表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
王都警備隊・2  作者: 風羽洸海
穢れた遺産
15/36

十一章(2)



 屋敷は時間の澱みに沈んでいた。太陽がそろそろ中天にかかろうかというのに、物音ひとつせず、人はもちろん家畜の鳴き声すら聞こえない。生きて動くものの気配がまったくなく、一夜にして廃墟と化したかの如き感があった。

「さて……ウートのおっさんはどこにいるかな」

 リーファは玄関前でふむと腕組みした。あれこれ推測する暇もなく、ミルテが『こっち』と言うや、扉がひとりでに開いた。途端にロトがぎょっとなって身じろぎしたので、リーファは振り返ってにやりとした。

「今のはミルテが開けたんだよ。見えないと却ってびびる事もあるんだな」

「驚いただけだよ」

 さすがにムッとしてロトが言い返す。怖気づいたと思われるのは心外だ、とばかり、彼はつかつかと開いた玄関をくぐった。リーファはシンハと顔を見合わせ、声を出さずにこっそり笑ってから、急いで屋敷に入った。

 狭いホールは薄暗く、細かな塵が舞っていた。ミルテの通り過ぎた跡が、仄かに白くきらめく。それに従って階段を上ると、短い廊下の突き当たりにある扉が目に入った。その前でミルテが待っている。

「……ここは開けてくれないみたいだね」

 ロトが足を止め、無意識に剣のあるべき位置に手をやった。リーファはごくりと固唾を飲み、震えそうな足に力を入れて踏張る。扉の隙間から染み出た闇が、生き物のように蠢いているのが見えた。

「聖水だけで大丈夫かなぁ……」

 リーファが不安になって呟くと同時に、横でシンハがよろめき、壁に手をついた。顔色が真っ青だ。リーファとロトが駆け寄ると、彼は「くそ」と小さくうめいた。

「神々のお節介どもめ」

「罰当たりなことを言わないで下さい」

 途端にぴしゃりとロトが叱り付ける。それから彼は、有無を言わさずシンハの手から聖水を奪い取った。

「私とリーでやってみます。それが失敗したら、指輪を外して助けて下さい。でも、なるべくぎりぎりまで待って下さいね。ここでウート氏に取り憑いた霊を吹き飛ばしたら、次はどこに行って何をしでかすか、予測できませんから」

「分かった。すまんな」

 シンハは珍しく素直にうなずき、ずるずると壁にもたれて座り込む。リーファは気遣わしげにシンハを見つめていたが、目が合うと反射的に笑みを作って言った。

「任せとけって。ちゃっちゃと片付けちまうから、安心して待ってなよ」

 威勢の良い台詞に、シンハが微苦笑を浮かべる。リーファはぞんざいな敬礼をすると、ロトと並んで扉に向かい合った。

「開けると同時に聖水を投げ付けるってのはどうだい」

「僕にはウート氏の姿は見えても、幽霊の存在はわからない。君は?」

「……こんだけ真っ暗だと、オレにも本体がどこだか見えねえかもな」

 うーむ、とリーファは腕組みし、それから思い切るように頭を振って言った。

「聖水はあんたに任せるよ。オレとミルテがあいつの注意を引き付けて、本体の居所を確かめる。最悪でも、一瓶ありゃ結構な範囲に撒き散らせるだろうから、すっかり外れるってことはないだろ」

「了解。それじゃ指示は頼むよ」

 ロトが言い、準備はいいかと目で問い掛ける。リーファは小さくうなずき、呼吸をはかると、

「せえの、」

 掛け声と共に扉を蹴破った。

 黒雲が噴き出し、正体不明の無数の生き物が廊下を走り抜けて床を鳴らす。リーファは強いてそれらから意識を逸らし、前方にのみ集中した。ロトの方は目に見えない力の壁に圧され、歯を食いしばって足を踏み出している。

 と、不意に行く手を阻む力が緩んだ。顔を上げると、ミルテが二人の前で盾になっていた。黒雲が襲いかかろうとしては尻込みし、ミルテの周囲で渦を巻いている。

 視界が晴れ、リーファの目にも部屋の奥にうずくまるウートの姿が見えた。忌まわしい気配は、やはり彼を中心に発生している。どうやら霊は完全にウートの身体を支配したようだ。彼は虚ろな目で宙を見上げ、何かをしっかり抱きかかえていた。

『返して』

 ミルテがじわりと前進する。

「嫌だ」ウートが唸った。「誰にも渡さんぞ。私の物だ。私の、私の」

 ぶつぶつと同じ言葉を繰り返す。霊同士なら言葉が違っても意思が通じるのかと思ったが、どうやらそうではないらしい。ただの独り言だ。

「渡すものか。これは私の物だ。裏切り者め……渡さん、私の物……」

 リーファは眉を寄せ、彼が何を守ろうとしているのか見極めようとした。神官の昔話を思い出したのだが、あれは金貨の壺ではなさそうだ。何か箱のような……?

 リーファが無意識に一歩踏み出した途端、ウートは歯を剥き出し、獣じみた威嚇の声を上げた。黒雲がより濃く、重くなっていく。

「リー?」

 ひそっ、とロトがささやく。リーファは首を振り、同じく小声で答えた。

「分かんねえ。多分、おっさん自身に聖水をぶっかけてやりゃ効くだろうけど……ひょっとしたら、後生大事に抱え込んでるあれの方が本体かも――あっ!」

 二人が話し合ったわずかな隙に、ウートはいきなり立ち上がり、人間離れした勢いで窓に突進した。リーファは反射的にそれを追ったが、とても間に合わない。

 そのままウートが窓を突き破って逃げるかに見えた、刹那。

『返して!』

 ミルテが立ち塞がり、ウートは「ぎゃッ!」と叫んで後ろに転がった。それでもまだ、抱えた物は離さない。

『返して。それは父さんのよ。返して、返して返してカエシテ!』

「嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ、渡すもんか、誰にも」

 ウートは首を振り、わななきながら反対の壁際へと逃げていく。

 好機と見たロトが素早く先回りし、聖水の瓶を振り上げた。が、その手から瓶が離れる一瞬前、

「伏せろ!」

 リーファの叫びに引き倒されたように、ロトはぱっと身を屈めた。直後、風が唸り、カーテンが無残に裂けた。

「……な」

 何が起こったのか、ロトには全く見えなかった。リーファの目に映る黒い巨大な鎌も、その切っ先がカーテンをかすめたのも、そして今またその鋭い刃が自分の首を狙って振り上げられているのも。

 リーファは舌打ちすると、床を蹴ってウートに飛び掛かった。二人がもつれ合って床に転がると同時に、ミルテがロトの上に現れた。狙いをそれた鎌が闇雲に襲いかかる。が、ミルテが両手を広げてそれを睨み付けただけで、鎌は歪み、力を失って、黒い霧に戻ってしまった。

 危地は脱したと見たロトが、リーファを援護しようと立ち上がる。

 と、床の上で暴れ回る物音にまじり、ガツンと固く乾いた音がした。

「あ……っ!」

 ひきつった恐怖の声が、ウートの口から漏れる。咄嗟にリーファは視線を走らせ、床に転がった木箱を見付けた。

「これか!」

「嫌だ!!」

 リーファとウートが争って手を伸ばす。一瞬早く、リーファの指が木箱に触れ、弾き飛ばした。その転がる先にロトが跳び、素早く拾い上げる。

 それを見届けた直後、リーファは自分が組み敷いているウートを一瞬だけ振り返り、

「ロト! ここだ!」

 彼の胸を指して怒鳴った。それだけでロトも察し、聖水の栓を抜いて投げ付ける。

「イヤダァァァ!」

 人のものとも思われない絶叫が、リーファの鼓膜を殴りつけた。が、リーファは手を緩めず、ウートを床に押さえ付ける。

 小瓶が宙を舞い、こぼれた聖水が黒い霧を次々に消し去って、最後にリーファの肩に当たってから、ウートの身体に落ち――

 刹那、光が弾けた。

 まるで質量を持つかの如く、光はリーファを圧倒し、部屋に満ち溢れる。窓が勢い良く開かれる音が、微かに聞こえた。

 気が付くと、リーファはぎゅっと目を瞑ったまま石のように固まっていた。頬に風が触れ、耳に鳥の声が届き、やっと緊張が解けて目を開ける。

 ピピピ……チィチィ……

 開け放たれた窓から見える景色は、何事もなかったかのように長閑だった。

 リーファはしばし呆然としていたが、不意にはっと我に返ると、慌てて室内を見回した。尻の下ではウートが完全にのびており、少し離れたところでロトが木箱を持ったまま、目をこすっている。

「……ミルテ?」

 少女の姿はなかった。リーファはふらりと立ち上がり、ゆっくりと首を巡らせる。最前まで屋敷を覆っていた異様な空気が嘘のように、今は何の不自然さもなかった。邪悪な気配も、危機感も、……あの独特の冷気も。

「ミルテ」

 もう一度、はっきりと呼び掛けてみる。だが、それに応じる声はなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ