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王都警備隊・2  作者: 風羽洸海
穢れた遺産
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序・一章

 家の中は真っ暗だった。

 おかしいな、と思った次の瞬間、おなかに何かがぶつかった。ううん、ぶつかったんじゃない。これは――

(うそ、で、しょ?)

 熱いよ。痛い。どうして。

 くぐもった、男たちの声が聞こえたような気がした。でも、何を言っているのか分からない。よその国の、知らない言葉。

(やだ、いや、いやだ、やだやだやだ)

 どうして、どうしてこんな事になったの、大丈夫って父さん言ったじゃない大丈夫って上手くいくって心配ないって、なのに待ってどうして。

 足元がぐらついた。膝が床に落ちる。背中から、首から、体じゅうから力が抜けて、ああ、もう座ってもいられない。

 ごつん。頭が床にぶつかった。

(死にたくない)

 おなかを押さえた手の下が、ぐっしょり濡れてる。

(大丈夫って言ったじゃない父さん、おいしいものも珍しいものもあるって、憧れの王子様も見られるよって、どれもまだなのにこんな)


 痛いよ。誰か――



   一章


「あー、美味かったぁ」

 船着場の近くにある『金の葡萄亭』を後にして、リーファはうんと伸びをした。腹は満ち足り、機嫌も上々。何しろ、晴れて警備隊の入隊試験に合格した、その祝宴だったのだ。楽しく飲み食いし、なおかつ自分の懐は痛まない、というのは嬉しいものである。

 少し後から出てきた警備隊の制服を着た青年が、呆れ顔で苦笑した。試験官としてリーファと出会った、二番隊のカナン=スーザだ。

「おまえがこんなによく食うと分かってりゃ、お祝いしてやる、なんて迂闊なこと言わなかったのになぁ。どんな胃袋してるんだか」

「そんなに大食らいじゃねえだろ?」さすがに少々傷付いた顔で言い返す。「確かにわりと食う方かも知れないし、いいとこのお嬢様みたいに『小鳥がついばむ程度』てんじゃないけどさ。普通だろ、このぐらい」

「まあ、ちびちび食われるよりは気持ちいいけどな。ああ、俺も付き合って飲めたら良かったなぁ」

 カナンが残念そうに言ったので、リーファは慰めるようにぽんと肩を叩いた。

「そうだな。エール三杯飲んだってことは、内緒にしといてやるよ」

「何の話だ?」

 カナンはすっとぼけたが、直後、正直に「二杯だったと思うけどな」とつぶやく。リーファは笑いだしてしまった。

「しっかりしてくれよ、先輩。これからまた夜勤なんだろ?」

「心配ないさ。この辺は商業地区だから揉め事も少ないし、最近はどこの家も戸締まりをきちんとするようになって、泥棒も減ったしな。警備隊の中でも暇なところだよ」

 大丈夫、などとカナンは呑気に笑って応じた。それでも広場までリーファを送ってくれるのは、本当は大丈夫ではないからなのか、単に警備隊員としての習性なのか。

 リーファの方では、実のところ送って貰う必要は感じなかった。王都の道はほとんど把握しているし、この辺りはぽつぽつと街灯が置かれているから、日没後も真っ暗闇になることはない。終夜営業の居酒屋もあるぐらいだ。

 だがなんとなく、仲良くなったばかりの友人と別れかね、それじゃあ、とは言わずにぶらぶら歩いて行く。カナンの方も、急ぐ様子は見せずに歩調を合わせていた。

 お互い何を話すでもなく、時々思いつくままに言葉を交わすので、合間にはゆったりした沈黙が降りる。ちょうど今の季節のように、暖かい空気。

 だが、何度目かの沈黙が訪れた時、リーファの耳に異質な声が届いた。

「……?」

 リーファは足を止め、辺りを見回す。カナンも「どうした?」と立ち止まった。

「なんか今、声がしなかったかい?」

「俺は何も聞かなかったが……」

 首を傾げながらも、カナンは真顔になって視線を巡らせる。その時また、リーファは声を聞き付けた。

「あっちだ」

 薄暗い路地の奥から、苦痛に呻く声がする。リーファは反射的にそちらへ走った。うう、ううう、と低く聞こえる声は、恐らく若い女のものだろう。

 じきに、一軒の店の路地裏に横たわる人影が見えた。少女だ。リーファは傍らに駆け寄り、膝をついた。直後、思わぬ異臭にウッと顔をしかめる。

(血の臭いか…!?)

「おい、しっかりしろ、大丈夫か? どうしたんだ」

 迂闊に揺することも出来ず、ただ声をかける。暗くて状態がよく分からない。

「タ……テ……」

 はじめ、少女が何を言っているのか理解できなかった。ひと呼吸置いて、もう一度少女がその言葉を繰り返した時、やっとリーファの脳でその言葉が意味を成した。

『助け、て……』

「――!」

 リーファは息を飲み、思わずまじまじと少女を見つめた。長らく耳にしていなかった、故郷の言葉。はるか西方、聖カリーア教国で用いられるサジク語だ。

『あんた……カリーア人なのか? なんでこんな所に』

 呆然とつぶやいたリーファの足元で、少女が顔を上げ、訴えるまなざしを向ける。

 仄かな月明かりと、遠い街灯の弱い光の下で、少女の髪と目は黒い闇のように見えた。少なくとも、東方の人間でないことは確かだ。

『痛い……助けて、痛いの……』

 浅い息の下から弱々しい声で縋られ、リーファはハッと我に返った。

『ああ、頑張れよ、すぐに人を呼ぶから』

 サジク語で励まし、リーファは背後を振り返る。数歩ばかり離れたところで、カナンが途方に暮れたように立ち尽くしていた。

「カナン! 早く、薬師か神官を連れてきてくれ。怪我人なんだ」

 だが、カナンは動かなかった。困惑し、助けを求めるように周囲を見回して、頭を掻く。何をしているのか、とリーファがせっつこうとした時だった。

「リー……おまえ、誰と話してるんだ?」

 思いがけないことを言われ、リーファは眉を寄せて動きを止めた。何を言われたのか、またしても言葉の意味がわからなくなる。

「誰って……」

 あんたとじゃないか、と言いかけ、そういう意味ではないのかも知れない、と迷って絶句する。目をしばたたくリーファに、カナンは気遣わしげに言った。

「犬か猫でもいるのか?」

「えぇ?」

 何を馬鹿な、と呆れ憤慨しながら、リーファは相手の視線を追うように振り返る。そこにはやはり、青ざめた少女がうつぶせに倒れていた。顔だけを上げ、こちらを見ている。

「何とぼけてんだよ、女の子がいるだろ? 見えないのかよ」

 自分の体が邪魔で見えないのか、とリーファは立ち上がり、一歩横に離れる。だがカナンは、ますます困り顔になっただけだった。

 そんな馬鹿な、とリーファはもう一度少女を振り返る。こんなにはっきり見えているのに、どうしてカナンの目には映らないのだ? 明らかにここにいるではないか。血の気の失せた顔、大きな黒い瞳、髪は濃い灰色の巻き毛で、赤いリボンが……

(……え? ちょっと待て、なんでこんなにはっきり見えるんだ)

 おかしいぞ、とリーファが気付いた次の瞬間、少女が起き上がった。ふうっ……と、風に吹かれて舞い上がる薄布のように。

『ああ……』

 小さな唇の間から、吐息がもれた。体の前面にはべっとりと血の染みが広がり、スカートの裾から今もぽとぽとと雫が垂れている。少女はゆっくりと顔を伏せ、足元の染みを見下ろした。

『あたし、もう……死んで、た、のね……』

 つぶやく声が途切れ、かすれて消える。と同時に、その姿もまた、煙のように薄くなり、夜の闇に溶けて――消えた。


「シンハ――――!!!」

「うわぁ!?」

 さあ寝ようという時に、いきなり体当たりされては堪らない。よろけてベッドにひっくり返った国王は、何事かと緑の目を瞬いた。若き国王を襲撃した曲者は、その体にがっちり両腕を回してしがみついている。死んでも離さん、とばかりに。

 それが自分の拾った元盗人だと気付くと、国王シンハ=レーダは、やれやれと小さなため息をこぼして身を起こした。それでもまだ、リーファはしがみついたまま離れない。全身が小刻みに震えている。

「リー、どうした? 何があったんだ」

 呆れながらもシンハは、リーファの背を軽くぽんぽんと叩いてやる。怖い夢を見た幼子をなだめるように、優しい仕草で。

 まだ返事はなかった。よほど恐ろしい目に遭ったらしいと察し、シンハはなすがままに任せて天を仰ぐ。今までにも時々、怪談を聞かされたとか、幽霊らしき影を見たとか、あれこれの理由でリーファがベッドに転がり込む事はあったが、たいていはもっとおずおずと、面目なさそうにやって来たものだ。今夜はその余裕もないらしい。

 ちなみにリーファがシンハの寝室に押しかけるのは、別段二人が深い仲だからというのではない。シンハは人並み外れて強く太陽神の加護を受けているため、幽霊の類を寄せ付けないからだ。リーファにとっては『便利な人間魔除け』、というわけである。

 しばらくして、がたがた震えていたリーファがようやく口にしたのは、

「で、でで、でででで」

 ……という、わけの分からない擬音だった。シンハは失笑を堪えて歯を食いしばり、どうにか声音を取り繕う。

「『出た』か? 何が出たんだ。いや、訊くまでもないか。災難だったな、せっかくの祝宴だったのに」

 そう、何日も前からリーファはこの日を楽しみにしていたのだ。遅くなるだろうから、城には秘密の通路を使って帰る、だから跳ね橋は上げてしまっていいよ、などと嬉しそうに言っていた。夜中におまえの部屋をこっそり横切ることになるけど、気にしないで寝ててくれよ、とかなんとか。それがどうだ、こっそりどころか体当たりときた。

「いいいいいい」

「い?」

「いい、いた、痛いって、たす、助けてって、血塗れで、ふわぁーって」

「……それはまた」

 シンハは何とも言えない顔で、曖昧な相槌を打つ。何しろ生まれてこの方、幽霊に縁があったためしがないのだ。話を聞いても、いまいち想像力が追い付かない。

 そんなシンハの反応に、リーファはますます強くしがみついてきた。

「おいこら、人を絞め殺す気か。まったく……」

 ぼやきながらも、シンハはリーファの体に腕を回し、抱き締めてやる。生きた人間の体温を求めているのだと気付いたからだ。案の定、じきにリーファの震えはおさまり、かじりつくようにしていた力が抜けた。

 ゆるゆると腕をほどき、身体を離して、ほーっと深い息をつく。

「……うぁー……死ぬかと思った……」

 いつもの調子が戻ってきた声に、シンハは苦笑をこぼして、くしゃっとリーファの頭を撫でた。

「生き返ったか?」

「うん、助かったよ。ありがとな」

 リーファは素直に礼を言い、もう一度ふうっとため息をついた。そして、そのまま虚脱した様子でベッドに倒れこむ。

「あんなにはっきりしたやつを見たの、初めてだ。女の子だったんだけど、怪我して倒れてて……」

 ぼんやり言い、はたと思い出してぱっちり目を開く。

「サジク語を話してた」

「なに?」

 シンハが眉を寄せる。リーファはむくりと起き上がると、相手の夏草色の目をじっと見つめて問うた。

「カリーアからの移民って、いたのかな? 見た目も、髪や目の色が暗くて、この辺の人間じゃないみたいだった。なんで王都にそんなのが出るんだ?」

「……と言われてもな」

 シンハは困り顔になって頭を掻いた。

「俺自身は幽霊なんぞ見たことがないし、今まで身近によく出くわす性質の奴もいなかったしな。王都にどんな幽霊がいるのかまでは、さすがに把握していないから分からん」

「幽霊って言うなー!」

 改めて自分が出くわしたものの正体を思い出し、リーファが悲鳴を上げる。その恐怖を解せないシンハは、面食らってきょとんとした。

 鈍感男の腹に拳を一発お見舞いし、リーファは不貞腐れてごろんと寝転がる。

「あーもう、オレ、部屋に戻らねえからな。このまま不貞寝してやる。ここから出た途端に出くわしたら嫌だしな!」

「それは構わんが、靴は脱げよ」

 もはやすっかり慣れてしまったシンハは、年頃の娘が寝床を共にするというのに、慌ても困りもしない。そもそも自分も寝るところだったと思い出し、欠伸をしただけだ。

 なんとなく敗北感を抱き、リーファはわざと意地悪く言った。

「なんなら服も脱ごうか?」

「あのな」

 嘘と分かっていても「ご自由に」などとは言えないのが、シンハの性分だ。うんざり顔でリーファを見やり、黙って室内のソファを指差す。

「そうしたければ、あっちで寝ろ」

「嘘だよ、冗談。上着だけ、な」

 慌ててリーファは言い、拝むふりをする。なんだかんだ言いつつ、実際は『魔除け』から少しでも遠ざかるのが怖いのだ。シンハは苦笑まじりの小さなため息をつき、先に寝るぞ、と広いベッドの反対側で横になった。

 しばらくごそごそと物音がして、ふわりと人の温もりがすぐそばまで寄って来た時も、シンハはそれを追い払いはしなかった。


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