の代の事件です、と言って簡単に信用されるとは思えないだろう」
「それは……」
確かにそうだ。自分が夜中に掘り返そうとしてやめたのも、骨が何年前の物で、いつ埋められたのか、それを特定するのが難しいから、という理由による。ウートがとばっちりを恐れるのも無理はないと言えるだろう。
黙り込んだリーファに代わり、ロトがやれやれといった風情で口を開いた。
「人を殺して購った土地だから、没収されるかもしれない、と心配もしたろうね。ローナという娘がいる以上、無一文になるわけにはいかない。フォラーノ家の方にはこの話は伝わっていないようだから、自分さえ黙っていれば、誰に知られることもないだろう」
「親父や祖父さんも、同じように考えたんでしょうな」
ウートが陰気に呟いた。先祖が片付けておいてくれたなら、自分の代でこんな厄介事になりはしなかったろうに、とでも言いたげだ。
実際、ルクスがたまたま遺品を見付けてここまで持ち込まなければ、今回の騒ぎは起こらなかったに違いない。そうしてまた次の代まで、秘密は箱に封じられて遺されるところだった。
「土地が穢れているわけじゃない」
シンハが言い、ウートは訝しむ目を向けた。すっかり惨めな様子になった農場主に、シンハは感情のこもらない声で告げた。
「おまえが受け取った負の遺産とは、財産にしがみつき保身をはかる、その利己的な性根の方だ」
「…………」
「いずれにせよ、法に照らせばウート家の地所が没収されることはない。事件が起こったのがいつか、詳しい年代は調べなければ分からないにせよ、曾祖父の代ということは少なくとも八十年かそこらは昔だろう。とっくに罪を問える年月は過ぎている」
有り難い言葉を聞き、ウートは目に見えて安堵した。肩の力が抜け、悲愴と絶望に彩られていた顔が希望の光に明るくなる。その様子に、シンハは皮肉っぽい笑みを浮かべた。
「もちろん、先祖が犯した罪を、おまえが償う必要もない。既に散々な目に遭ったわけでもあるしな。そもそも事件として成立するようなことではなかろう」
「でも、それじゃあミルテが」
浮かばれないよ、とリーファは言いかける。シンハはそれを手で制し、ロトに目配せした。その意を汲み、ロトはこほんと咳払いして言葉を引き継ぐ。
「ただし、遺体はきちんと埋葬されなければならない。ウートさん、それはもちろん、地主であるあなたの責任だ。いいですね」
「ああ、はい」戸惑いながらもウートがうなずく。
「それなら、ここにちょうど近衛兵と警備隊員が揃っていることだし、執政官の立合を求めるまでもない。すぐに取りかかりましょう」
近衛兵と警備隊員、と言われ、ウートは目をぱちくりさせて三人を順に眺めた。ロトが近衛兵なのは知っているが、警備隊員というのは誰のことか、訝っているらしい。じきにウートはシンハに目を止め、なるほどと一人合点した様子でうなずいた。
「わしも、こんな事は早く終わりにしたい。うちの下男に裏庭を掘らせます。事情は……話さんでも、いいでしょうな?」
「家族でないなら、構わんだろう」可笑しそうにシンハが答えた。「行きずりの盗賊に殺された旅の者、とでも説明しておけばいい。村の者にことの真相が知れたら、ウート家の立場がまずくなるだろうし、リネン作りにも悪影響が出かねん」
言葉尻でおどけ、シンハはわざとらしく「それは俺も困る」と、きつい中部訛りで付け足した。リーファは堪え切れずにふきだし、にやにや笑いを顔いっぱいに広げる。
「せっかく商談がまとまったところなんだもんなぁ」
「まったくだ。西へ戻るのに、ほかに手頃な土産もないしな」
「赤字になったら困るよな。そうでなくてもかつかつなんだろ」
白々しく偽の身分についての会話を続ける二人に、ウートはただただ困惑し、ロトは渋い顔でむっつりと腕組みをしたのだった。




