36.貴方を見つめる(side:メイリー)
『シャド・スペクターに関わるなんて無意味なことですよ』
いつも誰かが、彼女にそう言った。
魔力がないから。
才能がないから。
常識がないから。
魔力がないのに学校に来るのがおかしいと、人はシャドを嗤う。
難しい本を読んでいる姿を見て、人はシャドを馬鹿にする。
人に何を言われてもヘラヘラ笑っている姿を見て、人はシャドを嘲る。
まったく魔力がないわけじゃなくて、あんまり使えないだけなのにどうして嗤うの?
勉強することは悪いことじゃないのに、魔力があっても勉強しない人の方がずっと悪いとは思わないの?
人の悪意には悪意を返さなくてはいけないの?
彼女の頭の中には悪意に対する疑問符ばかりだった。
だからこそ、そんな風に考えていたメイリー・ジャミルには、わからない。
なぜ、他人がシャドを嫌うのか。見下すのか。
『ずっと目障りだったよ、あの母親と同じかそれ以上に』
なぜ、好きな人に疎まれていたのかも――それすら、わからない。
レインの店から近くの馬小屋まで小走りで、それからは馬に乗って流れる街並みを目に入れる。
『家族も、周りも、……俺はお前と居るのも嫌だっていってんの』
(なんで、なんでいつもこうなるんだろう……)
シャドを嗤う者たちがした顔で、自分のことを嗤う。
(ああ、やっぱり駄目だ。ねえ、こんなにも悲しいのに。欠陥品みたいだ。涙一つ出ない)
「違う。きっとこれは大丈夫だからだ、まだ、大丈夫だから。……そう、これぐらいなら大丈夫だから、だから、泣けない。それだけ」
小さく言い聞かせるように呟き、それから、馬の尻を強く鞭で叩いた。頬に当たる風は冷たかった。
いつだって彼女には、言いたいことは沢山あった。
しかし、それらは口から出てこなかった。飲みこんで、噛み砕いて、それからやっと出していた。
ただ、出せた言葉はいつも思っていることと違う言葉ばかりだったけれど。
けれど、違うことも彼女は思ってた。
『シャドが望んでないことを言って何になるのかわからない』と。言ったら嫌われてしまうかもしれない、と。
彼女にとっては、それがもっと嫌なことだった。何も言えないより、ずっとそれは嫌なことだった。
今だってまだ、「一緒に居たくない」と、「目障りだ」とハッキリと言葉にされたのに、「嫌いだ」という明確な言葉を言われていないことに少しばかり安堵していたほどだ。
そもそも、シャドが「目障り」だと表現した部分について釈明するならば彼女は自分のしていたことに対して悪いことをしていたと言う意識がまったくなかった。
むしろ、今日初めてそこまでシャドを傷つけていたのだと知った。
例えば、『一緒に同じことがしたかった』から、シャドの真似をした。
それが彼女は、自分と彼を比べることになるとは思いもしなかった。
彼が『頑張らないことが嫌いだ』と、いうから彼女は頑張った。
『嫌われたくなかっただけ』で、結果が伴わなかった彼を努力してないと誰かが叱咤するとも、その努力を霞ませるなんて思いもしなかった。
悪口を言う人と仲違いを彼女はしたけれど、好きな人を嫌う人なんて好きになれるわけもなかったから嫌っただけだった。
『他でもないシャド・スペクターに好かれたかったから』他のものなんて欲しくもないと捨てたことが、本人から羨まれることだとは思いもしなかった。
全部、好きだったからそうしただけだった。
傷つけるほど酷いことをしている認識なんてなかった。
家に辿り着く頃には、冷たい風でだいぶメイリーの頭は冷静になっていた。
反対に、かなり急がせた所為で、馬は息苦しそうにしている。
(無理させて、ごめん)
降りて馬の鼻先を抱きしめる。
彼女は正しく、彼のことを傷つけていたことを理解できていた。
今までのことはシャドが優しかった故に自分を赦してくれていたのだと理解もできた。
同時に、それでもまだ、その優しさが自分に向けられていることも理解した。
『俺ちゃんと勇者との果たし合いはやるからさ』
悪意に対して悪意で返すことを拒み、善意を差し出してしまうのがシャド・スペクターという人間なのである。
なら、メイリーがすることはただ一つだけだ。どうやってシャドを留めておくか。その一点に尽きる。
そもそも別に結婚にこだわる理由を彼女は持ち合わせていない。
結婚すればシャドが『自分だけのもの』になると思った。だから、したかった。知る大人たちがそうやって大切な人を自分のものにしていたからそれを見習ったのが、今回はタイミングが悪かった。
(あの勇者が現れなければシャドに婚約者だなんて言わなかったのに。嫌がられてもなし崩しになんとかなるかと思っていたけれどもっと考えないと駄目だったんだ……)
彼は結婚はしないと言った。『向いていない』と。だったら、結婚はしなくていい。そう、結論付ける。
(次のことを考えないと。シャドをどうやったら引き止めるか考えないと、……きっとまた遠くへ行こうとしてしまう)
遠く。自分の手が届かない場所。そこで誰かと幸せになるシャド。
そして、ここに居続ける自分。隣りには顔も想像できない誰かが居るかもしれない。
想像しただけでゾッとするほど気持ち悪く、恐ろしい未来に思えた。
(嫌だ、そんなの、嫌。ずっと一緒だった、これからも一緒じゃないと嫌だ)
自分が生まれた時には、もうシャドが傍に居た。
なのに、途中で居なくなるなんて――。
「おい、メイリー」
途切れた思考。
メイリーが顔を上げた先には、リーフ・スペクターが居た。
視界に入った途端、盛大に彼女は顔を顰めるが、リーフは気にした様子もなく馬小屋の入り口に突っ立って菓子パンを頬張っていた。
「こんばんは、おば上。さようなら」
シャドに対しては言いたいことの言えないメイリーではあるものの基本的に他人に遠慮はしたことがなかった。つまり、彼女は嫌なものは嫌だとハッキリ表現する部類の人間であった。
今、メイリーはリーフと話したいと思っていなかったし、何か言われたいとも思っていなかった。彼女がしたいのは今後どうしたらいいのかと、シャドについてを考えることだけだった。
「連れないなぁ、せっかく会いに来たと言うのに。ああ、そう言えばシャド、居ないな。まあ、居ないだろうと思ってたがな」
心中を見透かされたように思えて、肩をわずかに震わせる。
「……………」
シャドは目の前のリーフのことが目障りだと言った。同じくらい。だとも表現されたが、彼女に比べれば自分は明らかにシャドにとって害がないとメイリーは判断できた。
心のない他人の言葉は飄々と受け流しても、彼は彼女の言葉にだけは一瞬言葉に詰まり、考えた後何とも言えない顔をしてから、それから表情を作るのだ。
自分とは違って多彩な表情をする彼が、だ。
メイリー相手なら、どんな言葉であろうと少し苛立った様子を見せたとしても「仕方がない」と笑ってくれる。
これは些細なようで、大きな違いだ。
「……だったら、なんで……それが、わかっているならここに居るの、ですか?」
「ああ、今家の中がいろいろと荒れていてな。シレーナを送るついでにいろいろと確認しようかなと。……さて、質問だ。シャドの目の色は何色に見える? 髪の色は?」
「?」
会話の意図するものがわからずにメイリーは首をかしげる。
そんなものはいつも見ているのだからわかっているに決まっている。
「なぜ、そんなことを聞くのですか」
「なぜって、そりゃ、実を言うと八年前から本当に自分の子かよくわからないからだろうな。違うな、正確に言うと生まれた時から違和感だらけだったが八年前から自分の子供かどうかわからなくなって、三年前からは自分はカッコウの雛を育てていたような気分とでも言うのだろうか、自分の子供ではない何かを育てているような気がしている」
絶句した。
口を開けば酷い言葉が飛び出しそうになって、メイリーはギュッと唇を噛みしめた。
「腹を痛めて生んだのに、おかしな話ではるが……ふむ、どう表現するのが的確なのだろうなぁ。可愛い子だとも、できの悪い子だとも思うが、あれは理解しがたいし、相いれない」
事もなさげに彼女は言葉を口にした。
シャドが聞いたら確実に傷つきそうな言葉を、いともたやすく。
『もうこういうの終わりにしようか、メイリーさん。……俺は、うんざりだよ』
彼は言った。終わりにしたい、と。
「シュロムの様子を見ていて思った、やはりあれは何かおかしかったのだと」
『正直言うと俺はお前が羨ましいよ、優しい家族に、才能、なんだって持ってる』
彼は言った。羨ましい、と。
「これは重要な確認だ。メイリー、お前にはあれがどう見えるんだ?」
メイリーは、ここが嫌いだ。なぜなら、シャドにここが優しいと思えないからだ。
メイリーは、別に他人がどうでもいい。なぜなら、シャドだけが居ればいいからだ。
シャドはどうだったのだろうかと、初めてメイリーは思った。
なんで、シャドはここが嫌いなのだろうか。
なんで、シャドはここから出ていきたいのだろうか。
シャドにここが優しいとは思えなかったのに、なぜ、どうしてそこまで思考がいきつかなかったのだろう。
(引き止めるだけじゃ駄目だった、甘えるだけじゃ駄目だった……)
『こんな場所には生きて居たくないって逃げ出したいって思ってるって』
(ここじゃ駄目だったんだ。最初っから、だって、ここにはシャドが居れる場所がない)
学校では、どうだっただろう。
社交場では、どうだっただろう。
家では、どうだっただろう。
職場では、どうだっただろう。
(どうだっただろう、なんて考えなくてもわかったのに。優しいから、強いから、だから、大丈夫だなんて……そんなこと無かったのに!)
「髪は淡い茶色で、目は緑。シャドはずっと私の目には、そう映ってた。優しくて、頼りがいがあって、大好きで……」
(私は泣けない。でも、シャドが泣いたところなんて一度も見たことがない)
彼は、優しくない。
もうとっくの昔にいろいろと諦めてしまったから、なされるがままになっていただけだ。
彼は、強くない。
多少腕っ節に自信があっても、逃げるのが上手でも魔力がないから喧嘩にもならない。
彼は、大丈夫なんかじゃない。
逃げ出したいと口に出してしまうほど、とっくに限界を迎えていた。
(謝らないと、シャドに謝らないと。ちゃんと自分で考えたこと言わないと……)
メイリーは、シャドが遠くに行くのが怖い。
どこかにずっと行ってしまうと思って怖かった。
それはただ、あの日、自分にリボンを差し出してくれた少年がもうどこにも居ないのだと知りたくなかっただけだった。
(ちゃんとシャドを見て居なくちゃ駄目だったのに、幻影なんて捕まえられるわけないのに……)
メイリーは駆けだしたい気持ちで一杯だった。言いたいことを全部言いたかった。
「なるほど、お前にはそう映っているのか……だがしかし、困ったな」
「?」
「シュロムはあれの髪は茶金色で、目は灰色だと言う。夫は金髪碧眼だと言う。シレーナは濃い茶色の髪で、淡い青色の目だと言うし」
メイリーは怪訝そうな顔をした。
「……母親からすると灰色がかった茶髪に、目は琥珀色なんだが」
「意味が、わかりません……」
「意味など考えたところでわからないさ。事実を言っているのだからな。メイリー、シャドがどこに居るのか知らんが、あれは写真にも写らないようだ。見事に全部ピンボケだったり光が入っていた。この家にあるものもそうだった」
いつの間にか空になっていた菓子パン袋をリーフはぐしゃぐしゃとポケットの中にしまいこむ。
「それから、シュロム曰く、シャドは誰にも捕まえられないらしい。人一倍獣のような感性を持ったあれが言うんだが、お前はシャドを探せるのか?」
駆けだしたい気持ちだった。
言いたい言葉があった。
「私はシャドを見間違えたりしない、絶対に! あんなシュロムとも誰とも違う!」
目じりが初めて、熱く感じた。
挨拶をすることもなく馬にまたがって、来た道をメイリーは戻りだした。
**********
「リーフちゃーん、馬の鳴き声が聞こえたけどメイリーちゃん帰って来たー?」
ゆったりと歩いて来る友人にリーフは考えるようなしぐさを作る。
「ああ、帰ったが出ていったな。……ところでシレーナ、実を言うとシャドとシュロムが二人揃って戦場に出たなら間違いなくシャドが生き残るだろうと思っているんだ」
「あらあら、一体何の話ー?」
キョトンと先ほどまで居た彼女の娘とそっくりな顔で彼女はリーフに問いかける。
「いや、なんとなく言いたくなった」
「わたしならシュロムくん押しね、強いしきっと頑張るわよー」
「ああ、そうだなあいつはきっと栄誉ある功績を残し、最後まで戦場で戦って死ぬだろうな。実に母子だと感じる」
シレーナは「まあ」と驚いた風に言った後、微笑んだ。
「どうみても、リーフちゃんに似ているのはシャドちゃんの方よ。顔も、自分の大切な物のために一生懸命なのも、不器用さんなのも」
「あれと似ているだろうか? 今一つ、あれのことは理解できないし、血が繋がっているのが不思議でならないんだが……弱いしな」
「なら、その弱いシャドちゃんがなぜ生き残ると思うの?」
自信満々にリーフは笑んだ。
「あれは引き際をよく理解しているし、頭だけは良いからな。そういう人間は戦場で活躍しようとはしないものだ。うまく立ち回って、きっちり帰って来る。……そう言った意味では、あれは誰より戦士向きだと思っていた」
低く彼女は唸り、そして溜め息を吐いた。
「しかし、ああまで心身共に弱いと自分の子供だとは思えん。すぐに逃避するし、構えば逃げるし、理解しがたい」
「あらあら、実の父親たち相手に『あれを馬鹿にすれば、二度と西の国には戻らん』って散々噛みついた人の台詞とは思えないわー」
「離縁しろと言われたから言っただけだ、ふん。……それに、昔よりやはり今の方が違和感を感じるのは事実だ。あれの傍の空気はどこかおかしい、気持ち悪いぐらいにな。それに、他人の目から見て同じ人間に見えないような容姿をしてる時点でおかしいだろ」
「そうやってツンケンしてるから仲良くなれないって自覚した方がいいわよー? 見た目なんていいじゃないの、そんなに気にすることないわよ。人の感覚よ、所詮」
「だとしても関係ないな。親はなくとも子は育つ。それが我が家の家訓だ。一から十まで面倒見て育てる方法など知らん」
先ほどのように、シレーナは「まあ」と驚いた。
「子が勝手に育っていくのって寂しいのよー、案外。はー、うちのお嬢様は一体いつ帰って来てくれるのかしらねー」
頬に手をついて彼女は溜め息交じりに、呟いた。
やっと更新です。すみません、やっとメイリーちゃんはシャドくんの気持ちに気付きました。
母親の気持ちも他人の気持ちも目に見えないし、言ってくれてもわからないものなんて理解できないんですよって話でした。
ちゃんちゃん。