28.来訪者の正体
「名前くらいは聞いたことくらいはあるかもしれませんね。アダラ・プワゾンと申します」
「あぁー、あんた!!」
レインがその人物を指差す。外套の下は――某殺人未遂犯の仲間、もとい勇者の仲間であった。
あ、運命が「ごめんあそばせー」って飛んで行くのが見える、おーい、戻ってこーい、こい。
つーっと、流れそうになる涙をハンカチーフで拭う。くすん。
(ふ、毎度毎度のあれですか。そうですか、運命さんは俺をまた弄んだんですね、あーはいはい……)
溜め息を吐きつつ、俺の手を掴む指を一本一本外す。
普通にこの人、有名人じゃん。モブ子じゃないじゃん。もう、巨乳ってだけでキャラ立ちしてんじゃんか。
(これは、立派な美人局である。美人局ー、美人局ー、運命さんによる美人局を断固反対する!)
あ、せめて胸が腕に当たるみたいなラッキースケベを体験してから指を外せばよかった、しくった。
「……で、勇者のお仲間さんであるアダラ・プワゾンさん、何用ですか?」
「不躾ですね、女性には優しくするものですよ。まあ、そこのその人の知合いなのですからしかたありませんか」
「ふーん、アダラ・プワゾンねぇ。あんたこそ相変わらずじゃないの。客じゃないなら、この店からとっとと出てって欲しいわぁ」
バチバチっと火花が飛ぶ。あれ、お二方知合いですか? 俺のこと無視ですか? 冷たくないですか?
「店はお閉めになったんでしょ? なら、問題ないじゃないですか、ほほほ」
「それが、問題あるんですのよ、おほほ。だって、あたし、あんたのこと嫌いだものぉ、おーほほ」
テンション下がるなぁ、ランはどこかな? 奥に一人と一匹で引き籠ろうかな。
「ねぇ、お二人さーん、なんかそういうバトル的なのするなら他所に俺行ってもいーい?」
「「駄目よ(です)!」」
言わずに行けば良かった。
レインはつかつかと歩いて来て、俺と彼女の間に入る。おいこら、何腕絡めてんだ、誰の許可得てんだ。井戸端に話題を提供する気はないんだぞ!
「なんで、お前が腕を組んでんだよ、こぬやろー」
「いやぁねぇ、ダーリンったら、消毒よ、消毒。ここだから良かったけど、外でやったら駄目よ、絶対に。できれば、半径五メートルにはこの女を入れないで欲しいところなのよぉ」
何をもっての消毒だ。俺にとっては、お前も同じくらい消毒が必要だ。
「へいへい」
が、めんどくさいので頷いておく。レインは一言うと、百で返すので大人しく従うフリがこう言う時は一番なのだ。
「あら、二人して冷たいこと」
アダラは腕を組んで、こちらを笑う。悪意のない笑みだった。
「そこまで貴女が気に入るなら、よっぽどなのでしょうね」
それどころか、何も感じない。笑い顔を作っているだけのように、気が感じられない。
「今日はただの見物です、あの馬鹿のように何かする気はありませんもの。もちろん、貴女とも違いますけど」
「そうねぇ、あんたは本当に何もしてくれないわよねぇ」
「ええ、カミサマの意思に従うだけです。どうなろうが、貴女がどれだけ手を尽くそうがまったく関係ありません」
こう言う時背が高くて良かったなぁと、思う。
なぜなら、下で起こることは上を向いて知らん顔すればいいのだ。俺は知らない何も見てない、女同士のバトルとか見てない。モブを貫く。
お、あそこの隅に埃が。あとで、掃除するように言ってやらねば。
「シャド・スペクター」
「え、あ、はいはい」
急に名前を呼ばれて、どもる。なんですか、俺も会話に加わるべきでしたか? 今、空気と一体化する術を発動中なんですけども。
「貴方、何か得意なことありませんの?」
「格闘、魔術等は基本的に不向きですが?」
「ほほほ、つかえませんね。知能は低くないとだけ覚えておきます」
あれ、談笑のはずなのに、心を抉られた気がする。今、なんだか、馬鹿にされた上に尊厳的な何かを傷つけられた気がする!
(ひ、被害妄想だろうか……)
男たちの憧れであるはずのアダラ・プワゾンと話しているはずなのに、全く嬉しくない。むしろ、一秒ごとに大切な何かが失われて行く気がする。何これ、なんなの。
「人のダーリンを使えないとか、言わないでくれる? あんたはどうせ、ダーリンの本質も何も興味ないんだから」
おまけに、この人と居ると、レインがやたらといい人に見える。何効果だろうか。俺の価値観が狂って行く、カムバック俺の価値観!
「ないですが、なにか? 今、現在としてはまったく価値を見出していませんが、なにか? それが、なにか?」
ぐさ、ぐさ、ぐさ。
よし、俺は空気だ。空気は生きるのに必要だ、必要だけど普段は価値なんてないと思われているものだ。悲しくなんてない。大丈夫……。
「レインさん、早くお帰り願ってください。なんだか、いつも流せるような台詞が流せません」
しくしくと、顔を覆ってお帰りを願う。もう、無理。否、最初っから無理でした。なんか、生きててすみませんでした。
「やだぁ、大丈夫、ダーリン?」
背中をさすってくれるレイン。
今なら、俺の唯一の癒しだったランの次(パーセンテージなら一パーセント)にしてもいいかもしんない。
「相変わらず、人の気持ちを考えないわね。とっとと帰ってよ、一緒に居ると吐き気と殺意で気が狂いそうだわ」
「もちろん、帰ります。あなた方ほど暇ではありませんし」
目が鋭く、細まる。
「助言してあげましょう、シャド・スペクター。貴方は早くいろいろなことに気付き、手放すことです。何が貴方にとっての最善かを知らなければ、ただ時に流されますよ」
「……それって、どういう」
パンと、レインが手を叩く。
「いやだわぁ、蚊かしらぁ」
「ほほほ、心が狭いこと。またお会いしましょう、シャド・スペクター……レイン・ドゥンケル?」
「早く、行けばぁ?」
去っていく背中に、レインは手近なところにあった物を投げる。
アダラはそれをひょいっとかわし、手を振りながら店から出て行った。
「モウ、イッタ?」
「おー、ランー」
どこからか現れて来たランの毛を、わしゃわしゃと撫でる。
「どこに行ってたんだよー」
「アレ、コワイ。らん、キライ」
首を縦に動かす。確かに、あれは怖い。
「……レイン」
「なぁに、ダーリン?」
先ほど自分が投げた物を拾うのをやめ、彼女は振り向く。
「さっきの台詞の意味、わかる?」
「さぁー、あんなのの言葉なんてわからなくてもいいんじゃないのぉ?」
「お前、なんか知ってるだろ。さっき、蚊がいるフリして邪魔したし」
「いやだわぁ、蚊が居たのよぅ」
「ほら、ここが赤いでしょ」と、赤くもなっていない手を指差す。
「わざとらしいので、レインへの俺の好感度が一下がりました、ずーん」
「きゅん、レインからのダーリンへの愛が一上がりましたぁー」
「なぜ、上がる」
お前のメーターは確実に壊れているぞ、レインよ。
「常にダーリンを愛しているからでっす」
「あー、はいはい。俺は愛してない、愛してない」
『ただ時に流されますよ』
彼女の台詞が妙に、心に引っかかったがレインは何も教えてくれる気はないようだ。
(優しいんだか、なんなんだか……)
「そう言えば、勇者の仲間だとか、またって言ってたけど、なんかあったの?」
「……ちょっと決闘を申し込まれたからだろ」
「決闘!? だから、何が得意か聞いてたのね!」
「少しでも俺に優しいのだと、いいけどね」
「じゃあ、今度はこれを持って行ってよ、ダーリン。これは通信用で、こっちは魔力の増強で」
忙しなく店の中を動き、レインは物を俺に放り投げる。
「いや、こんなにいらねぇし」
「こうなったら、徹底抗戦よ! あんな女なんかの好きにさせないわ」
『またお会いしましょう、シャド・スペクター……』
笑っていない笑い顔、優しくも鋭い眼差し。
最初に触れられた時の冷たさが、手にこびり付いているようで、俺は反対の袖でその部分を拭った。