40.それぞれの思惑(side:グランツ)
『アダラ・プワゾンと申します。くだらない世界平和など興味は微塵もありませんがカミサマの意に背く出来事が発生しているため、渋々参加をいたします。尚、仲良くしていただく必要はありませんが、貴方達のその足りない頭をフル活用して節度を持って接してくださることを期待いたします』
カミサマは人間がお嫌いです。
だから、仕方ないのです。
魔獣が生まれたって仕方ありません。
魔王が生まれたって仕方ありません。
人間なんて生きる価値を認められていないのですから、殺されたって仕方ないのです。
大地を三つに分けられたのだって人が罪深いからこそなのです。
家族や恋人、親しい人がバラバラになったのだって仕方のないことなのです。
カミサマは人間に罪を贖わせるためにそうしているのですから、仕方ありません。
魔石は人間のためのものではないのです。
取り合うことなど赦されないことなのです。
柔らかな土の下で眠るべきものなのです。
魔獣を嫌うことなど赦されません。
あれらは正しく秩序を守るものなのです。
人間があれらの善悪を決めてはいけないのです。
魔力に驕ってはいけません。
魔力とは人間に与えられた力ではなく、巡る世界の流れなのです。
人間が持つ魔力の大小などその一部でしかないのです。
うんたらかんたら、うんたらかんたら。以下略。
出会った当初「カミサマと人間」というおどろおどろしい内容の本を彼女は聖書代わりに持っていた。本はやたらと手の込んだ装丁をしているだけではなく、開いた先にあるのは淡々と続く言葉の羅列と美しい挿絵で……明らかに技術の無駄遣いが結集していた逸品としか言いようのないものだった。
そこに書かれたことを彼女は、善として行動する。
故に、縮まらない一定の距離間と冷やかな眼差しはいまでも変わらない。
だからだ。だからこそ、彼女に見えているのはどういうものなのかグランツにはわからないし、わかろうとする気持ちもない。
あるのは、自分の計画に彼女が障害となるか否かだ。
「君と僕も一つ勝負をしてみないか?」
投げられた賽がどんな結果を出すかというのを考える前に考えるべきことがある。その賽に何も仕掛けがないということを確かめるべきということである。
そして、自分が望む結果を出す必要があるならばこちら側から仕掛ける必要もあるということも覚悟しなければならない。
――グランツはいつものように、にこやかに部屋の主に声をかけた。
部屋の主はキャラメル色のトランクを足元に置いて、背筋を正し、立っていた。こちらを見る様子はなく、かといって虚ろにどこかを見ているわけでもなく、いつも通りの表情で荒れ果てた部屋の一点を見つめながら立っていた。
「あら、傍観者気取りをしつつ美味しいところをいつものように頂く予定だったのではなかったのかしら?」
いきなりの毒にも彼は動じなかった。
「美味しいところだなんて心外だな。僕はいつでも目的に達するために最も良い選択肢を択んでいるだけだよ。ところで、大分部屋が汚いね。片付けはちゃんとするものだよ」
「扉は貴方の飼い犬がやったのです。部屋は自分で荒らしましたが、出ていくのですから関係ありません。自分の持ち物はすべて持っておりますのであとはメイドにでも掃除させてくださいな。残っているのはゴミばかりです」
早口で、悪態を吐くのは虚勢というよりも相手に思考をさせないための策略だと彼は思っているからだ。
メンタル面が弱い者や、真面目な者。思考能力が低い者には有効だろう。だが、その条件に当てはまらないなら大抵の言葉を受け流せばいいのだと気づけるはずである。
「狐の皮がはがれる前に人払いをした方がいいですわよ、ほほほ」
「ははは、実はここに来る前にハイラントと会っていたりするんだよね。更に言うと、廊下は城内に不審者が居ると言って人払いしていたりするんだよね」
やっとこちらを見た彼女は、少しばかりめんどくさそうだった。
「暇ですね。こちらはいろいろと忙しくて貴方に関わってる時間すら惜しいというのに」
「かけてくれるのは一つでいいよ」
「やるとすら言っていませんが? その顔の横に付いている耳は飾りですか? 頭の上にでも見えない耳が付いているのですか? その内、コンコンと鳴きだすのですか?」
グランツはひたすらにこやかだった。
「部屋で佇むのが忙しいなら、それでもいいけどね。うん、逃げるなら逃げてもいいよ」
「ほほほ、挑発ですか? 安い挑発ですね、それに引っかかるのは単細胞ですよ」
「手厳しいね、君は。じゃあ、言葉を改めよう。……君に願いがあるように、こちらにも目的がある。共同戦線は張れないとわかっているから、邪魔しないでほしい」
アダラはその言葉に楽しげに笑った。嗤うではなく、笑った。いつもよりも、それは優しげなものだった。ピュアに向けるそれよりは優しくはなかったけれど。
「なんで、そんな顔するかな、君は」
「いつもよりは好ましい答えだったからです、決まっているでしょう? ほほほ、譲歩してあげてもいいですよ。もし勝てたならば、貴方の願いの一端を担ってあげましょう。最初で最期の一歩を歩めるように」
「まるでこちらの目的を知っているみたいな口ぶりだね」
「人間が考えうる願い事や目的なんて少し考えればほぼほぼわかるものです。このアダラ・プワゾンにはね」
彼女は自身の胸に両手を当て、神に祈るかのように目を瞑る。
「ああ、こちらが勝った時の対価も考えなければなりませんわね。そうですねぇ、こちらが勝ったのならば……」
「勝ったのならば?」
ゆったりと持ちあがる瞼。
茶色い色のはずの瞳が一瞬だけ、青い色にきらめいた気がした。
しかし、瞳の色が本当に青色だったのかどうか確かめることはグランツにはできなかった。
「どういうつもりなんだ!」
その一声により、部屋の中に流れていた空気が消え失せる。
自分より後からやって来たその人物は女性の部屋だからと遠慮して出口に待機していると言うのに、ズカズカと部屋の中へ進もうとする。
アダラは一瞬、心底嫌そうな顔を作る。彼女は余程彼のことが嫌いらしい。
恩を売る意味でも、立ち位置を扉の端から彼が入りづらいように数歩体を移動する。
さすがに、王子を押しのけるようなことをダムもするわけではないが隙あらば部屋の中の人物に掴みかかりそうな勢いだった。
いつもいびられているのにも関わらず、なぜ、関わりたがるのか……。グランツはかすかにこめかみが痛むのを感じた。
「どういうつもりとは、なんですか。一体ここへ何しに来たのですか。唐変木など邪魔です、目障りです、どこかへ消えてください。貴方には一瞬たりとも構う暇はありません」
「城内で泥棒が出たと言えば、責任問題が発生する。大体、廊下に兵士を立たせて物事を大事にしておいて何を……」
慌ててグランツは、「それは自分が言いだしたこと」なのだと言おうとした。
「だから、なんです? 兵士を立たせていたからなんなんだと? 泥棒が出たから騒いだからなんなんだと? 迷惑をかけてすみませんでしたと謝って欲しいんですか? いいですよ、すみませんでした。お騒がせいたしました。どうです、これで満足ですか? 満足したならもう、顔を見せないでください」
だが、彼女の早口に口を挟むチャンスを失くし、そのまま黙って聞いている間に、彼女は足元のトランクを持ち窓枠へと寄る。
ここは、三階なのに、だ。
「ダム・シリアス、忠告です。顔のつくりが良ければすべて赦されるなどとは思わないことです。そもそも無駄に顔だけはいいから、ドルーク・ジャミルからいびられるのだと知っていましたか? その顔は、彼の妻の初恋の人にそっくりなのです。目や髪の色が少しばかり違っているからあの程度のいびられ方なのですよ。本当にそっくりなら彼は貴方をとっくに殺しています。更に言うと、魔王討伐の一員に貴方を推薦したのは彼です。あわよくばを狙ったのは明白です。そろそろ城仕えをやめて、故郷に帰りなさい」
すぐ下にはバルコニーもないし、近くには飛び移れるような高さの木もない。かろうじて芝生が生えているがそれだけだ。
「アダラ?」
間の抜けた自分の声が聞こえた横で、自分を押しのけて部屋に入るダムが居た。
「今、虫の居所が悪いんです。これ以上、不愉快にさせないでくださいな。ほほほ」
窓が開いて、肌寒い風が部屋の中を吹き抜ける。
「……………」
聞き取れなかった言葉。自分よりもずっと彼女の近くに居たダムは聞き取れただろうか。ふわりと羽でも生えたように窓から飛び立つ彼女を見ながらそう思った。
「馬鹿、待て。アダラっ! 魔法が城内では使えないんだぞっ!?」
ダムは落ちていく彼女の体を掴もうと窓枠から身を乗り出す。
「待ちなさい、お前まで追ってどうするんですかっ! 怪我しますよ」
自分も窓枠に寄って、彼の体を掴む。
「っ!」
抵抗はあまりなかった。だが、離せば彼はすぐにそこから飛び降りそうな勢いをまだ残していた。
気が付くと視界の先には最初っからそこに居たかのようにスタスタと歩くアダラの姿があった。城内では魔法も魔術も基本的には使えないはずなのにどうやってそこへ辿り着いたというのか。
考えていると、彼女が振り返る。無表情に近い表情のまま口をパクパクと動かす。
それから、最後に柔らかく、柔らかく――ピュア向ける顔で微笑んだ。
どう考えても口の形は罵倒しているものだったのだが、いつも自分たちに決して向けられない表情に二人とも固まってしまった。
「彼女が去り際になんて言ったか君には聞こえたかい?」
「……いいえ」
憎々しい気持ちを押し殺す。
「そうか、なら、いい」
一瞬の間。そこに――嘘を感じた。
(所詮、彼も……味方にはなりえない)
「あ、そうだ。メイドに掃除の連絡と、通路の閉鎖を解くように言っておいてくれないか?」
「仰せのままに」
心の奥に隠された大切な物と一緒に、グランツはすべての感情を笑顔で塗り潰す。
それは大きな目をぎょろりぎょろりと闇の中で輝かせる。
「どないしよ、怒られるわー」
両手の人差し指をくっつけたり、離したりしながら言い訳を呟く。尖った爪にはわずかに赤色がこびり付いていた。
「ついつい追いかけっこ楽しくなって我を忘れたとかちゃうねん。自分が逃げたからやで、わざととちゃうねん。大人しく投降してくれたらこんなことにはならんかったんや。まー、でも足やしスカートこんだけ長かったらばれんのと違うかな? 足の腱切ったわけでもないし、うん、あれには言わんとこ。薄皮をちょっと切っただけやし、服着替えさせたらばれんやろ」
暗い路地で横たわる彼女は、地面からピクリとも動かない。泥にまみれた長い金髪を掴んでそれは思案する。
白い肌に付いた無数の傷。
無数の切れ目の入った服。
ところどころ短くなった金髪。
「よう見たら、いろんなところ切れてるな。あかん、やっぱ、ばれるかも。えー、どないしよ。」
ほんの数十メートル先には賑やかな大通りだと言うのに誰もこちら側には気付くことはない。
「ま、とりあえず連れて帰って着替えさせてから考えよ。髪飾りはもう使えんし、捨てよかな、しゃーないよな。服は似たようなんがあった気ぃする。でも、胸んとこのサイズがなー、どっかから調達してから帰るか」
目玉が消えた頃には、誰も居なかった。
微量の血痕だけが風に吹き飛ばされることなく残されていた。
不幸続きの青藍蒼です。徐々に話が進んでおります。
誘拐されちゃったのは誰でしょうかって、……わかるよね?
ともかく、次回は彼女じゃなくて、シャドくんのターンです。
なる早更新がんばります。