41.所詮、現実こんなとこ
「いりません」
楽しげにはしゃぐ女と、薄い財布。プラス持ち主の俺。
「ねーダーリン、ペアグラスは要るわよねぇ?」
ビキ。
「服屋にしか行きません」
「じゃあ、あっちは? あっちぃの店には可愛い小物があるみたぁい」
ビキビキ。
「服屋に俺は用があんの」
「お菓子屋さんもぉ行きたいー。やぁん、街ってぇいろんなお店があるのねぇ!」
ビキビキビキ。
「お菓子も買いません」
「今日のお昼どぅする? 外食? 買い物して帰るぅ?」
ブッチ。
「だぁあああっ、何回も言わせんなって。いらねぇし、いらねぇの! 俺は服とかその他生活に必要な物を少ない所持金から買おうとしてんの。レインさん、そこんとこいい加減に理解してくれないと置いてくからー、マジで。本気と書いてマジと読むレベルの本気だかんな!」
「そーだけぇどー。あたしが買いたいのぅ。なんなら、あたしが買うからぁー」
「服の袖引っ張んな、可愛くねぇよ。俺は、豊満なレディが好きなの。もっと胸に肉付けてから出なおして来てくださいー」
「なんて、失礼な言い草ぁ! 言っとくけぇど、あたしは着痩せするタイプなのぅ。全然あるから、普通だから、平均はあるからっ!」
「ああ、そうですか。はいはい。じゃあ、言い直すわ、平均を超えてからアプローチしてくださいー」
「きいぃい、あるったらあるんだってばぁっ!」
さっきから「いる」、「いらない」の攻防戦が続いている。やっぱり、一人で来ればよかった。いらん仏心なんて出すもんじゃないな。ちょっと、こっちが罪悪感で大人しくしておけば、付け上がりやがって、何コレ、めんどくせ。
知合いに会いたくないから態々こんな裏通りに来てるのに、なぜ、こんなにも浮かれてるんだよ。城下町で買い物してるわけでもなし、どこにテンションを上げる要因があるんだよ。
「あーはいはい、わかったから腕に絡むなっつの。うっとおしい」
「ほら、あったでしょ!」
んなこと、確認させてんじゃねーよ。あっても、どこぞのまな板のような胸にしか勝ててねぇーよ。
「……いいか、最後だからな。真っすぐ歩いて服屋に行く気ねぇなら、帰れ。物なんて出ていく時邪魔だから必要最低限でいいの、わかった?」
「う、う、うわぁあん、朝から冷たいぃい、最愛のあたしに対してぇえ」
「最愛でもなんでもねえよ。マジでうっとおしいわ、お前。帰れ、シッシ」
「いやぁん、犬みたいに扱わなぁいでぇ。他所見も、寄り道ももう、しないぃから」
「嘘だったら置いてくかんな」
「帰り道ならぁ、どっかよってもぉいいよね?」
この女……。
「ほらほら、あたしだってぇ買いたいのとかあるのよぅ。たまにしか、こっち側こないしぃ」
「よし、わかった。今から一人で行ってきなさい、別行動しよう、な?」
「にこやかな顔しないでぇええ、一緒にお買いものしたいだけぇなのぅ」
「あのねぇ、あなたは出会った時からいい歳した大人でしょ。なに、子供みたいなこと言ってんの?」
「ぶーぶー、年齢差別ぅー」
差別じゃねーよ、区別だよ。三十前後でよく言うわ。
「お、あそこ服屋じゃね? よし、とりあえず、あそこにするか。で、レインさんは行くんですか? 行かないんですか?」
すんすんとわざとらしく鼻をすするレイン。
「行く」
その癖、その返答だけはやたらと早かりするのである。
目的地に来てみたものの納得がいかずチッと、心の中で舌打ちをする。
なんだ、この生地は。固い、肌触り悪い。その癖、そこそこ良いお値段だと。この店はぼっているに違いない。
「これが一番良い生地ってホント?」
「もちろんでございます」
手もみをしながらこちらの様子を窺ってくる店主。
もう少しねばればもっといい服が出てきそうな気配はするが、懐具合との兼ね合いもある。
ここはグッと我慢だ、我慢するほかない。これもそれも、貧乏が悪いんだ。家に帰って服だけ取りに行きたい衝動がしても、我慢だ、我慢するんだ。あそこにはもう俺は帰らないんだ。そうだとも、うん。
「じゃあ、これと同じサイズの服を似たようなの上下ともあと二枚」
「かしこまりました。そちらのお客様は何かございますか?」
「ん、んーん? えぇ、あたしぃ? あー、んー?」
話しかけられると思っていなかったのかレインは驚いているようだった。
俺が品を択んでいた間、店の中をぐるぐると忙しなく動き回っていたが気に入ったものはなかったのだろうか。
「こちらの白いワンピースなどお客様にはお似合いかと思いますが」
ニコニコという擬音が聞こえてきそうなほど店主は、表情を綻ばせながらレインにその品を進める。チラッと見えた値札は、俺の服三着分と大差ないほどである。
「白くてひらひらした服って嫌い」
いつもの間延びした口調で喋ることもせずに彼女はそう言った。
「似合うかもしれないじゃん、着てみたら?」
「い、ら、な、い」
きっぱりとレインは言いきる。完全なる拒絶だった。
「そうですか、お似合いだと思ったのですがねぇ」
店主は酷く残念そうな呟きを洩らし、肩をすくめてから白い服を元の場所へと戻す。
「あ、ダーリぃン黒い服なら買ってくれていいのよぅ?」
「自分で買え」
といいつつ。
今の俺の財布には、俺以外の余裕はない。しかし、だ。日ごろのお返しなどする機会でもあるわけである。
さきほどの白い服を思い浮かべる、でも、あれはレインよりはメ……。
だああああああああああっ。いかん、いかん!
思考がおかしいな。いや、おかしくない。正常なんだ。ただ、ちょっとついいつもの癖が。隣りに居るのは今、レインだ。そう、レイン。レイン。
「ほら、黒以外じゃなくても赤とか、緑とかなんか気に入った服とかなかったのかよ。お、あっちの藍色なんていいんじゃね?」
心の動揺を隠すように、別の服を薦めてみる。
「あたしは黒い服以外着ないのー、汚れも目立たないしぃ」
夢がない。
この女、あり得ないほど夢がない。それでも、女か。というか、どいつもこいつも顔が多少綺麗なんだから、着飾れよ。勿体ないと思わんのか。フツメンやら地味っ子に悪いと思わんのか。
「じゃあ、装飾品とかは? 何もないのかよ」
「自分で装飾品するの好きじゃぁないしぃ、いらなぁい」
再度、言いきられて店主の方はやや凹み気味である。
男の客より、女の客に喜ばれたかったのだろう。うんうん、わからないでもない話だ。
てか、ちょっと空気読んで俺が何か買いたがっているってのを察してくれてもいいんじゃなかろうか。俺もやや凹み気味である。大体、人には指輪だのネックレスだのしろって言うくせに自分じゃ付けたくないとかどんだけだ。
「指輪とかネックレスとかも売ってあるんだから、ちょっと見てみろって。ほら、あの赤い硝子の指輪は?」
「あたしぃー、装飾品の中で指輪が一番きらぁいー」
「こっ」
こんにゃろう。苛立ちを心の中で叫ぶ。いかん、いかん。血圧が。落ちつくんだ、俺。それ、ひっひふー。
俺が深呼吸をして、自分を落ちつけた後で再びレインを見ると腹立たしいことに、レインの足は既に店の入り口付近に居た。
俺が金を払って荷物を受け取ったら、すぐにでも出ていきたいとでも言わんばかりだ。
あからさまに溜め息を吐いてから、店主に金を払い荷物を受け取る。その時には彼女は、店の外からこちらを見ていた。マジで、この女なんなんだ。
「雑貨屋と菓子屋どっちに行きたい?」
渋々俺は、提案する。
「え?」
「行きたいって言ってたろ、最初に」
レインは目をパチクリさせながら、こちらを見ていた。本当にこの女、察する気がないんだけど……。
「勇者対策とかしなぁいの? ど、どこかにぃ、行くのぅ?」
「レインが行きたいならな」
さあ、やりたいことをいえ。ドンと言え、今なら聞いてやるぞ。ドドーンと、俺は構える。
「えっと……その……」
だが、レインが浮かべた表情は曖昧で、ぎこちなかった。そして、その表情の意味を俺は悟ってしまった。
本当に、嫌になるぐらい彼女の心の内が読めてしまった。
「なーんちゃって、うっそ。ほら、帰んぞ」
認識を改める。否、再認識をした。……何を期待してるんだ、何を期待してたんだ。
彼女と俺との距離は今まで一定で、これからもそれはそのままなのだ。俺はメイリーを突き放したからといって、レインとの距離を縮める必要なかったのに。こんなことしてるから、気付かなくていいことに気付かなくちゃいけなくなるってのに。
……本当に何をやっているんだろう。何がしたいんだろう。俺、馬鹿すぎる。
「えー、いやーん、嘘なのー? あたしぃ、傷ついたぁあ」
いつもの口調で、相変わらず厚みのがあまりない胸を俺の腕に絡めながら、レインはそう言った。
「やーい、騙されてんの、プププ。さーて、ランへのお土産は何がいいかなー、お肉かなー、骨かなー」
「ラン、また、ランなのっ! ランばっかりずるぅい」
俺は、否定した途端に出た安堵の表情を思い出しながら、レインの額をデコピンする。
「うっせーし。ああ、俺の癒しであるランをモフってストレス解消したいわー」
「ダーリンに弄ばれたぁあ、責任とってぇええっ」
「ははは、やーい、やーい」
笑いながら、毒づく。
……ああ、ホントにどいつもこいつもなんなんだ。
レインも何だかんだで人のウイークポイントをガンガン責めるよね、なんなの。安心したくせに、なんで、今さら泣きそうな顔とかしてんだよ。やめろよ、泣き虫詐欺は一人でいいっつの。
『我儘言ってごめん、なさい』
ああ、うるせー、うるせー。なんなんだよ、うるさいんだよ。
『……それは、勇者と結婚しろって、言ってるの?』
お前らは俺にどうしろって言うんだ。人の優しさに漬け込むな。俺は優しくなくて、自己中な人種なんだよ。知らん、知らん。俺に高度なこと要求すんなっつの。あー、ホント、なんなんだよ。もう、俺はいっぱいいっぱいですよ。スペック低いの、低スペックなの!
心の振れ幅と連動するように頭の奥がズキズキと痛んだ。
泣きたいのはこっちだ、クソ。
少女の肩の上には、黒い鳥が居た。
「オカエリ、オカエリ。おうさまカエルヨ」
その鳥は、少女の頭と大差ないほどの大きな鳥だった。それだけの大きさだ、重いのだろう。鳥が乗った方の肩は随分と、下にさがっていた。
「てきコロサナキャ、シゴトダヨ、シゴトダヨ。おまえイッショニイル、あれコロサナキャ」
彼女は喋らない。鳥の話をただただ、聞いていた。
「カエロウ、カエロウ。おうさま、みんなタスケテクレルヨ。ワスレタノ?」
身じろぎもしなかったが、少女の目は爛々としていた。――いつもとは比べ物にならないほどに。
「ニクイちちおや、ニシノヒト。ははおやコロシタ、キタノヒト。トナリデネテタあのこイキウメタ、ヒガシノヒト。おまえカッテタ、ミナミノヒト。おまえワスレタ? おまえツレテッタ、チュウオウノヒト。てきドッチ?」
笑い声を鳥は耳にする。呼吸の仕方を忘れたかのような、狂った笑い声だった。
「忘れてた、わすれた、ひゃは。……っ、でも、もう、ちゃんと思い出してるよー?」
呆れるように鳥は首を振ってから、コツンコツンと少女の額をくちばしで小突いた。
「ナンテ、おばか」
「むぅ、痛いよぅ。……あの人、優しくて、良い匂いがしたから騙されちゃったんだよ」
硝子玉の瞳が頭の中に浮かんだ。
茶色の二つのそれ。自分に向けられた優しい温もりが、今も体を包んでいるような気がした。
「……血の匂いも一緒なのかなー」
『この子には手を出さないでください、お願いします、お願いしますっ』
抱きしめてくれた手が、似ていた気がした。
無気力で、人に従うばかりだった自分の母親の手に。心の中のその人は少しも無気力ではなかったのに。
『なんでもします、なんでもします。お願いだから、連れて行かないでくださいっ。まだ小さな子供なんです。お願いします、ご主人様っ』
『チッ、おい、やれ』
『……は、い』
胸の中に頭はあった、庇うように抱きしめられていた。ボロボロの服は汚いのに、良い匂いがした。
けれど、その匂いは瞬く間に失せて、次に嗅いだのは嗅ぎ慣れた死の匂いだった。
血が頬に、体に、全身がその人のそれで埋め尽くされる。
それをぼんやりとしながら眺めていた。自分から引きはがされた母親の体が冷たい石畳に叩きつけられるのも、ただただ、見ていた。
泣きつくことも、縋ることもしなかった。それでも、目だけは母親を見ていた。
伸ばされた手、呼ばれた名前。下がっていく手、かすれていく声。広がっていく赤い色。
無気力なまま、誰かに手を引かれても、見えなくなるまでずっと見ていた。
例えば、人買いに自分を売ったのが父親だったのなんてどうでもいい話だ。
奴隷に生ませた子供なんて、自分の子供として勘定に入っていなかったのだろう。
例えば、母親を殺したのが同じ奴隷だったのなんてどうでもいい話だ。
奴隷は物なのだから、所有者が要らないと判断したのなら壊れていいのだから。
例えば、例えば、例えば、例えば、例えば。いい出してしまえば、例え話は尽きることがない。そもそも、全部例え話にする必要さえない。
一緒に人買いに買われたあの子、土砂の中に埋もれたのは、魔力が弱かったからだ。それゆえに、崩れやすい地盤の調査に使われただけの話だ。
母親と同じように、子供を生まされたけど、子をとられた女たち。
生みたくもなかったから気にしていない人もいたけれど、子をとられて狂った人も居た。それだって、それ以上でもそれ以下でもないごく普通の……あの場所では普通の話だった。
今も憎いのかと問われれば少女は首を振るだろう。そのような感情ではないのだ。名などない。されたことを鏡のようにやり返しているだけだ。彼らよりも多少残虐に。
なぜ、そんなことをするのか。どうして、曖昧な感情のままこんなことをするのかと、問われても少女は答えられない。何がきっかけだったか覚えていないのだ。
応えられるのは自分に対して手を差し伸べてくれたのが、彼らではなかったということだけだ。
これは敵意ではなく、ただ、自分に向けられた感情に対する応答でしかない。
人として扱ってくれない相手を人として扱うべきだろうか。扱わなければならないのなら、その理由はなんだというのだろう。
知らないし、理解できない。だから、少女はその理由を探さない。これも、それだけの話だ。
闘うことを望まれたから、そうしているだけだ。
少女は空を仰ぐ。
「……こっちも思い出させてあげないとだよね、同じじゃないなら、強い方が偉いんだよって」
少女の口元は、歪につり上がっていた。そこには、いつもの天真爛漫そうな少女は居なかった。居たのは、狡猾そうに嗤う少女の姿をした何かだった。
「ソウダネ、みんな、マッテルヨ」
すっきりとした視界、思考。
なぜ、急に元通りになったのかをやはり少女は知らない。そして、知る気もない。タイミング良く、仲間が自分を見つけられたのかも彼女にはわからない。
魔獣は城の中に入れないはずなのに、なんでとか。
彼女の記憶は消されたはずなのに、どうしてだとか。
なぜ、そんなことが起こっているのかを、普通の人が抱く疑問符を彼女は抱えない。
なぜなら、少女は――元に戻ったのだ。これが彼女だった。それ以上でも、それ以下でもないからだ。
「殺さなかったってことはちゃんと報復される覚悟があったんだよね、おうじー?」
ありえないほど穏やかな日常だったと、少女は思う。
幸せな時間とはきっとこういう時間のことを言うのだろうと、そう彼女は考える。
自分で考えることが大切なのだと、それも知った。
けれど、それでも択ぶのは決まっているのだ。
選択する答えは、いつだって始めから皆決めているものだ。
ただ、それを択べるのかどうかだけが別な話というだけだ。
久々投稿です、すみません。
どんどん、敵味方が入れ替わって行くよー、ヒューヒュー。
あと、2話で勇者とシャドの対決です。
そしたらググンとお話が進みますよー、ヒューヒュー。




