39.この日のこと
(やっぱり、変な感じだ……)
目の前の天井は何度見ても見慣れなくて、精神的にツライと感じる日々を送っておりますシャド・スペクターです。皆さん、どうも、こんにちは。一日目にして根を上げるとか、精神が貧弱で困るぅー。
とりあえず、頭を振って、自分を落ちつける。
目を開ける度に、ここがどこだかわからなくて一瞬戸惑ってしまうわけです。無論、記憶をたどればすぐに、自分がどうしてここに居るのか、ここがどこだかわかるんですよ。ええ、昨日のカミングアウト大会の記憶もその前の記憶も全部しっかり遡れるんですけどね!
(慣れない場所だし、しかたない……か)
野宿して暑さ寒さに晒されることもなく、部屋の隅っこで丸まるわけでもなく、それどころかベッドの上で大の字がとれるのに――気分が悪くなるとか、ほんと贅沢な悩みで困る。
これはもう、根がひ弱な貴族さまなのでブーブー文句を言いたくなっちゃうんだもーん、よよよ。と、言い訳する他ないな。
(ぶっちゃけると、違和感以外は超いい感じなんだけどね)
ここ数日で久々に背中が久々に起きても痛くないんですよ、素晴らしいことじゃありませんか。と、いうわけでシャドくんちょっと贅沢な悩みは棄て給えよ。大体だね、宿に泊ったりだした頃もしばらくは慣れなかったし、今だって部屋中をくまなくチェックしてるし……もう、百パーセントで底意地の悪い人間性を君が持っているから悪いんですよ。
なーんて、心と会話してみたところでこの人間不信の域に突っ込んだ片足は抜けないわけなのだけれども。
「おんやー? 足と言えば、足元には愛しのランが居るじゃ、ありませんかー」
うりうりーと、手を伸ばして寝ているランをもふる。もふもっふー。あー、たまらん。癒される!
ランは眠ったまま大人しく撫でまわされる。
撫でられるのがくすぐったいのか不気味な笑い声をあげるラン。ちょっと、あれな笑い声だが、可愛いから許そうと思う。しかし、寝ていると普段よりも野生の獣感が薄れるのはどういうことなのだろうか。いい加減なところで起きようよ、君は野生の獣じゃなかったのかね。もふられても寝続けるってどうかと思うよ。
しばらく撫でていたが、ランは一向に起きなかった。今、お前は俺の中で野生失格のレッテルがしっかりと貼られてしまったぞ。てか、普通の動物でもここまでぐっすりと寝ないと思うんだけどね!?
いいのか、野生の獣よ。お前はアホウドリか。外敵なく育ったのか、好奇心にだけ満ち溢れているのか。警戒心はどこだ、どこにあるんだ。
(やめよう、この問題は確認してはいけない世の中の見てはいけない部分だ。癒されたし、起きよう……)
ランを避けつつ、ベッドから出る。
無駄に体は大きいし、毛は長いしで踏まずにベッドから服の置いてあるところへ行くのは正直一苦労だった。踏んでもぶっちゃけ起きそうにないのだが、ランを踏むだなんてそんな非道なことはできませんでした。当然です。ランを愛してるんだよね、俺。
代わりに足を超プルプルさせながら足の踏み場探したから攣りそうになったけど、いいんだ、これは愛の代償だから。運動不足じゃないから、攣らなかったよ! 攣りかけただけだよ!
「ん?」
やっとこさ自分の服に辿りついたので畳んであったそれを持ち上げると、何かが落ちた。別段脱いだ時と変わったようには見えなかったし、特に何かを挟んだ記憶もなかったので首をかしげる。
刹那、沈黙。
(あれー? ちょっと、おかしくね? たんま、たんま。おかしい。いや、めっちゃこの状況おかしいわ。よくよく考えたら水が置かれても起きなかったし、誰かがこの部屋の中を眠っている間に触ってるっぽいよね?)
感じた違和感は天井が変わったことによるものではなく、これだったんじゃないだろうか。
考えれば考えるほどおかしいぞ、この状況。寝起きで夜中はあんまり頭が回ってなかったけれど、レインがこの部屋にやって来ていたとしたら眠りの浅い俺が起きないわけがない。確実に起きていたはずだ。あの母親相手にだって起きれる俺が夢見心地で寝ていたわけがない。事実、途中で悪夢に魘されて起きたぐらいだ。
一体、何時水は置かれたのか――?
慌てて服や持ち物に他に変化がないか調べる。匂いは大丈夫だ、薬品の匂いがするということはない。むしろ、獣臭い。……貸して貰った寝巻で外で歩くわけにもいけないし、服買いに行かないとな。
(んーんーんー、いや心配するのは服の話じゃねーよ。あー、駄目だ。現実逃避癖が俺を現実から阻むぅうううっ)
現実をしっかり見つめるべく俺は靴の中に仕込んであるナイフや、ベルトの中に仕込んでいる針がねを確かめる。特に触られてないようだ。あるかどうかもわからないいざという時の道具だから別にどうにかされてもいいんだけどさ、あれ、いいのか、いや、やっぱ駄目だわ。
(つーことは、水が置かれてたのと、服の中になんか入れてあっただけ?)
恐る恐る拾い上げると、落ちたのはペンダントだった。もう、ペンダントはお腹いっぱいですけども。えー、何よ、なんでよ。
しかも、以前押し付けられた物とは違いペンダントはロケットタイプのもので、大分古いものだった。デザインも実に古めかしく、「今時これはどうよ」という感じだ。手入れされてはいるようだが、銀メッキがところどころ剥がれているし、宝石の類もついてないから値段的にも良い物ではなさそうだ。
「大事にはしてあるっぽいけど、まあ、とりあえず、御開帳してみますか」
まず出てきたのは、四つ折りにされた羊皮紙だった。なんで、こんなものが入ってるのか。ますます変な品である。
(うへー、ボッロボロ)
これもペンダント同様に古いものだった。元の色などわからないほどに変色しているし、端々は擦り切れていた。紙を破らないように慎重に開くと、見たこともない記号が一行描かれていた。くるっと一周回してみても、裏から見ても理解不能である。これは言葉ではなく記号である。
(百歩譲っても、俺からしたら落書き以上記号未満ってところだ。にしても、誰の嫌がらせかは知らんが、こんなもの入れるとかマジで何なんだよ!! おん?)
持ち主は本来の機能であるロケットとしても使っていたようで、紙の下には古ぼけた写真が入っていた。写真は家族写真だ。いかつい顔の男性と、気の強そうな女性。女性の腕の中にはおくるみに包まれた赤ん坊。
レインに女性が少し似ている気もするが持ち物は明らかに年代物だし、そもそもこの年代物とレインの年齢を考えてみても合わない。
これがいつの時代のものかまでは鑑定士じゃないのでわからないが、十数年どころじゃない昔のものだというのは見てとれる。
「……これ、ホントに一体誰のだよ」
余程大事なものかとも考えたが、大事なら俺の服の中になぜあるのか理解できない。
勘で言うと、レインのご先祖様的な人の写真で紙は元々入っていた。ここにあるのは、彼女の悪戯。というところだろう。というか、そう言う風にしておきたい。
「しかし、気なるなー。この紙、なんて書いてあるんだろ」
『I Love you = Arigato』
気にしても無駄か。本人にでも聞けばわかるだろうし。
(朝の挨拶がてら聞いてみよう)
そう思って、紙を折り畳んで元のようにロケットに戻し、蓋を閉じた。
「ダーリン、お、は、よぅ」
ハートマーク付きの挨拶。うぜぇえ。朝からうぜえ、何この人テンション高すぎじゃね。そして、朝から胃が持たれそうなほど料理をなぜ作るんだ。
机の上には既に料理が山のように並んでいるというのに、彼女は台所に立ち、未だに料理を作っている。俺は朝からそんなに食べないぞ。と、今のうちに釘を打つべきだろうか。
「おはよーさん」
どっかりと昨日と同じ椅子に腰を下ろす。
「なあ」
「なーにぃ? は、もしかして朝から料理してる姿を見てぇ欲情しちゃった? はじめては台所じゃいやーん」
「しねーよ、何朝から頭お花畑にしてんだよ。じゃなくて、昨日俺が寝てる間に水置いたかってのが聞きたいんだけど?」
いらっとしてつい、口調が厳しくなった。いや、別に口調ほどつめた言い方をする気はなかったんだけど、あまりにもいらっとしたから、つい。
「入ったよー、ダーリン寝てたぁ」
ジャーっと水音が響く。レインはこっちを振り返らずにそう、言った。
「本当に、俺寝てた?」
「超ぐっすりぃだったけど? ……あ、そういえばランはどうしたのぉ!?」
「部屋で寝てる」
「ランってば実は、眠り深いからぁ」
二度目もレインは振り返らない。――続く無言。料理する音だけが部屋に響き渡る。
ロケットのことを先に聞けばよかった。レインにはどうやらやましさがあったらしい。完全に聞くタイミングを逃した。今度別のタイミングで聞けばいいか。
「なあ、……暇だったら今日、買い物でも行こうか。ここに居るにしても、宿に移るにしても服とかいるし……別に嫌ならい」
「えーっ、何それぇええ、デートぅうう?」
遮られた言葉。
うわー、全力の笑顔で食い付いてきたぁ。目をキラキラさせながら、人の顔覗きこんでくるとか、うわー。
「ちけぇよ」
手で、レインの顔を押さえる。寄るな。
「やっぱりいいわ、一人で行くし」
「やぁあああん、行くのぅう」
ええ、泣くな、うっとおしい。
再びハイテンションになったレインはすさまじく、うざかった。メイリーはもっと静かだったのに。目線はガンガンだったけど、って、違う。何を比べてるんだ、俺は。
わざとらしいほど盛大に溜め息を吐きながら、机の上に置かれた林檎のフリッターを齧った。甘ぇ。
天気の良い朝だというのに、ベッドの主は毛布を被ってその中で丸くなっていた。芋虫のようになっているのは、シュロム・スペクターその人である。
扉が幾度となくノックされ、使用人や両親が出てくるように言うが彼は何重にも鍵をかけたまま中に引き籠っていた。
無論、無理矢理入ることも彼らには出来たのだが、入ったら何をしでかすかわからない長男坊に外から声をかける以外に何もできなかったのだ。
コンコンコン、と再びノックの音が響く。
「放って置いてくれ、当分誰とも会いたくない。誰も見たくない」
「私」
「……メイリー?」
「そう」
毛布の中から顔だけを出し、相手を確認する。
「生憎と引き籠って現実逃避中だ、帰ってくれ」
「話だけでいいから、聞いて」
「シャドの話はしたくない」
毛布を再び被って、耳を塞ぐ。
(怖い、恐い。来る、居ない……)
ガタガタと震える体。恐怖がどこから来るのかシュロムはわからない。
彼はこれは、今までになかった感情だと思っている。どれほど恐ろしくても、このようにいつまでも浮かんでくる感情に体は反応することなどなかった。
「話だけでいいから」
「断る。あいつを択ぶのはお前の自由だが、おれを巻き込まないで欲しい。そもそも、おれは仕事に行きたいのに、寒くもないのに汗が出て、震えが止まらないからこうしてここに引き籠っているんだ。……おれは一歩でも家の外に出たらスペクター伯爵家の長男で、リーフ・ザーパトの血を引く者として、なんでも完璧なシュロム・スペクターなんだ」
誰もが褒め称えるシュロム・スペクター。自信満々で、何でもできて、完璧な人物。
『さすがは、彼女の子供だ』
『さすがは、次期スペクター伯爵だ』
そこに至るまでの過程なんて考慮されない。努力はして当然、できて当然。そして、彼もそれが当然だと思っているからただそれをこなす。
「努力を諦めた軟弱な愚図がおれの弟であって……あんな顔なしの化物は、おれの弟なんかじゃない」
顔のない化物。弟だと思ったそれは別の人物で。弟を弟と認識したら、弟に見えた。ただ周囲に立っていた人物だった相手だったのに。十八年も一緒に居た、血を分けた弟を見間違えるなんて普通はあり得ない。
そもそもあれが本当に弟だったのかすら疑わしい。あれは、化物だ。
「シャドのところに行きたいけど、辿りつけない……っ」
「なら、それは諦めるべき事柄ってことだ。諦めるといい」
力を貸すのも以前の彼ならシャドが絡んでいても渋々了承しただろう。だが、惚れた腫れたは、振られるまでの話だ。振られた側にシュロムは完全に回った。回ることを望んだ。欲しい、欲しいの駄々っ子はシュロム・スペクターではない。
例え、それは譲り渡したのが誰なのかわからなくてもかわらない。
故に、恐怖の尽きない化物相手に以前好きだった相手のために挑めるかと聞かれれば彼の答えは「ノー」だ。
「我を通そうとしても、通らないこともある。さっさと家に帰るといい、家の人も心配しているだろうから。……ま、まあ? なんて言われて、雲隠れされているのかは知らんが、どうせ、あいつは『ちゃんと勇者とは闘うから、放っておいて』的なことを言ったのだろう。なら、決闘でもなんでも条件が揃えば会えるさ」
「……わかった」
「意地悪なシュロムが応えるのはこれまでだ。ではな、メイリー」
「うん」
立ち去る足音に安堵し、深く深呼吸する。
(ん? いつの間にか震えも、汗も止まっているじゃないか)
何を怖がったのか、なぜ、それがなくなったのかはわからないが既に震えは止まっていた。
(しかし、既におれは病欠扱いだ。たまにはのんびり実家ですごすのもよいかもしれない)
脳内を占有していた感情がなくなって、清々しくなった気持ちで彼はそれを決めた。
(とはいえ、メイリーを追い払った後にすぐ部屋を出るのは如何なものだろう。あと小一時間ほど引き籠ってからにしよう)
毛布から出て、彼は丸まっていたために強張っていた筋肉を伸ばす。カーテンを開いた先には、眩しすぎるほど良い天気だった。
――数日後、シャドとシュロムは、この日のことを後悔した。
次回は勇者側。
もう、メモ帳なんかに頼らない。