十章(2)
「……神殿って、鍵かかってるもんだっけ」
門前に立ち尽くし、リーファはいささか茫然とつぶやく。ロトが横でうめいた。
「普通はいつでも開け放たれている筈だよ。何か高価な美術品がある神殿でも、宝物庫に鍵をかけてしまっておいて、礼拝堂は開けておくものだし」
ということは、つまり。
「村内専用伝書鳩でも飼ってんのかねぇ」
早くも盗人警報が届いているという事だ。リーファは頭を掻いて辺りを見回した。
のどかな村に相応しく、低い石垣に囲まれた牧歌的な神殿だ。庭には薬草や邪気を祓うとされる香木に限らず、色とりどりの花が植えられ、目を楽しませてくれる。
穏やかで平和な庭を眺めながら、シンハがぼんやりとリーファに応じた。
「ウートの屋敷か、あの宿屋にでも、専任の伝令がいるんだろう」
「あー。案外、あのおかみさんが土煙立てて走ってたりしてな」
二人のとぼけたやりとりに、ロトは何か言いたそうな顔をしたが、敢えて無言で、行く手を遮る不粋な鉄柵の門扉をつかんだ。
軽く揺すってみたが、二枚の門扉をつなぐ南京錠が抗議の声を上げただけだ。ロトはくるりとリーファに向き直ると、畏まって場所を空けた。
「先生、よろしくお願いします」
「誰が先生だよ」
リーファは苦笑しながらも、ベルトに着けたポーチを探って専用の道具を取り出す。手に入れて以来、片時も離したことがない愛用の七つ道具だ。カチャカチャ音を立てて錠前と話し合ったのは、ほんの数呼吸の間。
「ほいよ」
リーファが言うと同時に錠がピンと外れた。鎖を解いて門扉を押し開けると、派手に軋んだ。
馬を駒留めにつなぎ、シンハとルクスを気遣いながら礼拝堂へ向かう。だがその扉に手をかけ、ロトが首を振った。
「ここも駄目か」
木の扉は古びてはいたが頑丈で、しかもどうやら中の把手に何かを通して閂にしたらしく、揺するとガタガタ物音がした。ただ鍵を開けただけでは入れない。
「厳重だなぁ。いいや、ちょっとここで待っててくれよ」
軽い口調で言うと、リーファはふんふんと鼻歌まじりに礼拝堂の壁に沿って歩きだした。村の神殿を見るのは初めてだが、城にある礼拝堂と大差ないだろう。すなわち、礼拝や集会を催すホールと神々の像あるいは象徴を祀った祭壇がひとつの堂におさまり、その裏あるいは横手に、儀式の祭具を収めた部屋と神官の居住棟などがくっついている形だ。
盗人が何を奪いに来ると思っているのかは知らないが、往々にして神官の生活は質素なものだ。金目のものを狙うなら祭壇の燭台や祭具室の方で――その手の道具はたいてい貴金属で作られているから――居住棟ではない。
なら、逆にそこから入れば、あとは簡単である。
案の定、リーファはすぐに施錠されていない扉を見付けた。居住棟の勝手口だ。狭い土間を経て、神官の個人的な居室を通り抜ける。祭具室に通じるドアには鍵がかかっていたが、こちらはちょちょいといじれば簡単に開いた。
「お邪魔しますよー、っと」
小声でささやきながら、リーファはするりと忍び込む。人ひとり歩くのがやっとの通路は、棚とクローゼットに挟まれていて、祭具や祭服がきちんと整理整頓されていた。
(ま、確かに少しは値打ちがありそうだけど)
棚に並んだ古い祭具をちらと見やり、リーファはちょっと肩を竦めた。
(こんな逃げにくい土地で、わざわざ盗みたいってほどじゃねえよなぁ)
よっぽど飢えていたら話は別だが、それほど食指は動かない。もっとも、そう言ったらここの神官は、安心よりも憤慨するだろうが。
さらにもう一枚のドアを開けると、そこは礼拝堂の中だった。神官らしい初老の男と、何人かの村人がこちらに背を向け、ガタガタ唸る正面扉を見つめている。
リーファは静かにドアを閉めると、ゆっくり祭壇に近付いた。
(たいして面倒はなさそうだな。神官のじーさんは問題外、あとは野郎が二人と……)
室内の面々を数え、思わずリーファは「あれま」とつぶやいた。
たまたま扉を揺する音が止んだ瞬間だったもので、リーファの声はホールによく響いた。全員がいっせいに、ぎょっとなって振り返る。その中に、宿屋のおかみもいた。
「おかみさーん、なんであんたがここにいるのかなー。久々の客をほったらかしちゃあ、いけないな」
リーファがからかうと、おかみは一瞬ぐっと詰まったものの、すぐに開き直った。
「あたしが神様を拝みに来ちゃぁいけませんか?」
「それが本当ならいいけどね。嘘は良くないなぁ。オレたちが盗人だって?」
そりゃあんたらの方だろう、と言外に匂わせる。だが、嫌味に対する返事を待っている余裕はなかった。村の農夫が二人、問答無用とばかり突進してきたのだ。
「うわ、人の話は聞けよ」
リーファはわざとらしくうろたえて、奥へと後ずさる。彼女が供物を捧げる壇の後ろへ逃げ込むと、二人の男はしてやったりとばかり、左右から挟み撃ちにした。
が、当然、それしきで捕まるリーファではない。
「神様、ごめんよっ!」
言うなり一瞬身を屈め、軽やかに跳躍した。
「あっ! な、なんて事を!」
誰と誰がそう叫んだのか、分からない。リーファは祭壇に土足で上がり、そこを踏み切り台にして大きく跳んだ。
ザッ、と着地したのはホールのほとんど中央。リーファは一瞬、背後を振り返ってにやっと笑うと、すかさず走りだした。農夫たちが慌てて祭壇を回り、こちらに戻ってくる。
リーファはその隙に正面扉に飛び付き、閂代わりの箒を素早く抜いた。
「取ったよ!」
外にも聞こえるように怒鳴り、同時に箒を構えてぱっと後ろに向き直る。リーファにつかみかかろうとしていた男が、伸ばした手を柄で弾き上げられて後ろへよろめいた。
リーファは箒で二人を牽制し、扉から遠ざける。
「そら、危ないぜ! 下がった、下がった」
しっしっ、などと余計な事を言う。二人の男が険悪な怒りに顔を歪めた直後、
「せやッ!」
掛け声と共に扉が蹴破られた。もちろん、その不敬な足の持ち主はロトである。
「出来れば鍵も開けて欲しかったな」
「無茶言うなよ」
「ああ、後で修理代を請求される……」
ぼやきながら、シンハがロトに続いて現れる。その姿を目にした途端、神官が、あっ、と短い叫びを上げた。
「あなたは」
「シィッ!」
三人が異口同音に神官を遮る。そのタイミングと仕草までがそっり同じだったもので、場に奇妙な空気が漂うことになった。
村人たちは笑うに笑えず困惑し、闖入者の三人もばつが悪そうに目をしばたたく。遅れてひょっこり中を覗き込んだルクスが、不思議そうに一同を見回した。
「どうなさったんで……?」
「ああ、いやはや」
神官がようやっと気を取り直し、ごほんと咳払いする。それから彼は、シンハをつくづくと眺めて小首を傾げた。
「私の存じ上げているお方にしては、いささか妙な場所においでなさったものですが……ウートさんが言っていた盗人というのは、あなた方のことですかな」
「そうだ」シンハは苦笑した。「盗人ではないがな。力を借りたい」
「ほう、それはまた。私ごときでお役に立ちますかどうか」
「立つよ、それも今すぐに」
リーファが口を挟んだので、神官は薄青色の目をぱちくりさせて振り返った。リーファは箒でぐるりと見物人を示し、肩を竦める。
「オレたちは盗人じゃないから安心して仕事に戻れ、ってこの連中に言ってくれたらね」
聞きようによっては図々しいその台詞を、神官は笑って受けとめた。
「そんな事でしたら、お安いご用……と言いたいところですがの。その代わり、お嬢さんも、無法者でないということを、行いで示して頂きませんとな」
にこにこしてはいるが、その声音からして見逃してくれるつもりはなさそうだ。リーファは困って頭を掻いた。
「えっと……何をすりゃいいんだい? さっき踏ん付けた祭壇を掃除するとか?」
「そんな事したのかい」
ロトが小声で非難する。仕方ねーだろ、とリーファもひそひそと言い返し、情けない表情で神官の言葉を待ち受けた。彼女が神妙にしているのを見て、神官はにっこり満足げにうなずく。
「ちょうど手に箒をお持ちのことですし、祭壇と、壊したドアの辺りを掃除して頂きましょうかの。それが済んだら、ご用件をお伺いします」
いつの間にやら主導権を握った神官は、リーファが渋々動き始めたのを確かめてから、不満げな様子の村人たちを外へと追い出してくれた。
「手伝うよ」
ロトが雑巾を取ってくる。残りの二人はそれぞれ、適当に場所を見付けて腰を下ろしてしまったが、その顔に浮かぶ疲労の色を見れば責めるわけにもいかない。
神官は若者たちの奉仕に目を細めていたが、ふと思い出したようにシンハを振り向くと、止める間もなく言った。
「それで、シンハ様、この村に何のご用です?」
ガタガタン!
二ヶ所で派手な騒音が上がり、会話を途切れさせる。神官が驚いてそれぞれを見ると、リーファは箒を取り落として壁に懐いており、ロトは祭壇に突っ伏していた。
そして、物音も声もなかったが、ルクスが目を限界まで見開いて、国王と同名の男を凝視していたのだった。




